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昭和史の教訓
著者 保阪正康
昭和史ノンフィクション作家の第一人者が、これまでの膨大な取材のなかから現代の日本人に学んでほしい教訓を引き出す。敗戦につながる昭和10年代の政治、経済、マスコミ……の諸相...
昭和史の教訓
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昭和史の教訓 (朝日新書)
商品説明
昭和史ノンフィクション作家の第一人者が、これまでの膨大な取材のなかから現代の日本人に学んでほしい教訓を引き出す。敗戦につながる昭和10年代の政治、経済、マスコミ……の諸相は、あまりにも現代の状況に酷似する。桐生悠々、斎藤隆夫、2.26事件、皇紀2600年、太平洋戦争など、多彩な素材から、えぐり出される教訓とは何か――。保阪正康氏の「自省史観」の神髄が、ここに結実。昭和10年代から教訓を学ばない者は、昭和10年代から報復を受ける。
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紙の本
感情が先走るのが難点だが、本当に昭和史をよく勉強しているところは確かである。
2007/02/25 16:09
9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
保阪正康氏は取り扱いが難しい人である。この人の基本スタンスは昭和の戦争を日本史上最大の愚行ととらえ、その意思決定に携わった人々(参謀や帝国陸海軍の指導層)の責任をあぶりだして徹底的に糾弾する一方、我々に対し「もう二度とあのような過ちを繰り返さないようにしよう」と語りかけることにあるのだ。その意気や、良しである。私も昭和の戦争は日本史上最大の愚行であり、日本史上最悪の恥辱・汚点であると思っている。私は国際政治というものはヤクザ同士の抗争に似た面があると思っている。だから下手を打ったヤツが滅ぼされ、強い奴が勝つの基本で、要は下手を打たないこと、強いヤツを敵に回さないこと、どうしても強い奴に対抗するときは別の強い奴と徒党を組むこと(日英同盟など)が基本だと思っている。だから「あの戦争」は「やむにやまれぬ自存自衛の戦いだった」などという妄言には与しないし、アメリカにしてやられたなどという馬鹿なことも思わない。ただ日本が墓穴を掘っただけなのである。だから基本認識は保阪さんと同じだ。しかし、しかしである。やはり保阪さんは「憎さ百倍」で滑りすぎているところが多々あるのである。瀬島龍三 参謀の昭和史が、その悪い見本で瀬島氏を憎むあまりきちんとした論証をせずに「言い掛かり」「罵詈讒謗」を浴びせているに過ぎないように読めてしまうことが多々あることなのである(もっとも似たようなことを私もbk1の書評でよくやっていて、いい加減な本を書いた著者を憎むあまり筆が滑ってボツになってはいるのだが)。本書でもテロと言論弾圧で社会を封殺した当時の軍部を憎むあまり、抑圧された側を等しく被害者として庇っている点は問題だろう。美濃部達吉のような学者を庇うのは良いが、小林多喜二のような共産主義者まで庇うのはどうか。治安維持法を悪法として糾弾するのは、ちょうどイスラエルのやり方がひどすぎるとしてヒズボラやハマスのようなテロリスト達を「正義の味方」として奉るのと似て間違っている。確かに多喜二は殺された。しかしソ連共産党が権力を握ったあと何をしたかを見れば分かるように、多喜二だって権力を奪取したら何をしていたか分からない連中の1人だったと私は見ている。日本軍部と日本共産党はどうっちもどっちなんである。ただ勉強になる部分も多数あった。例えば2.26事件は皇道派と統制派の派閥抗争であり、統制派が勝利を収め皇道派を一掃したことが陸軍部内に人事の歪みを生んだという指摘(小野寺信氏は皇道派)だっつぃ、東條英機が器の小さい小人物だったという指摘も納得出来るし、近衛文麿や皇室にとっては「妙な冒険心を起こさずに平穏な日々の営みを守り抜くこと」こそが最善の道だったと思っていた一方(これは今日の我々大多数の意見でもある)、陸海軍にとっては「戦争を拡大し相手を屈服させ領土を拡大し賠償金を取ることこそが目的でありそれが出来て初めて陸海軍は存在意義がある(それゆえ和平などはじめから論外で、和平交渉とは戦いを有利に導くための時間稼ぎでしかなかった)」という指摘は、なるほどと思わさせられた。
紙の本
日本人よ今こそ思い知れ
2008/02/21 04:44
7人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最新鋭イージス艦が、それと比べればほんの爪の先ほどの大きさしかない漁船を木っ端微塵に打ち砕いた。
われわれが、すでに戦争の中に生きている現状があらためて思い知らされた。
朝の4時過ぎと言えば、漁船がいっせいに海に繰り出す時間。そんな漁船の渋滞状況の中を、戦争のためにつくられた船が、大手を振って突っ切って進む。
全く文字通り、下々の船を蹴散らして。小さな漁船たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う中を、何恐れるもの無くイージス艦は突き進む。
われわれはすでにそんな現状の中に生きている。
空には最新鋭戦闘機が飛び交い、海には最新鋭艦船が疾駆する。
これまでも、軍事用ヘリコプターが墜落し、潜水艦が漁船に衝突した。
この国には、空も海も、そして地上も、一刻たりとも一般庶民が安心してすごせる、仕事ができる場所は無い。
すでにわが国土は戦場ではないか。
こんな状況になるまで、誰がほっといたのか。多くの悲劇と惨状を生んだかつての戦争が終わり、日本は二度と戦争をしないことを誓った。二度とわが国土を戦場にしないことを誓った。その反省はどこにいったのか。かつての教訓は、結局なんら生かされていない。
昭和史の教訓とは、軍部の拡張路線に皆があっさり載せられたこと。政治も軍国主義拡大を止めることができず、それどころか不拡大方針はいつのまにか反主流に追いやられた。経済も軍備拡張に従った。ジャーナリズムはいっせいに軍部に従順になり、一般民衆も多くは単純に軍国主義を支持した。
日本は敗戦時に、そんな一億総“侵略者”状態から、抜け出す努力を、もっともっとする必要があったのだ。
しかし、当時の最高権力者、大元帥閣下は、戦後もなんら罪に問われることが無く、それどころか、あいかわらず国民の“上に立つ者”として“護持”された。
日本人の戦争責任の放棄・二度と戦争はしないという誓いの希薄さは、ここから出発した。
昭和史の教訓はあまりにも大きい。もう一度、せめてもう一度、すでに遅すぎるのではあるが、この教訓がわが国の眼の前に突きつけられなければならない。
イージス艦が大手を振って漁船をなぎ倒して進む。真っ二つに引き裂かれた漁船の映像がテレビに大写しにされる。こんなわかりやすいバカげた実態が示された。
こんなこと、はやくやめさせなければ、そんな声があちこちからあがらなければ、ウソだろ。
現代の日本には、それさえ期待することができないというのか。
電子書籍
昭和10年代に対する糾弾
2013/10/25 11:59
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:marukina - この投稿者のレビュー一覧を見る
「常識的に日本近代史をふり返ったときに、なぜ日本はこのような愚かともいうべき行動に走ったのか、という視点でみなければ解明できない史実が多いのだ。」(あとがきより)
本書のコンセプトはこの一文に尽きる。
ただ、その糾弾があまりに色濃く出過ぎているようにも思え、主観的意見が多く、バランスを欠いた箇所が多いようにも思う。
・二・ニ六事件の歴史的重要性が改めてよくわかった。
・「農本主義者の敗北」は、新鮮な視点。彼らが、「農業そのものが日本社会の中軸に据えられている」という共通認識をもっていた、という指摘も気づかされることがあった。
考えてみれば、「武士」や「サムライ」を強調してみても、日本人のほとんどのルーツは「農民」。そこを再認識した方が、日本人の特性や利点を活かせるのではないだろうか。