紙の本
新大陸と旧大陸を貫く魔弾
2019/04/02 23:37
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
悪魔的とは、この作品の技法であり、テーマであり、舞台となった時代でもある。ラインの暴れ伯と呼ばれたドイツ貴族が、農民戦争の末に新教徒の農民たちとともに新大陸に渡ったことから物語が始まる。やがてスペイン人の南米侵略が始まり、現地王国と融和していたドイツ農民と、コルテス軍は衝突することになる。コルテスは超然としたカリスマというより、むしろ神懸かったようなサイコパス的人物に見えて、実は悪魔と取引きをしていたということが分かる。
コルテスの腹心の部下が、暴れ伯の腹違いの兄弟であり、当時の神聖ローマ帝国周辺情勢の複雑怪奇さがあるのだが、それらの要素が血で血を洗うような憎悪と抗争、宗教的対立、インディオの美少女の奪い合いへと導いていく。魔法陣で呼び出すだけが悪魔ではなく、この歴史を導く空間の、あらゆるところに悪魔が潜んでいるいて、人々の運命は狂わされる。
暴れ伯の呪われた弾丸は、関わる人々の運命、そして時代の流れをも逆転させてしまうが、それも混沌の世界を象徴しているのだろう。
南米征服というヨーロッパ人にとって汚辱の歴史であろうけれど、それを阻止しようとする神聖ローマ帝国貴族というのは、ドイツ人にとっても自意識に働きかける何かだったかもしれない。もちろん当時の人々にあるのは、近代的な洗練されたヒューマニズムとは違うが、むしろ当時の農民の素朴な憐憫であることが、読者にとっては共感できる要素だろう。これが発表されたのはオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊直後で、古い社会のあり方への怨嗟や反発も背景にはあったかもしれない。
そうは言っても。一体何が正しくて、どこを目指したらいいのかも分からない混乱して時代に、さらに混乱していた世界で、自分にかけられた呪いもものともせずに、信念のままに突き進むというのは、あるいは頼もしく映ったこともあるだろう。現代の我々だって、何が正しいのかなんて分からずに、霧の中を手探りしているようなものだとすれば、この素朴すぎて、行き着く先も考えずに剛直を貫く生き方に、殺伐の中にもなにかほっとするものを感じるのではないだろうか。
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国書刊行会の『世界幻想文学大系』の1冊として刊行されたタイトルが、白水Uブックスから復刊。
既に邦訳が幾つか出ていて、そちらを読んでいる人間にはペルッツらしい幻想的な歴史小説。波瀾万丈なストーリーのラストがああいう終わり方をするとドキッとするね。
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読み終わってしばし、呆然。
突如、時系列が断ち切られて
別の時系列に繋がる、映画的な手法が
とられているから。
キリスト教や世界史の知識があれば
さらによく分かるんだろうなと
思いつつ、血なまぐさいストーリーの
中から浮かび上がる登場人物たちの
個性的なキャラ力のおかげで、
一息に読めた。
「巨匠とマルガリータ」にも通じる世界観。
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時は16世紀。
ラインの「暴れ伯爵」と渾名されるグルムバッハは、
聖職者の俗権への介入を厭い、
抵抗して、神聖ローマ帝国皇帝から追放処分を受け、
スペイン人未入植地で農業に従事しようというドイツ人たちのリーダーとなって、
フェルディナンディナ島(キューバ)へ。
後にコンキスタドール(Conquistador)と呼ばれる新大陸征服者の一人、
アステカの財宝を狙うコルテスの無敵軍と対立する。
部下が博奕に勝ったことで、
百発百中の腕を持つ狙撃兵ノバロの小銃を巻き上げたグルムバッハだったが、
コルテスの命令で絞首刑に処せられたノバロが
死の間際に吐いた呪詛の言葉に縛られる。
曰く、グルムバッハが三発の弾丸が入ったその銃を使えば、
一発目はアステカの王モンテスマに、
二発目はインディオの少女でグルムバッハの情婦となったダリラに、
最後はグルムバッハ自身に命中すべし――と。
幻想的かつ血沸き肉躍る歴史小説。
義侠心溢れる乱暴者、身長2メートル弱の偉丈夫、
フランツ・グルムバッハ伯爵の冒険。
暴れ伯爵は一見かっこよさそうだが、なかなか間が抜けているというか、
決して超人的なヒーローではなく、
実は結構おバカなところが人間臭くて好感が持てるし、
目的のために一直線と見えながら、あちこちで迷い、酒に逃げる辺りがリアル。
先に短編集『アンチクリストの誕生』を読んだときにも思ったが、
作者レオ・ペルッツは歴史的事実と虚構を綯い交ぜにしながら、
キャラクターにきちんと肉付けをして厚みを持たせて描くのが上手い。
エンディングは、書かれたとおり素直に受け止めてもいいが、
呪われた「第三の魔弾」によって、
長いストーリーの話者と語られる対象が一体化することで、
超自然的な実を結ぶ幻想小説と化す……と捉えるのも一興。
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読み始めるとあっという間に惹き込まれ、読むのが止まらなかった。
じつは買ってから1年近く積んでいた。以前読んだ『アンチクリストの誕生』は短編集で気楽だったのに対して『第三の魔弾』の厚さに手を出しかねていたのが阿呆らしい。ペルッツの他の本も買わねば。
クロースターカッツ(修道院の猫という意味。美食家で厚かましい人物のこと)という語が出てきて、ロセーロの『無慈悲な昼食』の教会に住んでいる猫のことを連想した。意味もぴったりだし、同じ言い回しがスペイン語にもあるのか、単にそれほどよくある事実なのか。