紙の本
自立する村の条件
2008/04/19 12:41
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「戦争になだれ込み破滅していった昭和史を少し丁寧に読み解けば、その前段に地方行政の手詰まり、怠慢、無能力があったことがわかるだろう」
冒頭、こんな言葉が出てきて、そうだったんだ、と目の前が開けるような気がして買った。
新潟県黒川村の物語だ。豪雪と天災とに悩まされる貧しい出稼ぎの村だった。そこにあらわれた31歳の村長が中心になって、集団農場をつくり、冬場に出稼ぎをしないですむようスキー場をつくり……いつしか過疎から脱却し人口増に転じた。その足跡を何年にもわたって関係者に丹念に聞き取ってまとめている。
まずは青年たちを集めて集団農業の新しい村をつくる。冬場の働き口を求めて手作りでスキー場を開き、泊まってもらうためにホテルを開く。減反対策と農家の収入安定をはかるため畜産団地をつくり、その肉を生かすためにソーセージ工場、さらにそれと関連してビール工場、そこで使う原料を供給するために大麦を植える……
「村おこし」は全国的に盛んだが、ほかと違うのは、施設のすべてが村営で、働いている人も村の職員であること。スキー場の整備をするのも山を切り開くのも村職員、インストラクターも職員、ホテルのコックも職員だ。
若い職員には海外の研修をつませる。1年間、ヨーロッパなどの農家に住みこませる。帰ってくると「チーズ工場をやらないか」などと何億円の事業を丸ごと任せてしまう。必死になって勉強してその期待に応えようとする。海外で勉強した内容よりも、異文化のななかで1年間すごした経験じたいが大事なのだという。
「村おこし」で建てたハコモノが全国各地で無残な末路を歩んでいる。そういう事例とのちがいはどこにあるのか。
農民との生活、できた産品の活用、家畜の糞尿などの活用、それと村民の生活向上との関連づけ。水ものの「観光」に過度に寄りかからず、たえず村民の生活とのかかわりのなかで考えている。なんでも民間にゆだねればよい、という最近の風潮と一線を画する態度は、「役場」の責任感と意欲を感じる。
バブル崩壊を乗り越え、多大な成果を積み上げてきたそんな村も、2005年に合併でなくなった。その寂しさや悔しさ。これが危ない時代への第一歩にならなければいいのだが。
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成功譚は読んでいて痛快。あなたば必ず黒川村に行きたくなる
2005/08/12 11:35
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
過疎に悩むどこの村落にとっても夢のような奇跡を起こし、村づくりに成功した新潟県黒川村の半世紀の歴史。
2度の大水害、毎年の雪害に苦しめられた寒村がどのようにして村営畜産場や村営ホテルを4軒も持つ村へと発展したのか。どのようにして農業と観光で「立国」していったのか、ルポライター吉岡忍は村長を始めとした村の人々へ丹念にインタビューしていく。
かつて農閑期には出稼ぎで男がいなくなった黒川村は、今では誰も出稼ぎに出たりしない。村営ビール園や村営畜産団地、村営ホテル、村営そば屋、村営スキー場、それらで働く村職員たちが大勢いるからだ。
なにもかも村営でやってしまった「社会主義村」のリーダーは31歳で村長になって以来48年間この村をひっぱり続けた伊藤孝二郎。人跡未踏の荒野を沃野へと切り開く進取の気性に富んだバイタリティあふれる伊藤は、長生きして永遠に黒川村のリーダーであり続けると思われていたが、2003年癌に倒れ、今は銅像となって村営ホテルの前に立っている。
村長になるやただちに若者たちに村営住宅を与え、集団農場を経営させた伊藤はまるで社会主義者ではないか(伊藤は左翼嫌いだが)。そのカリスマ的な存在感が他を圧倒したのは、単なる意気込みのせいだけではない。徹底的に情報を集め、政府の助成金・補助金をあらゆる方途で引っ張り出し、コネは大事にし、調査研究を怠らず、若者は次々に海外へ研修に送り出すという、大胆にして緻密な計画立案実行能力があったゆえんだ。
黒川村の物語は成功譚だが、疑問もいつくか残る。山を削ってスキー場を作ったり次々と開発の手を休めることなく進めていったのは環境破壊につながるのではないのか? 植樹祭などは、天皇制に反対する人たちからいつも批判されているが、今生えている樹を伐採して土地を切り拓き道路を作りさんざん自然を破壊しておいて、そこに天皇が植樹するというまったくナンセンスな行事だ。
じっさい、ダム建設計画には県内のNGOから批判が出たということが本書にも少し触れてある。だが、本書のトーンは全体として伊藤村政がバラ色だったように読みとれるのだ。一方でその紙背には、常に新規事業を開拓し続けてきた伊藤村政の自転車操業のような危なっかしさが隠されている。
伊藤村長は「高度経済成長」という魔物を相手に村を疲弊から救うべく戦ってきたというけれど、実際にはその高度経済成長に助けられた面もずいぶんある。一村社会主義はまわりを帝国主義陣営に取り囲まれ孤軍奮闘したが同時に高度経済成長というもののおかげで黒川村は観光客を呼び込み繁栄したのだから。
一代目はしゃにむに努力して苦労する。その成果があがればそれでよし。問題は2代目3代目だ。伊藤村長亡き後、黒川村はどうなるのだろう。
あと、本書にはまったく書かれていないが、この村役場には労働組合はないのだろうか。ここの職員たちはみな異様によく働く。あきらかに労働基準法違反だ。いくら仕事が楽しいからといっても、これではちょっと問題があるのではなかろうか。伊藤村長以下、粉骨砕身して努力している姿には頭が下がるが、それを真似できない人だっているだろうに、と思ってしまう。
この本を読むと猛然と黒川村(あ、もう市町村合併で胎内市になってしまった)に行きたくなる。いつかきっと行こう。と思う。
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こんな村に住んでみたい。
2005/05/21 11:08
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投稿者:海軍中尉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
豪雪地方のある村で、11期勤めた村長と村長を慕い村づくりをしていく村人たちの生き様に感動しました。
「村おこし」が言われ、故郷創生で1億円がばら撒かれたが上手く行った例がいくつあるのか。
この村は、みんながアイデアを出し合い、悩み合い3つのきょうどう(共同、協同、協働)で村を愛し、農業を愛し発展していく。
今後、2代目の村長のもとどのように変わっていくのかとても楽しみだ。
是非、一度この奇跡の村を訪問してみたい。
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昨日の電車での移動中に、一気に読み終えてしまった一冊です。著者の吉岡さんの構成がテンポよく読ませることもありますが、とある村をめぐる歴史が劇的なため、その先を知りたいと思い、どんどん読んでしまいました。公務員であろうが、どの職であろうが、一番大事なのはプロ意識、職人気質にあるのかもしれないと思いました。就職を考えるときや、今自分が仕事に真摯に向き合えているかと悩んだときに、読んでみると自分の軸をきちんと修正できそうです。
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2008.2
村役場の人達誰もが「経営者」の意識を高く持っているんだと感じた。
0から初めて、周辺知識を吸収すること。どんな仕事にも共通なのかもしれない。
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すべての、公務員と呼ばれる方によんでほしい
田舎だからとか、災害がどう、ではなく
民の税金で暮らしているという、その人たちの生き様、
村を守るための知恵の出し方、
自らの故郷を守ることこそが、仕事なんだ
それは、奇跡なんかじゃない、当り前のこと
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[ 内容 ]
豪雪、大水害、過疎という苦境を乗り越え、農業と観光が一体化した元気な姿に生まれ変わった黒川村。
小さな町や村が生き残るための知恵を教えてくれる一冊。
[ 目次 ]
1 山あいの村の宿命
2 村が流された!
3 豊かさの意味
4 「魔物」から村を守る
5 本物をつくりたい!
6 このあとをだれが継ぐのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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【日本縦断参考本】
行政とは 暮らすための集団とは こうあるものなのだろうなぁ と感心しました。村や 市任せでもなく、中央におもねることもなく、地に足つけて その土地の良さを守りながら 生活基盤を立てていく。
この村の住民が うらやましくなりました。
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豪雪、大水害、過疎という苦境を乗り越え、農業と観光が
一体化した元気な姿に生まれ変わった黒川村。小さな町や村
が生き残るための知恵を教えてくれる一冊。
かつて新潟県に黒川村という村があった。現在は、合併によ
り消滅してしまったが、連続12期48年村長を勤めた、
伊藤孝二郎の剛腕により、産業を起こし活性化したという。
国や県から補助金を得て施設を作るということは、何処でも
やっている。伊藤が違うのは、徹底的に本物にこだわったと
ころである。
ホテル、スキー場、農産物加工施設等は全て村営。役場職員
を1年間、ヨーロッパに派遣し研修させる。人材育成に費用
を惜しまない。
本場に学んだ、ソーセージやヨーグルト、チーズ、ビールを
作る。地元の農産物を使い地産地消する。余剰を村外に売る
という考え方なので、需要が安定している。
施設を相互にリンクさせることで相乗効果を高めるという。
県内でも、とある村では、名物村長が、農林業で活性化させ
るとして、指導力を発揮し、補助金を使い村の主要産業とし
ていた。懐具合はわからないが、傍目には効果をあげている
ようにみえる。
となり村でも、補助金を使い施設を整備していたが、あまり
効果を上げていないようにみえる。
首長の力量が如実に表れるのが、怖いところである。
本書は、公務員必読の一冊であろう。特に役場職員に読んで
欲しい。
本書を読んで、黒川村に行ってみたくなりました。
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『奇跡を起こした村の話』
この本では、黒川村という新潟県の北東部、山形県と接する山間に位置する村の、復旧から復興、発展、そしてゆるやかな衰退を示唆する物語について描かれている。この本から受け取った強いメッセージは「希望を捨てずに頑張ろう」だった。
黒川村は毎年豪雪に見舞われ、土地に雇用が無く、町のところどころのインフラも壊れ、税金滞納者が続出し、農業ができなくなる冬には都市部に男が出稼ぎに行かなくては家族が食っていけなくなるような、経済的にも環境的にも厳しい状況が続く村であった。1955年、朝鮮特需によって国の貿易高が潤う中、黒川村の村長が病死し、伊藤孝二郎という農業専門高等学在学中に中国出兵を経験した男性が、31歳という若さで村長になることが決まった。ここからこの村の奇跡は始まる。
まず村長は"共同、協同、協働"を理念に規模の大きな田園を村内に開発し、村の若者の雇用を生み出そうとする。そのころ畑は各農家が所有し、そこを継ぐのは長男が主であった。そのため長男以外の男児の雇用確保が大きな問題となっていたからだ。またその頃、農家が共同で一つの村で農業を行う、というスタイルも新しかった。さらに村長は1950年代に設立された農林省の外郭団体の研修制度を積極的に使用し、村の農業者を積極的に海外に派遣し、そこで学ばせ、村に戻ってきてから村の職員に起用し働かせるという手法を積極的に使用した。農業者を海外に派遣する目的は「知識の取得」よりもどちらかというと「精神的な成長」であった。そのほかにも農耕だけではなく牧畜を始めたり、山の木を切り倒し、簡易なリフトを役場の職員が作り小さなスキー場を開始したりと、村の中に様々なものが生まれ、村が少しずつ活気付いていく。
そんな中、悲劇が村を襲う。四一水害と四二水害である。この2つの水害によって村は壊滅的なダメージを被る。村の数十人の人が亡くなったこの被害から、村は「前の村より良い状態」を目指し、復旧・復興に取り組む。この水害から物語りは加速する。その後も村長を中心に村の中に様々なものが創られていく。ニジマスの池や宿泊施設、レストラン、チーズやハムの製造所、手打ちそば処、ヨーグルト工場、ドイツの本格ビール園など。減反政策や海外からの輸入品、工業化による集団就職という名の若者の都市部への強奪が村を襲うが、村はそれらに対抗し様々な政策を実現していく。これらの政策は全て国の補助金や制度、全国規模のイベント誘致を村の職員が巧みに利用して資金を調達する。調達した資金は政策の実現に当てられるのだが、その担い手は村長によって海外に派遣され精神的に鍛えられた職員に無茶振りされる。職員は暗中模索で進めていく。政策は一つ一つが村にとって初めてなものばかりで、それぞれの政策で多くのトラブルが発生するが、任された職員は一つ一つ解決しながら、笑いながら前に進んでいく。
海外に派遣された職員の一人に伊藤和彦という男性がいる。彼はこう述べる。「27歳なんて、ほかの自治他や企業では、また一人前に扱われていないじゃないですか。悪く言えば、ヒヨッコ扱いでしょ。だけど、この村では六億円、七億円を、ポンッとその27��の2人に全部あずけて、『さぁ、あとはちゃんとやれよ』と任せちゃう。任されたほうも、何とか頑張って、やっちゃうんですよ。このへんが黒川村の強みなのかな、という気がする。」こういうところに小さな自治体の魅力はあると思う。このように村長が絵を描き、若い職員が大きな政策を任されていく。政策が形になるたびに雇用が生まれていく。そうやって伊藤村政は48年間続く。戦後最長の地方自治体政権である。
この頃、他の自治体はどうなっていたか。『自治体クライシス』によれば、1980-1990は国がリゾート法を制定し、リゾート開発の補助金を自治体にばら撒き始めた。日本の経済成長を支えるための国の政策であった。各自治体は民間企業との合弁組織である第3セクターを用いてリゾート開発を進めたが、結局国の経済状況の悪化やリゾートの乱立、それに加え自治体という"破産"することができない組織という性質や損失補償契約という借金の一括返済が求められる金融機関との契約等により、各自治体の借金はどんどん大きくなっていっていた。北海道の夕張市や青森県の大鰐町などがその例だ。そのような中、黒川村は2002年になっても十分な観光客を確保していた。2003年ごろになると、日本全体の経済が冷え込み、観光客が1990年代の他の自治体と同じように、急激に減り始めたが、観光客が減少しても地産地消による町内の循環により他の自治体のように急激な衰退はしなかったようだ。この点も黒川村のすごいところだと感じた。
しかし伊藤村長が亡くなった後、日本の経済状況の悪化はさらに激しくなり、若者の雇用形態も変化した。農業が衰退していく中で、ついに2005年、黒川村は他の村と合併し、胎内市になる。
この本には自然災害や高度経済成長、経済状況の悪化、国内の雇用形態の変化の中を村役場の職員が二人三脚で必死に乗り切ろうとした生き様が記されていた。いくら頑張ってもできないことはあるが、諦めなければなんとか苦しい状況は乗り越えられる。そのようなことをこの本から教えてもらった。最後に伊藤村長の印象に残ったフレーズを載せる。
"上に立つ者は、それにふさわしい義務を果たさなければならない。人よりも先に憂え、人よりも後で楽しむ者であるべきだ。"-伊藤孝二郎
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日本にも、こんな村があったんだと思わせてくれた1冊。同じ集中豪雨で同じ災害が起こらないように「改良復旧」させること、補助金制度を活用するための地道な努力やポイント、村役場の人たちの留学制度、これから中山間地域で取り組むべきモデルをやってみての経験知がたくさん詰まっている本だと思う。なぜ、先進的な取り組みをしている地域が国内にも外を見ればあるのに、困っている地域が出てきてしまうんだろう。もっと多くの人に知られていい地域だと思うし、奥多摩でも活かせそうなアイデアもありそうだと思いました。すでに村はなくなり胎内市となっているとのことだけど、一度、訪ねてみようかな。
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新潟県にあった黒川村のお話。
黒川村は2005年に中条町と合併して現在は胎内市となっている。
黒川村には31歳で当選して以来、12期48年間村長を勤めた伊藤孝二郎という男がいた。
高度経済成長期、都市化が進み農村が衰退していく中で、伊藤村長は、国から補助金を引っ張り、村に仕事を作り、観光客を呼び寄せ、村を守り抜いた。時代を知り、人情の機微に通じ、本質を見抜き、夢を描き、実行するその経営手腕は、簡単には真似できない卓越した能力である。
しかし、その能力はおそらく天性のものではない。伊藤村長は、3時まで勉強して6時に起きるような、馬力の持ち主でもあった。
かつては、中条町で天然ガスが発見されて大企業が進出し、潤っていくのを、羨望の眼差しで眺めていた。
黒川村には雪しかない。では、スキー場を作ろう。全ては村役場職員の手作りのスキー場から始まった。
時代も良かった。高度経済成長期で、観光客が集まった。補助金も引っ張れた。
しかし、それを可能にしたのは、村長を筆頭にした試行錯誤の努力であった。なぜなら、同じ条件で同じようなことができずに衰退した村がたくさんあるからだ。
したがって、本書は一人のカリスマ的村長がいれば、ここまでできるという成功例である。
では、いまの時代はどうか。時代が違う。人々が求めているものが違う。その通りだが、伊藤村長が示したのは、どんな波も引き受けて、知恵を絞り、ビジョンを描き、実行することの大切さではなかったか。本気になって阿修羅のように戦えば、どんな状況でも活路が見出せる。その人間の可能性ではなかったか。