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言語の不思議な力。文学の美しい企み。 ハンブルグからボルドーへ。言語・記憶・意味の狭間にたゆたい躓きながら、優奈は漢字を一文字ずつ綴る。同時に起こりすぎるたくさんの出来事を記録するために。
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新たに刊行された単行本を迷わず即買いするということが最近は本当に少なくなってきた。
前の会社の建物を自分の祖母のように懐かしんで、出社してこなくなってしまった同僚のヴァルター、
ボルドーが大西洋に面していると信じて聞かず(実際は百キロも離れている)、「海辺でくつろいで来てね」等と書いた手紙を送り続ける友人のエレナ等々、
しょっちゅう本筋から外れて優奈の回想が始まり、各場面でおもしろい欧米人が沢山登場する。
本書で特徴的なのは、場面毎が幾つもの鏡文字の漢字一文字で区切られているところであろう。表紙には「文学の美しいタクラミ」とか「小説の見たことのないカタチ」等と記されているが、
確かに場面毎に鏡文字に沿った形で区切られてはいるが、全く突飛なように思える回想も、少し読み進んでみると分かりやすく本筋と交錯していて、
全体として見れば流れるようにスムーズに物語が進行されているので、むしろ多和田作品の中ではかなり読み易い部類に入るのではないかと思った。
あまりにスイスイ自然な感じで読んでいけるので、鏡文字のほうに意識が行かずに飛ばしてしまうことも多々あった。
「文学の美しいタクラミ」「小説の見たことのないカタチ」、に関して言えば、個人的には全く成功したようには思えなかったのだが、
普通に良い文学作品として読める。
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ぷつぷつと短い章が無数に集まった小説。短い章のそれぞれには漢字一文字のタイトルがついており、その漢字は鏡文字になっている。
普段見慣れた漢字も、左右反転しているだけで、見知らぬ国の見知らぬ文字のように新鮮でまじまじと見つめてしまう。
そうやって漢字をトキホグシながら優奈のボルドーへの旅を追う。
優奈の言葉にたいする考え方がおもしろくて、なんとも刺激的。
あたらしい言葉に触れるときのわくわく感と、旅の高揚感。
どちらも味わえる小説でした。
「優奈は空腹だった。また新しい言語をかじりたかった。むかし学校でもらった英語や古典の成績はかんばしくなかったが、それでも優奈は言語や単語への健康な食欲を失うことはなかった。単語を覚えるために辞書を食べてしまうことさえあった」
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一回目は流し読みしてしまってさっぱり内容が頭に入っていなかった。再読すると、とても美しいものに思えてきました。好き。
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優奈はレネの紹介で彼女の義理の兄であるモーリスが
ベトナムに行っている間の2ヶ月間ボルドーの家を借りることにした。
女優を夢見る優奈、仏文学者のレネ、作家のモーリス、
優奈の同僚ナンシーとヴァルター、付き合いの長いリリー、
哲学者のパウルと妻のヒルデ、娘のオリヴィア、
土産屋のカール、詩人のウタ。
それぞれのエピソードが積み重なり交差して
優奈の思考そのもののような断章たち。
装丁:山田拓矢
「あたしの身に起こったことをすべて記録したいの。でもたくさんのことが同時に起こりすぎる。だから文章ではなくて、出来事一つについて漢字を一つ書くことにしたの。一つの漢字をトキホグスと、一つの長いストーリーになるわけ。」
このコンセプト通り、一つの裏返された漢字とそれに内包されたエピソードが
どんどん並べられて優奈を取り巻く環境を浮き彫りにしていく
不思議な作品です。
友達の義兄と駅で待ち合わせてご飯を食べ、
留守中の彼の家を借りるまでの間にあちこちへと飛ぶ思考。
著者の多和田さんは詩人でもあるので
言葉に対するアンテナがとても敏感な人なんだと思います。
「ひょっとしたら単語というのはどれも楽器なのかもしれない。二つの音からなりたつオトオトには血も親もなかったが、自分の出所について違った形であきらかにすることのできる他の親族と並んで確かにそこにいるのであった。」
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言葉好きにはたまらない作品でしょう。ドイツ語もフランス語もかじった私にとってはニヤニヤさせられる作品でした。
漢字を反転すると意外に知らない文字っぽくなるというのも新しい発見。
がしかしその一方で一つの作品としては評価が難しいところです。
言葉遊びの方にどうしても意識が引っ張られるので、最後に作品のメッセージが残らない印象。
何度も読むといい感じに味わえるのかもしれません。
というわけで☆は余白を残した3!
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「ことば」が手触りのあるものに感じられて、とてもおもしろかった。
読み通すのには少し時間がかかった。
さらりとなぞるよりも、躓きを抱えながら少しずつ読み進むのが似合う作品だと思う。
登場人物の間の、淡いようでいて濃密な関わり合い方も好きだ。
ラストシーンは圧巻。
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言葉に拒絶される。
鏡文字が「あなたは来ないで。私はもう別の物体なの」と言う。
言語間の溝が異国の言葉で喚きながら足早に走り去っていく。
そしてトキホグされた言葉達が、また新たに絡み合い時には溶けてどろどろになりながら己の世界に没頭し無視し続ける。
そんな目の前をひらひらと蝶の如く通り過ぎる拒絶を纏った文字を追うことに、いつの間にか魅了されて夢中になってしまう。
昔から追っても追っても蝶を捕らえる事がなかなか出来ない。
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彼女の小説は日本人が描いたものよりドイツ人が描く描き方に感じる。長く住んでいるから物事を捉える感覚がそうなるのかな。
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あの明るい乾いた夏の日ちょうど正午に優奈がブリュッセルで乗りこんだ列車はボルドーに到着した。プラットホームに降りると、優奈はまだ見たことのない一人の男性の姿を捜した。立ち止まったまま、まわりをみまわすと、今列車を降りた人たちが出口に向かって液体状にまとまって流れていき、最後には優奈と若い電気技師だけが残った。技師は工具箱を地面に置いて、何かの装置の灰色の扉を開けた。
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鏡文字となった漢字から文章が連想されたり、文章から逆に漢字が立ちのぼってくるようであったり。多和田さんらしい「字」そのものに対する、喚起されるイメージとの戯れとか言葉の根源的なところを探ろうとする動きを楽しめる一冊。それにしても漢字って左右を逆にしても、意味がとれるから不思議だ。逆にすることで、その文字を「よく見てみなさい」と逆に注意を促される結果になっているような気がする。意味をとろうとする私は多和田さんの術中にはまっているのか。漢字をドイツ語にしたらひょっとして辞書みたいになるのか?とか思って各漢字のドイツ語を調べたりしてしまった(関係なかったけど)
多和田さんのものでは『飛魂』が一番印象に残る本なのだが、そこでの試みが何となく思い出される。紙の周縁を赤くしてあるのも、内容と合わせていいです。
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言語も性別も場所も時間も、全ての概念の狭間に落ちて、不安定だけれど自由自在に動き回る、そんな多和田葉子ワールドが全面に出ている作品でした。
鏡文字になった漢字の居心地の悪さが、読みすすめていくうちにどんどん快感に変わっていき、概念から解放されていくかんじ。
凝り固まった脳みそが解きほぐされていきました。
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いつも登場人物が名前とともに、突然現れる。ぼんやり読んでいると、この人誰?とパニック。新しく現れた事情を、読み落としたのか??と思うほど、突然わけがわからない空間に追いやられる。きちんと読んでも、「あ、理由がわからない」と、迷路に入ったように戻ったり飛ばしたりして読み進んだ。そういうところにはまり、2巡目からは面白くなっちゃった。これが魅力では決してない。私が読解力が無いせいでこんなことを考えている。誤解されぬよう願う。で今、5巡目読んでいるけれど、気になっているのは、題名はストーリーとどういう関連で決められたんだろうかなぁ・・・と・・・
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これはやはり二ヶ国語で小説を書いている作家らしい言語感覚なのだろうか。ヒロインの優奈は英語もドイツ語もできるらしいのに、フランス語だけ習得できないというのは不思議だ。はっきりは書いていないけど、優奈は同性愛者なのかな?
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短い断章形式の冒頭に章題のように付された鏡文字で表された漢字。作中で主人公・優奈が日常の出来事を漢字一字で記録するという習慣に因っているのだろう一文字の漢字は、反転していることで違和感を持ちながらも読むことが出来、意味を解し、その状態に慣らされていく内に、次第に普通に記されている本文の文字に対しても見慣れぬものであるように思えてくる。言葉遊びや言語的なズレや齟齬、異化作用を捉え続ける多和田さんらしい知略。
作中、優奈が読んだハンガリー人作家の本からの引用として出てくる「人類にたくさんの言語が与えられたことは幸せだと感じた。たった一つの言語では、高い塔を建てることくらいしかできないだろう。高い塔というのは危ないものだ。」という言葉。通常人間の混乱と不和の起源として語られる伝説への、逆転した肯定的な見方。これは多和田さんにとっての見方でもあるに違いないと思った。