葦舟、飛んだ
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紙の本
あんなに難しいお話ばかり書いていた津島佑子が、知らない間にこんなに面白い小説を書くようになっていただなんて。ま、もう初めて彼女の小説を読んでからウン十年経ちますが・・・。そうか、こんな時代があったんだ、って特に団塊の世代にはお薦めの一冊
2011/12/08 22:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
津島佑子の本を読むのは、本当に久しぶりです。といっても、津島はつねに私にとって気になる存在ではありましたが、なにせ太宰治嫌いの私のこと、その娘というだけで反撥する気持ちも強い。ですから、私が読むのも『寵児』以来、ということになります。ウン十年ぶりに再会する作家は、どのような変化を見せているのでしょうか。ともかく、そんな気にさせたのは出版社のHPに
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団塊世代の男女5人。共に子供時代の謎を探るうち、身内の秘密や時代の暗い影が浮き彫りになり・・・。円熟期を迎えた作家がつむぐ現代の叙事詩。
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とあったからです。なんとなく、ミステリアスなのが心をときめかせます。さらに言えば、451頁というボリュームがいい。ともかく、私が好きなのは長篇、それも長ければ長いほど嬉しいわけで、書店で平積みになっているこの本、カバーの地色が膨張色ということもあって、いっそうぶ厚く感じられます。しかし、この絵はなんだろう、って思います。よく見れば、確かに葦舟ですが、それが一見して分かり難い。誰の絵かと思ったら装画 井筒啓之とあります。
井筒といえばエンタメ系の本の装画を数多く手がけていて私自身も何冊か井筒装幀本を持っていますが、全然雰囲気が違います。さすがに津島の作品ともなれば今までとおりというわけにはいかず、勿論、作品タイトルのこともあってこういうことになったのでしょう。純文学色の強い、それでいてちょっとミステリアスな文芸作品にはこういった絵の方が合うのは確かですが、注記がなかったら誰の仕事か分かりません。
装丁 坂川栄治+永井亜矢子(坂川事務所)、初出は、『毎日新聞』(夕刊)2009年4月1日~2010年5月15日、とあります。新聞連載時の挿絵のほうはどのようなものだったのでしょうか、このカバー画からは全く想像がつきません。やはり、単行本化にあたって挿絵を削除するっていうのは、片手落ちではないでしょうか。読む側としてだけでなく、書誌的な研究者にたいしても、それが親切な出版ではないかとおもうのですが。
話は、友人の死をきっかけに、葬式の場で出会った同級生たちが昔から気になっていたことを調べ始め、一人がそれを報告すると他の人間がさらに別のことを調べ、と調査の連鎖反応が起きて、それは本人たちだけではなく親や子供たちをも巻き込んでいくものです。そこに浮かび上がるのは在日の問題であり、レイプであり、セクハラ事件であり、老人介護であり、親の秘密でもあります。
亡くなったのは道子です。61歳でした。スズメバチに刺されて死亡というのは、実際の事故でもそうですが、どこか滑稽でいて無力な気がしてしまいます。道子の夫・達夫は、60歳。現在は、それまで勤めてきた大手家電メーカーの下請け会社で働き続けていいます。二人の間には、清太郎、奈美の二人の子供がいます。ともにアメリカに暮らしている、というのがいかにも今風、清太郎などは彼の地で年上の女性カリムと同居していています。
ついでに達夫の妹・理恵について書いておけば、兄より四、五歳年下とありますから57歳くらい、美しい女性ですが、未婚です。30代のとき、妻子ある男性の恋愛関係をもったことがありますが、それ以後はなんとなく縁がなく、ここまで来てしまったということになっています。道子たちの通った学校は、理恵が卒業したあとで廃校となっていますが、戦後まもない時期に、生徒数もあったはずの学校がなぜ無くなったのか、それもこの話の謎になっていきます。
雪彦は、道子の同級生で61歳。子供の頃はいじめっ子だったそうです。高級ホテルに勤務していましたが、15年前にセクハラ事件に巻き込まれ、職を失います。ただ、それも雪彦が悪いわけではないので、その後も、ホテルや旅行関係の仕事をしてなんとか暮らしています。青葉、紅葉と二人の娘がいますが、紅葉は幼いときに亡くなり、それがもとで離婚をしています。母親はいますが、元気であるため同居していません。一人娘となってしまった青葉は、32歳。雪父(雪彦のこと)の伝で旅行会社に勤め、今は大連に暮しています。笑子(えみこと読む)も道子の同級生ですから、61歳です。都心の古びた住宅街の一軒屋に、寝たきりの老父の世話をして暮らしています。離婚していますが、子どもはいません。
昭子も道子の同級生で61歳。夫が設計者だったためインテリア・デザイナーの資格をもっています。離婚後、再婚したものの再び離婚。今は息子の哲と暮す。その哲ですが、34歳になった今も定職には付かず、あまり人と付き合うこともなく過ごしています。身体は大きいし、世間知らずのところもあるものの、けっして悪い人間ではありません。笑子の父親と仲良しになります。先ほど、道子たちが通った学校が廃校になったこと、それが謎の一つだ、と書きました。もう一つの謎、というのが道子の同級生ヒロシのことです。三年生の頃転校してきて、すぐにまた、どこかに行ってしまった子で、体が小さく、足も悪かった少年です。
この小説に出てくる昔の遊びで面白そうだなと思ったのは、章のタイトルにもなっていると〈開戦ドン!〉〈瀕死の母ごっこ〉〈赤十字の看護婦さんごっこ〉です。名前からして、いかにも昭和30年ころといった雰囲気ですが、特に後者の二つは噴飯ものなので、どのような遊びかを引用しておきましょう。
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「瀕死の母ごっこ」は戦地に行った父が行方不明で、残された母と娘たち三人で肩を寄せ合って生きていたのが、その母が病気になり、死を直前にして、なにやら遺言をつぶやき、娘たちがベッドのまわりで切なく泣き崩れる、というもの。「赤十字の看護婦さんごっこ」は野戦病院でやはり瀕死の兵隊さんが看護婦さんを相手に、子どものころの話とか、家族に言い残したいことを、息も絶え絶えにつぶやく、そのまわりで、看護婦さんたちが口々にはげまし、ああ、早く戦争が終わるといいのにねえ、と嘆きあう。
なぜ、そんな遊びがおもしろくてしかたがなかったのか、われながらさっぱりわからない。
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すごい遊びです。昭和30年代ではなく20年代後半には、死をテーマにした遊びがあった、というのは、事実か創作かはべつにしても面白い、っていうか、まさに「なぜ、そんな遊びがおもしろくてしかたがなかったのか、われながらさっぱりわからない」ということになります。
最後に気になった点を一つ。舞台は、日本だけではなくアメリカ、中国と広がりを見せ、確かに61歳でないと色々破綻するけれど、もしかすると5年前、彼らが56歳で子供たちも20代だったほうが、話は自然だったのではないか、と思うのですがいかがでしょう。道子の死も、勿体無い、未だ若いのに、と思えますし、理恵もまだ結婚しても不自然ではありません。一応、9.11後ではあるし、中国もまだ初々しかったはずですし。