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  • カテゴリ:一般
  • 販売開始日: 2010/09/06
  • 出版社: 新潮社
  • ISBN:978-4-10-610061-1

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一般書

電子書籍

死の壁

著者 養老孟司

過去に死ななかった人はいない。人間の死亡率は100%なのだから――。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題に『バカの壁』の養老先生がズバリ解答! Q...

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死の壁

税込 660 6pt

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商品説明

過去に死ななかった人はいない。人間の死亡率は100%なのだから――。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題に『バカの壁』の養老先生がズバリ解答! Q.自殺はダメ? A.「どうせ死ぬんだから慌てるんじゃねえ」 Q.生きがいとは何か? A.「そんな問いは暇の産物。トイレに行きたいときに考える?」 Q.なぜ人を殺してはいけないのか? A.「死は回復不能だから」……など、死にまつわるさまざまなテーマを通じて、現代人が生きていくための知恵を考える。逃げず、怖れず、考えた最終解答!

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みんなのレビュー173件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

全共闘世代に向けられる冷たい視線

2010/04/05 09:13

12人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:武井啓蔵 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「バカの壁」の次は「死の壁」ときた。「バカの壁」は「人間誰しも知的関心の限界というものがあって、関心のないものは知ろうとしないし理解しようとしない。だから話せば分かるというのはオオウソで、人間、いくら話し合っても理解しあえないものである」という趣旨の本だ。これは山本夏彦さんの名台詞「話せば分かるというがこれはうそである。人間、いくら話しても分からない奴と言うのはいるのであって、そいつは話が分からないのではない。分かりたくないのだ」と同じである。

「死の壁」の壁はちょっと違う。この本は、正しくは「人間の死とどう向き合うか」「人間の死とはどういうことか」とでも名付けるべき本である。現代社会は養老さんによれば都市化し、死を社会から排除しているため、田舎では当たり前だった肉親の死、友人の死、もっといえば人間の死そのものが身近でなくなり縁遠いものとなってしまった。忌まわしい死を排除した社会は、しかし結構なようで結構でなく、生老病死と言う人間がもって生まれ逃れることが出来ない定めに対する感覚を麻痺させてしまった。このマイナス面について、そろそろ真剣に向き合う時期ではないかというのが養老さんの主張だ。本書の過半は、だから「人間の死とどうむきあうべきか」に関する養老さんの「問い(答ではない)」が綴られている。ただ「死」の問題について、私は「バカの壁」を張り巡らしているので、興味もないし関心もなかった。だからギャロップで読み飛ばしてしまった。私の両親は、共に存命で二人とも80歳を超えている。こんなに我が家が長寿の家系だったとは知らなかったが、今のところ両親とも健康だ。だが、年が年である。そろそろ私も心の準備をしておかなければならないが、「バカの壁」を越えるのは難しい。

本書で面白かったのは一点だか。「日本社会が生んだ鬼子」「日本社会のガン」「諸悪の根源」たる全共闘世代に対する養老さんのコメントだ。全共闘世代は正義だ、革命だと騒ぎ続け、東京大学を解体し、日本社会を解体して「理想の社会」を打ち立てるんだみたいなことを言っていたが、あれは全部デタラメのオオウソで、全共闘世代が破壊活動を行った本当の狙いは「自分たちの就職活動だった」という。これは目からうろこだ。全共闘世代とは、日本最初で最後のベビーブーム世代で、あの数年間だけ人口が非常に多い。それまで100万人前後だったものが、あの数年間だけ200万人もいる。そんなに多くの人間に就職先を世話しろといったって、出来ることと出来ないことがある。だから全共闘世代の相当数は「職にあぶれる」ことになった。当時、日本経済は絶好調だったが、それでも2000万人の人間をすべて抱えることは日本社会には無理な相談だったのである。それで若者たちはぶちきれた。ぶちきれた若者たちの急先鋒に立ったのが東大医学部の学生(インターン)と日本大学の「学生」というのも象徴的だ。結局奴らは、徹頭徹尾自分のことにしか関心がなく、だからこそ破壊行為を働いたのだった。自分勝手な我侭が動機で、動機が不純だったから、それを続く世代に見透かされ、彼ら全共闘世代の「革命ごっこ」を短命に終わったのだった。哀れな全共闘世代!

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紙の本

死について考えさせられます。

2020/08/26 22:29

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る

死についてかなり掘り下げて考えさせられました。それも様々な角度から論じられていて、どの内容も『ふーむ』と黙考するものばかりでした。死に対する考え方が広く且つ深くなりました。読後も余韻が残りました。

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紙の本

最終章にみる眞の壁

2004/04/27 22:57

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:北祭 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 またもや周回遅れで養老さんはやってきました。

 本書は「なぜ人を殺してはいけないのか」というお題から始まります。これは以前話題になりました。大事件があった時は深刻に議論するのに、ノドもと過ぎれば何とやらで、すぐにケロリと忘れてしまう。もっとも毎日それを考えていたのでは身がもちません。でもそれを、考え続けているのが養老さんの養老さんたる所以。この本には、議論が尽きた観のある「脳死」や「安楽死」といった「死」というキーワードの周囲を巡る論考が網羅されています。「逆さに振っても、もうなにも出ない」、これが養老さんの思いです。

 「死」というのは曖昧で抽象的な概念ですが、これを「死体」と置き換え考えたとき、あることに気づいたのだと養老さんは語ります。それは「死体」には三種類あるということです。すなわち、「自分(一人称)の死体」「親しい人(二人称)の死体」そして「他人(三人称)の死体」。このように鮮やかに切り分けられるところに養老さんという人の本質が見えます。

 「他人の死体」というものと、世の中で最も本気で向き合うのは解剖学者かもしれません。解剖を進めるうちに、死体と自身とが同一化すると言うのが養老さんで、「死んだ人も生きた人と同じだ」という言葉には有無を言わせぬ迫力があります。そしてそのことが「自分の死体(死)」については「何を考えたってしょうがないよ」という養老さんの考えと分かち難く結びついているように思うのです。
 「自分の死」をまともに考えると不安になります。その気持ちの根底には、死んだらどうなるか分からないという「未知に対する恐怖」があるように思うのですが、他人の死体と自身との同一化を体験したとしたならば、少なくとも「未知」だとは思えなくなるのではないか。養老さんはそこを克服している。「自分の死」という証明しようのない未来のことに搦(から)め捕られていないことが養老さんの哲学を健全なものにしている、そう思います。

 ただひとつ、養老さんが搦め捕られていたことがあります。それは「父の死」です。養老さんの最も古い記憶は結核で病床に臥していた父のことでした。
 父の喀血。
 無意識に焼きついた父の死。
 それから三十年近くたった頃、ある衝動が養老さんを襲います。

「その頃、ふと、地下鉄に乗っているときに、急に自分が挨拶が苦手なことと、父親の死が結びついていることに気づいた。そのとき初めて <親父が死んだ> と実感したのです。
 そして急に涙があふれてきた」

 養老さんにとって越えねばならなかった「死の壁」とは、最終章で語った「父の死」でありました。先に引いた場面から更に時を重ね、齢五十にしてどうにかこうにかこの壁を乗り越えたとき、「死」について語る最小限の準備がなったのだと思います。
 本書は最終章のためにある、そう言えるのかもしれません。

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紙の本

新聞のミカタ。

2004/04/19 22:55

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

この新書を読んでいると、テレビでは、
イラクで武装グループに拘束されていた高遠菜穂子さんほか2名が
7日ぶりに無事解放され、日本へ帰国したと伝えていました。

不思議ですね。
大学の解剖学教室で、毎日のように死体を解剖していた人の本を読んでいると、いつのまにか新聞の解説を読んでいる気分になります。
あるいは、新書の筋をたどるよりも、
この切り口からレビューをすると楽しいでしょうね。

まず、こんなのはどうでしょう。

「クラウゼヴィッツが『戦争論』で書いている通り、戦争に外交の手段という側面は間違いなく存在しているのです。しかし、日本人はその感覚がなさすぎた。だから『軍国主義』に走ったのです。おかしなことを言っていると思われるかもしれませんが、つまり『外交』が抜け落ちて軍だけが走ってしまったということです。…」p129

日本の世間にない感覚。それを助長する風潮は何かというと。

「それは物の考え方、議論がどうしても被害者の感情中心になっているということと関係があります。これは戦後の風潮でしょう。」p137

それでは、私が一番印象に残った箇所を引用したいと思います。
それは「エリートの消滅」(p146)を語る箇所でした。

「特定の人間にある種のことをやらせる、請け負わせる、
または押し付けることについての意識が希薄になっている。
特定の人間のほうの気持や立場に考えが及んでいないのです。」

「首相はふだんいいところに住んでいいお金を貰うかもしれないが、
最終的には『人殺し』と遺族に言われるかもしれない立場だということです。
直接自分が手を下さなくても、人を危険なところに行かせるというのはそれと同じことなのです。ここで問題にしているのは、危険なところに行かせることの是非ではなく、誰かがそういう重さを背負わなくてはならないということです。」

「日本の場合は、平等主義がいたるところに蔓延してしまった。そのために、エリート教育というものも無くなった。そしてエリートが背負う重さというものが無くなてしまった。エリートという形骸化した地位だけが残ったのです。自分についてもエリート教育というものは受けていなかったと思っています。私が学生のときにはすでにもう無かった。」

むろん、この新書は、イラクの武装グループについて語ったものではありません。解剖学教室の先生のおしゃべりで成り立っております。
ですから、こうあります。

「私はヤブ医者だから、患者に『ご臨終です』とは絶対に言いたくないと思っていました。本来、それを言うのはすごく勇気がいることです。」p75

「だから、私は臨床医になりそびれたのでしょう。」p147

ありがたいことに、私たちは、こうして臨床医になりそびれた人の
隠されていた死と、向きあっていた人生を、聞くことになりました。



ちなみに、あとがきにあるように、新書は養老さんがしゃべったことを文章にしたようです。そういえばですね。思い出した言葉があります。

「わたしは、わかいときから友だち運にめぐまれていたと、
 自分では思っている。すすめかたの、ちょっとしたコツみたいなものが、
 かえってほんとうの役にたったのである。
 そういうことは、本にはかいてないものだった。」

これは梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)にある言葉です。
本には書いてないものを語る新書の姿勢を、あらためて再確認した。
というような、そんな読後感を、持ったのでした。

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紙の本

全共闘世代が起こした大学紛争の本当の狙いは「就職活動」だった!

2010/04/02 14:43

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「バカの壁」の次は「死の壁」ときた。「バカの壁」は「人間誰しも知的関心の限界というものがあって、関心のないものは知ろうとしないし理解しようとしない。だから話せば分かるというのはオオウソで、人間、いくら話し合っても理解しあえないものである」という趣旨の本だ。これは山本夏彦さんの名台詞「話せば分かるというがこれはうそである。人間、いくら話しても分からない奴と言うのはいるのであって、そいつは話が分からないのではない。分かりたくないのだ」と同じである。

「死の壁」の壁はちょっと違う。この本は、正しくは「人間の死とどう向き合うか」「人間の死とはどういうことか」とでも名付けるべき本である。現代社会は養老さんによれば都市化し、死を社会から排除しているため、田舎では当たり前だった肉親の死、友人の死、もっといえば人間の死そのものが身近でなくなり縁遠いものとなってしまった。忌まわしい死を排除した社会は、しかし結構なようで結構でなく、生老病死と言う人間がもって生まれ逃れることが出来ない定めに対する感覚を麻痺させてしまった。このマイナス面について、そろそろ真剣に向き合う時期ではないかというのが養老さんの主張だ。本書の過半は、だから「人間の死とどうむきあうべきか」に関する養老さんの「問い(答ではない)」が綴られている。ただ「死」の問題について、私は「バカの壁」を張り巡らしているので、興味もないし関心もなかった。だからギャロップで読み飛ばしてしまった。私の両親は、共に存命で二人とも80歳を超えている。こんなに我が家が長寿の家系だったとは知らなかったが、今のところ両親とも健康だ。だが、年が年である。そろそろ私も心の準備をしておかなければならないが、「バカの壁」を越えるのは難しい。

本書で面白かったのは一点だか。「日本社会が生んだ鬼子」「日本社会のガン」「諸悪の根源」たる全共闘世代に対する養老さんのコメントだ。全共闘世代は正義だ、革命だと騒ぎ続け、東京大学を解体し、日本社会を解体して「理想の社会」を打ち立てるんだみたいなことを言っていたが、あれは全部デタラメのオオウソで、全共闘世代が破壊活動を行った本当の狙いは「自分たちの就職活動だった」という。これは目からうろこだ。全共闘世代とは、日本最初で最後のベビーブーム世代で、あの数年間だけ人口が非常に多い。それまで100万人前後だったものが、あの数年間だけ200万人もいる。そんなに多くの人間に就職先を世話しろといったって、出来ることと出来ないことがある。だから全共闘世代の相当数は「職にあぶれる」ことになった。当時、日本経済は絶好調だったが、それでも2000万人の人間をすべて抱えることは日本社会には無理な相談だったのである。それで若者たちはぶちきれた。ぶちきれた若者たちの急先鋒に立ったのが東大医学部の学生(インターン)と日本大学の「学生」というのも象徴的だ。東大医学部といえば日本の受験競争の最終勝利者であり偏差値の最高位を極めたグループである。同期は90人しかいない。そのトップ中のトップが、インターンと言うほとんど無給の半奴隷として修行を強いられる。「これが理不尽だ」と偏差値最高位のグループが騒ぎ出したのが学生紛争の嚆矢だ。この偏差値最高の東大医学部の「反乱」に呼応するかのように、偏差値最低の日本大学でも学生が騒ぎ出した。昭和30年代に中学卒を「金の卵」などと囃し立てて集団就職列車に乗せて工場労働者として受け入れたのが「オオウソ(頑張れば出世できるとして期待を持たせたが、そんな中卒が企業内で出世できるわけもなく、最下層の小間使いとして多くは生涯を終えた)だったように日東専駒を「大卒」と看做す企業の人事部なんて、日本には、実は存在しなかったのである。この厳しい現実にぶち切れたのが「日大全共闘」の本質だったというわけだ。これは分かりやすい説明だし、笑える。結局奴らは、徹頭徹尾自分のことにしか関心がなく、だからこそ破壊行為を働いたのだった。自分勝手な我侭が動機で、動機が不純だったから、それを続く世代に見透かされ、彼ら全共闘世代の「革命ごっこ」を短命に終わったのだった。哀れな全共闘世代!

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紙の本

“生と死”について語ろう

2004/06/06 02:59

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:hisao - この投稿者のレビュー一覧を見る

養老先生 “死の壁”を読む
とても悲しい事件が起きてしまいました。
小学校同級生殺害事件。
まさかに小学生の責任では有りません、大人の創り出した余りにも壮絶な現実です。生について死について、バーチャルと現実について子供達に教える事を怠り単なる刺激のみを放射してきた大人達の責任です。
丁度養老先生の“死の壁”を読みかけた所でした。
ここでは“生と死”について 科学者の目で とても解りやすく語られています。
“致死率100%、人間は絶対死ぬ”養老先生はこの現実から語り始めます。
近代文明は“私は変わらない、変わっていくのは世の中の情報である”と誤解しているが、先生は全く反対に捉えます。
細胞学的に見ても人間は毎日変わっていく、そして生き抜く事は死んでいく道程であるとおっしゃいます。
人間不変、絶対の自分を信ずる“情報化社会”が死を覆い隠し、死を穢れ、忌むべきものと仲間はずれにします。
更に死を現実と捉えずバーチャルの彼方に追いやります。だから簡単に人を殺します。
何故人を殺してはいけないのか?
人間は自然と言うシステムの一部です。生命を殺す事は自分の一部を破壊する事です。そして生命は2度とは創れない。
殺しは絶対に“無かった事”にする事は出来ません。その厳粛な事実こそが人を殺してはいけない理由です。
“死体の人称”
“一人称の死”自分の死を恐れる必要は有りません。自分が死んだら、それを認識する自分はすでに無いから、“俺の死体”は有りません。
だから“一人称の死”は考えても全く無駄な事だと切り捨てます。
同じ理屈で老醜を心配するのも無意味とします(ボケの自分を認識するのは不可能だから)
自分と関わりのある人の死=“二人称の死”や他人の死=“三人称の死”が問題になります。
“二人称の死”を問題にする事で“生き抜く意味”が明らかにされます。
どんなにちっぽけな人間も周りの関係の中でのみ存在します。
死は不幸です、病気も不幸です。しかし人間の力の及ばぬ所で出来た結果は仕方ないと思うしかない。
その人の不幸に対する姿勢が周りに生きる勇気を与える事は 難しい事ですが現実には結構有る事です。逆も又しかり。
人間存在の意味は周りとの関係、自然のシステムの一部と捉える事で初めて明らかになります。
思うに 大人達は子供達に“生き抜く知恵”を もっと教えてあげる方法は無いのでしょうか。
家庭は生産の場でも消費の場でもなく益々“現実”から遊離しつつ有ります。
難しい状況では有りますが 普通の子供が平然と人を殺す世に直面した人類の責任は
仮想空間ではない現実の“生と死”の意味合い、そして他者との関係の中で捉えた“命”の不可思議を 
もっともっと問い直し語り明かす事に有るように思います。

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紙の本

とりあえず、今を精一杯生きよう。

2005/03/19 15:38

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ANN - この投稿者のレビュー一覧を見る

僕は「死」に対する恐怖がものすごくあって、時々眠れない時があります。

生きているからには逃れられない絶対的圧倒的粛清とも言える「死」が恐くて恐くて、つまるところ己のアイデンティティーとか人生とか肉体とかをいっさいがっさい否定・拒絶され、無に返えってしまうわけじゃないですか。(あぁ文章に書くことすら恐い)

そういうのを少しでも和らげられるかもしれないと思って買ったのだけれど、そういう意味ではまったく期待ハズレの本であったが、内容はなかなか面白かった。基本的には養老孟司の独り言というか、たんなるツブヤキにすぎないのだけれど。

結局、養老氏は、「死」に対して「しょうがない」の一言でばっさり斬る。
孔子も、生きてるうちのコトでも分からないことだらけなのに、死後を考えてもしかたないといってる点では同じだろうけど、なんというか。納得できない。

本の内容は、「死」だけがテーマだけじゃなく、日本の村意識についての考察がなかなかおもしろかった。そういう意味では読む価値あるかな。

そういえば、「どうして殺人はいけないのか」という問いに対して養老氏は、
「青酸カリや包丁で人を殺すのは簡単。しかし、『人を作ってみろ』といわれたら、まったくのお手上げである」(※人を作るというのは交配以外で)
「人が宇宙へ行ったとよろこんでいる。しかし、ハエや蚊を作れといわれても、お手上げどころか理屈もわからない」と答えている。

うーん。「人を殺してはいけない」という答えになってるかなぁ…。

もちろん、僕も人を殺してはいけないとおもう。なぜかと聞かれても答えられない。おそらく、なんの抵抗もなく誰でもかれでも殺してしまう世界であれば、社会として成り立たないというのが、DNAに刻まれてるんじゃないかなぁと。(他の人に)替えることの出来ない人材って居るとおもうんです。(逆に替えても差し支えない人材も居ることは否定しない)
そういう必要な人材を無作為に殺されると、社会として経済として成り立たなくなって、ひいては自分のデメリットとなるからというのが僕の考えなんですが…、なんか味気ないですね。

「死」への不安を取り除くことはできなかったけれど「死」にまつわるいろいろな考えを知ることができて面白かった。

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2004/10/01 23:42

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2004/10/06 08:50

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2004/10/17 08:32

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2005/05/18 10:44

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2005/06/03 02:27

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