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なぜ日本は、尖閣問題で厳しい岐路に立たされたのか?
政策決定において、論理よりも空気が重んじられる傾向は、「戦艦大和の最後の出撃」と重なるのではないか――。
本書は、CIA、旧KGB、MI6等々、数多くの情報機関と交流した著者の実体験を交えて、情報とは何か、情報体制はどうあるべきかを提言する。
外務省は、なぜニクソン・ショックを予測できなかったのか?
なぜ石油ショックやイラン・イラク戦争の終結、ベルリンの壁崩壊を捉えきれなかったのか?
「尖閣問題」こそ日本外交の縮図である。
日本では正しい情勢判断がなぜか軽視されてしまう。
外務省国際情報局長が国際諜報戦争と外務省の真実を明らかにする。
(本書は2009年刊『情報と外交』(PHP研究所)に、あらたに序文とあとがきを加えたものです)
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外交政策を立案するにあたっては、情勢判断を基礎とすべきである。情勢判断は事実をみることから始まる。しかしながら、日本の外交においては、「何をしたいか」という願望が常に先行し、都合のよい情報ばかりが集められるという倒錯した政策立案が繰り返されてきた。
われわれは、「いつかきた道」を再びたどらないためにも、願望に身を任せて事実から目を背けるのではなく、客観的な事実をしっかりと見つめて、慎重に対外戦略を構築していかなくてはならない。
今日の分析は今日のもの。明日は豹変する
アメリカ 軍事と関係ない、普通の都市を壊滅。戦意を消失させるてめでなく、資源を非軍事の復興に集中させるため
MI6 現場に行け、現場に聞け
まず大国(米国)の優先順位を知れ、地域がそれにどう当てはまる
戦争はいかなるときに起こるか ナンバーワンがナンバー2に追い抜かれる危惧を抱くとき
春名幹男 秘密のファイル CIAの対日工作
インテリジェンスとは行動のための情報である
「空気」に押し流されず、歴史に学び、冷徹な眼差しで事実をみつめ情報を発信しつづけるリーダーが、一人でも多く育ってくれることを願ってやまない
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■外務省で情報畑を歩んできた人が書いた日本外交。
■また、各国の情報機関の活動の一端もわかる。
■著者ご本人の経験と観察に基づく話の展開なので、非常に実践的で興味深い。腹の据わった内容の濃い文献だった。
■この著者はツイッターでも積極的に意見を発信。外交の専門家の視点がわかってよい。
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一番恐ろしいことは自分にとって都合の悪い情報をシャットアウトすることだ。
ソ連、イラン、イラクなどで情報の最前線にいた氏の「回顧録」としての情報・外交論。
尖閣諸島問題に絡む中国との戦闘を想定した「日本勝利」論を、当時対米開戦に向かった軍部が陥った考えと重ね合わせています。
外交・政治の場にかかわらず、日本においてはしばしば空気が重大な決定を下す。時と場合によって空気を読む事が美徳とされることに異論はありませんが、踏み込んだ議論なしに結論されることで責任の所在があやふやになります。
誰がいいと言ったわけでもない決定に対し、疑問を抱きながらも行動に入ってしまう。
一度決定したことを覆すことは困難であり、一貫性を保とうとするがゆえに自分にとって都合の悪い情報をシャットアウトしてしまう。
2004年に提示された9.11委員会報告からの抜粋が興味深いです。
―「知るべき人へ」情報システムは「共有」情報システムにとってかわられなければならない。―
一部のトップにだけ情報を上げ、意思決定を行うのではなく、組織全体で情報を共有し、多方面からチェックを行い組織を運営する。
トップが必ずしも正しい判断を行うわけではない、という考えが根底にあるのようですが、トップダウンでの組織運営が基本思想である米国においてこの示唆は革命的です。
通常現場担当者に適用するナレッジマネジメントをトップに対して適用するということでしょうか。
ただ、実際の運用にあたっては組織全体の束ね方、各サブ組織への権限の委譲などいろいろと困難がありそうです。どのような運用にするのか、もう少し調べてみたいですね。
日本では現在日本版NSC創設が大きな話題となっています。
安倍新政権がどのような安全保障体制を組んでいくのか、非常に気になるところです。
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いかに日本の情報、諜報部門が脆弱かよく分かる。裏を返せば戦後アメリカに上手くやられたということか。今回のアルジェリアのテロ事件でもそれが証明されたと言ってよいだろう。
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紀伊国屋で行われた日本の「情報と外交」刊行記念の孫崎享氏の講演会に参加しました。 講演は関心の高まっている「尖閣問題」でしたが、本書の内容は外交官としてのインテリジェンスの重要性を説いた本です。
情勢を収集し、冷静に分析して、政策を決定するというプロセスが本来あるべき姿だが、情報の収集・分析が後付になり、政策が選考してしまうケースも多いという。しばしば理念先行、希望先行で一度、ある空気に日本社会が包まれると日本全体が異論を許容しなくなる状況になりがちだ、と警鐘をならしています。
講演中、中国の肩を持ちすぎていて、中国からお金をもらってるんではないか?と冗談含みで質問した方がいたが、孫崎氏の逆鱗に触れ、聴衆の一部からも失礼だぞ、という声や拍手もあがったりして、私は相手の気分を害する冗談も不注意だな、と思う一方、何百人という聴衆の面前で四面楚歌状態の質問者も自分の想定外の出来事にだいぶ居心地がわるかっただろうな、となんとなくどちらにつくわけでもないけれど、やな場面に遭遇してしまったという感をもちました。
やはり外交や領土の問題というのは非常にセンシティブな話題であることの裏返しの反応がこのような出来事を垣間見ることになったのかもしれません。
インテリジェンスのプロフェッショナルとしての矜持と仕事術からは、日本の外交・防衛機能もさらに向上させていく必要性も感じられましたし、一個人として情報を単なるインフォメーションから、アクションにつながるインテリジェンスに変えられるように、情報の受け取れる感度・分析力をもちたいと思いました。
著者の主張を鵜呑みにするわけではありませんが、通常「尖閣」と題する書物は中国けしからん一点張りのナショナリズムに陥りがちな中、リベラルな視点で、尖閣棚上げ論をこの議論沸騰のど真ん中に直球で新書を世に問い、支持を得てきているということは、興味深いことでした。
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●:引用、→:感想
●外交政策を立案するにあたっては、情勢判断を基礎とすべきである。情勢判断は客観的な事実を見ることから始まる。しかしながら、日本の外交においては、「何をしたいか」という願望がつねに先行し、都合の良い情報ばかりが集められるという倒錯した政策立案が繰り返されてきた。
→昨夏のNスぺ「終戦 なぜ早く決められなかったのか」の中で、在ストックホルム小野寺陸軍駐在武官が送ったヤルタ協定密約(ソ連の対日参戦)について、ある外交官は(戦後に終戦当時を振り返ったインタビューテープにおいて)”彼ら(軍部、駐在武官)にそんな情報を取れるとは思わなかった。””ニセ情報をつかまされていると思った。”と語っていた。戦前の日本において、セクショナリズムや誤ったエリート意識のために、インテリジェンスコミッティーが機能していなかったことを証言している。心理学では、結局人は見たいもののみが見えて、信じたいもののみを信じるというが、日本人はその傾向が強いように思える。それが人種的なものなのか、風土・文化的なものなのかを知りたい。
●1960年代末、そしてモスクワに二度目に勤務する1970年代末は、いずれも冷戦の最中である。たぶん、1970年であったと思う。大使館に盗聴器が仕掛けられていないか、日本から専門家が派遣されてきた。大使館は専門家の身の上を心配して、ホテルではなく公使公邸に宿泊させた。公使公邸には十年以上勤務してきたロシア人女中がいた。勤勉に働き、歴代の公使から高い信頼を得ていた。この彼女が、盗聴器を発見した専門家のお茶に毒を盛り、突然公使公邸から去った。
→外務省系の情報活動などは危険がともなうことなど無いだろうと想像していたが、命の危険が伴うハードなものであることを認識した。そういえば、「日韓インテリジェンス戦争」も同様な記述があったか?ペルー大使館人質事件(=危機管理の不徹底)が念頭にあったせいかもしれない。
●第二次世界大戦終結直前、米国は、ドイツ、日本の町を徹底的に空爆した。軍事と何ら関係がない町が目標となり、徹底的に壊滅させられた。表向き、戦争意欲を喪失させるためといわれた。しかし、当時ナチ、日本軍部は、一般市民の感情と無関係に戦争の継続を行っていた。では、なぜ普通の都市を破壊したのか。セルビア攻撃の説明を聞いて解った。終戦後、資源を非軍事の復興に集中させるためである。→はじめて聞いた。
●ここで、日本では役所内の掟が災いした。外務省を含め、役所では通常、主管課がある。案件の処理に責任をもつ課である。ここが「俺はこう思う」というと、他は動けない。
→P120 同じ外務省内でも部課が違えば情報の共有(合同分析)が行なわれていない。いわんや、他省庁間においておや。
●こうして見ると、冷戦終結後、米国は国家の意思として、日本の主たる標的として経済スパイ活動を展開したことになる。米国はこの時期、日本のすべての省庁に内通者を確保したといわれる。(略)今日、日本の経済後退により、米国が国家をあげて日本の経済力と戦う構図は消滅した。その意味で、日本を主たる標的とする経済スパイ活動の必要性は大きく交代した。しかし、1990年代は明らかに日本が標的であった。→20年くらい前?の「スパイはなんでも知っている」にも同様の記述があった。
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世界の諜報部やスパイ活動を紹介しながら日本のそれと比較していく本。まぁ海外のそれと比べると日本にはそれらの機関が存在しないようなもの。最近思うのは日本は本当の独立国家ではないということ。世界の国々が持ってるも国家という意識や危機感、信頼、誇りといったものが日本は希薄すぎる。そもそも国民が国歌を歌うのが小中高の卒業式だけという国が日本以外にあるのだろうか。
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イラン・イラク戦争、オイルショック、ニクソン訪中、9.11、湾岸戦争、日米貿易摩擦等々の事例から、日本のインテリジェンスの弱さに警告を発している。
著者はアメリカに対しては根強い反米感情が出るが、その他については冷静に情勢分析している。
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インテリジェンス関連の本として手に取りましたが、あまり刺激には
なりませんでした。 過去の事象を振り返る形の記述が多く具体的では
あるものの総括としてどうだったのか についてはあまりまとまっていないように感じました。 タイトルが大きかっただけに著者の本の中では
期待を下回る出来だと思います。
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・今日の分析は明日豹変する(イラン・イラク戦争)
・現場に行け、現場に聞け(テレビ、小説も含め)
・情報のマフィアに入れ、フォーリンアフェアーズを読め
・まず大国(米国)の優先順位を知れ
・15秒で話せ、1枚で説明せよ
・情報グループは政策グループと対立する(しかも通常負ける)
・インテリジェンスとは行動のための情報である
・敵の情報の入手と防諜は反対方向
・リーダーは場の空気を読んではいけない
・日本の失敗に共通は相手の脅威を過小評価し自己能力を課題評価
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著者が外務省勤務時代に感じた、日本のインテリジェンスが抱える問題や力不足を、ニクソン・ショックや湾岸戦争など各時代の背景を交えつつ語っていく。
やや難しい内容でとっつきにくかった。
それでも、情報に基づいて政策が立案されていくべきものを、日本においては日米同盟ありきの政策が先に来て、それを支援する情報のみが選別されていく、さらには誤った政策が露見した場合でも、担当部署の人間の責任は曖昧にされていく、という件は面白かった。
著者がリベラル、かつ脱米国主義であることを念頭に起きつつ読んだが、国益という軸が定まらず、国家としての自立がなされていない以上、インテリジェンスという部署自体が必要とされない、という論も納得させられた。
外交の話だけに限らず、とかく関心のない話題、不利な情報は過小評価してしまう傾向があるので気をつけたい。
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外務省で情報分野を中心に勤務し、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任した孫崎享氏が、情報分野をいかに考えるかというテーマを持ちながら執筆した回顧録で、2009年に出版された『情報と外交』を改題したものである。
著者はまず、外交政策の立案において最も必要とされるのは「外部環境の把握」と「自己の能力の把握」で、この二つについていかに客観的で正確な情報を入手するかが極めて重要であるにもかかわらず、日本の外交においては、戦前も戦後も一貫して、「何がしたいか」という願望が先行して、外部環境の客観的な把握に失敗し続けてきたという。そして、近年の最大の外交問題のひとつである尖閣列島をめぐる問題においても、同様の道を辿ろうとしているかのように見えると警鐘を鳴らしている。
本書で著者が振り返る事件と、そこから導かれる教訓は以下である。
◆「今日の分析は今日のもの、明日は豹変する」~イラン・イラク戦争(1980~88年)
◆「現場に行け、現場に聞け」~NATOのベオグラード空爆(1999年)
◆「情報のマフィアに入れ」~オイルショック(1973年)
◆「まず大国の優先順位を知れ」~ニクソン訪中(1971年)
◆「十五秒で話せ、一枚で報告せよ」
◆「スパイより盗聴」~ミッドウェー海戦(1942年)
◆「「知るべき人への」情報から「共有」の情報へ」~米国同時多発テロ事件(2001年)
◆「情報グループは政策グループと対立する宿命(かつ通常負ける)」~湾岸戦争(1991年)
◆「学べ、学べ、歴史も学べ」~日米貿易摩擦(1990年代)
そして最後に、第二次世界大戦後、基本的に米国追従の外交政策をとってきた日本にとって、国際社会における相対的な米国の力の低下と中国の力の上昇という潮流の中で、日本の独自の国益のための独自の外交政策を考えなくてはならない時に来ており、そのためには情報収集機能の強化は不可欠であると結んでいる。
著者の対米観や領土問題についてのスタンスには賛否があることも事実であるが、著者が本書で一貫して述べる、情報収集と分析の重要性は論を俟たないであろう。
(2013年7月了)
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以前出版されたハードカバー「情報と外交」の新書版。あらためて一読したが、外務省での国際情報局長、分析課長、ソ連・イラン・イラク大使館での勤務経験を踏まえたインテリジェンス経験論には、説得力抜群です。
国内のインテリジェンス機関の拡充に関しても、単に拡充するのではなく、国益を考えて目的を明確にすることが大事というご意見にも賛同です。
イラク戦争への是非に異議を唱えた故に、外務省から遠ざけられた著者の無念にも共感。故に、最近多数の著書出版やTwitterでの積極的なツイートをなされているのでしょう。
巻末に示している"場の空気"論。正論を述べても、その場の空気が支配してしまう日本の体質は、体質(伝統的価値観)故になかなか変わらないのでしょうね。第二次世界大戦の敗戦で反省しているのにも関わらず…
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元外務官僚の体験に基づく、インテリジェンスの鉄則と日本への提言。
インテリジェンスは、行動のための情報であるとして、米国のリーダーシップが低下し、中国の台頭が著しいこれからの時代こそ、独自の政策と、それを支える情報機関が必要であるとの言は、その通りであり、米国では大統領が米国第一主義を標榜し、環境、経済分野での存在感を後退させ、一方であらゆる分野で強力な存在感をしめす中国があるという今日、本書を読むことにはなお意義があるのではないか。