読割 50
電子書籍
気骨の人 城山三郎
著者 植村鞆音 (著)
数々のベストセラーを生み出した大作家・城山三郎の人となりを描く評伝。直木三十五の甥にあたり、生前より城山と親しかったた著者が、その素顔を踏み込んだ内容で描写する。
気骨の人 城山三郎
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
気骨の人城山三郎
著者紹介
植村鞆音 (著)
- 略歴
- 昭和13年愛媛県生まれ。早稲田大学第一文学部史学科卒業。テレビ東京制作代表取締役社長などを経て、DACグループ顧問。著書に「直木三十五伝」「歴史の教師植村清二」など。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
小分け商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この商品の他ラインナップ
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
「老醜」こそ美しい
2011/06/02 08:10
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「老醜」という言葉があります。年老いて段々醜くなるという、嫌な言葉のように聞こえます。
しかし、年老いて醜くなるのはとても自然なことです。草花だってそうです。盛りの花の美しさは喩えようもありませんが、やがて醜く枯れていきます。そして、散り落ちます。
それはどうしてでしょう。
新しい次の芽が準備を始めるからです。新しい花が咲くほこるからです。もし、いつまでもきれいなままだとしたら、新しい花たちは困ります。そのために、醜くなっているとしたら、それはとても自然で、ちっとも恥ずかしいことではありません。
作家城山三郎さんのことを考えています。晩年の代表作のひとつとなった『そうか、もう君はいないのか』の亡き妻を偲ぶ城山さん、記憶があいまいとなっていく城山さん、あるいは写真で拝見するかぎり痩せ細っていく城山さんを見ると、やはり「老醜」といわれても仕方がなかったかもしれません。
事実、2002年(この時城山さんは75歳でした)の個人情報保護法反対運動の活動の際に、自民党の議員から「城山はボケているから」とまで言われます。その時の城山さんの対応が奮っています。文藝春秋に「私をボケと罵った自民党議員へ」という一文で反撃し、この文章はその年の文藝春秋読者賞を受賞してしまいます。
きっとこの時の自民党議員は本当の意味の「老醜」がわかっていなかったのではないでしょうか。
城山さんは次の世代にバタンタッチするために老いていかれた。醜くもなっていかれた。それを「ボケ」とはなにごとか。これほど自然で、美しいことはないはずなのに。
そういったことのいくつかは、人がひととして過ごしてきた時間で生まれてきます。
作家城山三郎とはどういう人生を生きてきたのか、本書は単に評伝というだけでなく、多面的な城山三郎を見据えることで、とても美しい「老醜」の城山三郎をも描いた労作です。