紙の本
私も、覚悟を決めます。
2009/03/22 22:08
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野棘かな - この投稿者のレビュー一覧を見る
五木寛之 様、諒解致しました。
私も、覚悟を決めます。
※そろそろ覚悟をきめなければならない。※
最初の言葉で、ああ、これは遺書なのかもしれないと思ってしまった。
確かに、数十年前から、五木寛之 氏は本や雑誌のエッセイなどを通して、常にメッセージを送り続けているような気がする。
いや、それよりずっと前からかもしれないが。
1年間の自殺者が3万人をこえるこの日本社会のこと、蟹工船がなぜ読まれるか、秋葉の通り魔事件など、近頃気になる話題にもふれ、人生は憂鬱であると、ご自身が鬱状態だった頃の話とともに、興味深い話をあげながら、様々な角度から切々と書き綴っている。
親鸞、中国の悒、万葉人のかなし、ロシアのトスカ、サウダージ、韓国の恨、下山の哲学、あきらめること、罪の意識、宗教、他力、闇、死、老いの話など。
でも、一つだけ、教えていただきたいことがある。
※人間は引き裂かれた存在である※
と言い切った部分だ。その意味と引用をおしえていただきたいと思った。プラトン?
本の中で、時代は躁から鬱に変わったと作家は言うけれど、私の感覚では、軽い鬱の暗い時代に生まれましたと言いたい。
死んで行くためになぜ生きるのかと考え続けていたら、いつの間にか、世の中は、いいとも!とか言っちゃって、明るくなければ人間じゃないみたいな日本人みな躁状態のバブル期に突入、そしてとうとう、やや鬱気味のヒステリックな現在に至ると言う感覚だ。
ちょっと重い話になっているが、書かれていることはすごく素直に良くわかる。
心が折れそうになった人、鬱状態の人、もしかすると自殺を考えている人にも、静かな助言となる本だと思った。
悟りの境地に入りつつある作家の人間の根幹に触れる言葉は頭を下げしっかり受け止めたい。
往復書簡ではないけれど、五木寛之 さんに返事を書きたいと思った。
でも、今はまだお礼しかいえない。
五木寛之 様、ありがとうございました。
紙の本
お爺さんが迫る日本人の覚悟
2008/11/24 10:07
17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『バカの壁』と『国家の品格』で時代の潮流を創った新潮新書から
また壮絶な新刊が出た。本書、『人間の覚悟』だ。
内容は壮絶を極める。何せ第1章の冒頭の1文が「地獄の門がいま開く」
である。マジですが五木先生、こんな世相の世の中に追い討ちを
掛けるようにそんな強烈な言葉を放って大丈夫なんですか、という
気持ちで読み進めるうちに、段々と「決めるべき覚悟」の核心が見えてくる。
2005年をピークに、日本人は減り始めた。団塊ジュニア世代以降の
人間は、経済成長といわれてもピンとこない。憧れのアメリカは、
ユルキャラブッシュのせいで良く言っても今やダサかわいいぐらい。
ベンチャーの星たちは、黒字でもクロばっかりだった。
こんな時代にモチベーションを語っても、モチベーションって何?
その横文字意味分かりません、わたしたち日本の庶民だし、という
20代の反応のほうが自然だ。
日本はこれから長い長い下山の時代を迎えると五木先生は言う。
それは老いを受け入れて熟成していく過程でもある。
戦後の躁の時代を経て欝の時代に入ったいまは、カラダの流れに
逆らうことなく、ゆっくり下界を見下ろしながら、時には足が笑って
バランスを崩してしまうかもしれないけれど、悠々と下山する術を
身に着けるときなのだ。
でもそこで不図思った。下山は日本だけなのか?
世界帝国を作った大草原の国、モンゴル。
日本に始めてきた西欧人、ザビエルの国、ポルトガル。
鎖国江戸でも唯一交流が耐えなかった国、オランダ。
この国たちは、どれだけの長い下山の中にいることだろう。
その中で、登りたい若者は何をしているのか?そう考えてみると、
これらの国は人口の割には格闘技やらサッカーがやたら強い。
ユニフォームもクールだ。音楽も悪くない。食事も悪くない。
下山の哲学はこの辺に潜んでいるのかもしれない。
それにしても、日本のおじいさんて、すごいな。
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五木寛之さんの本は決して明るくはないけれど、不条理で厳しい世の中という現実や、その厳しい現実から目をそらさずに生きていく覚悟が必要であることを述べている。
決して無理なポジティブ思考を説くことがなく(寧ろ否定的)、暗い事実ばかり書いているが、世の中の不条理にいたずらに憤慨したり凹んでいるある意味未熟な小生にとっては妙に落ち着く説法を聴いているような感覚である。
生きていくのは決して楽なことではないけれど、楽でないという事実を受け入れると若干楽になります。
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新年を迎え、この元旦という一年が始まる大切な日に最も相応しい本だと思います。
本書は、八重洲ブックセンターで上位に長らくランクインしていたので、気になり
手にとった次第です。著者は、私は知らなかったのですがかなり有名な人で、
多くの賞を受賞している方なんですね。
内容は、「期待」をするな。諦めろ。しかし、これは単に絶望しろという事ではない。
あるがまま、人生平等ではないし、いくら努力しても手に入れられない事を受け止め、
その上で生きる。生きる事自体すばらしい事である。日々に感謝しよう。という感じです。
個人的には、とても良かったと思います。というのは、これは常日頃自分も悟り、
自分自身に言い聞かせてきた事だからです。誰かに何かを頼み失敗しても、頼んだ
自分が浅はかだった。見返りを求めない。相手を無条件で受け入れる等々です。
そして、その中でも教えとしてすばらしいと感じた事は、
1.家族・友人・知人、そして国家やその他多くのものに期待しない。
2.親しい人ほど親密になりすぎない(礼儀を忘れない)
3.人間は生きているだけですばらしい。人は生きているだけで良い。
の3点ですね。誰だって得意不得意があります。自分の価値観に合わないからと言って、
下に見たり、蔑んだり、愚痴を言ったり・・・・。そうではなくて、必ず人には良い点が
あるという事を認識する事。
私達は、自分の人生に本当の意味で責任を持たなければなりませんし、その責任は
自分で背負わなければなりません。誰のせいでもない。時代のせいでも、環境のせいでも
ない。全て自分の選択の結果であり、その報いです。って、これは聞いたことのある
内容ですよね。勝間さんが絶賛し、最近私が批評した本の中でも述べられていた事ですよね。
やはり、悟るという事はこういう事を言うのかもしれません。
悩んでいるかた、人間力を上げたい方、とてもお薦めです。
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1回目「明らかに極める」諦める・・・。ムムム。
2回目「・・・やはり世間はひとつのフィクションなのでしょうか」納得。
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まだまだ自分の視点が定まらない。それもそうだ、あれもそうだ、じゃあ自分はどうだ、というのが弱い。どこかであきらかにして究める覚悟が必要だと思った。最終章は特に自分に眼差しが向けられた。
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私自身、自分は覚悟がないから云々、みたいなことを最近時々思う。時々というより、しょっちゅう思っている気がする。
そのためか、「覚悟すること」、「諦めること(=明らかに究めること)」と序で書かれているあたりで、本書で書かれていることは受け入れられるな、と思った。
とはいえ、多くのことを経験され、75歳になられた五木さんだからこその達観の境地から来る思考だとも思う。理解しても、わさわさともがいて、10年後、20年後くらいに身をもってなるほどな、と思えるのかもしれない。
アラフォーというより、どっぷり中年だ、、と自覚する頃に読むと、肩に力の入らない五木先生の筆致に少し涙するかもしれない。
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50歳の誕生日に読んだ本。人間、いつなっても成長する心を持つ事は必要だが一方で青春・朱夏・白秋・玄冬と、人生の下山期というのも意識し始める必要があるかもしれない。日本の国全体が欝・地獄へ向かう予感はとても共感できるが、現実には会社がもっと早くそのフェーズに入っている。会社でこれ以上出世する事は制度・論理的にまず不可能な状況、その存続も危ぶまれる中でこれから何を目指して生きていくことにしようか。飯田史彦氏の定義する「愛する事」すなわち損得勘定から開放される事というのが、五木氏のいう「覚悟」と重なって感じられる。
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"覚悟"と聞くと、悟ってあきらめるような感覚を受けるけど、違うらしい。
よく知って考え抜くこと、ということを言いたいようです。
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現代日本の問題、精神世界、歴史、哲学、幅広い視点から人間が生きることの意味と覚悟を説いている。
読みやすいが読み応えあり。
人間はギリギリのところでは同胞に対して獣になってしまう、という筆者の終戦時の原罪体験を礎にしている。
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若者が読むと精気を失う・・・
ただ将来的にこんな風に人生を振り返れるようにしたいなとは思う。最終的に頼れるのは自分のみ、自助努力の必要性を再認識しました。
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困るというかなんというか。
本の内容はすばらしい。覚悟も分るし、誰もが野垂れ死に至る可能性を濃く有した当今である。予めそう思いながら進めばショックも少ないかもしれないし。
しかし、、
後期高齢者に属する著者だが、
もう名を成し、ある種の時代も創ったであろうお方が、そのような老境にあって尚、達観や安堵・安心のこころもちが無く
変化しつづける時代や社会に
今も(そして死ぬまで)怯えていかなくてはならないのか
そこに、恐怖に近い感覚を覚えるのだ。
そうならば、
老い先を考えるに我々若い者も何がゴールか分らないというか、困るなあと思った次第である。
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日本は確実に下り坂である。
経済も、社会も、教育も、すべてが萎縮し、落ち込んでいる。
筆者はそういった事実をまずは受け止めるべきだという。
そして国にも組織にも寄りかからず、自立して堂々と生きていく姿勢こそが人間に必要な覚悟だという。
強く生きなくては。
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2010/3/10
仏教と絡めた人生観で、なかなか興味深かった。
諦めるとは受け入れるということ。それが覚悟。
愁いのない人生などない。老いという変化を受け入れること。
時代は下り坂だが、それに合わせた生き方がある。
アニミズムは大きな可能性をもっている。日本の強みになる。
生きているということ自体に価値があるから、生き方を問う必要はない。
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■『生きるヒント』以来、五木寛之の本を読んで「意志」を持つことの再認識。
○どんな人でも、自分の母国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちはあるものだ。
しかし、国を愛するということと、国家を信用するということとは別である。
私はこの日本という国と、民族と、その文化を愛している。しかし、国が
国民のために存在しているとは思わない。国が私たちを最後まで守ってくれる
とも思わない。(P7)
○国民としての義務をはたしつつ、国によりかからない覚悟。最後のところで
国は私たちを守ってくれない、と「諦める」ことこそ、私たちがいま覚悟
しなければならないことの1つだと思うのだ。(P9)
■これは会社にも、組織にも、コミュニティにも当てはまる。
○これまでの自分をいったん捨てさったところから、新しい生活がはじまる。(P14)
■わかるというということは、昔の自分が一度死んで、新しい自分(新しい行動規範で動く自分)
が誕生したという点で、事件なのだということ。
○戦後五十年は躁状態。現代は避けようのない鬱の時代。(P40-46)
○人間は、最後は一人で死んでいきます。夫婦であれ親子きょうだいであれ、他の人と一緒に
死ぬことはできません。だれでも最後は一人なのです。しかし、そのことが分かっている
人間同士が身を寄せ合って一緒に何かをしていくからこそ共同作業というのは尊いのだと、
考えなければなりません。(P94)
○人間はDNAの二重螺旋構造のように、善と悪の両方を内包して、悩みながら生きていく
しかないのであって、少なくとも、そういう悪を抱えて生きているという意識のかけら
ぐらいは持つべきだろうと思います。(P160)
○トルストイが言ったように、「知識人や芸術家は一介の農夫に学ぶべき」なのだという
気もしています。いかに優れた知識やセンスを持っていても、彼らが自然とともに
生きていく中で養い、体得している情念にはかなわないものがあると思うのです。(P165)
○親鸞は、弟子一人もつくらず、と言いましたが、それは結局のところ、人は一人でいく、
ということなのではないか。(P172)
○自分の親もきょうだいも、夫婦も子どもも、自分の一部ではない。むしろすべての人々が
兄弟、家族であると考える。それは逆に人間は最後は一人という考え方と同じです。
人生は孤独で、憂いに満ちています。あらかじめ失うとわかったものしか愛せません。(P190)
■一人でいることが当たり前。友達、家族がいるのは、尊い奇跡。