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投稿者:pope - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネタばれあり。
普段何気なくやっていることでもいざ説明しろと言われたらはっきり意味を知らないこともあったのですが、これで再確認できました。
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山本三千子
新潟県生まれ。南宋瓶華四世、故・田川松雨氏に師事し、室礼を学ぶ。「室礼三千」を設立。早稲田大学オープンカレッジ等で講師を務めるほか、雑誌やテレビ等で活躍。著書に「室礼おりおり」等。http://www.shitsurai.com/school/experience.html
日本人が知っておきたい和のしきたり―――四季おりおりを、ていねいに愉しむ
by 山本 三千子
礼の心を育む第一歩として、道端で知り合いに会ったら挨拶を交わすことからはじめてはいかがでしょう。まるで子どもの 躾 のようですが、ちょっとした挨拶を習慣化することは、思いやりの心を表現する一番効果的な方法です。 そもそも、「おはよう」は「お早くからご苦労様でございます」と朝から働く人に対してねぎらいや気遣いのためにかける言葉でした。 「こんにちは」は「今日はご機嫌いかがですか」、「こんばんは」は、昔は夜になると人々が家に集まって語り合う習慣があったので、「今晩はいかがいたしましょうか」と尋ねた言葉が元になっているといわれています。 どの言葉にも相手への思いやりがあふれています。 まずは心を込めて、「おはようございます」といってみてはいかがでしょうか。
私は「 室 礼 三千」という和文化稽古教室を開いていますが、室礼は、もともとは「 設 ひ」といい、平安時代にはすでにあった言葉のようです。簡単に言うと、季節や人生の節目に感謝や祈願、もてなしの心を込めて部屋を設えることです。 節分、ひな祭り、端午の節句、七夕など、日本には季節ごとに美しい年中行事があります。
私が室礼の世界に足を踏み入れたのは、悲しみがきっかけでした。今では室礼を通して、亡くなった大切な人や、ご先祖さまや神々と過ごす貴重な時間をいただきました。そのたびに実感するのが、私たちは決して一人で生きているのではないということ。目に見えない存在にも守られながら生かされているのだとわかると、自然と生きる気力と感謝の思いがわいてきます。
昔の日本では中国の暦を取り入れて、月の満ち欠けに基づいた「太陰太陽暦」が使われていましたが、年ごとに季節にズレが生じるため農耕の目安にするには不都合がありました。そこで、太陽の運行をもとにした二十四節気を考え出しました。二十四節気は太陽がもっとも低く、昼間が短い冬至からはじめて、約十五日ごとに区切っていきました。それにしても、雨水、清明、白露など、なんと美しい言葉でしょう。雪がやんで雨に変わり雪が溶けていく冬の終わりの様子(雨水)、大気が冷えてきて露ができる様子(白露)など、言葉から鮮やかな季節の情景が浮かびます。
ところで、鬼と聞けば牛の角が生えていて、シマシマの虎のパンツをはいている姿を思い浮かべるのではないでしょうか。これには 陰陽五行説 が関係します。北東の方向は「鬼門」とされ、鬼が住んでいると畏れられていました。この鬼門の方角である 丑寅 は、牛と虎のこと。そこで鬼は牛の角を生やし、虎のパンツをはくイメージが生まれたとか。
桃は中国から渡来したもので、中国では仙木・仙果と呼び、邪気を祓い、百���を制する霊力があるといわれています。桃は「 兆し」という文字を含んでおり、兆しは「兆候」「前兆」など未来を予知する言葉に使われます。このことから、桃は兆しを持つ木、未来を予知して魔を防ぐ木と考えられたようです。 日本でも『古事記』で 伊弉諾尊 が鬼女である 黄泉醜女 に桃の実三つを投げつけて退散させたという話が出てます。そう考えると、桃太郎の鬼退治も桃が邪気を祓うことから来ているのかもしれません。 桃は飾るだけではなく、桃の花を浸した酒を三月三日に飲めば百病を除くともいわれています。何より、桃は暗い冬を破って、鮮やかな花を咲かせます。その華やいだ姿はひな祭りにふさわしく、春の訪れを喜ぶ昔の人々の姿も目に浮かぶようです。
八月十五日は終戦の日でもあり、国のために戦って亡くなった方々のお陰で今の私たちはあります。日本の国全体のご先祖さまを迎え、送る日でもあるのではないでしょうか。
日本で冬至といえば、やはりかぼちゃと 柚子 湯でしょう。夏に収穫したかぼちゃを保存しておき、冬至に食べました。栄養価が高く、また黄色は魔除けの色だと思われていたので、これで無病息災を祈っていました。小豆とかぼちゃを組み合わせた煮物(「冬至かぼちゃ」という)を食べる地方もあります。
柚子湯は、黄色い柚子を入れたお風呂に入ることで邪気を祓っていたのでしょう。柚子は血液の流れをよくする効果や鎮痛成分があるので、ひびやあかぎれにも効き、風邪を予防するといわれています。また、冬至を「 湯治」にかけ、柚子を「融通」にかけ、「融通をきかせて世を渡っていけますように」という意味も込められています。
冬至にはコンニャクも食べます。コンニャクは中国から伝わった食材ですが、「砂払い」と呼ばれ、体にたまった砂=毒素を出す整腸剤と考えられていました。冬至正月では一年が改まるこの日に、一年分の体と心にたまった毒素を出そうと昔の人は考えたのかもしれません。
女性は「二つの文化をもつ」といわれます。実家の文化と嫁ぎ先の文化の二つの文化を重ねるので、嫁ぎ先の風習に戸惑うのは昔からよくある話です。
年越しそばは、もともとは商家のしきたりです。 江戸時代には商家は毎月末にそばを食べる風習があり、これが大晦日に食べる年越しそばにつながったという説や、商家は年末が忙しく、ご馳走を用意できず、年越しそばですませたという話もあります。いずれにしてもそばに、細く長く達者に暮らせる願いを込めているのでしょう。
柳は神聖な木といわれ、真白い箸は実にすがすがしいものです。
私の知人は、結婚したばかりの時、義母から厄除け文様の 鱗 紋の反物を贈られました。子息が結婚し嫁が厄年になった時、同様に反物を贈ったとか。このように記していてつくづく思うことは、厄年は自分の身を守るためだけに行なうのではなく、相手を思いやる心の形でもある、ということです。今日では医学の進歩により心身が守られています。しかし、相手のことを思い、祈るという厄除けの祈りの表現に、医術とはまた異なった方法で、私たちは心の平安を頂いているのです。
そこで、共通のルールとしてあるのが作法です。現在の作法の基本は、武士階級が整え���ものですし、江戸時代には、人口過密状態の江戸で争いを起こさずに仲良く暮らすための知恵として、町衆が「江戸しぐさ」を考え出したといわれます。 作法など堅苦しいと感じるかもしれませんが、基本を知らなければ応用もできません。マナーに関する本はたくさん出ていますが、テーブルマナーなど、形式的なことを身につけても、電車の中でお化粧をするようでは、意味がありません。 昔の人が作法を通して伝えたのは形だけではなく、相手を敬う心、思いやる心です。
線香につけた炎を消すときは、息を吹きかけないようにしてください。仏教では息は不浄のものとされているので、手であおいで消します。
床の間という空間には小宇宙があります。 自然の野山を一本の花に凝縮して生け、一幅の掛け軸は絵で山水を表したり、書で空や大地を創ります。そして、障子を通して光や風が入り、庭の 鹿 おどしの響く音に宇宙を感じていました。家にいながらにして、大自然を感じる空間をつくりあげる高度な 室 礼 は驚きです。
西洋では壁にたくさんの写真や絵を飾ります。昔の日本人は、たった一輪の花、一幅の掛け軸を床の間に飾るだけで部屋に色を添え、季節感を生み出していたのです。これは足し算ではなく、引き算の美学といえるでしょう。
また、昔は家長は床の間を背にして座っていました。ここから、目上の人が床の間側に座る 上座、入り口に近い方を 下座 という区別が生まれたと考えられます。
つまり縁側は、人間が住まう場所と自然界との境目であり、自然とのご縁をいただく場所でもあるのです。 室礼では、床の間は神様と向かい合う舞台であり、縁側は自然とじかに向き合う舞台ともいえます。 現在は続々とマンションが建ち並び、一方で、縁側は消え、マンション住まいでは庭もなくなり、外とのつながりは断ち切られました。
とくに龍安寺の枯山水は謎めいています。白砂の中に十五個の岩を配していますが、そのうちの一つはどこから見ても見えないように置かれているのです。 庭の反対側に石臼のような形をした 手水鉢 があり、そこに秘密が隠されています。その手水鉢を「つくばい」といいますが、真ん中に四角い穴が開いて水が張ってあり、その上下左右に「 吾 唯 足ることを知る」という文字が図案化してあります。この言葉は禅の格言で、簡単に言うと、足ることを知っている人は不平不満もなく、心豊かな生活を送れるという意味でしょう。 岩がすべて見えないのは、完全ではないもの、欠けているものに美しさを求める日本人の世界観があらわされているのです。
おせち料理はすべて作り置きができるものになっています。これは、年神様を迎えている間は、雑煮を煮る以外は火を使うのを慎むという考えからです。今はデパートなどで豪華なおせちを売っていますが、せめて一品でも手作りして家族で召し上がっていただきたいと思います。
黒豆……まめ(健康)に暮らせますようにとの願いが込められています。/ 数の子……数の子はニシンの子です。ニシンは春を知らせる使者という意味から「春告魚」とも呼ばれ、おめでたい魚と考えられています。また、数の子はたくさんの卵が集まっているので子孫繁栄の意味もあります。/ た���き 牛蒡……黒は道教では魔除けの色とされています。豊作の時に飛んでくる黒い 瑞鳥 をあらわして、豊作を願います。/ 金団……丸い小判を意味し、金運や商売繁盛をもたらすものとされています。/ かまぼこ……形が日の出に似ているので、新春の慶びの心を表します。/ 海老……腰が曲がる姿から、長寿を願います。脱皮は生命の更新を表しているともいわれ、お祝いの膳には欠かせない食材です。/ 昆布巻き……昆布は「よろこぶ」に通じ、また「 子生」でもあるので、お祝いの席には欠かせません。巻くは結びを意味し、仲良くつながる願いも込められています。
赤い色は魔除けになると信じられていたので、昔はお葬式などの凶事にもお赤飯を食べていたようです。いつごろからおめでたいときだけに食べるようになったのかはわかりませんが、凶事に食べていたお赤飯を吉事に食べることで、「凶を返して吉にする」という縁起直しの意味があったと考えられています。 小豆には解熱効果や利尿作用、血をきれいにする効果があるといわれていますので、お赤飯は健康のためにもふさわしいご飯です。
1章でもお話ししましたが、室礼とは簡単にいうと、季節や人生の節目に感謝や祈願、もてなしの心を込めて部屋を設えることです。
年中行事は町や村などの生活共同体の中で生まれ、続けられてきたものですが、同時に各家庭の日々の暮らしで育てていく家庭内文化でもあります。イベントのように突発的に行なうのではなく、毎年繰り返し「事を行なう」ことに意味があります。そうして家庭の歴史はつむがれていくものです。 行事を通して自分をとりまくさまざまの物に心を通い合わせる時、そこに新しい意味や以前感じていなかった美しさが見え出してきます。