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国芳一門浮世絵草紙2 あだ惚れ
著者 河治和香 (著)
情と粋がたっぷりの、注目シリーズ第2作!〈あだ惚れ〉とは、むなしい恋のこと。登鯉の幼なじみの芸者ちょん太が、亡くなった花魁・髑髏太夫の男に恋心を抱く(「裾風」)。13歳の...
国芳一門浮世絵草紙2 あだ惚れ
あだ惚れ (小学館文庫 国芳一門浮世絵草紙)
商品説明
情と粋がたっぷりの、注目シリーズ第2作!
〈あだ惚れ〉とは、むなしい恋のこと。登鯉の幼なじみの芸者ちょん太が、亡くなった花魁・髑髏太夫の男に恋心を抱く(「裾風」)。13歳の時に天狗にさらわれ戻ってきたという、国芳の女弟子芳玉。その天狗が現れたときの、芳玉の気持ち(「馬埒」)。国芳と北斎とのたった一度の邂逅(「畸人」)。夫婦にと薦められた武士をめぐる登鯉の、心の動き(「桜褪」)。高野長英の脱獄で見せた、遠山の金さんの心意気(「侠気」)。注目のシリーズ第2弾!
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紙の本
「だいたい二十歳前には、ふん捕まって獄門さ」
2010/11/28 14:42
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
> 「狙った侍の懐からサイフを掴んだとたん、バラリズーン……と、一瞬のうちに首と胴が宙で生き別れになっちまった」
『国芳一門浮世絵草紙』の第一作『侠風娘』は、国芳の弟子の周三郎少年が河原で拾ってきた生首を皆で写生する話から始まったが、第二作『あだ惚れ』もまた、人が首を切られる話が最初に来る。といっても、冒頭は、国芳や娘の登鯉が仲良くしていた髑髏太夫が死んだので、その供養に登鯉が「髑髏太夫の極楽めぐり」という絵を描くことになるのだ。その絵を注文したのは、髑髏太夫と馴染みの客で、そして、江戸三大スリのひとり、トンボの春を「バラリズーン……と」やっつけてしまったのも、その客なのだった。
登鯉は幼いときから国芳の絵を手伝っていて、今では、登鯉の描く春画がよく売れている。でも、それは国芳の娘でしかも十七歳という若さだという付加価値があって、もてはやされているのである。女が絵師として一本立ちするのは男以上にむずかしい。それは、国芳の弟子たちのなかで一番優れているとされる芳玉こと、お玉の場合も、また、国芳が私淑している葛飾北斎の娘、お栄であってさえも、同様であった。
お玉には、「天狗にさらわれた」という過去があった。最近になって、幼い女の子が次々とさらわれる事件が起こり、お玉の天狗体験の瑕が呼び覚まされる。お玉は登鯉に、ずっと誰にも話せなかった天狗との暮らしを打ち明けた。その天狗に、偶然、何年かぶりに会って、話しかけると、彼は、お玉のことを知らない、という。お玉は怒った。それで、天狗の化けの皮がはがれた。
天狗が捕えられる前に、国芳の弟子のひとりで、ちょっとぼんやりしていて子供と同じ様に遊んでしまう芳藤が、悪者にまちがえられて町の人たちになぐられたのがかわいそうだった。そして、連続少女誘拐殺人事件の犯人は、天狗でも、もちろん芳藤でもない、別の男だった。
現代にもよくある犯罪で、つらい話だ。少女たちもかわいそうだし、ちょっとぼんやりした、こども好きの若い男が疑われてしまうのも、よくある話で、これも悲しい。よく似た話が、宇江佐真理の『甘露梅』にもある。
葛飾北斎の娘は、火事が好きで、「夜中といへども十町二十町の場へ見物に行く事しばしば」で、登鯉とふたり、火事を眺めながら、しみじみと話をする。
> 「女ひとり老いさらばえてゆくのは、世間の人が思うほど寂しくはないけどね」
> 「自分のことばかり考えて生きていくのは、気楽なようで、結構めんどうなものサ」
登鯉の描く春画を大名たちへの贈答品にしていた、あの「御奉行」が、登鯉に、田辺定輔との縁談を勧める。定輔は、いずれ、同じ年頃の矢田堀景蔵などとともに、国を背負って立つ男だ、という。
来る時には同時に来るもので、新肴場の御隠居からも若親分小安との縁談を勧められるし、登鯉は登鯉で、なんと、江戸三大スリのひとり、若衆の勘太といい仲になってしまう。
スリはやめとけ、だいたい二十歳前にはふん捕まって獄門だ、と「御奉行」がいう。でも、登鯉は、定輔と結婚すると、絵をやめなければいけない、ということが、気にかかっている。国芳は、新場の小安との縁談に乗り気でいる。そして、定輔は、登鯉に長い手紙を書いてきた。難しい漢字が多くて読めない手紙を、登鯉は、「御奉行」に読んで貰った。
優しいけれど、きっぱりと断りの手紙を書いてきた定輔。天下国家のために身を捧げるつもりで、甲府に行く、という。
定輔が甲府に発った日、国芳の家の庭に、ひとかかえもあるほどの、満開の桜の大枝が置いてあった。
この桜の大枝には、登鯉と同様、私も、じいん、ときた。
田辺定輔とは、あの、明治初期に活躍した外交官田辺太一だ、ということは作品中には述べられていない。
時代は、天保十四年から十五年にかけてで、まだペリーは来ていないが、西洋諸国の船が日本に来て開国を求めたり、水野忠邦が老中を罷免されたり、また返り咲いて、報復人事で鳥居耀蔵を飛ばしたり、その合間に、高野長英が脱獄したりしている。
高野長英が、いろいろな人と人との関わりの縁から、国芳一家に飛び込んでくる。居候の癖にいばっていて酒飲みで……でも、根は、人見知りで、悪い奴ではないらしい。国芳と、登鯉と、そして、あの「御奉行」が、高野長英を、別の場所に逃がすことになる。
屋形船で行く四人。どこまでも付いてくる、怪しい船。どっちが怪しいか、という気もするが……
あれは自分を狙っているんだ、という、「御奉行」。船が目的地に着いたとき、高野長英たちを先に行かせて、ひとりで敵に立ち向かう。
> 「てめぇら人違いもてぇげぇにしやがれ! 首と別れの道楽に、腕からなり、足からなり、斬るとも突くとも勝手にするがいいや!」
そんな、ひとりでおもしろいことするなよ、とばかりに、国芳も加勢し、挙句の果てに、高野長英までが……
この小説は、ほとんど実在の人物ばかりが登場して、絵師も学者も役人も、それぞれ、皆が、史料を忠実に再現しつつも、しかも作者の想像力を十二分にふくらませて、生き生き、有り有り、手に触れ、匂いをかぐように、表わされている。そしてまた、少女たち、女たちの、悲しくて、なお、したたかでたくましい日々を描いて、笑いも涙も、海の水のように尽きることがない。何よりも文章が完璧に美しい。悲しいのに、明るくて、楽しいのに、切ない。登鯉の恋模様は、まだまだ、続くのか?