紙の本
合コンという名のゲームの 「制度」と「ルール」
2008/01/27 09:22
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くにたち蟄居日記 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新聞の書評で本書を知って 休日に読み終えた。最近の新書は読み易い点は 確かである。本は難しければ良いというものではない。
まず「合コン」というものが きちんと制度とルールを有している「ゲーム」であるという指摘には目からウロコが落ちた。
一見 平等で自由な飲み会の様な「表書き」はあっても 裏では 実に高度な制度とルールがあるという実態は 合コンだけではなく 僕らの社会の至る所で見られる。古くは 会社の「無礼講」(最近は死語か?)という名前の窮屈な飲み会を想像して頂いても良いと思う。
そもそも ゲームは ルールがあるからゲームが成り立ち、プレイヤーがきちんとプレイ出来るわけだ。
「合コン」が一種の「ゲーム」である点は ほぼ参加者全員の暗黙の了解を得ていると思う。従い その「ゲーム」に参加するにあたり 暗黙のルールがあると言う事は ごく自然だ。そのルールの「コード」を読み解くことで 逆に その「ゲーム」の性格が浮き彫りになると言っても良いはずだ。
次に もう一つの「結婚」という「ゲーム」との関連に持っていく手さばきが本書の読み所である。
結婚という「ゲーム」は ただのゲームではなく 「人生ゲーム」と言い直しても構わないと思う。昔は 基本的には結婚することが人生の前提であり それゆえ 親が手配したお見合いを一回して結婚というような むしろ乱暴な手続きが一般的な時代もあった。つまり 結婚することは当たり前であり ゲームは無い時代があった。
その「前提」が 「前提」でなくなり 「結婚しない人生」というオプションが出てきた途端 結婚するかどうかは「人生ゲーム」の大きな要素になったのだと思う。
その「大きなゲーム」に 合コンという「小さめのゲーム」は不可欠な時代が今である。この二つのゲームの関連性と断絶性を両方提示した点が本書の読み所だと思う。
題名は「軽い」が 中々知的な本であった。勉強になりました。
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【2007/12】 合コンを社会学的側面から扱った本だが、思索は浅いし、調査のサンプルは偏ってるしで名前のインパクトばかりの内容。ただ、合コンに行く男と女の心理が見事に典型化されていて楽しめた。
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コンという切り口をどこまで学術的に切り取れるのか、と興味本位で手に取ってみました。
結果、結構共感できるし、あたりまえのことをあたりまえに書くということがこのテーマに関しては結構面白いんだなぁというのが全体を通じた感想。テーマチョイス勝ち!みたいな。
偶然な出会いを生み出す行為としての合コンの抱える様々な矛盾を指摘していきます。
偶然を装った作為的な出会いであり。
協同でありかつ競争であったり。
公平であるはずが最初からフィルタリングされていたり。
出会いの手段の合コンが目的化してしまっていたり。
等々。
個別の論点はなかなか楽しめます。
抜粋
合コン時代の私たちは、運命の物語を阻む要素を排斥しつくそうとしてきた。しかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。相手の年収や容姿に惹かれてしまう自分がいるということ、自分の年収や容姿が相手にとって重要だということ、結婚に際しては社会的経済的なバランスを考えずにはいられないということ、そうした事実に目を背けるのではなく、この手にとって確かめてみる。そのうえで、「運命」をつくっていけばいい。私たちはかつてない数のプロットが利用可能で、さらに新しい物語をつくるための資源もたくさんあるのだから。
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最後の補論を先に読むと見通しがよくなる。ロスト・ジェネレーションの仕事・恋愛観の根底にあるのは将来と価値観の不確実性という世代論。
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2008/1
合コンを社会学的な視点で斬るという試み自体は面白い本。ただ、内容がついていっていないというしかない。
結局は身近な人のインタビューをまとめて書いているだけだが、とても酷いというレベルではない。
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タイトルに惹かれた本
現代、様々なところで学生、社会人問わず行われる合コン
そんな自由に見える合コンにも見えないルールが存在する。
同性間での協調をしつつも競争がある。
合コンというのがその場にいる人の均一性を生み出しそれによって、同階層の人間が結ばれていくという現象。
またパーソナリティーではなくキャラを設定しているが故に合コン後に互いの人間性の違いを知り、それ以上の関係が築けないという問題
合コンのために合コンをする人、合コンから降りる人(諦める)、合コンから抜ける人(成功者)それぞれの階層の状況
現代人が運命の出会いを求めて合コンに行くが、合コンという仕組まれた場であるが故の矛盾などなど合コンを多様な面から考える一冊
合コンから格差問題が出るなど非常に面白いです。
合コン好きな人も合コンに行ったことない人も楽しめます。
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合コンで人は「理想の相手」ではなくて「運命の物語」を求めているのだという話。経験的にはあまり同意できないが、n=31という一般論にはなりえない話なので、そういう人もいる、ということでしょう。補論の方が面白いかも。
「合コンは、奔放でカオティックにも見えるけれど、実は村祭り同様しっかりと既存の秩序のなかに位置づけられている。度が過ぎて秩序を崩壊させないように、囲い込まれた遊びの場だ。」という考察は的を得ていた。
あと、女性の求めている男性像が「三高」から「三低」になっているということははじめて知りました。
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最近の新書らしくさっと読める内容だった。著者たちはまさにこの本に書かれている世代であり、まさに自分たちのこととして書いているようだ。
31人のインタビューから導くというのはやや強引なようだが、読んでいて、それは確かによく聞く話であり、そうずれていないように思う。
面白いのは合コンで起きている様々な行為を社会学の視線で見てみるとどうなるか、という点だ。この本はそこは見事に書いていると思う。確かに合コンには作戦ありかけひきあり、共闘あり、絡まった欲望と抑制が複雑な場を作り上げている。その中での自分の振舞を考えないといけない訳だ。そこを解きほぐす。
結果、哀しい物語ができあがる。8人で進める囚人のジレンマみたいだ。
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■■合コンの必勝本、「出逢うための法則」は語義矛盾■サービス化された出逢い(結婚情報サービス、ネット上の出逢い)は出逢う効率は良いが、リスクが高い。前者は金銭的リスク、後者は騙されるリスクや犯罪に巻き込まれるリスク。■何より、「恋愛のスリル」が無い。互いのことを少しずつ知り合ったり、相手の気持ちを探ってみたり、というゲームとしての楽しみが。
■■合コンの社会的な期待(非婚化などに対する)、その背景には「職縁」から「友縁」■合コンの出逢いに介入する階層ファクター。合コンはただ今を楽しむためだけに行くのではなく、その果てには結婚がある。経済力や生活設計を占う指標として階層は重視される■合コンは同階層婚を生み出す装置。結婚の際、あまりにも住む世界がかけ離れても困るので(注、要検討)
■■合コンの二面性―「協働」と「競争」、そのジレンマ■カジュアルでオープン、参加者全員が参加して楽しめる「飲み会」を皆で「協働」して装う■一方で、「出逢う」ための同姓間の「競争」■この二つが同時進行するとき、合コンにおける魅力や序列は複雑化する■恋人や配偶者の選定を前提にしている限り、「協働」要素(座の中心になって会を盛り上げる、気配りが出来る、印象が良いなど)を満たしているだけでは不十分。「競争」要素(年収や職業、家族構成などの社会的望ましさ)も重要となる■このダブルスタンダードは、かつての「男は仕事、女は家庭」のシングルスタンダードの時代と比べて、「お金はないけど気が利く」男性や「家庭に入るつもりの無いきれいな」女性にもチャンスが与えられることを意味するのか。それとも「お金持ちで話の面白い」男性と「家庭的で美人な」女性しか勝てなくなるのか。■現実的に手堅く同階層婚を狙うには、ジェンダー間の格差が大きすぎる合コンでは効率が悪い■【私見】合コンする人々のターゲットを著者は「同階層婚」志望者と想定しているが、実際、かつてより「上昇婚」より「同階層婚」を望む人が増えているのか。また「ジェンダー間の格差」がどれほどのときに「同階層」と著者が呼んでいるのかが曖昧■誰かが目立ち、他が見劣るような「ばらつき」は、不安定要素として事前に排除される。結果として同性間や相手グループとの均整を取ろうとする。例)同大学出身者、同会社の同僚同士という面子■またこれらが、意図的・非意図的なフィルタリングとして作用する■「自然な出逢い」という演出。がっついてはいけない、あたりさわりのなさ、階層性の隠蔽というルール。■このルールに精通し習熟した男女が合コンではもてる■「飲み会」を偽装するレトリック、その背景にあるのは合コンの社会的なネガティブイメージ■合コンのサクセス・ストーリーの多くには、「言い訳」が。例)気乗りしない合コンに言ってみたら、人数あわせで言ってみたら、たまたま…■「盛り上げ役」が割りを食うのは、「協働」と「競争」という二つの目的のうち、前者だけを排他的に遂行した結果と言える。■過剰な技法(無理に盛り上げようとする、テクニックで会話する)は、「自然な出逢い」の演出の妨げとして、厳しい批判に晒される■合コンにおける相手との会話には二つのメッセージがある。一つは「あなたに好意がある」、もう一つは「私は合コンの場において適切に振舞える(相手に対する個人の好み関係なく)」。マナーとしての連絡先交換。ゆえに、相手の真意の見極めは容易ではない。■また、「楽しい飲み会」という装いのために、既婚者や恋人持ちでも参加できてしまう■序列の隠蔽のために、エリート会社員の中にフリーター、弁護士や医者の中に大学院生を混ぜることで、「有名企業合コン」「弁護士合コン」「医者合コン」ではないように偽装する。■そうした「スケープゴート」の社会的階層が逆転することはない。平等のように見える合コンの不平等性。■現実を見ても、それでも非現実的なサクセス・ストーリーを追いかけてしまう「幻想」。疲れた私たちを、さらに駆り立てる力。
■■ジェンダー・パフォーマンス。合コンにおいて、男女は共に異性に受けの良い「キャラ」を「演技」する(時にはそのジェンダー・ロールを逸脱という形でアピールしながら)。■合コンにおける競争とは、ジェンダー・パフォーマンスの競演に他ならない。時には集団的に達成される。■合コンでは、合コンにおいて望ましい「男らしさ」や「女らしさ」が忠実に演じられ(参加者はジェンダー・ロールに拘束され)、しかしその虚構性ゆえにパロディ化される■合コンでは気配りキャラだった人が空いたグラスに気づいてくれない、などのギャップ■パフォーマンスの発展と共に形骸化する既存のプロット。一時的で着脱可能な「キャラ」を使い分ける参加者は、ジェンダーに拘束されながらもパフォーマンスの手段として「軽く」利用している。■参加してる男女が「演じて」いるのに、それをお互い知っているのに、どうやって恋に落ちるのか?という困難■合コン後に露呈する「キャラ」とのギャップ。合コンではもてるけどその後が、という人は、おそらくパフォーマンスが上手すぎて失敗している。■またしても二つの基準―「合コン限定の」魅力の一般的魅力■ジェンダー・パフォーマンス力と、それではどうすることも出来ない「容姿」や「職業」、と対応。■両方勘定した結果、最終的にはみんなダメ、ということになり易い。■合コンの困難。複数の基準が錯綜する中で相手を見定め、競争のために日常とは分断された虚構の世界で「キャラ」を演じる。
■■合コンのホモ・ソーシャルな楽しみ―同性同士の二次会、品評会や反省会■自己目的化する合コン、純粋な遊びに興じる余り、長期的恋愛関係や結婚の達成という本来の目的は遠のく
■■一定年齢に達すると、男女は合コンから「抜ける」ことを望む。■「抜ける」ための二つの方策、運命の出逢いを諦めるか、更に追求するか。■合コンから見る非婚化■合コンを繰り返すが結婚できない人々は、従来指摘されたような「シンデレラ願望女」や「コミュニケーション不全男」とは言えない。■原因は、運命的な出逢いに対する執着ではないか。「理想の相手」ではなく、「運命の出逢い」を執拗に求める男女が、合コンから抜けずに留まる。出逢えればいい、結婚できればいい、ではなく、そこに「物語」が欲しい■「運命の物語」を求める人々にとって、「理想の相手」は曖昧なものでしかない。条件をリストアップして項目をチェックするやり方では見つからない。■美���い物語を作り出せるかどうか。「年齢差」や「外国人」は格好の要素かもしれない。勝ち組のストーリーが美しいのは、そこにある要素より無い要素。例えば、彼が一流企業に勤めていたことを最初は知らなかった、ことになっていたり。■非婚というスティグマ、一定年齢に達したら合コンから「抜ける」べきであり、それが無理なら「降りる」べきであるという、一般他者の声。単に親友や親が、ではなく世間や社会といった高次の力が発する要請。■合コンはかつての村祭りと同様、限定的な自由が許された場として機能している。若者が羽目を外して「ハレ(非日常)」を楽しみ、その後に大人しく「ケ(日常)」に帰っていく。■合コンを経て、「ちゃんとした相手」を見つけて「落ち着く」ことが求められる。つまり合コンは、男性を夫や父に、女性を妻や母に、家庭化するための装置と言える。■この意味で合コンはロマンティック・ラブイデオロギーと直結する。■「情熱恋愛」という、時に狂乱を呼び反秩序的となる“情熱”を管理するために、権力は結婚に至る「良い恋愛」とそうでない「悪い恋愛」の区分がなされ、ロマンティックな恋愛=排他的な性関係と生殖活動、家庭の運営を伴う永続的な結合と定義づけた。「結婚=幸福」という図式。■加藤秀一『恋愛結婚は何をもたらしたか―性道徳と優生思想の百年間』(2004年、ちくま新書)■合コンを「抜けた」人、及び運命の物語を諦めて合コンを「降りた」人は、制度から守ってもらえる。■運命の物語の更なる追求のために合コンを「降りた」人々は、制度との関係で位置づけが微妙。ロマンティック・ラブを信望していながら、それゆえにその関係に移行できないアンビバレントな存在。■合コンに留まるのは、「生存」のために勝つしかない層ではなく、勝たなくても良い層。二つの層の差は経済力(生活力?)に起因。■しかし留まる贅沢を享受できるはずのこの層は、むしろ焦っている。■それは、非婚のスティグマから逃れられない現実を自覚しているからである。ロマンティック・ラブから外れた者を、この社会は守ってくれないことを。■つまり、「勝たなくていい」層は「いつかは必ず勝たなくてはいけない」と感じており、ひとりは嫌だから結婚する、あるいは結婚せずにひとりで生きるというどちらかの極に振り切ることが出来ない。このアンビバレントを、「運命」が解消してくれることをただ願うのみである。■結婚における女性の「上昇」は、女性の社会的進出や価値の多様化により、以前のように必ずしも経済的上昇を意味しなくなった。しかし経済的要素(「玉の輿」)以外の価値の模索。■しかしそれでは経済的要素が勘定されなくなったというとそうではなく、むしろそれだけでは不十分と思われる。■「上昇」から「運命」へ。結婚の「条件」だけでなく結婚の「意味」も。■一昔前の合同ハイキング…合コンは形を変えて昔かあり続けていた。■IT化する出逢い―合コンセッティングサービス。■【引用】「合コン時代の私たちは、『運命の物語』を阻む要素を排斥しつくそうとしたしかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。」
■■安部真大、世代論との関連■合コンの出逢いの「唯一性」に期待する。「唯一性」に拘るのは団塊ジュニア��よく見られる特徴。■「やりたいこと」志向と「公務員」志向は根を同じくする。流動性の高まる社会において、流動しない確固たるものを求める。その対象が、前者は「自分」、後者は「社会」。■安野モヨコ『ハッピー・マニア』の主人公と紫門ふみ『同・級・生』(小学館)の主人公は、それぞれ前者と後者に対応する。
■■【感想】非婚化の原因に、未婚者の「運命の物語」に対する執着を指摘したのは鋭い。自身の卒論で結婚相手の条件、結婚に対する期待値の高まりを日本社会の経済的変化から説明したが、条件云々の問題では割り切れない後味の悪さが残った。それは、人々の理屈を超えた「結婚(あるいは家族を持つ)=幸せ」という幻想の疑いない妄信である。この残尿感を解消する手がかりを本書は示してくれた。ロマンティック・ラブイデオロギーから説明するという視点である。これは、「結婚」を分析するものとして当然に検討すべき問題であったかもしれないが、無知ゆえに卒論では検討できなかった問題である。今後、上に上げた加藤秀一の著作を端緒に、検討してみたいと思う。■【私見】問題に対する著者の態度を明らかにしようとしている点がとても印象的で、構成や論旨も明確、社会学者の本としてとても好感を持ちました。文章表現もクールでシンプル、読んでいて子気味良いものでした。■「結婚」を意識した社会人の合コンと、純粋な恋人探しの側面が強い学生間の合コンの違い、また学生合コンでも大学生と高校生ではかなり異なるように思われる。その点についても考察してみたい。[0305]
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まさかのゼミの先生の推薦図書。こんなの読んでるから結婚が…(笑)。いわゆる「合コン」の必勝本ではなく「社会学」の本。人は皆運命の物語を求めて合コンしている。非婚化、晩婚化の原因が垣間見えた。階層性に興味のある僕としては社会階層もフィルターに関連しているらしくもっと深く掘り下げて述べてくれるとさらに面白かったと思う。
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なるけい氏から借りた本。「合コン力 上げましょう!!」の付箋がついてきました。
おかげさまで、鬼気合い入れて読み始めることができました!笑
「合コン」という世界を社会学的に書いた本。
なんとなく悪いイメージを持たれがちな「合コン」ですが、それによって恋愛や結婚が行われ社会構造の維持に貢献していることから、この本では合コンはもはや「制度」だと書かれています。
筆者は今や合コンに参加する人が求めているのは「理想の相手」ではなく「運命の物語」だと言っている。ここでおもしろいのは合コンという作られた制度の中に「運命の物語」を求めることだ。つまり、その「運命の物語」というのも結局は演じられたものでしかないのに、みんなそれを求めてしまっているというところに矛盾が生じていて、それを筆者が指摘しています。ではなぜ「運命の物語」を求めるのかというのが最後に書かれていますが、『社会の流動性が高まり未来の不透明な時代において自分たちの運命も不透明だからこそ、「運命で導かれた相手」という堅固なものを人々が求めてるから』ってな見解だそうです。
本当かよ!?って突っ込みたくなりますが、社会学的に見るとこうなのかもしれません。
そういう意味ではおもしろい視点だと思いました。
最後の方は、合コンと結婚の関係などを基にした恋愛観みたいな感じでした。まぁ僕の好きな「人それぞれ」って言葉を使えばそれまでですが、こういう視点もあるのだなという事がわかりました。いやぁみんなどう思ってるんですかねぇ?
ちなみに合コンのハウツー本ではないですが、参考になる部分もあるのでぜひ読んでみると良いかもしれません!
合コン力 上げましょう!!
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合コンにの成立から変遷までや合コンに纏わる制度や心理を独自の視点で解説している。
例えば
・数年前と現在では社会環境の変化に伴い、合コンの意味合いも変わってきている。
・合コンは社会における序列を無効化したのではなく不可視化しただけである。
・合コンに参加する男女は運命の出会いを求める。運命の出会いというものには偶然性が不可欠である。
しかし合コンは人為的なものであるから偶然性が欠如してしまう。運命の出会いを求めるが故に合コンに参加している者(もちろん別目的で参加している者も多くいるだろうが)はパラドクスに陥ってしまう。
などなど。
当たり前と言えば当たり前のことを学問っぽく小難しく言った印象。
「まぁ確かに」って感じ。でもその確かにっていう当たり前のことを改めて考えてみるというのも大事ですかね。
でもあんま楽しくなかった^^;
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合コンについて、何も法則性を見出せていない。
結局、異性がいる普通の飲み会と何が違うのだろうか。
「Aはあり得るけど、その逆もありえる」といったような記述ばかりでインタビューの
分析は面白みにかける。
そもそも、データの基となるサンプルが31人は少ない気がする。
統計とかとったことがないから、よく分からないけど・・・
社会学については詳しく知らないが、何か見えない全体性が支配しており、それが何に
由来するのかを考える学問ではないのだろうか。
こんなので社会学が成り立つとは到底思えない。
ただ、インタビューのコメント自体は面白いものもある。
要するに、合コンは人それぞれであって、一般化するのは難しいということなのだろう。
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タイトルが興味深くて読んだのですが、
合コンの現状と分析が細かく記載されていて面白かったです。
でも、繰り返しが多いので内容が被っている印象があります。
運命・偶然の出会いから結婚、少子化と問題も発展していきますが、合コンに実際参加した人の体験談や本音が垣間見えるのはリアリティがあって楽しかったです。
友人の輪を広げるための手段にもなりえている今、合コンの存在意義や自分も参加してみるものなのか(笑)考えさせられる一冊でした!
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・男性ならば「4K」
-(体重が)軽い、賢い、家庭的、かわいい
・女性ならば「3低」
-低リスク、低姿勢、低依存
・合コンでの会話は楽しいのが常識。その前提があるから参加者全員の共同作業で場を盛り上げる。同姓も異姓も協力して楽しい飲み会を達成する。
・その横で同姓同士の競争も起きている。よって、協働と競争の2つが大きなジレンマとして現れる。
・合コンには、多くの暗黙のルールがある。
ー最も大きなタブーは「がっつくこと」
・同姓異姓相互に受ける人は「話が面白い人」と「周囲に気配りが出来る人」
・グループ内でわざと「壊れ役」を演じる人がいる。飲んで酔って、その人を共通の話題にして盛り上がれるから。
・合コンで向かいの人と会話が弾み、楽しくなった。その時の解釈は二つある。
-1。この人は私に興味がある。
-2。この人は合コンだから話を合わせてくれてるに過ぎない。
・合コンは、ジェンダーパフォーマンスの共演に他ならない。気配りが出来る男、かわいらしさを演じる女。これらは与えられた役割の遂行であるとともに、「演技」でもある。つまり本物ではない。男も女も、服装、髪型、振る舞い、コミュニケーション、全ては合コン用に作られたモノに過ぎない。
・戦略に長けた人は、数あるキャラを使い分け、合コンという競争を勝ち抜こうとしている
・合コンで良い人と普段付き合いたい人は=ではない
・合コンで自分が相手に惹かれ、相手が自分に惹かれたのは合コンのパフォーマンスがお互い上手くマッチしたからに過ぎない。
「合コン」に注目したという着眼点が面白くて購入した一冊。今まで真面目に語った本が少なかったからこそ、思わず手にとってみたくなります。
合コンが形式化している、合コンではみな専用のパフォーマンスを演じているだけなど、言われてみれば確かにそうだと思う事も多々あり、これからの人生のための参考になるかもしれません。
ただ、踏み込んだ事はあまり書かれていなく、そりゃそうだと言える内容も多いので、定価で買うのは躊躇いますね。ブックオフでふと手に取るぐらいでちょうど良いかなと思います。