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双方向からの視点が必要だ。
2018/05/13 10:35
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Ottoさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
大河ドラマ「八重の桜」でテーマだった明治維新に朝敵とされた会津藩の側、会津藩士の子からの記録である。
ある日突然、都で朝廷を守護していたはずの会津藩が朝敵に!
訳のわからないまま攻められ、城は落城し、父、兄は行方不明、母、妹たちは自害し焼け跡で幼い柴五郎が骨を拾った。その後柴五郎は、各地を放浪、学僕、下男、馬丁など当時の武士の子として考えられない苦労の末、陸軍幼年生徒隊に入学し、後年、陸軍大将にまで昇進する。そして日本の敗戦を予想しながら昭和20年12月に亡くなった。その柴五郎の控えめな記録である。
維新の裏面史が見直される時期になった。
なお、体が弱く城に入らなかったすぐ上の兄は、明治の政治小説「佳人之奇遇」の作者、東海散士=柴四郎である。
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これまで薩長の立場からみた明治維新しかしらなかったが会津の立場から見た明治維新は新鮮であった。
飢餓状態にまで落ち込んだ柴氏の苦労が分かる。
西南戦争が起こったときに、会津雪辱と喜ぶのがおもしろかった。
同じように薩摩にいじめられてきた琉球のものとして、会津に共感を持つ。ただ、琉球人はのんきなので、いまは薩摩憎しと思っているのはほとんどいない。
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会津出身の幕末生まれ軍人の壮絶な生涯。
こんな強靭な日本人は現代にはいないと思います。
薩長側ではなく、会津側から見た歴史観も興味深いです。
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会津藩士の化身の人柄で生粋の明治人である柴五郎の半生を描いた自伝
父は会津藩士280石の隊長であり、5男5女の5男
武士の息子として、生を受けるが少年時代を幕末、明治維新の混乱期を過ごす
生き延びる為に、少年時代下男としての身なり生活を強いられ、
その後、藩閥外で陸軍として最高の地位まで昇りつめた人物の
半生を世相の混乱、道義の廃れを澄んだ少年の目で大胆に描かれている
五郎が幼年期の頃の会津は江戸幕府を支える最大の雄藩のため、朝敵とされた。
16,17歳の少年で形成された予備の部隊のはずであった「白虎隊」
結果としてほとんどが自刃するという悲劇を招いたのは今日でも有名である
本書を読み、一藩における流刑が今日まで具体的に語られてこなかった事に不安、
歴史を左右する闇の力に驚く
物事には必ず光と影があり、歴史も同様であり、そして歴史は必ず繰り返される。
いわゆる影の事実は、意図的に歪曲されたり、抹消されようとする闇の動きや
圧力があることは、
第二次世界大戦の日本の歴史教科書や政情や訴訟の経緯を見ても自明である
侍とは、ちょん髷に刀との容姿だけではなく、
自らを厳しく律し、潔く生きる精神の持ち主だと強く感じた。
それは、日本人として誇りに思うと同時に、現在「サムライ魂」と連呼される
サムライイメージとは、似ても似つかないと個人的には思う
時代の変化と共に変わるべき事と変わらず持ち続ける事の双方が重要な事には、
歴史的有形物だけでなく、時代の精神論も同様であるべきであると思う
下記、本文より抜粋
・「おりしも晩秋の空晴れわたれば、天をあおぎ、その高く広く澄み渡るを異様に感ず。
生き残りの赤とんぼの乏しき群流れて天地寂冥たり」
→落城した光景を目前にした思いをつづっている。その城内では家族(全員女性で祖母、母、姉、嫁、妹)は、全員自刃。
五郎は、当時7歳で傭兵にとられなかったため、母が柴家の血を絶やさぬよう五郎を親戚の家に預けたことが永遠の別れであった
・「命あるまでは軽挙あるべからず。これ武士の心得なり」
→母から全員自刃した城に火をつけるように命じられた下男から母より言付けられた言葉
下男と共に祖母、母、姉、嫁、妹の骨を泣く泣く拾い、土に埋め供養した
・「余の経歴を知りおるならば、敗れたりとは申せ武士の子として過するが道なりと思わるるに・・・」
→落城後、藩士の武士が飯炊き、下僕など自ら生きるために道を求め続ける。
・「会津の国辱をそぐまでは、戦場なるぞ。会津の武士ども餓死して果てようと、薩長の下郎どもに笑わるるは、
のちの世での恥辱なり。武士の子たるを忘れるな」
→柴家の父、他の兄皮肉にも男性だけが生き残り、飢えと寒さで明日をもしれぬ日々に、
犬の肉を食べ食いつなぐ
・「薩長土肥の旧藩士にあらざれば人にあらず。幕政の世ののちにきたれる���の、まさに一藩閥なり」
「薩長土肥の強引な倒幕は多くの惨禍を生み、深刻な憎悪を招いた。その規模、広大さ、圧力、専横は
旧幕府と変わらぬ」
→当時の世相の混乱や横暴さが伝わってくる
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いつも読書の参考になるブログを書いていらっしゃるtacaQさんの所で紹介されていて、気になったので購入、
「会津といえば白虎隊」程度の知識しかない私にとって衝撃の自伝でした。
この本を読んだあと、世界陸上で6位入賞し北京オリンピックの最下位の雪辱を果たした佐藤敦之さんが
「会津魂」について語られていました、
読む前なら聞き流してしまっていたでしょうが、深い重みをもって「会津魂」という言葉が心に沁みました。
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会津藩出身の少年の、幕末~陸軍幼年学校までの回想録。
朝敵として扱われた立場の人間から見た維新。
薩摩に対する恨みの感情が興味深いのと同時に、(ある立場の人間から見れば)維新がすべて無私の心で行われたわけではないことをうかがわせる書き振りに注目したい。
もう少し時代が進んでからの描写も、もしあればきっと面白かったろう。
個人的には、最後の編者の文章が余計だったと思う。本の主旨とあまりマッチしていない。
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戊辰戦争において賊の名をきせられ、一見華やかな明治の新社会を不遇の差別と貧困に耐えながらも陸軍幼年学校に学び士官学校を経て少尉、参謀、隊長を歴任し陸軍大将にまで上り詰めた生粋の会津人柴五郎の遺書による一書。
これまで戦前の時代において明治新政府に対して最後まで歯向かった東北出身者への差別意識は知る所であったが、本書を読む中で、自分の想像を絶した差別や不遇が存在することに絶句した。靖国神社の前身である招魂社でさえ、賊軍の汚名をきせられた会津藩士の魂は合祀せずに、明治天皇は官軍側の兵士の墓には参っても会津藩士の墓には参らなかった。
謂われようもない差別や貧困や不遇に耐えながらも、自ら会津藩士の精神を貫徹し明治を生きぬき、ひたすらな努力により陸軍大将にまで上り詰めた柴五郎個人の姿にも感動したが、正義を貫徹した会津藩や西郷に対する思い入れがより深くなった一書であった。
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会津人の柴五郎、幼い頃に会津戦争で、祖母、母と妹が自刃するという声も涙も出ないような辛い目に会い、その後、官軍に負けた会津藩士として極貧の境遇で、青森・下北へ。凍死しそうな中なんとか生き延び、陸軍幼年学校へ入り、なんと大将まで務めた。
文章が擬古文で最初取っ付きにくいと感じる方もいるだろうが、私にとってはとても読みやすい文章で興味深かった。
会津での楽しい日々から、会津戦争、そして愛する母と妹たちを亡くす。その悲しみはいかばかりか。自分が生きていることを呪ったことだろう。幸い、柴五郎氏の兄は戦争で怪我をしたものの、生きていた。その兄がいたからこそなんとか生きようと思ったのだと思う。
幕末から明治という大きく時代が変わり、武士という身分が無意味になっていく転換の中で、生き続けた人の深い悲しみとたくましさを感じた。
また、作者が石光真人氏であることも興味ふかい。作者の父親は、石光真清氏で、日本軍の、ロシアでのスパイとして有名な人である。ちなみに、縁者には、故・橋本龍太郎氏がいる。
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会津藩士の子、柴五郎の少年期(明治維新、戊辰戦争の頃)から陸軍幼年学校在学中(西南戦争の頃)までが、「官軍」とされた立場の人間からではなく、朝敵・賊軍としてひどい仕打ちを受けた会津人の立場から書かれている。坂本龍馬や西郷隆盛、木戸孝允などが活躍する、いわゆる「幕末・明治維新」のハナシではないところが新鮮。ただ、昔の文体で書かれているので、苦手な方は苦手かもしれない。
自分の故郷のことをもっときちんと知っておきたいと思って手に取った本だったが、想像を絶する事実ばかりだった。亡くなった祖母から白虎隊の生き残りが遠い親戚筋にあたると聞いたことはあるが、わたしと戊辰戦争の接点はそのくらい。それでも口惜しさに涙が出てくる場面も多々あった。
地元にいるときに、「会津では“先の戦争”というと第二次大戦ではなく戊辰戦争のことである」とか「長州と和解するなど時期尚早だ(←5年ほど前の時点で)」という冗談を聞いたことがあったが、朝敵・賊軍というレッテルを貼られ、柴氏のように壮絶に生きた方が身近にいたとしたら、それは案外冗談ではないのかもしれない。
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[ 内容 ]
本書は会津藩の武士の家庭に生まれた柴五郎の「遺書、回顧録」。
話は彼の幼少時代に起きた戊辰戦争~士官学校に入学するまで、また老年期について書かれている。
見所は「会津藩側からの目線」。
美化されがちな幕末~明治期の空気を「敗者側」から感じさせてくれつ。
それは時代をリードした薩摩藩への嫌悪感であり、会津人として、武家の出身として一貫し後に「武士道」と言われた「信念」を貫いた生き方であり、表象の歴史には出てこない様々な出来事の連続であり、そうした要素が本書を通じて現代を生きる我々に忘れ去られた「信」、または「愛国心」の存在を提示してくれつ。
[ 目次 ]
本書の由来
第一部 柴五郎の遺書
第二部 柴五郎翁とその時代
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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教科書ではけして知れない隠匿された事実。
悲惨な体験なのにそこまでの抵抗もなく読めるのは
柴五郎氏の人柄や子供故の純粋な視点だからだろうか。
最後の雛の節句にあたり。
内裏様は天子様。毎年こうやって天子様を祭っているのに、
朝敵と言われる無念さが子供心に書かれていることが切なく
会津戦争では百姓や町民は薩長軍を歓迎して協力したなんて嘘だ
ということもまた興味深かった。
七歳の末の妹が、薩摩が攻めて来たと聞いて
懐剣を取り出し鞘をはらったというエピソードには涙せざるを得ない。
実際に生活が辛いということはもちろんだが
武士の子として育ってきたものを、勉学も満足に出来ず
百姓姿に身を窶したり下働きのようなことをさせられ
それがそもそも正しいことを会津藩がやり通したことへの報いが
流罪に等しい所業であり、その派生であることが
どれだけ口惜しいことか。
藩や武士といった感覚がわからない現代人には、きっと
解り得ないほど悔しいことだろうと思う。
第二部にあったが、この時代の人が自慢や苦労話をせずというのも
”国際化”の現代にはそぐわず不利な部分もあるのかもしれないが
美徳であると自分は思う。
西南戦争において、恨みを晴らそうと薩摩を討伐に行った者もいれば
往時の会津と志を同じくするのではと敢えてそれに加わらない者もいた
というのもまた、色々と考えさせられる。
やはり成り立ちからしてこのような明治政府以降
日本の政治というものは徐々に腐ってきたのだろうと思わざるを得ない。
このような恐ろしい事実の隠蔽や歪曲は
現代社会では起こらないと思ったら大間違いで
筆者が書いているように情報の偏向による世論操作は
日常茶飯事に行われており、
努努真実や己の道を見失ってはならぬと再度思う。
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会津落城後の会津処分についてあまり詳しいことは知らなかった。この本は、その処分の実情について実際の体験が詳しく書かれている。
柴五郎の文章が私は好きだなぁ、と思う。図書館で借りて読んだが、この本は購入して手元に置いておきたい。
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110頁 柴五郎が榎本武揚に面会を乞う場面
「何用か!」
「余幼れど、先生を当今わが国における第一人者なりと心得、かねてより尊敬す。一身のため教えを得たし」
「第一に身体を強壮にせよ、第二に心を正しくせよ、第三に学問を身につけよ、以上のほかなし」と答えて座を立ち・・・
・・・肝に命ずる。身の引き締まる思いがした一冊。
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漢文調だがリズムがあり読みやすい。しかし内容はあまりにも苛酷。新政府が行った会津への攻撃及びその後の処遇は犯罪行為であり、私怨にすぎない。もっと表にでてもよい事実。
東日本大震災を思うと、東北とは、なんと試練の多い運命なのかと考えずにはいられない。
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会津藩士柴五郎の手記を、石光真人が編集、後半部に第二部として”柴五郎とその時代”という簡単な略伝のようなものを付け加えたもの。ちなみに石光は、熊本県士族でのちに近衛士官、日露戦争にも従軍した石光真清の長男。兄は元白虎隊士、自身はのちに陸軍大将にまでなった柴五郎の戊辰戦争から明治11年まで収録されており、いわゆる”賊軍”出身者からみた明治維新がよく分かる。が、一部に石光の脚色が加えられていることなどが現在ではわかっており、読む際は若干注意が必要。