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海賊と呼ばれた男を読んだ直後に本屋で見つけて購入。
主張は一貫しており、マルクスと出光のそれぞれの考え方の対比が明朗で面白かったです。日本人に生まれて良かったと思うべきなのか。
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出光興産の創立者である出光佐三がマルクス主義に関する考え方、出光興産の在り方を述べた本。
著者の誠実さ、真の太さ、そういったものが語る言葉の随所にみられ、「海賊と呼ばれた男」のモデルであったことを改めて実感させてくれる。
ただ、日本に対する強烈な想い入れがあるせいか、行き過ぎな考えも多々ある。著者の語る言葉は一旦容れて自分で択ぶ、迷わないよう注意する必要がある。
p40
マルクスのように、人間を完全なものとみるという、そういう無理なことをやると、また革命が起こるよ。
人間を否定するようなことをやれば、必ず革命が起こるよ。人間社会は人間が矛盾をもったものである以上、やはり或る程度混乱はあるものと思っておかなければいけない。
楽土みたいなものが人間な間に出来ると思うのが間違いだ。
p43
それだから人間らしい過ちは咎めない。ただ、そこで忘れてはならないのは、あとで自己を反省する心のあり方だ。
反省する心の積み重ねがあってはじめて、失敗は尊い経験となって生きてくる。
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「二人以上で暮らすということが、人間の福祉の基礎」このシンプルな確信が「海賊とよばれた男」の背骨だと思いました。マイケル・ポーターがCSVを提唱する遥か昔からの実践が出光興産という会社だったのかもしれませんね。
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本書は問答形式で展開される。マルクスと出光はその思想の出発点と到達点が同じであるにもかかわらず、そのために描いた道筋は大きく異なる。マルクスは理想の実現のためには階級的対立闘争が不可避であると考えたのに対し、出光は人類愛の上に立った互譲互助、和の精神を提唱したのであった。この和の精神への回帰が出光の中心的な思想になる。和の精神は「人の国」でしか生まれず、「物の国」である西欧では生まれないという。和の精神は、自由競争と対立闘争という考え方の違いにはっきりと表れる。外国では対立闘争即自由競争とされる。しかし日本人から見れば両者は大きく異なる。『対立闘争は相手を滅ぼす破壊であり、自由競争のみが互いに助け合って繁栄する進歩の母(P34)』と、両者は大きく区別されるのである。日本の和の精神の小さい現れは家族主義、大きい現れが日本国、無防備の皇室、無防備の国民である。日本の家族においては絶対に個人主義などあり得ないのである。それは愛情や人情によって結ばれている。西欧が「物の国」であるのは、その歴史的背景による。西欧の歴史は革命と征服の歴史であった。国民は搾取され、何にも頼ることができなかった。そこで、自分のことは自分でしなければならないという考えにいたり、個人主義となるという。そして、次に頼ることにしたのが金であり、物であった。そうして、人生は物だという考えが出て、物を解決すればすべて解決がついたように錯覚してしまうのである。ところが日本は、『徳をすすめ、悪をこらしめ、全体のためにいいように導かれて、国民もそれを見習って、お互いに仲良くして平和に暮らしてきた(P55)』というのが歴史だ。日本の皇室はぜいたく・わがままはされず、つねに国民のことを考えてきたのである。
今、「物の国」は行き詰っている。このまま対立闘争を続けていけば、資本主義社会の後には人類全滅だけが待っているのである。そして、この行き詰まりを解決する道が「人の国」日本にあるという。しかし、現在のわが国は明治維新以後、外国の物質文明を輸入し、「物の国」の姿が入り、徐々に染まりだし、さらに敗戦後、完全に染められてしまっている。今後、和の精神をもって世界を良くするためには、まず、現在の外国色に塗りつぶされている日本人が本来の日本人に帰る必要がある。その上で世界の人々を日本人の和の道に引き入れるのである。数十年という年月が必要とされるかもしれないが、人類全滅の危機に追い込まれている今、日本人が必ず成し遂げなければならないという。
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確かに、人間の本質が「皆仲良く暮らすこと」というのは共感。
それでは、会社というシビアな現実でどのようにそれを成立されたのか?
そもそも現実にそんな経営があるのか??
...とか思いつつ、とっても興味深く拝読しました。
人間のエゴという究極の課題と立ち向かいながら、
日本人にしか生み出せない美学をここまで1つの会社で徹底し、そして実現化された姿は素晴らしく、尊敬します。
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帯文:"「海賊と呼ばれた男」がここにいる―百田尚樹" "・黄金の奴隷になるな・法律組織の奴隷になるな・権力の奴隷になるな・理論と数の奴隷になるな・主義の奴隷になるな"
目次:新版刊行にあたって、序論 なぜマルクスをとり上げるのか、1 平和にしあわせに暮らす社会は具体的にはどんな社会か、2 人間解放の道、3 歴史と社会、4 経済と経営、5 労働観と貧乏論、6 ドウトクと宗教、7 マルクスと私、結び―マルクスの功罪と日本人の使命
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海賊とよばれた男を読んで、この本の存在を知る。果たして、出光佐三がマルクスを研究した目的は何だったのか。本書が示す通り、資本家の搾取(黄金の奴隷)を起点とした価値観という点で両者の思想は類似する。しかし、ユートピアを掲げる共産主義は、対立闘争を孕む故に、出光の和の思想とは異なるというのが、本書の整理だ。
時代もシステムも違う二つの考え方を単純に比較することは出来ない。また、出光の思想は、各論では理想型だが、強い個のカリスマを要する点において、マルクスのような普遍性は無い。出光は素晴らしいが、ややもすると、ワタミの思想と変わらない。一歩間違えば、経営者の強烈な個性は、訴訟されかねない。
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「海賊とよばれた男」を読んでいて、西欧は「物の国」日本は「人の国」という表現が気になったので、読んでみた。私の感覚では、逆だったので。(現代では日本人の方が西欧の人より物に固執していると感じていた)
主義・思想では割り切りれない部分についての主張が一貫して分かりやすかった。過去の日本を美化しすぎていないか?と思わないでもないが、ここまで堂々と言い切ってくれると、むしろ気持ちよい。自国の文化を尊重する姿勢って大事だよな、気づかされた。こうゆう気骨のある、頑固な感じの堂々とした人って、昨今ではなかなか見当たらないよなぁ、と思う。(私の中ではやっぱり「おじいちゃん世代」というイメージ)質問者に対する回答が、「〜ではないかね。」というように、問いかける形なのも印象的だった。教育熱心だった性格が偲ばれる。
科学や理論では説明のつかないような人の心や人間社会の矛盾を「克服すべきもの」として見るか、それらの価値や存在を認め、共存共栄していくかが、西欧と日本の違いなのかな、と思った。そのような「説明のつかない、得体の知れないものや、曖昧なもの」を受け入れて共存して行くという方が、日本人の自分にはしっくりくると感じたし、確かにそのような部分は、他国ではなかなか真似できない、日本文化の良い部分でもあると思う。
出光佐三の言う「日本は人の国」というのは、明治維新前の日本ということであったが、産業革命の起こる(日本にもたらされる)前はそのような社会の形が労せずして成り立ったかもしれない。工業化が進み、資本や労働力の集約による効率化が進んだ中で、生産者としての人間の労働の価値が相対的に下がり、物やサービスが容易に手に入るようになってしまった現在は、あまりにも物や金の力が強くなりすぎている。近年の度重なる経済危機とそれに伴う混乱に見られるように、それらの力が制御できないほどに強大かつ広範囲な影響力を持つようになり、より簡単に振り回されるような、より困難な状況になりつつあると思う。時代や社会状況のせいにしてはいけない、と出光佐三に言われそうだが。出光氏はちょうど私が生まれた年に亡くなっている。今の世の中を見たら、何と言うだろうか。今の時代に、こうゆう人が生きてくれていたらなぁと思った。
本全体として、禅問答みたいで面白かった。いろんなことを考えさせられたので、★5つ。
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「人の国」、「物の国」という言葉で出光佐三とマルクスの考えが対比されている。非常に興味深い考え方だなと思った。日本人に生まれてよかったと思えた。
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出光興産の創業者、出光佐三の哲学書!
日本は「物の国」ではなく「人の国」利益を社員に配分する考えはマルクスと同じでも、日本は人の国なので、階級闘争にならなかった!
深い考えが多く含まれている。
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海賊と呼ばれた男、を読んで興味が湧いて読んだ本。
内容はインタビューアーが色々な質問に対し、出光佐三が答える形式。
小説さながらの経営哲学はさすが。ただ内容は少し偏りガチ。しかし
今後の資本主義の限界を見据えた、日本かくあるべき、という考え方は是非一読すべきだと思う。
以下抜粋。
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・対立闘争は相手を滅ぼす破壊であり、自由競争のみがお互いに助けあって反映する進歩の母なのだ。
・心のあり方を理論や理屈やものさしで決めようとするから、理論や理屈の奴隷になるのだ。
・人間を放っておけば獣だよ。みんな勝手なことをして人のことは考えない。そういう獣性を持っているのが人間だよ。
だから二人以上で暮らすからには、お互いに謹んで相手の立場を考えてお互いに助け合うようにシなければならない。
・給与は生活の保障であり、労働の対価ではない。贅沢は人を殺す、とまで言って、贅沢は戒めているが、生活は保障しなければならない。
◎今後我々は先進国、後進国の考え方を変えなければならないね。「物の国」の時代は過ぎた。
今や「人の国」に転換しようとするときには、日本は先進国である、という頭を持たなければならない。
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「海賊と呼ばれた男」で出てきた本が実在すると知り、図書館で膨大な予約待ちに並んで、ようやく手元へ。
どうやら、一般にはあまり出回ってなかった本書が、「海賊と・・・」の人気から問い合わせが多く、改めて新版として出版されたもののようです。
やっぱり、と言うか小説読む気分で手を出した私が悪いのですが、退屈で途中断念。
しかし、「事を成す人」と言うのは、こうまで思慮深く、信念を貫くんですね。すごい。。
出光さんは、そのうち伝記になりますね。
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海賊と呼ばれた男の出光佐三が出光の経営哲学とマルクスから始まる共産主義について比較し、経営論を語る。
学者じゃないから知識にあいまいな理解があって、正しくマルクスを理解して語っていないところがあるが、自分の経営哲学はしっかりしているから面白い話が聴ける。
とりあえず性善説に基づいた経営哲学。だから信じられなくなるが、それでも空想的社会主義をリアルに成功させた稀有な例である日本の企業組織なんだよな。すごいんだよ。
ちょっと日本人を過信しているところがあるけれど、でもやっぱり日本人の持つ清貧さが社会主義成功のカギと言うのは間違っていないと思う。ただ、ここまで豊かになれきった現代日本ではもう難しいかなー。
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p5 知ること忘れて行うところを知る
店主が気に入った言葉。たしかに、店主はひたすら実行してきた人だ。逆にマルクスは社会人に向いてないから仕事辞めて引きこもって論文書いてたひたすらに知識をためてきた人だ。
この本は本当に良い対比だな。
p10 マルクスを責めるな
店主はマルクスを責めるべきでないという。たしかに、世界を混乱に陥れた共産主義の創始者はマルクスだ。でもそれを利用したのはマルクスじゃない。共産主義がここまで混迷したのは利用したものの人災だ。
p33 福祉とは
店主曰く「福祉とは何かと聞いて、百人百様同じことを言ったものはいない。」だから逆に不幸を考察すればわかるんじゃないかと。
もし人が無人島に独りで住んでいればいくらわがまましてもいい。二人以上になればそうはいかない。ただ、人はいくらわがままが効くと言っても、孤独ほどの不幸は無いだろう。何のために生きているかわからなくなる。だから人間は社会的な生き物なのだろう。
そういうことから、人間の福祉は「二人以上の人間がいること」が基礎になるだろうと。二人以上の人間が居ればどこかでいざこざが生まれる。それを調整するのが「福祉」である。だから共通点は複数人ということだろう。
p37 平等では満足しない
人間は不完全な生き物だ。だから良い奴もいれば、ダメな奴もいる。だから人間なんだ。
共産主義の言う平等な分配は、こんなどうしようもない生き物でできるわけがない。悪平等である。
人間自体が平等じゃないのだから、社会を平等にできようがない。人間は「公平」にあるべきだ。人は公平に扱われて初めて満足する。平等では満足しない。
p41 順境と逆境
「順境にいて悲観せよ」「逆境にいて楽観せよ」出光の社訓の一つ。出光では景気が良い時だからと言って給料が上がるわけではない。でも不況だからと言って給料が下がるわけでもない。調子のよい時には蓄えて、悪い時には放出する。確かに妥当な考えだ。
アベノミクスは無理矢理景気を良くしてみんなに金を使わせようとしている。これとは相反する政策だ。
p48 わがままOKな良い社会
店主が理想としたのは家庭のような会社である。
人は他人に対してわがままは許されない。でも許される相手がいる。そ���が家族である。大いなる安心があるから可能な奇跡である。そういう、家族ほどに寛容な社会ができれば、本当の互助互譲の世の中が出来上がるだろう。
どんなに落ちこぼれができても見捨てない、優しい社会が出来上がるだろう。
p54 平定
外国は、対外戦争で「征服・支配」してきた。
日本は、戦争でも「平定」してきた。
この違いは面白い。かたや民族の利益を追求する利己的な感情。かたや人々の平和を願う利他的なな感情。
こういう歴史的違いが思想の違いにも至ったのだろう。
p63 封建制のよいところ
金の縛りがない所。お互いの信頼を依代に成り立つ関係。だから昔から日本は良い社会を作れた。
武士は金目的のために主君に奉公するのではない。主従のプライドのためなら利害関係は無視で命をかける。そういう利他の精神に基づいた、奉仕の精神、これを身に付けられるかがポイントである。
p67 1+1+人情
数字の世界では1+1=2である。しかし人間社会の中ではそんな単純にはいかない。そこで加えるのは「人情」である。これは店主が人生経験で手に入れた知恵である。
学者は定量的に考える。だからこの人情というプラスアルファを無視して考える。だから失敗する。
p74 経営権
出光では従業員全員に経営権がある。そう思って働けと言っている。そうすることで一人一人が責任感をもち、自分で考えて最善の行動を取ろうとする。
欧米のシステマティックな組織では、従業員は言われた仕事しかできない。だから責任感もない。それは金でつながっているだけの関係だからである。
一人一人を信頼し、経営を任せられる組織づくりができることが理想である。
つまりお役所仕事はアカンと言うことだ。そんな性善説は難しい。はっきり言って空想的だと思う。みんながみんなそれができれば苦労しない。
p79 無駄に人が必要になる
人を歯車にしている社会は人件費がかかりすぎる。それでいて能率が悪い。そのせいで社会コストがかかりすぎて制度不良をきたす。
日本的経営は一人一人が自分で考え、与えられた以上の物を各人の努力で生産する。だから低コスト高生産ができるのである。
これは日本人が「甘えの社会」に生きていたということだ。たしかに従業員が意識高く働くのは美しい行為である。しかし、それに対して妥当な報酬を与えられないのは信用失墜行為だろう。一概に良いとは言えない。
ただ、人件費の無駄を最大限省けるというのは正しいし、大切だと思います。
p88 脱定年制
出光には定年制がない。各人が自分の潮時をわかって辞めていく。そして老人や病人でもできる仕事をほそぼそとこなし続ける。これが定年制が無く、クビのない会社の姿である。
たしかに打倒だな。昔の農民身分の老人の扱いとおんなじ。
p116 「唯」の否定
唯物論とか唯心論とか「唯」と限定するのは無意味なことだという。それしかないっていうことは世の中にはない。だからもっと余裕のある考え方が大事。唯は気をつけなくてはいけない。
p118 東西の違い
東��の神の違い。東アジアの日本では神とは国家の祖先のことである。つまり人間なのである。そして、西欧の神は抽象的存在である。一神教の非人間。
この実と知の差が、思想の違いをもっているように思える。
p127 奴隷になるな
黄金の奴隷になるな。金は使う物であって、集める目的のためにある者じゃない。手段を目的にするなってこと。
p135 自由競争
自由競争と対立闘争の違いを間違って勘違いしてはいけない。自由競争は自分を磨いて他社と比べる。対立闘争は敵となる外人を排除して進むやり方である。
p145 報酬
商売は何のためにするのか、店主曰く「報酬のためだ。」決して金儲けのために商売をするのではない。自分が生み出した価値に相当な対価を得る、つまり「報酬」を得るのがクリーンな商売である。
拝金主義に落ちた者は、少ない投資で巨利を得ようとする、つまり不当な利益の搾取をしているのだ。そういうやつらのことを「金の奴隷」と呼ぶ。
p150 使用者
戦後の日本では資本家はもうほとんどいない。経営者は企業の従業員のなかから選ばれるのだから、もう資本家ではない。「使用者」である。英語で言えば、キャピタリストではなく、エンプロイヤーになったということである。
そういう仕組みの組織は、昨日まで互いに使われる側だった人が、昇進した次の日から労使関係になって闘争を始める。そういう歪な構造になっている。
こういう時代では共産主義者の言う、労使闘争と言うのは少しずれてしまっている。労働者同士で疑似戦争をさせられているのだ。よく考えなくてはならないね。
p154 計画は非効率
共産主義による計画経済、極端な法治主義は逆に非効率を産む。それは崩壊前のソ連が体現した。
人は能動的に動くと想像以上のものを生産することがある。それを引き出せれば、一番効率的なのだ。
でも信頼しないで法律や計画で縛ればそれ以上のことができなくなる。みすみすプラスアルファを創造する機会費用を消費しているのだ。
資本主義はそういう面で人の可能性を引き出せるから良い。そして共産主義はそういう落とし穴がある。でも片方だけが絶対正義じゃない。良いとこどりすべきなんだ。
p183 奴隷解放
店主曰く「出光は人々の奴隷解放の歴史だった。」金の奴隷、法律の奴隷、理論の奴隷、物の奴隷、近代化によって生まれるこれらの奴隷に落ちぶれないように戦ってきたのが出光興産のやり方だった。
p185 私はマルクス主義じゃない
マルクスは言った。「自分はマルクス主義じゃない。」マルクスは自分で理論を作ったが、その後に生まれたマルクス主義は別の人達が呑みこまれたものである。
主義の奴隷になったものが陥ったのがマルクス主義である。
マルクスのこの言葉は面白い。
p185 人権尊重と人間尊重
店主は人間を尊重しろと言っている。それは恵まれない人に何かを与えることじゃない。それは人権尊重。人としての最低限は保証しろというもの。
人間を尊重するのは「与えること」ではない。人間の尊厳を尊重することだ。人を信頼することだ、管理しないことだ。
管理しなきゃ何もできないのは二流、三流の証拠だ。
p193 祖先だ
店主いわく、「神道は我々の祖先を祀っているのだ。仏教は宗教だ。だから日本は二つの宗教を祀るというのは勘違いだ。」
神道も権力にすがって宗教みたいになっただけだもんな。確かにそういう考えがあってもいいと思う。
日本人はこういう神の価値観があるから、西欧の神の価値観とは違ったものになる。祖先が神だから日本の宗教は敵を作らない。血族を愛する神でいる。木の上で立って見ているだけ。しかし、西欧は絶対神である。敵を作り出す非寛容さもある。
p200 一問一答
「質問」 (マルクス) <店主>
「好きな徳」(素朴) <相手の立場を考える>
「男の徳」 (強さ) <実行力>
「女の徳」 (弱さ) <まとめる力>
「自分の性質」 (ひたむき) <外柔内剛>
「幸福観」 (闘うこと) <仲良くすること>
「不幸観」 (屈従) <孤独>
「許せる悪徳」 (軽信) <人間らしい過ち>
「嫌いな悪徳」 (追従) <利己>
「好きな仕事」 (本の虫になる) <働くこと>
「詩人」 (アイスキュロス・ゲーテ・シェークスピア) <仙厓和尚>
「ヒーロー」 (スパルタクス・ケプラー) <楠木正成>
「好きな格言」(人間的なことで私の心を捕えないものはない)<無私>
「好きな評語」 (全ては疑いうる) <愛と信頼>
こう見るとマルクスと店主の性格は逆なんだとわかる。やはりマルクスは引きこもり野郎だし、店主はリア充野郎だ。
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最後にマルクスが日本に生まれていれば、日本の家族主義の中で育てば、唯物論なんて言う人を人と考えない人でなしな理論は考えなかっただろうとまとめていた。
タイトル回収。
店主がこの本をまとめてから45年近くたった。
残念ながら日本は順調に冷たい世の中になってきていると思う。金という価値の媒介にとらわれている、金の奴隷がいっぱいいる。消費することが美徳になっている。
私なんかは節制するのが美徳と思えるから良いんだけど、そうで無い人は、稼げないのに金を使わなきゃ幸せが手に入らない、苦しい世の中になってきた。
いや、いつの世も人は変わらないから、昔からこんな感じの繰り返しなんだろうなと思う。
こんな凡人だらけの世の中だから、やはりお互いが助け合っていく、それを体現していく人間に私は成るよ。
店主、ありがとうございました。
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本のタイトルから想像した内容と違った。
マルクスも出光の創始者である著者とは出発点と目標は同じでありながら、物の世界に育ったマルクスと人の世界に育った著者では方法が違ったという話。
著者の考えは極端だなと感じる部分もあるが、出光がどんな逆境においてもブレなかったのは、柱となる思想があったからなんだなぁと思った。
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出光佐三のマルクスとの対比のおはなし。
メモ
◾️心のあり方を理論や物差しで決めようとするから、理論や理屈の奴隷になる。人間のあり方は人間が自問自答すべし。
◾️心なくして知恵だけ発達した人は何をするかわからない。心を作るために宗教哲学教育修養がある。