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写実主義から、前衛主義へ。 作品の風潮と、その背景として、アメリカの経済発展と同調した取り巻く絵画市場環境の増大。 この波はもはや現代に再来せず、それに最大限乗ったピカソと同調の存在もまた不出世のもの。
「女は苦しむ機械だ」と公言し、その激しい感情の力さえも、破壊的な芸術性に変えて描き続けた、まさに怪物。
しかし、自画像として、死期が近い中で自ら描いたその暗澹たる表情は、生涯で手にした成功と同等、それ以上の闇を感じてならない。
まさしく、ピカソ本人、作品、評価された背景が網羅的に読み取れた一冊。
ニューヨークに、MOMAに行く前に読んで置きたかった。
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あの有名なピカソである。誰でも知っているようで知らないピカソだ。
画家は貧乏、と云うのがある意味で定説になっているし、ゴッホのように今や如何に高額で取引される絵画であろうとも生前は貧乏でなければ物語性が失われるという感じだ。そしてピカソですら若い頃は貧しくてさまざまな色の絵の具を買うお金が無いことから「青の時代」は生まれたと、貧乏物語が一人歩きしている。
だが、本書によるとピカソは貧乏だったことは無いと断言する。強いて言えばスペインからパリに出てきた最初の2年間がそうとも言えるが実家からの仕送りも加えスポンサーも付いていたので必ずしも食うに困っていたわけではないのだという。へっ?伝説ってそんなものか?という感じだ。
そして驚くなかれピカソが死んだ際、手元に残された数万点の作品の価値はナント5700億円!で、その計算を行っていた三年間に更に市場価値は三倍程度にも値上がりしていたというのだ。そしてフランス政府はピカソのために準備したわけでは無かろうが相続税の現物納付を認める策によりピカソの作品のかなりの部分を税金代わりに受け取り国庫財産とし、更には市場への大量放出による価値下落を防いだというのだ。流石に世界一の芸術家のスケールは凄い。
そもそもピカソの作品があれ程の価値を持つのは何故か?本当にあの抽象画に見られる顔がひん曲がった絵とは上手いのか?という素朴な疑問があるが、本書によるとピカソのデッサン力はめちゃくちゃ上手いのだそうだ。画家を目指していた父親から子供の頃からデッサンを仕込まれており、その基礎画力は比肩のないものだったという。ふうん、それがあの抽象画のベースにあるとは思いもしなかった。やはりあのキュービズムの陰には確かなる技術があるということで単なるヘタウマでは無いらしい。
また、あの高額な作品の価格は如何にして付けられたのかとの疑問については丁度、戦後の国力を背景に大量に欧州美術を買いあさった米国という需要家とピカソを売り出そうと努力した美術商の企画力であるというのだから、これもまたビックリだ。音楽界では例え敏腕プロヂューサーが売り出そうとしてもその歌手やバンドが見込みどおりに売れることは少ないし、それが数十年の長きに亘り継続することも有り得ない訳で、絵画市場の特殊事情が伺える。
それで行くと常々、日本画壇では美術価値以前に作者の美術界ランクに従い号数(大きさ)で取引される不可思議な世界と言われており、例えば政治人脈を最大限に活用しその絵画価値を上げてきた平山郁夫などと揶揄されるのだが、ある意味では其れも「世界基準」だったのだろうか?
とにかく何事においてもスケールの違うピカソ、恐るべしだ。
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現代美術のよくわかなさについて、ピカソを題材にしながら解説した美術論。
だけど、平易な言葉で、わかりやすく、ピカソってなんでそんなに偉いの?という、庶民の素朴な疑問を解き明かしている。
美術論、などというと、まず言葉の意味が全く分からない。現代美術館に行ったときなんかは、絵も大体意味不明だし、横の解説も競うように意味が分からない、というようなもので、まるで相手にされていないというような淋しい気分で帰ってくることが多い、私のようなど庶民において、この本は非常に痛快であった。
ピカソは父親からの英才教育と天才的な画力、それから時代の波を機敏に感じ取る感性と、ビジネスマン的手腕、そしてなにより本人の傲慢な性質により、後世まで高額で取引のされる芸術家になった。なるほどなるほど。
それから、ルネッサンス期~近代における、「美術」や「芸術家」の移り変わりと、なんで現代美術がかくも「意味不明」なのか、簡単にわかりやすく説明していて、非常に満足。
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「どこがすごいの?」、「なんであんなに高い値段で?」という素朴な疑問に答えてくれる一冊。
純粋なその技術の高さ以外に、その絵を受け入れる時代背景やピカソの戦略のうまさなど、複合的な要因をひとつづつ書かれていて納得。
しかし芸術ってムズカシイ(^^;
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斜に構えたタイトルの割には、純粋ピカソファンの本。ファン増のためにこのタイトルにしたのなら逆効果では。楽しく読めます。
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いわゆる「前衛」芸術を前にした時、何でこれが芸術?、という疑問を感じる人は多いのではないだろうか。
このような疑問を抱く人の多さに対して、答えを見つけられる人はごく一部に限られていた。
誰でもピカソのキュビズム絵画のような作品を前にして、こんなのが○億円!?、だとか、こんなのだったらうちの六歳の娘の方がずっとうまいよ、というようなやり取りを目にしたり耳にした事があると思う。
本書を読めばこの答えが(もしくは自分が前衛芸術を前にした時に抱く疑問が芸術史においてどのように論じられて来たのか)が明らかになる。
本書では芸術家の地位向上、絵画ビジネスの隆盛、「美」の解釈の変遷という三つのテーマを論じ、それらの現代における結節点としてピカソ芸術を取り上げている。
それから多少芸術に興味がある人ならば知っているであろう、ピカソの女性問題についてもオマケとして言及している。
ただ見るだけの物になぜこれだけ破格の値がつくのか?
この問いに答えるためにルネッサンスからの芸術家の地位向上や、宗教改革による美の需要の変化などを追っての解説には、値段の裏にこんな歴史があったのか、と驚いた。
果てにはアメリカ建国とその経済的発展の裏で働いた絵画の投機的側面など、この手の問題に関心のある読者なら快刀乱麻を断つようなスッキリした気持ちで読む事ができる。
そしてそれらを巧みに操って成功したピカソは芸術だけでなく人心操作術の天才でもあった。
そしてそのような人間関係における駆け引きの才覚と歴史的なタイミングが合わさってピカソの空前絶後の経済的成功が生まれた事がわかる。
どうやらピカソほどの経済的成功に恵まれた芸術家は他にいないらしい。
それ以前の芸術家は職人としての意味合いが強かったようだ。
現在、我々が芸術家に対して抱く、気難しくてアトリエにこもって作品を作り、よくわからない作品をありがたがって億の値段で取り引きする、というイメージはどうもピカソが発端らしい。
だが、それにも歴史的な意味があったということが本書を読んでわかった。
また、芸術に対して素人が感じる疑問にこれほど正面から向き合った本も珍しい。
次に行く美術展では値段の事なども頭の隅においてもっと素直に鑑賞できるようになるだろう。
芸術におけるトリビアも満載で楽しく、それでいて長年の疑問にスッキリとした筋道を示してくれる一冊だった。
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ピカソの人となりと、ピカソが評価されるに至るまでの美術史についても書かれている。読み物としても、美術史や現代美術入門書としてもいい本だった。
印象は→キュビスムと来てピカソがあるということは美術史で習っていて基礎知識は多少あるけど、交友関係とか画商とのことも含めて書いてあるから、理解が進む気がする。
ピカソは時代を捉えた前衛的なカリスマだけど、やっぱり天才ってどっか狂ってるんだなあと。
美術関係のことを考えるといつも行き着くのは、美術館の高尚な美よりも、用途や使いやすさ、日常の中の美しさを求めるデザインや工芸のほうが私には合ってるわ。
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「安住紳一郎の日曜天国」に著者がゲスト出演していたのがきっかけで手に取った一冊。
教会や王侯貴族のためのものだった絵画が、市民革命と美術館の登場によって「芸術」となっていった過程をわかりやすく説明している。
その結果、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」のような「訳の分からない」作品が成立するに至ったか、時代背景やピカソの人生に沿って論じられている。
新書だから仕方がないのかもしれないが、図版があるともっとイメージがつかみやすいと思う。それにしてもピカソの私生活はヒドすぎる。。。
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自分がピカソの絵を見ても、美しいとも、感じるものが何もなかったのは、ごく普通人の感覚として問題なかったようです。
誰にも真似できない、驚異的な上手さはあるようですが、普通人からすれば、猫に小判、豚に真珠のお話でした。
現代美術の摩訶不思議なからくり。要するに、ピカソは「絵画バブルの父」だった、ということらしい。
やはり、自分には、ダ・ヴィンチやミケランジェロのような、芸術以前の時代に作られた作品が合っているようだ。
(2013/2/9)
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先日、著者がラジオで話しているのを聴いてとても感銘を受けたので。ピカソの絵を前にして「よくわからない」「こんなのは自分でも描けるよ」とやり取りを交わし揶揄する反面、これが理解できない自分はおかしいのか?と思うこともあった。でも自分が感じた「美しい」が美しいでいいという事。フッと軽くなった。ピカソは写実の絵ももの凄く上手いということ。そして破天荒な生涯。そういう人物だからこそあのような爆発した絵が評価されるのだと。破壊の創造、ピカソの見方が変わった。読後にピカソの絵を観ても「なんじゃこりゃ」なんだけど。
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芸術って、どこか不思議な世界。数学や物理のように明確に説明できるわけじゃないだけに、理解出来ないことも多い。かといって「わかんない」とも言い難いシーンもあったりするので、つい「天才のすることは私のような凡人には理解不能」と、自分を卑下して終わりにしてしまうという経験をしたことのある人も、少なくないだろうと思う。
ピカソのキュビスムも、その際たるもののひとつ。しかもその理解し難い作品に途轍もない高値がつけられているのだから、余計にわけがわからなくなる。
正直、私にとってピカソやブラックのキュビスムは、中学の頃にはトラウマでもあった。セザンヌやゴッホは私に安らぎをくれるのに、ピカソのキュビスムは心をかき乱すだけだったから…しかしながらそれらが世界的に高い評価を受けていることで、自分だけがそれを理解出来ないのだと思うこともしばしばだった。それで、どんどんとトラウマが大きく育ってしまったのだと思う。
そんな、私のような美術体験を多かれ少なかれ経験したことのある者には、覚醒感を与えてくれる一冊だと思う。
少なくとも私はこの本を読んだことで目から鱗が落ちたし、大袈裟に言うなら、日常が生きやすくなったように感じる。
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芸術の価値というモノは本当に不可解なものである。
特にピカソをはじめとして、「前衛」的なものはその最たるもの。
それらの作品を前にしたとき思う疑問、「これは、芸術なのだろうか。なぜこんなものに価値があるのだろうか。自分でも造れる、描けるのでは。」
などなど、疑問が浮かびつつも
「やっぱり、いいねぇ」
などと、つい知ったかでのたまってしまう。
この本はピカソをはじめとした前衛芸術について、それらの疑問に対してある程度の納得できる答えをくれる。
特に宗教改革、フランス革命やダヴィンチの進化論などの文化・歴史的背景が芸術に及ぼした影響など、なるほど~と。
ピカソがなぜモテるのかといった人生については(2章、3章)、いまいち興味がないが、まぁ題名がピカソは~なので、しょうがない。
これで、一歩進んだ知ったかぶりをできる笑
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どうして、あんなオレでも描けそうな絵に何十億円もの値段が付くのか? そもそもあのいたずら書きみたいな絵は「うまい」のか? 共感できない私は芸術が理解出来ていないのだろうか? 世界で一番有名な画家の一人であると同時に、様々な疑問が人々の頭に湧き上がる20世紀最大の画家。
ピカソは一夜にしてピカソになったのではない。「アヴィニョンの娘たち」がなぜ生まれ、同時代の人々に衝撃を与えたのか。著者はピカソを語りながら西洋絵画の歴史を紐解いていく。そうしなければひとつの帰着点であるピカソを理解することが出来ないから。
(続きはブログで)http://syousanokioku.at.webry.info/201308/article_1.html
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題に魅かれて軽い気持ちで読んだが、美術史を俯瞰する視点でピカソを捉えた油断できない評論だった。フランス革命の後、印象派が出てくるあたりの絵画が新興勢力の市民に支えられた芸術になっていく過程からピカソに至るまでを簡潔に論述している。印象や感情による解説を極力排除し、当時の世相や風俗、個々の画家の手法などを中心にした解説は絵画の門外漢にはとてもわかりやすい。コードチェンジとかモード奏法とかを具体的に説明する菊地成孔のジャズ評論と同様に感心し、ピカソの革新性と商業性にマイルス・デイビスを思い浮かべた。
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美術の基本的なことから、ピカソの人柄まで分かる、易しい本だった。
美術史についても、ピカソを軸に学べるので分かりやすく、いい勉強になった。
美術について殆ど何も知らない人を想定して書かれているので、入門書としてもおすすめ。
ピカソ晩年の自画像、芸術と人生を考えさせられる。