紙の本
「詩人」の表現って...わからん。けど悪くない。
2011/09/12 20:28
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
「詩人」だそうな。のっけから「この文章はいったい...?」という感じで、初めて体験するような書き方。英語の直訳調はまだしも、リフレインや、「気持ち」の並列....これが「詩歌」なん?って読みにくさ満載、と思われたけれど。慣れるもんです。読み進めるうちに慣れました。逆に「軽快」に感じるところもでてきて...これが著者の「技量」なんでしょうか...
老いた両親、いろいろな事情を抱えてアメリカに暮らす本人、外国人の夫との意思のすれ違い、娘たち(それぞれ「父」が異なる)とのやりとり...50歳を迎える「おばさん」の奮闘記、といっていいのだろうか、普通のおばさんではないのは確かだけれど、環境の「激しさ」はあれど、両親、配偶者、子供、といった「家族」を構成する要素が話の大半であり、この部分だけでいえば、どこにでもある素材。病魔に侵され入院する母、一人家に住み、老いの速度が増す父親、両親の「生と死」というのがメインテーマ(だと思う)。理解してくれない夫(外人)との確執もあり、ご自身の体調も悪くなり...どこまでが実話で、どこがフィクションなのか、そもそも小説なのか、よくわからない。わからないけれど、最後の方に向かう過程で、そんなことどうでもよくなってきた。シンプルに「読み進めること自体」にエンターテイメントを感じるように...(って「詩歌」を味わうことのできるアタマはもっていないけれど)
はたして著者はこの本で何を言いたいのか、これも分からない。わからないけれど、これもどうでもいいや。勝手な解釈をしてしまうけれども、「詩人」は何を言いたいか、ということよりも、「どう表現するか」に偏重しているような気がする。「詩的」な表現、なのだろうか、それもわからないけれど、直接表現はしていないものの、両親の「死」に向かっている状況に対して、そもそもこれは表現できるような感情ではないのだろうが、著者の気持ちを「詩的に表現」している、のだろうと勝手に理解。
苦悩とか、死への怖れ、生というものの考え方、これらの「解説」を試みている本はあるけれど、よく考えれば、表現できるようなものではないんだよね。それを「しろみ」さん(=著者?)を通して、その表現しきれないココロノウチを、書いているんだろうなあ。
この本は深入りせずに、「勝手な解釈」のまま、にしておきます。それがよさそうだ。
【ことば】その叫び。その笑い声。生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、と、いっているようにしか思えなかったのです。
家族で出かけたスキー。橇で遊ぶ子供たち。子供の叫び声、笑い声は、(もちろん当人は意識していませんが)「生きてる」と聞こえます。陳腐な熟語でいうと「生命力」でしょうか(詩的、ではありませんね)。全力で100%の叫び、笑いだからこそ、そう聞こえる。大人にもできる?かな。
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いやはや、壮絶です。でも暗くはない。まさに私の年代が直面することばかりで…。私もしっかりしよう!と思わせてくれる。
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「親の老い」ってけっこうリアルに迫ってる問題なもんで、ずーん、とくる。いやたぶんあと20年くらいは親も元気だと思うよ? でもその間に私は結婚したり子供うんだり子育てしたり、したいなと思ってるわけで、20年なんてすぐ暮れるわけで…。
伊藤さんほどオンナの悲喜こもごもや異文化摩擦なんかを味わうこともないだろうが、どんな平凡な女(あるいは女ですらなく人間一般)にも起こる人生のあれこれが想起される作品。私たちの世代は、もうホトケ様にすがることすら浮かばないかも。いざという時は何に救われようとするんだろうか。
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伊藤比呂美さんは私と同世代で同性。デビューの時の印象も覚えています。そしてあれから30年余り過ぎて改めて興味が湧きました。
同世代の女性ですから考えていることや体験が非常に”分かる”のです。
読んでいて、先に亡くなった佐野洋子さんが書いた「シズコさん」を彷彿しました。
いくら感覚的に分かるといっても、さすがに向こうは書くことでお金を稼いでいるプロですから中身をここまでさらけ出すのかという根性の違いを見せつけられ、3人の子育てと離婚、再婚と繰り返して相当年上の英国人のご主人と一緒の生活やご両親の介護経験など芸能記事風にいえば、壮絶な生き方のトーンはやっぱりあちらの方が数段上です。
もともと詩人の彼女ですから、賢治や中也など沢山の歌人の魂が乗り移ったかのようなことばがちりばめられ、崖っぷちにいるような体験の数々は時折ユーモラスでさえあります。
娘に面倒を見てもらう状態になった彼女の母親が
”どうしてこうなっちゃったんだろう、あたしは何か悪いことをしたかしら。”
とつぶやく場面はドキドキします。
さんざん苦労しながら、苦労をしょいこんで
この苦が
あの苦が
すべて抜けていきますように・・
とひとは死ぬ間際まで祈り続けるのだろうとつくづく思います。
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ここ最近、これほど励まされた本はない。うだうだ言ってないで、しゃきっと生きていかんとなあ、と思わされた。
伊藤比呂美の人生は、いつでも転がり続ける石のよう。親も夫も、そして自分も歳をとっていくってことをリアルに感じ始めた今、この本を読んだのも何かの縁であろう。
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言葉がびょおびょおと流れる感じが川上未映子っぽいなと思いました、なんとなく。
でもすごく生々しくて、湿度の高い感じ。
老いがテーマだったからか、数年前におじいちゃんが危篤になって入院したときの病院のにおいを何度も思い出した。
あのときのにおい、嫌なにおい。
生のにおいだったのかな、それとも死のにおいだったのかな。
読むのにすごく時間がかかりました。
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伊藤比呂美のとげ抜き 新巣鴨地蔵縁起を読みました。
ずっと昔、結婚する前にこの人の良いおっぱい悪いおっぱいと言う本を読んで、「がさつ、ぐうたら、ずぼら」という合言葉にしびれてしまったのでした。
その頃からのファンなので、友人の読書欄に載ったのを見てすぐに買って読んでみました。
読み始めてみて、その文体に驚きました。
普通の文章ではない、話し言葉でもない、講談調でもない、詩でもない、頭の中にわき出てくる言葉をそのまま書き下ろしたような文体なのです。
日本語だけでなく、英語のエッセンスもふんだんに盛り込まれているようです。
最初は面食らったのですが、そのうち煮込んだモツ煮のような文体に引き込まれてしまいます。
解説で上野千鶴子がこの文体は「かたり」である、と解説しています。
文中に他の文学の一部が修飾されて引用されていて、それが章の終わりで、「往生要集」より声をお借りしました、というように書かれています。
伊藤比呂美はこの文体を声であると言っているのでした。
書かれているテーマは、介護が必要になりつつある父母やイギリス人の夫との軋轢、老い・子育てなどの苦、浄土や往生要集などの仏教の教え、そして巣鴨のとげ抜き地蔵。
良いおっぱい悪いおっぱいの頃は20代で生命の明るさに充ち満ちていた伊藤比呂美も、30年経ってみると近づいてくる死・苦に対する備えが必要になってくるのでした。
まあ、同年代であるkonnokも同じなのでしたが。
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伊藤比呂美は苦手だ
手に取ってみた本は多くないし、
最後まで読んだ本は ほぼ皆無
この本もすんなりとは読めず 途中であきらめ
気になって また手に取り
それを繰り返して よろよろと やっと最後まできた
上野千鶴子さんの解説が 素晴らしかった
(文体が私に読みやすかったせいもあるだろう)
これは 詩 なのだろうか
散文ではない と思う
祈りだ と上野さんは言った
50代のおんなが抱える苦を あけすけに
絶望ぎりぎりのところで 踏ん張っている姿を
バイリンギャルの娘の言葉(音と文化と)が作る薄い壁を
言葉の意味でなく 音で伝えて
老親の介護、認知症、
思春期の子どもの生き難さ
夫の更年期
英語と日本語を行き来する もどかしさ or 救い?
やっぱり 詩 なんだろうな
初めて最後まで読めた 伊藤比呂美の本
追加です。
やばいです、この本
言葉のリズムが頭から離れない
掴まれてしまったみたい
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う~ん、凄まじい話だ。
他人事ではない。わが家も同じ。
嫁さんも同じ思いをしながら、日々、あと数年で齢三桁に達する姑の在宅介護をしているのだろう。
どうも癖のある作品が続いてしまった。
くたびれた。
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母の苦、父の苦、夫の苦……。
母は入院、父は犬とふたりきりでさびしい、夫には瘤ができ娘はやせ細っている。伊藤比呂美は人々の苦を案じながらスーパーマンのように家庭のあるカリフォルニアと実家の熊本を飛行機で行ったり来たり。
そうしてたまに思い出したように巣鴨のとげ抜き地蔵にお参りして皆の苦のとげを抜いてもらう、はたまた「みがわり」をもらっていく。
「みがわり」をオグリさんに渡す伊藤比呂美の言葉はまさに巫女さんのそれのよう。この言葉が心地いい。
エッセイなのか小説なのか詩なのか、なんだかそんなものたちの中間のような本でございます。
中原中也をはじめとする詩人たちの「声」、それから娘や夫のはなす英語を訳すのではなくそのまま日本語にもってきたようなことば(これには驚き!)、そして詩のような呪術のような祈りのようなことばの紡ぎ方。
伊藤比呂美はことばを食って食って食いまくるのだと思った。単細胞生物をおもわせるその貪欲さ。そして読後、「伊藤比呂美語」の感染力の高さたるや。感服いたしました。
僕は伊藤比呂美がとても好きなのです。
母親の巨大で醜悪なおっぱいが怖さに脇に噛みついたり、ニキビつぶしはセックスとおなじであると断じたり。なにを考えているのかよくわからないから。
父と母の苦を信仰心が足りないせいとキッパリ、これも潔い。
といっても伊藤比呂美自身はなになに教徒とかではない。あえて言えば巣鴨のとげ抜き教? それよりもアニミズムを根底とする八百万の神をたたえる……つまり典型的日本人のアレでございます。
現代の日本ではこういったあやふや信仰心すら失われつつあるように思います。しかし死に直面したとき一体どう生き、どう死ぬのか。
この本を読んで僕も両親の今後を考え、そして両親の信心の無さを嘆いたのであります。
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仏教に関心を持ち ザッピングしていくと伊藤比呂美さんの本にたどりつき初めて読みました。
ご自身の事を詩人と言っているが 「かたり」なのでしょうか?何度も復唱して書かれている文章には呪文のようなリ感じでリズム良く読めたりもする。詩集ではないし不思議な気持ちで読みました。
粒粉のことは 私も同じ思いだと読んで初めて知った。変な人と思われるから私は人に言わなかった。だから動画も見たけど、著者のようにお気に入りには入れてない。 本ってこういう”ざっくばらんな”と思えるが繊細な人に出会えるから面白い。
著者の介護のお話に興味を持ったので、また新しい愛読書ができました。
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伊藤比呂美さんの、実生活の話。母親がボケ始めたと思ったら脳梗塞になり、父親の足元もおぼつかず、再々婚の夫(ユダヤ人)も粉瘤などこさえて老いてきて、長女はふさぎこみ、次女は行方不明、三女は状況に振り回される。熊本とカリフォルニアを行き来する生活。だんだんとみんな老いてきて、自分のちちははの死を見つめねばならなくなって。ほぼノンフィクション、なんだろうと思います。現在進行中のblogと比較すると、当然本作の方が本質に肉薄しています。とうぜんです。文藝なんですから。これで群像に載っていたんですから。
石牟礼道子さんとおぼしき方との話があって、一緒に梁塵秘抄(パソコンが一発で変換した。えらいな)を朗読するんだけれども、このあたりのやり取りが圧巻でありました。
quo.)
ちらばるというよりか、わたしはどっかの葦の葉っぱなんかに、ちょっと腰掛けていたいような気がする、と詩人はいいました。
それが死? ちらばって腰掛けている状態ですか。
そうですね。風にそよいで、草の葉っぱなんかにね。
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われわれが個として生きているうちに老いて、衰えて、じゃあどうやって死を迎えようかというときに、大きな世界の中の小さなひとつが消えてなくなるような感覚に意識を転換させるようです。それは佛教における曼荼羅であり、キリスト教における神の子らのひとりであり、科学における、地球におけるヒトという生物一個の死滅。無心論者だった伊藤の夫も、結局は地球全体で考えたときのひとつの「自己」の消滅を思う。この位相の転換が、「死を受け入れる」作業であり、宗教の本質は「死んだらどうなる」だと総括してもいいんじゃないかというくらいの感じであるのです。
本作のテーマ、内容は非常に重いものです。しかしながら、その重さを感じさせないのが技術だし、文の藝にほかならないでしょう。
詩人の文章といわんでください。これはまごうことなき、文藝です。
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カリフォルニア在住、更年期真っ只中の作者が、自身の不調を抱えながらも太平洋を越え、
まだまだ手の掛かる小学生の娘を連れ、重い荷物を引きずって熊本への移動。
何度も何度も往復する。親の介護のために。
母親は入院。一人残された父親は何もする事がなくて、何もする気が起こらず半分鬱のよう。
幼い頃は自分を守ってくれた偉大なヒーローだった父親が、老い果てた今は、
家庭をほったらかして何週間も側にいる娘を心配する事もなく、弱みを見せるばかり。
ユダヤ系英国人の文化に育った外国人の夫は
作者の2倍以上の年齢というから、こちらもかなりの老境。
離れて暮らす癇癪持ちのこの夫と、メールのやり取りはするが異文化の溝は深く、
なかなか真意は解り合えない。
そうこうするうちに上の娘が心身症になり、がりがりに痩せこけて「眠れない、食べられない、どうしたらいいかわからない。」とパニックに。
生老病死、全てが苦なのです。
とげ抜き地蔵に通ったり、死期が迫る詩人に会いに行ったり、般若心経を読んだり。
煩悶する作者が最終的に救われたのは・・・。
あまりのシンパシーに、悶え苦しみながら読みました。
そして、苦しみながらも今ここに厳然と生きている、力強い生命を感じました。
更年期前後の苦しみを抱えている女性にぜひ読んで頂きたい。
きっと何かしらの光を見つけられると思います。
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伊藤 比呂美?聞いたことのある名前、、、と手を取り読み始めた。詩人であり、母である、ユダヤ系イギリス人の一回り以上年上の伴侶を持つ人でもある。日本に高齢になり、身の回りの事も難しい両親のためにカルフォルニアから2,3ヶ月に一度帰り、二日おきに電話をする。徐々に変化し幼児のような訴えをおこす両親。かたや抱える文化の違いで価値観の到底理解しきれない部分を爆弾のように抱え、母国語出ない言葉で言い合いをする夫婦。生きることに不器用な前夫の子。それぞれに向き合おうとする後ゆえに尋常ではないほどの忙しさ。心の根っこには子供の頃から行った巣鴨地蔵尊への思慕。独特の世界を持つ詩人だけに音階を持つような言葉の連なりは心地よくもあり、強い緊迫感もある。紫式部文学賞、萩原朔太郎賞のダブル授賞作品。
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すげー面白くて、こんな文学初めて、ってときめいたんだけど、なぜか最後までは読み通せない。どちらかというと散文よりは詩的な表現で、かっこいいし、こんな文章を書きたいと思うようなものであるにもかかわらず、読めないということは、かっこいいことと、退屈であることは、両立するということなのではないだろうか。