紙の本
同時代の作家の最後の作品を読む
2011/05/05 00:19
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が書評らしきものを書きはじめた頃から、著者の作品を紹介してきた。一番最初には、才能ある同時代の作家と伴走できる同時代の読者の喜び、みたいに書き出した記憶がある。その時には、彼女の「最後の作品」について書く時がこようとは思いもしなかった。「残念」とも「無念」とも言いがたい、複雑な心境である。できれば「読みたくなかった」。
本書は、作家のPCから発見された未完の作品を含む、4編から構成されている。そのうち著者の生前に発表されたのは「眼鏡越しの空」「故郷の春」の2つである。「ビューティフルネーム」という表題作があるわけではなく、この2つに未完の「ぴょんきち/チュン子」をくわえた一連の作品につけられる予定だった作品集名である。いずれも、在日朝鮮人の「本名」や「通名」をめぐる物語である。
在日朝鮮人における「通名」の問題などというと、「差別の問題が・・・」と想像されてしまうかもしれない。しかし、著者はそうした展開になるのは慎重に避けているように見受けられる。現在の日本において、在日朝鮮人に対する差別がないとはいわないし、かといって、日々「即物的な差別」だけにかこまれて生活しているわけでもない。それぞれの年代で、たいていの日本人もかかえるであろう、それぞれの問題にも出会うはずだ。
「眼鏡越しの空」では、小学校で「本名」で通学していたのが、名前をからかわれたばかりに親にあたり、かといって「通名」で私立の中学高校に通うようになれば、どこか違和感を感じ過ごさざるをえない。小学生などのときに名前でからかわれるなどということは、在日か日本人かにかかわらず「よくあること」ですらある。そんなこんなで一喜一憂してしまう年頃の在日の物語である。「在日問題」という括りから言えば、それぞれは些細なことかもしれない。しかし、作者は、そうしたものをこそなんとかすくいとろうとしている。おそらく、この感覚は「在日」だけに限るものではないだろう。読者それぞれのテーマにひきつけることで、共感をもって読めるのではないだろうか。
作者は、自らが在日の血を受け継ぐクォーターであることを知ってから、『君はこの国を好きか』など、在日を主人公にする作品を多く扱うようになった。それまで、『帰れぬ人々』『少年たちの終わらない夜』などからはじまって『スタイリッシュキッズ』など、「今どきの若者」をとらえたものが中心だっただけに、その変わりように違和感をおぼえた読者も少なくなかったのではないか。ましてや彼女自身は、本名/通名をもっているわけでも、在日としてなんらかの差別を受けてきたわけでもない。
ただ、改めて本作品集を通してみると、作者自身もこうした読者からの違和感に対し自覚的であったように見受けられる。この作品集の4つめ「春の居場所」を読んでいて、ふと合点がいった。自分の高校時代を投影したとおぼしき未完の作品で、他の三作とはまとまりを異にする。本作では「頭のよろしい子」のいる中学校から「まあまあ」の高校へ、偶然にも進学してしまった高校生の回想が中心だ。彼女の今までの随筆を読んでいれば、ある程度彼女の人生との符合もつく設定である(もちろん「そのまま」ではない)。
高校生時代に好感をもっていた同級生への回想を軸としつつも、作品全体に流れているのは、「今いる場所」と同時に、「さっきまでいた場所」にも向けられる違和感である。この違和感はかたちを多少変えつつ、彼女の作品に繰り返し現れてくる。高校時代から思い感じてきたのであろう、彼女が作品を初めて世に問うたのも高校の卒業間際だった。ただし、彼女がしよとしたのは、その違和感を克服したり、抗議をしようとするものではなかった。「書く」ということで、丁寧にすくいとろうとしてきたのみだった。実は、その姿勢は、初期の作品群でも在日にかかわる作品群でも変わらなかった。
誰がいったか、作家は「処女作に向かって成長する」というが、その通りを示す作品集である。作家は、「すくいとること」の先に何を見たのだろう。もはやその答えはわからないのだけれど。
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鷺沢萌の最後の作品。本当は、ウェルカムホーム探してたんだけど、買っちゃった☆在日朝鮮人の話で結構おもしろくよめた。やっぱり。差別でもなんでもその立場になってみないとわからないものなのね。
原稿は途中で終わってしまっていたらしく中途半端に終わっているところが生ナマしい。でもそれこそ生きていた証拠なんだろうな。ただの本じゃない。そう感じた。
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帯には『早すぎる遺作』の文字。
まったくもってその通りだと思う。
在日韓国人3世を描いた3つの話から構成される…はずだったお話である。
3作目は著者の絶筆。
その続きを永遠に知ることがないと思うとますますこの作品への思いは強くなる。
願いをこめられてつけられた名前はあまねく『美しい』。
在日韓国人であるがために韓国名と日本の通名の2つの名前。
日本における彼らの心のありようが少しでも感じられれば…と思う。
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在日韓国人の方の名前の話。
著者自身もそうですが。
それを、非常に普通に聞いてストーリーにしていくのは
やはり鷺沢さんの力量だと思う。
これはぜひ読んでほしい本。
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遺作になってしまったこと、とても残念に思います。
これを最後にせず、彼女の文章をもっともっと読みたかった。
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ゆっくりと静かに、しかし大きく魂を揺さぶる。モノの名前とは違って、人間の名前というのは他者によって識別されるためのものである以外に、自らの生き方を規定するものであるらしい。自らの名前を名乗ることが、他者の魂を揺さぶり、美しいと感じさせるとはどういうことだろう。その人達の意志と関わりなく、歴史や制度がそうさせたのだと思うと、ものすごく切ない。
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彼女の小説は20代半ばからずっと読んでた。
彼女の小説が好きだったかどうかと言うと分からない。
彼女は35歳で自ら命を絶った。
その後から私は彼女の本が読めなくなった。
持ってた本は全部売り払い家に置きたくなかった。
なんでそうしたかったのかは分からないけど。
ショックだったのかな。やっぱり。
二十歳を過ぎて自分のおばあちゃんが韓国人だったと知った作者。
それからの作風は在日韓国人、日韓関係などについてが多くなった。
私も夢中で読んでた覚えがある。
韓国語を習ったのも少しそういう思いもあったのかもしれない。
この作品も在日韓国人の通名、つまり日本名をめぐる物語。
二つの名前を使わなければならない彼ら。(使わない人も勿論いるが)
その気持ちの葛藤、移り変わりなど細かく書かれてる。
そこまで彼らに近づき、彼らの代弁者ののように書きまくって一生を終えた彼女。
まるで自分の使命のように。
そうだったのかな?もっともっと書きたかったことあったんじゃないかな?
もっと書いてほしかったな。。。
なんで今、読もうと思ったのかはわからないのだけど本屋で見かけて手に取ってた。
5年ぶりに読んだ彼女の小説はやっぱり彼女だった。
そこに彼女はいた。確かにいた。。。
やっと読めたのはやっと認めることが出来たのかもしれない。
彼女はもういないんだよね。。。
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鷺沢は初期の頃から好きで、でも本から離れていたときに突然亡くなった。この本は彼女のアイデンティティなのだとおもう。未完の一篇が残念でかなしい。「眼鏡越しの空」はいとおしい。
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鷺沢 萠 の作品に出会ったのは、たしか大学受験勉強中に目にした『葉桜の日』だったと記憶している。「本の虫」と言われることを密かに喜んでいた私にとって、国語の受験勉強(小説に限る!)は、親に咎められることがない読書タイムの時間でもあったのです。大学受験が終わったら読もうリストに加えたはずなのだけれど、すっかり忘れてしまっていて、ここ数年で読み始めました。
彼女自身も在日の方だったと思うのですが、そんな彼女が「在日」をテーマに書いた作品集がこの本。残念ながら、2004年に自ら生涯を閉じてしまったために、パソコンに残されていた未完成の作品も2つ収録されている。
特に「眼鏡越しの空」で揺さぶられる。
2つの名前を持つことの意味と本人の葛藤、殻、違和感、仮面をかぶるような感覚。
そして、周囲の人間の戸惑いと思慮。
それをめぐるetc.・・・
知らないということは、無邪気だ。だけれども、人を悩ませることにもなる。
それでも、知らないことに気づいたら、アトナオのように知ろうと努力すればいいのだ。
そして、考えればいいのだ。
「在日」であるマエナオ、「日本人」であるアトナオ、どちらにもやさしさが注がれたお話だった。
うまく言葉で表現できないのだけれど、何かとても大切なことが語りかけられている。
(2008.8.16)
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おそらく鷺沢氏が亡くなる直前の作品。
春の居場所という作品の最後の一行が途切れている。
何かに行き詰ったのであろうか。最後の迷いとか想いを汲み取れる。
貴重な遺作。最後の一行は、何度読んでも悲しい。
また、氏のフロッピーから復元された編集者の皆様方には感謝。
信頼関係があればこそのなせる業。
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鷺沢萠氏の遺作にして、傑作。『眼鏡越しの空』は2つの名前を持った在日コリアンの逡巡を描く、青春小説。『故郷の春』は読みやすい文体から、琴線に触れてくるので、不思議な感覚に陥る。解説にもあるように「鷺沢萠」という名前が故人であることが、とても、哀しい。
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2004年、35歳で急逝した鷺沢萠が生前から構想していた、1つの主題に貫かれた3つの物語。最終篇は未完に終わった。また、自身の高校時代を描いたと思われる絶筆も併録。書くことに走り続けた作家が最後に遺した小説集。
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初めて未完の作品を読んだ。
唐突にぷつんと終わってて、本当に途中ってかんじでどきっとしました。
在日韓国人が主人公で、名前や環境にまつわる話を集めた本。
自分は日本人なので、そういう気持ちを持っている人が居るということを考えたことも無かった。
在日韓国人とかそういうことって、全然気にすること無いよって言ってあげたいと思った。
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オビに、「鷺沢萠、最後の小説」とある。
使用されていたパソコンから見つかった未完の小説を含む、短編集で、鷺沢さんの繊細さが伝わってくるような物語。
通名については、在日外国人である人にしか分からない感情や経験もあろう。そして、名前の持つ影響力の大きさよ。
自分の名前について悩みながら、ビューティフル・ネームと言える主人公たちの強さとしなやかさ。
解説は重松清さんで、フリーライター時代に著者にインタビューしたときのことを書いており、その内容が印象的。
〈他者なしの自分というのはあり得ないと思っています。言葉にするときれい事になってしまうんですけれども、私という自分は他人によってつくられていると思っているんですよ〉
〈(略)最近のフリーターとかをやっている女の子の不安感て、そういうところにあるんじゃないかな。自分が誰かの役に立っていないと、自分て誰にも認識されないんですよ。私が切ないほど誰かの役に立ちたいと思うのは、自分を生かすための方法だったりするんですね〉
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その名前が私を形作る。
未完の遺稿については、やはり完成したかたちで読みたかった。「眼鏡越しの空」については、自分が理解できない壁を感じる。理解したいと思っていても、なぜか壁が隔たるもの。チマチョゴリとキャミソールの話は、どうしても説得できない自分を感じた。アトナオにも奈蘭にも全面的に同意できないもやもやしたものを感じる。
「故郷の春」の主人公は、字面から陽気な、というか明るい口調が音で聞こえてくる。でもそれは、作った明るさのようにも感じられ、自分というか、自分と名前に所属する自分を受け容れるまで、アイデンティティーの確立までの葛藤をなんとなく感じてしまう。
チュー先輩のキャラクターは、とてもカッコイイ。もしかしたら、彼女も色々と考えたり恨んだりすることがあるかもしれないけれど、高校生の時点で、そうやってあっけらかんと、少なくとも外向きにそのように振る舞える時点で、とてつもなくカッコイイ。ところで、未完の「ぴょんきち/チュン子」の主人公もどうやらチュー先輩と同じ春純という名前だけど、同一人物だろうか。
容易に、~だった、良い話だったと言えない、自分で消化できない。自分の名前に対する誇りの話と一般化することもできない。消化不良のまま、当分抱えておきたい話であった。