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この人は、文章で絵を描き、文章で音楽を奏でるすごい人です。特に第2部の始めで展開される、ショパンの演奏会の描写。繊細、大胆、優雅、華やか、小心、独創、芸術、思わず、ショパンの生演奏を聴きたくなった。あの難しい曲を作曲した人が、生で演奏するわけなんだから、それはそれは感動的な代物になるのだろうと思う。
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冒頭から始まる、ショパンの演奏会の描写で一気に引き込まれました。文字から音楽が聞こえてくるような。その演奏を是非とも聞いてみたいと思いました。あぁ、あの当時に録音技術があれば。他には、ドラクロワの語る「芸術とは」「才能とは」が印象的でした。著者の考えを一番代弁しているのが彼なのかな、と思います。
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第2部はフランス革命へと時代が流れ込んでいくさまが、独特の「引き込まれる感じ」で書かれています。
第2部冒頭部分の、ショパンの演奏会での演奏風景の書かれ方は、そこにショパンがいるような錯覚にも似た感覚です。
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2部は革命が絡んでくる。それから、ショパンの死期を早めたといわれるイギリス行。前々からスターリング嬢というヤツはバカじゃないかと思ってたけど、なるほどそういうわけだったのか……。空気読めないっぷりが痛々しい。
全てにおいて丹念な描写なのに無駄がないのがすごい。ショパンのリサイタルのシーンは圧巻の描写力。音楽が文章になっている!?!?
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内容(「BOOK」データベースより)
千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。民衆の怒涛の奔流は、首相の解任、王の退位を実現し、共和国を生み出した。貴族達の惑乱と不安、活気づく民衆。ショパンは英国に移るが、過酷な演奏旅行を強いられ、体調は悪化する。一方ドラクロワは、ある画家の評伝の執筆にとりかかる。時代の巨大なうねりを描く第二部前編。
もう入れ込みすぎていて
「ショパン」の史実に基づいて書かれた小説だというのを忘れてしまう。
こんなこと続けたらショパン死んじゃうじゃない!
とか
本気で怒りながら読んでいる自分がいる(汗)
もう決まっていることなのにはらはらしてしまう。
7月革命後イギリスでの生活で疲弊していくショパンが痛々しくて。
さてこれから続きよみますか(^^♪
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天才音楽家ショパン。
生きたいと願いつつも病に冒されてゆく「生」。
ショパンの友人であった天才画家ドラクロワ。
老いを感じいつか訪れる死を感じながら生きる「生」。
この本はショパンやドラクロワの生きた1800年代においても2000年を過ぎた現代においても共通する主題で描かれている。それは「生と死」についてであり、芸術論であり、人間関係である。
ショパンという偉大な天才もドラクロワという偉大な天才もひとりの人間として描かれている。
当時彼らは200年先の現在においてこれほど有名であるとは知らず、いち音楽家としていち画家としてその天才に翻弄されながら現代と同じように凡人と同じように人間関係に悩みながら生きている。
ショパンとドラクロワふたりの天才を中心に、ショパンの恋人である小説家であり革命家であるジョルジュ・サンドやその娘、ふたりの友人たちが登場する群像劇でもある。
多くの登場人物がいることで、口では語らず胸中で語るそれぞれの人の思いの交錯の描写が実に興味をそそられる。
現代(いま)も同じである。相手を思い、心中を察し、言葉を選ぶ。
また逆に相手の言葉から相手の本質や心中を垣間見たり詮索したりする。
そして自分の発した言葉や示した態度に嫌悪したり後悔したりもする。
この作品は、様々な人間の様々な性格、様々な考え方というものがいつの世も変わらないのだと知らしてくれる。
生と死というモチーフはいつの時代でも変わらず、天才であろうが凡人であろうが変わらず、芸術家の作品に対する思いもやはりいつの時代でも変わらない。
人間関係の煩わしさとそれによる幸福もいつの時代もどんな人間でも変わらない。
作者が言いたいことを作品として読みやすく分かりやすくするためには、ショパンとドラクロワというふたりの天才、そしてその時代が必要だったのかもしれない。
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ショパンの演奏会のシーンが素晴らしい。
個人的にはバカみたいに鍵盤に指を叩きつけるような演奏が好きなのですが、ショパンの考えたピアノという楽器の使い方を聴いてみたくなった。
その後英国に移り、ショパンの体調は悪化する。
あんなもん、スターリング嬢に体調を悪化させられたようなものだ。
ショパンかわいそう。。。
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千八百四十八年二月、大好評を博したショパン六年ぶりの演奏会の一週間後、フランス二月革命が勃発する。この激動の時代の中で、ショパンやドラクロワをはじめとする芸術家や、彼らの周辺の人物がいかに生きたのか?
前に平野氏よりツイッターで『ここから最初に読んでみたらどうか?』といわれたショパンのコンサートの場面から物語は始まります。長年の私生活のパートナーであったジョルジュ・サンド婦人の別れから、周囲の人間が、いかに心を砕き、彼を『蘇らせようと』したのかがあくまでさりげない形で示され、ショパン側からの『一切宣伝はしない』『招待客のリストは自分でチェックして出自のわからないものは自ら外す』と言った無理難題を平気で引き受けながら、それでも彼のためにと東奔西走するプレイエル社の社長たちや、うわさがうわさを呼んでたちまち完売するチケット。その辺で期待はいやが上でお高まるわけですが、本番前にフランショームと会話をする場面から、いざ、演奏が始まり、彼の演奏振りを書き込みに書き込み、本当にこの日のコンサートは語り継がれるべきもので、筆者の気合の入りようが伺えるものでした。
しかし、その一週間後、世に言うところのフランス二月革命が勃発し、革命に明け狂う民衆はたちまちのうちに 首相を退任させ、王の退位を実現させ、共和制へと一気に押し流していくものでありました。一方、その生活を謳歌していた貴族たちはたちまちのうちに『倒される側』へと転じ、今まで、ショパンの生活を支えてくれたピアノのレッスンの仕事やサロンの演奏などは軒並み減っていくのでありました。彼はそのさなかに、かつての恋人であったジョルジュ・サンド婦人と『偶然』再会を果たすのですが、彼女にはすでに新しい恋人がいて…。ここで『二人の今は明白だった。一方には、新しい社会の建設に精力的に取り組む旺盛な革命家の―同時に新しい愛人との新しい恋に満たされた幸福な女の姿があった。その一方には、打倒された社会の瓦礫の中で、自らもまた滅ぶべき古い時代の残滓ででもあるかのように病によって着実に死へと接近しつつある無力な音楽家の―そして、失われた恋の呪縛から何時までも逃れることのできない哀れな中年男の姿があった。なんと滑稽な組み合わせだろう?』と言う一文は直球で心に突き刺さってくるものでありました。
一方のドラクロワは革命から、王制、共和制へと変動する激動のなかで、自分の作品『民衆を導く自由の女神』を上手にいかして彼の仕事、芸術がつづけられる道を生きることになり、それに加えてある画家の評伝の執筆にとりかかるようになります。こういったところが彼のしたたかさなのかな、と思い作品を読んでいたら、長年の友人であるヴィヨが重要なポストにつくと言う知らせを聞いて、彼の家に赴き、居合わせたヴィヨ夫人に自身のカントを引用した『天才論』(個人的には筆者の当時の取り巻く環境をドラクロワの口を借りて語っていると思っている)を語っている姿がとても印象に残っております。
ショパンはこのころ弟子の一人であったジェイン・スターリング嬢の勧めで、イギリスに演奏旅行に赴きます。しかし、過酷なスケジュールとやる気のない生徒への気の進まないレッスンなどから、彼の体調はどんどん悪い方向へと進んでいきます。個人的にはサンド婦人よりもスターリング嬢の方に気持ちがいってしまうことをここに付け加えておきます。時代のうねりの中でサンド婦人の目指していた革命は失敗に終わり、彼女はノアンへと戻ります。そして、ドラクロワとショパン。絵画と音楽と立場は違えど、この時代に生きた二人の芸術家の物語は、後一巻分、続いていくのです。
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第3巻。
重苦しい空気が漂い、物語の展開も陰鬱であった前二巻とは打って変わって、第二部は華々しいショパンの演奏会で幕を開ける。
著者自身が曲を聴きこんで聴きこんで、徹底的な取材と分析を重ねて書いたのであろう「紙上演奏会」は圧巻の一言で、読者は鬼気迫るショパンの姿をハラハラしながら見守ることになる。ここまで感情移入させられてしまうのも前二冊によって形作られた「ショパン像」が読者の中にあるからで、これぞ長編小説の醍醐味だと思わされる。
復活を果たした病弱な音楽家に贈られる惜しみない拍手と歓声は、そのまま革命のシュプレヒコールに変わる。この華々しさと喧騒と、時代の変化を憂うかのような厭世感が物語を支配しているのだが、きっと当時のパリもそんな雰囲気だったのだろう。
全体を通してみて、第一部はドラクロワを視点に据えた描写が多かったのに対し、この巻ではショパンを中心として物語が進行している。
そのためだろうか。もしかして全四巻から成るこの小説は、四楽章で構成された一つの楽曲であるのではないか、という印象を新たに抱いた。
初楽章と第二楽章は短調で書かれていたのに対し、この巻は第三楽章にふさわしく長調で書かれ、前述のような華々しい第一主題と、勇ましく野心的な第二主題を持っている。
はたして最終楽章はどの調で書かれ、どのような響きの主題を持っているのだろう。とても楽しみだ。
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第2部は、愛人と別れた傷心のショパンが久しぶりの演奏会を開催するところから始まる。この演奏会におけるショパンの内面、外面の表現がすごい。
やがて革命が起こった影響で、イギリスへ向かうショパン。病は進み、イギリスの文化とも相容れない。一方、ドラクロワは、親友との関係に悩む。
第一部後半からのストーリー展開で、読み応えたっぷり。平野啓一郎の筆も冴え渡る。さて、最後の下巻ではどんな物語が待っているか。。
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奏でられている音を言葉にするという、何とも不可能そうなことが表現されていることの不思議。それから、痛み、苦しみ、悩み、いろんな負の表現が秀逸。だが、しかし、わたしには難しい…なかなか読み進まなかった。あと、最後1冊!
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名文の嵐。天才を描けるのは天才だけなのだ。が、いかんせん読むのは苦行のようだった。タイトル通りで全編通してとにかく薄暗い。特に第二部は、ずーーーーーっとショパンが追い詰められてて死にそうで死にそうでなかなか死なない。つらい。
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物語は音楽家ショパンの葬儀から始まる。そして、少し時をさかのぼってショパン最晩年が描かれる。登場人物はショパンがながらく愛人として関わってきたジョルジュ・サンドとその家族。たくさんの知人。そして、友人の画家ドラクロワ。このドラクロワの繰り広げる芸術論、天才論、友人論などが非常に興味深い。ドラクロワとショパンの会話などにはぐんぐん引き込まれていく。第1部500ページ、第2部700ページの大作である。ベストセラーとなり、新聞の書評などでも何度も取り上げられていた。私は著者自身に興味があったわけではない。今まで同じ著者の本を読んでいるわけでもない。ただ内容にひかれて、でも最後まで読めるかどうか分からないから、書店で買うのではなく、図書館で借りて読んだ。だいぶ待ってやっと手に入った本、私自身も1部、2部合わせると結局3ヶ月くらい借りていたことになる。他に読みたい人もいただろうに申し訳ない。小説であるから、内容については一々触れない。長編だけれどもぜひ一度読んでみてほしい。ショパンの生きた時代、19世紀中頃のパリを中心とする世の中の様子が手に取るように分かる。馬車を使って移動しているようだけれど、汽車も走っていたようだ。パリでも革命が起こり、世の中が大きく変わろうとしていた。ペストがはやりたくさんの人がそれにおびえ苦しんだ。ショパンやドラクロワそれ以外にたくさんの実在の人物が登場、あるいはいろんな形で描写されているが、どこまでが真実でどこからがフィクションなのかまったく分からなくなってしまう。はじめは少し時代の雰囲気になじめず、時間がゆっくり流れて退屈に感じたが、途中からは一人ひとりの人物描写にどんどん吸い込まれていった。久しぶりに小説を読んで、よい時を過ごすことができたと思う。ドラクロワの絵も観たいし、ショパンの音楽ももっと聴きたくなった。そして、ぜひパリにも行きたくなった。
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読み終わるのに半月もかかってしまった・・・。
3冊目に入り、益々内容が濃くなっていく。
私とショパン、ドラクロワ達と共有する時間もどんどん増えて、あらゆる想像を巡らせながらページを捲っていった。
あぁやっとここまで来たか・・・
でももう、あと残り一冊しかないのか・・・
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第二部冒頭からChopinの本領発揮。
当方クラシックは門外漢なのでChopin=作曲家という認識しかないのですが、演奏家なのね、言われてみればそうだなぁ。どう転んだって音楽の醍醐味はライブだもんね。
今でこそ技術進歩により音・映像という手段でもって追体験できるものの、音楽はやはり刹那的だからこそ魅力的。その世界を何とか文章に落とし込もうという試みは上手く行っていると思う。
そしてここに至ってやっと絵画と音楽の世界を振り子のように行ったり来たりする本作の構成が効果を発揮し始めると思われ。ちょっと長いけどね。