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電子書籍
保守思想のための39章
著者 著:西部邁
バブル崩壊と冷戦の終焉から十年すぎた。しかし今なお、経済の立て直しから有事への対処などに至るまで、依然として議論だけが続いている。しかも、その空疎な対立と不毛な論争の蔭で...
保守思想のための39章
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保守思想のための39章 (ちくま新書)
商品説明
バブル崩壊と冷戦の終焉から十年すぎた。しかし今なお、経済の立て直しから有事への対処などに至るまで、依然として議論だけが続いている。しかも、その空疎な対立と不毛な論争の蔭で、学級崩壊、官民を問わない不正行為の続出、各種犯罪の増加など、日常の社会そのものは緩慢な自死の過程をたどりつつある。そして、資本主義の挫折と帝国主義の再来、それが世界の大状況となっている。この危機に、私たちはどう臨めばよいのだろうか。単なる郷愁やかたくなな復古ではなく、美徳と良識にもとづいて公共空間を再建するため保守思想の真髄をさぐる。
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紙の本
俗流保守主義を排し本当の保守思想を語り尽くす
2002/09/24 22:10
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チェスタトン - この投稿者のレビュー一覧を見る
氏の「国民の道徳」が、自身のこれまでの言説を包括的にものしたものだとするならば、この本は、西部氏がこれまで色々なところで言及してきた「真正の保守思想」というものに対する言説に絞って、非常にわかりやすく網羅的に解説したものだと言えるだろう。
氏は、一方で「近代主義」を産み出しそれを推し進めながらも、他方で常にその「近代主義」に懐疑の目を向け連綿と言葉を紡いできた西欧の思想家たちについて語る。
と同時に、「戦後日本」について語る。「市場」について語る。「家族」について語る。「議論」について語る。「知識人の驕り」について語る。昨今、流布されている「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」という「援助交際(という名の少女売春)」まで許容しかねないような「危害原則」の誤謬について語る。
氏は説く。保守思想は精神の葛藤を引き受ける、その意味でダイナミックなものなのだ、と…。
本書は、現状維持の謂いではない体制擁護の謂いではない単なる反共の謂いではない現実主義の謂いではない国粋主義の謂いではない、「集団的規則」や「公共的規則」だけを重んじる「抑圧」の謂いですらない……そうした「真の保守思想」の真骨頂とは一体何なのか、それを知る上での最高の一冊であり、著者がとりもなおさず日本における「真の保守主義」を標榜する数少ない一人であることが伺える珠玉の一冊である。
一般に流通している「保守」という言葉に拒絶感を抱く人にとっては、最適な入門書になるだろう。
紙の本
保守的に生きること
2002/09/29 17:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
保守思想の真髄は平衡感覚にある。たとえば、自由の過剰は放縦にいきつく。規制の過剰は抑圧をもたらす。規制によって制限された「自由」と自由による掣肘のもとでの「規制」、すなわち理想価値(自由)と現実価値(規制)のあいだの平衡が「活力」である。このようにして、経済、政治、世間、文化という社会の四側面に平衡をもたらす保守思想の価値の四幅対、すなわち「活力・公正・節度・解釈」が得られる(22章)。
しかしながら、これらの価値は実体ではない。歴史・慣習・伝統に根ざした枠組み・ルールであり(感情・思考・行動の)形式である。技術知ならぬ実際知に基づく「皮膚」(オルテガ)であり「額縁」(チェスタトン)である。だから保守思想は(しばしばアナーキーにみえる語り口でもって)物語を紡ぐ。《保守思想家たちの多くは、物語における結構がきわどい平衡感覚によって保たれることを知っている。その平衡感覚を表すに際して、ニーチェ的なウィット(機知)やチェスタトン的なユーモア(諧謔)が必要だということも知っている。》(13章)
つまり、平衡感覚は歴史感覚である。それは「愛着[アタッチメント]」によって培われる。保守主義者ならぬ保守思想家の愛着は、抽象的・一般的な「目的」(理想)にではなく、より具体的・個別的・特殊的な「手段」や「手続のルール」(たとえば会話の作法)に向かう。保守思想が現実主義的であるとは、その意味においてである。《愛着するものを何も持たない人間だけが、変化をそれ自体として迎え入れる、それが進歩主義の正体なのだ、と保守思想は見抜いただけのことである。/「それ自体として」楽しみを与えるもの[たとえば会話──引用者註]を大事にするのが保守思想だということもできる。愛着はまぎれもなくそうしたものである。》(10章)
かくのごとく、保守思想は具体的現実性に執着して、思想の論理的体系化を嫌悪する。《しかし、具体的現実の存在感に訴えるというのは、思想として邪道であろう。保守思想は認識論と実践論において、また両者の相互関係において、かなりに体系化しうるものである。それを述べるのが本書の趣旨ではないが──本書のねらいはこの体系化において考察すべき事項を網羅的に指摘しようとするところにある──その体系化の出発点として、「自分」を(あるいは自我を)、個/集と公/私の四元軸のなかにおくことが不可欠だと思われる。》(12章)
「四幅対」といい「四元軸」といい、旧著『知性の構造』で明かされた西部邁の「図解思考」が特有のレトリック(語り口)を纏って存分に発揮されている。小著ながらボディブローのように効いてくる「濃すぎる」書物で、個人的にはノヴァーリスとキルケゴールに関する記述(12章,36章)が面白かったけれど、たぶん再読はしないだろうし、次の記述などはいったい何が言いたいのかよく理解できない。
《保守思想の問題としていえば、国民が天皇に愛着を寄せているかどうかだけを問うのは思想の怠慢といってよい。その国民的な愛着心の根底に時代意識としての歴史時間が横たわっていることを知らねばならない。(中略)ほかの言い方をすると、思想の次元では、歴史という観念を愛するならば天皇という存在に愛着を寄せざるをえないというふうに思考しなければならない。そして同時に、実践の次元では逆に天皇を愛することを通じて歴史の観念を抱くに至るというふうに生活する。それが保守的ということなのだ。》(38章)