紙の本
「想定外」を生まないための心構えと非常時の組織のあり方を再考する1冊
2015/02/02 18:58
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島第一原発での事故対応に関して、危機に際してのリーダーシップのあり方、組織のあり方にスポットをあてたノンフィクション。「事故対応で有効に機能したのは自衛隊だけで、それは自衛隊がそもそも何が起こるかわからない状況を常に想定して普段から訓練しているからである」との記述には納得。企業が事故を起こした後で「マニュアルが無い事が事故の原因」という論評をマスコミがする事があります。確かに、いろんな場面を想定してマニュアルを準備するのは大事だと思います。しかし事故って「そんなレアな状況はめったに無いで」みたいに人間の想像力のちょっと及ばない所で発生する事が多々ありますし、そういう状況に陥った時にいかに冷静に論理的に行動できるかという部分が組織の危機対応力につながると思います。
危機に際して情報欠乏状態になった時「断片的な情報、最初に入ってきた情報の真偽をきちんと確認することなく飛びついて行動を起こし、状況を悪化させるな。まず情報の真偽を確認せよ」という自衛隊指揮官の言葉も管理職として日ごろから心がけたい姿勢だと思います。
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原発事故という極限の危機の中で、リーダーたちはどう動いたのか。リーダーの真贋を見事に描き出した好著。
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内的なリスク回避を追求した積み重ねが、開戦という最もリスクが大きい選択となった
危機の際に求められる人間は空気を読む人間ではない。危機の時には優先順位を峻厳につけるしなない
安井正也 言い切ってします
危機の時、一方でなになに、他方でなになにという両刀遣い的プレゼンはあまり役にたたない
分化と統合という相反する関係にある状態を同時に極大化している組織が環境適応に優れる
松下忠洋 12/9/12 自殺 彼ほど自治体にせっせと通い、親身になって相談にのった政治家を私は知らない
現場にいる人間が究極の権限を持つべき
楽観的バイアス 危機下ではその状況が一刻でも早く終わって欲しいと願うあまりに、人々は最も楽観的なシナリオを信じようとする
マッカーサー 戦争におけるほとんどの失敗は遅すぎるという一言に集約できる
増田尚宏 福島第2 チーム増田
インシデントコマンドシステム 災害現場事件現場における標準されたマネジメント・システム 人間は人間なんだからロテーションで休息や睡眠をとりながら対応する 日本人はぶったおれるまでやる
危機の時には、所見、知見を明確に言い切る専門家が必要
全体最適解、部分最適解
新渡戸稲造 すべての国家は戦争に養われ、教えられ、鍛えられ、平和に荒らされ、欺かれ、裏切れられる
戦争には美徳、悪徳がすべて凝縮されていて、そこで人は育つ
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福島原発事故時、政府・東京電力が失敗した原因を追究したノンフィクション。リスク意識・組織ガバナンス・リーダーシップの欠如という日本人の国民性は、先の大戦の時から進歩が無いのだということを主張しており、自分たちの仕事においても反面教師にすべき点は多いと感じた。
一番興味深かったのは、当時の福島第2原発の所長へのインタビューでの、メルトダウンした第1原発と、正常に停止できた第2原発との違いについて。
一番の原因は、中央制御室が第1は停電し第2はしなかったこと。更に、第1はプラント1-6号機で型が3種類あって状況把握が難しかったのに対し、第2は1-4号機まで同型だったとのこと。
第1原発は、古く多様な設備を使い続けていたツケが来たということなのだろう。
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全体の最適解を見出せないリーダー、不明瞭な指揮系統、タコツボかした組織、最悪のシナリオの不在など、福島原発事故と戦争の失敗の原因は驚くほど酷似している。
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入口戦略へは飛び出せても出口戦略を仕上げるのは難しい。(P15)
リーダーシップの欠如の例
①明確な優先順位を定めない「非決定の構図」と「両論併記」
②速やかに損切りして失敗を失敗と認め、そこから立ち上がるレジリエンス(回復)戦略の不在。(P20)
下士官兵は優秀だったが上層部は無能だった。(P41)
危機が起こると全員が電話をかけ始める。そんなとき「電話を一つ空けておけ。みんなふさがると相手からかからなくなる」と声をあげるタイプの人間こそ必要である。(P66)
リーダーは相手からの疑問も質問も頷きながら聞く、そんな聞き上手でなかればならない。(P69)
軍部の指導者はドイツ勝利と断定し、連合国の生産力、戦意などを不当に過小評価した。
日本軍の精神主義が情報活動を阻害することになった。軍の作戦担当者は、神がかりともいうべき日本不滅論を繰り返し国民に説明し、戦争に必要な諸準備を軽視して攻撃のみを過大評価した。その結果、彼らは連合国に関する情報に盲目となった。
ここでは「失敗の本質」を次の5点に集約していた。
①総合的な国力判断の誤り
②制空権の喪失による情報収集の不備
③陸海軍情報組織の不統一
④作戦主導部門の情報軽視
⑤精神主義への偏重
要するに、作戦に従属する情報分析と主観主義からくる独善が日本のインテリジェンス軽視を生んだ。(P83)
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同氏の大著『カウントダウン・メルトダウン』(私は手を出せていないが)について、作家の関川夏央氏は「戦記」と評したそうだが、本書はまさにその「戦記」をベースとした、現代版『失敗の本質』。
さすがの船橋氏の筆力に一気に読んでしまった。今回認識を新たにしたのは福島第二原発の増田所長の(吉田所長とはまた違う形のリーダーシップによる)奮闘ぶり。福島原発の問題は先の戦争と違ってまだ生々しすぎて研究対象として語ることが憚られるところがあるが、危機管理や危機のリーダーシップの研究として学ぶべきところは非常に多い。
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リスク管理とはリスクをいかに取るかのアートなのだが、リスクをいかに取らないかのステルス(かくし芸)となる。
国家危機にあっては、その危機の現場で命をかけて立ち向かい、対処する人々が必要となる。
危機管理の要諦はインテリジェンス。インテリ減酢は情報そのものではない。それは行動や政策にとって必要な、ある目的を成し遂げるために欠かせない情報。ありとあらゆる情報の中から必要な情報だけを精査し、選別し、評価することが大切。
日本ではインテリジェンスが弱すぎる。
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東日本大震災で発生した原発事故で最前線にたっていた方々の話を軸に、あの時に何があったのかということを「敗戦」というキーワードをもとに再構成したノンフィクション。
現場で何があったのか・・ということをあらためて知ると言う意味においてはよかったのだけれど、あの出来事を太平洋戦争と並べて「敗戦」というキーワードで語ろうとするのはちょっとな・・・というのが正直な感想。
ある出来事を取り上げて国民性や何かしらの(勝ち負け)の原因を探ると言うのは、歴史家の営みの中でスタンダードなものでは有ると思うけど、今回は「日本は変わっていなかった」ということをまず言いたくてトピックを選んでいるような気がしてならなかった。言いたいことが先にあって、トピックを選んでいるのはわかるのだけれど。
・・・個人的には、正誤を語りがちな今はまだ、あの震災とそれに伴う出来事を「歴史」の観点から見るのは早いと思うんだよね。
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福島第一原発での事故対応に関して、危機に際してのリーダーシップのあり方、組織のあり方にスポットをあてたノンフィクション。「事故対応で有効に機能したのは自衛隊だけで、それは自衛隊がそもそも何が起こるかわからない状況を常に想定して普段から訓練しているからである」との記述には納得。企業が事故を起こした後で「マニュアルが無い事が事故の原因」という論評をマスコミがする事があります。確かに、いろんな場面を想定してマニュアルを準備するのは大事だと思います。しかし事故って「そんなレアな状況はめったに無いで」みたいに人間の想像力のちょっと及ばない所で発生する事が多々ありますし、そういう状況に陥った時にいかに冷静に論理的に行動できるかという部分が組織の危機対応力につながると思います。
危機に際して情報欠乏状態になった時「断片的な情報、最初に入ってきた情報の真偽をきちんと確認することなく飛びついて行動を起こし、状況を悪化させるな。まず情報の真偽を確認せよ」という自衛隊指揮官の言葉も管理職として日ごろから心がけたい姿勢だと思います。
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【日本は再び敗けた】福島第一原発事故で指導者たちは第二次世界大戦での失敗を繰り返した。国家的危機に機能しなかった日本のリーダーシップを検証する。
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福島1Fと同様に冷却機能喪失にもかかわらず、冷温停止に持ち込むことができた福島2F増田所長と対談が印象的。
1Fが増田所長だったら、というコメントが出るのもうなづける。
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失敗から学ぶことは多いが、生かすことが最も大事。自分の仕事で反省する点が見つかった。
フクシマ戦記はこれからもフォローすべし。
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日本型組織、構成員の責任回避の連鎖、現場と遊離した参謀/本部といった問題は、いままでと変わらずフクシマでも析出した。その例を具体的に挙げている。2Fの所長のインタビューは特によかった。
いちいち納得できる指摘ばかりである。が、アジテーション型の文体は、誰に訴えかけるためのものか?こういうのを本当に読まなくてはならないのは、著者が主要読者として想定する評論家的に文句を言う人の層ではない。現場で実際に苦闘するもっとクールマインドのマネジャーであるはずだ。あおり型の文体は不要だ。
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先の大戦での敗戦と福島第一原子力発電所事故への対応の病根は、
同じ性質なのではないかを論じたのが本書である。
日本の政治・官僚の責任回避、危機に際しての組織としての機能
不全、権限・指揮系統の不透明性。それは戦時中から連綿と受け
継がれた。
そして、福島第一原子力発電所事故のような国家の存亡がかかっ
た危機に直面するとそれが如実に表面化する。
国民にパニックを引き起こす可能性が大きいからと、原発事故の
際の放射能拡散のデータは隠され、官邸も専門家と呼ばれる人も
「ただちに健康に影響はない」と繰り返した。
国民のパニックを心配する、その政府中枢が一番のパニックに陥り、
これまで安全神話のプロパガンダを垂れ流して来た原子力ムラの
人々は頬かむりをし、関係官庁間では責任の押し付け合いに終始
する。
その一方で、「起こりえない」とされて来た全電源喪失が起き、
予備のディーゼル発電も使えなくなった福島第一原子力発電所
の現場では吉田所長以下の東電社員、協力会社の人たちが「玉砕」
覚悟で対応に当たっていた。
政治家や官僚の無知と無責任、事業者である東京電力本店の能力
のなさ。そのしわ寄せがすべて現場に押し付けられたのではない
だろうかと思う。
あの事故を教訓として、日本は変わったのか?私は変わっていない
と思う。福島第一原子力発電所事故以前、アメリカのスリーマイル
島、ソ連のチェルノブイリを持ち出すまでもなく、茨城県東海村の
JCO臨界事故からも学ばなかったのだから。
当時の民主党政権の事故対応は確かにグダグダだった。だが、民主
党だけに責任があるのだろうか。
2006年、共産党議員から時の安倍晋三に対し「巨大地震の発生に
伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに
関する質問主意書」が提出されていた。
スウェーデンでの二重のバックアップ電源喪失のような事故が日本で
起きる可能性、冷却系が使用不能になった復旧シナリオの有無、メル
トダウンの想定の有無、原子炉が破壊された場合の放射能拡散の被害
予測の有無等に関しての質問だった。
それに対し「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が
発生するとは考えられない」「そうならないよう万全の態勢を整えて
いる」と答えるだけ。
起きたら困ることは起きないんじゃないか。起きないに決まって
いる。いや、絶対に起きないとして「最悪のシナリオ」を考える
ことを放棄して来たツケが、福島第一原子力発電所事故なのでは
ないか。
きっとまた、国家的危機に直面したらこの国は同じことを繰り返す
はずだ。