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全編傷。凄まじいまでの傷が生々しく供されている。
著者の他の著書で示されている温かな思いやりの裏側にある、著者の傷が、ここまで露悪的に表現する必要はないのでは、と思ってしまうほどの赤裸々な表現で示されている。
あまりにも鋭敏な自意識を患ってきた患者が、なんとかここまで生き繋いできて、同病を患う人を勇気づけるための闘病記。
小島さんの著書に共感し、読んできた読者としては、小島さんの姿をこれまで以上に立体的に感じることができたという意味でよい本。
しかし、小島さんの本の中で、最初に読むべき本ではない。と思う。
なんだか、わが身に迫り、泣きたくなるようなところが幾つもあった。
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閉じ込めていた過去の蓋を開け、辛い出来事や傷つけられた言葉を思いだし、
書き連ねていくことはとても苦しい作業だったと思う。
筆者は小さい頃からの母親のがんじがらめの束縛が原因で、
摂食障害、不安障害を発症してしまう。
不安障害を夫の深い愛で乗り越えたのは解るのだが、
母親から解縛できたのはなぜか?
臨床心理士の治療を通じて快方に向かったようだが、
母へのわだかまりが解けていった、心が動く過程をもう少し詳しく知りたかった。
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裕福な家庭には生まれなくてよかったのかもと思ってしまうような内容。
小島さんが特別なのか、聡明な人ってこんなにも小さな頃から人の悪意、行動の裏に敏感なのかとびっくりしてしまった。
子供時代の記憶も事細かに描写されている。
私の場合、小さい頃の記憶なんてそう言えばあの子に意地悪されたな程度しか無いし、人の感情の機敏についてなど気づきもしなかった。
親にこうして欲しかった、この仕打ちが辛かったというのは自分が大きくなって振り返ってみるとどんどん溢れ出てくると思うが、それを単純に「毒親」と批判する風潮はどうかと思う。
親は完璧な人間では無いし、あの時こうしてくれたらということを言い出せばきりがない。
その不完全さを許せるようになるというのが大人になるということなのではないかと思う。
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フリーアナウンサーの小島慶子の自伝的エッセイ。
出生から現在までの、家族との関係について、書かれている。
、遠野なぎこの『一度も愛してくれなかった母へ、一度も愛せなかった男たちへ』など、有名女性タレントが最近次々と母親との確執がテーマにした本が出版されている。
しかも、けっこうな年齢になってから。
本当に家族との関係が大変だったときはそれを本にすることなどできないほど、差し迫った状況にあったのかと思われる。
この本の筆者は恵まれた経済環境、恵まれた容姿と頭脳を持って生まれてきたのに、家族との関係に悩み、それが幸せだとは感じてはいなかったのだな。
筆者がフリーアナウンサーになって、イベントの司会をやったときに見に来た母親の友人が、「あなたのお母様変わっているわね」というひとことが客観的にみて、どれだけつらい思いをしていたかがやっと少し理解できた。
それにしても随分思い切ったことを。
家族も、姉妹も、友人たちも、御主人も、いずれ子どもも目にするかもしれないのにー。大丈夫?
毎日笑って暮らせるのがやっぱり一番幸せなんだと思う。
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大変なお母さんだな、という思いと、何もここまで否定しなくてもという感想を持った。
親になったとき、子どもにこのように自分のことを見られたら、小島慶子さんはどう思うのだろうか。
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昼間にTBSラジオでたまたま小島慶子さんの番組を聴いてファンになりました。
小島さんの独特の透明な率直さと明るさが好きなのですが、いろいろと大変なことがあった人だったんだとびっくりでした。
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とても私の母と似ているので小島さんの気持ちはよくわかりました。そして職場で吐かれた暴言も同じようなことがあったな、私も何度先輩女性に呪いをかけたことかと可笑しくなりました。自分の心の中でこれだけは言っちゃいけないでしょうとしまっていたダークなことを全部代弁してくれた感じです。まぁいっかと流せない正直で真面目な人柄なんでしょうね。
意外な半生記でしたが、学校でのいじめも小学校受験の失敗も先生に好かれなかったことも全部家族のせいのように読み取れて正直あまり後味が良くなかったです。
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最近注目が高まっている母娘関係の本にカテゴライズかな。読んでてキツイ。大人になってまで子どもの頃に親にされたことをとやかく言うのはみっともないとか、自分が親になれば、当時の親の気もちがわかって昇華されるとかきいていたけれど、それは「親」の言い訳に過ぎないのかなあと思った。
親子だからといって我慢してまで仲良くしなければならないとは決まってない。親子だからとて過剰な甘えは許されないのだけれど、双方の考えが食い違っていると地獄だ。
未熟な人間が親になり、初めて子を育てるのだからいろいろ間違うだろうけれど、子どもは親のものではなく別の生き物なのだから、と、ところどころで冷静になって切り離して子どもを見たいなあと思った。生んでないけれど。
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「解縛」という言葉はあまり耳慣れないが、意味はサブタイトルのとおり。
インナーチャイルド(内なる子ども=傷ついた子どもの自分)についての独白で、最近は「ママズフィルター」(=母親のフィルター)なる新語も出てきているらしい。
彼女は元TBSアナウンサー。
通常、このような有名人が出す本の大半は、ゴーストライターが存在して聞き書きすることが多いのだが、読み始めてみて、おそらくこの本は彼女自身が書いているのだろうと確信した。
なぜかというと、読みづらいから。。。
文章の切り方とか段落の区切り方などがかなり読みづらい。
これだけ自分のブログを持っている人が増えてくると、ユニークな表現方法や視点で、おもしろくまとまった文章を書ける人は非常に増えてきている。
でもそれはあくまで短い文章の話で、本1冊分の長さとなると、また別の能力や技術が必要になる。
作者にそのスキルが足りない場合に、それを補うのが編集者なのだけれど、この本は内容が重いだけにもう少し軽く読ませる工夫が必要だったのではないか。
そう感じた理由の一つに、筆者は母親だけでなく姉への思いを多く書き連ねているのだ。
母と娘であれば、ある程度時間が経てば情報として「解禁」になることもたくさんあるだろう。
だが姉と妹という年の近い関係はどうなのだろう?
私は自分に兄弟がいないので、兄弟の不仲を暴露することも、それをどこまで許し合えるのかも理解できないのだが、この本を読んで筆者の姉家族がどんな感想を持ち、はたからどんな目で見られるのかを想像して少し苦しくなった。
おそらく姉だって、妹である筆者とはまた別のかたちで「解縛」されていたに違いないのに、その弁明の機会を与えられないのはあまりフェアじゃない。
子ども時代のクラスメートたちから苛められた過去について言及している部分もある。
本人が読んだら、「私のことだ」と気づいてしまうのではないか。
全体的に、真摯に自分を掘り下げようとしているのはわかるのだが、部分的にアナウンサーという花形職業に就いた著名人の特権を振りかざしただけの箇所も見られるのが残念。。。
彼女は高校のころに、自分の容姿がある程度目立ち、優れていることに気づいたとある。
といっても、彼女はいわゆるアイドルアナではなかった。
野心はものすごく感じるけれど、男性が期待する女子アナを演じきれない個性みたいなものを、テレビを通してだけれどもいつも感じていた。
同期アナは小川知子アナと堀井美香アナ。
フリーに転身したのが著者だけで、当初は大きくリードしていたらしい二人ともが現在もTBSの局アナであるのがちょっとおもしろい。
著者は局アナを辞め、単なるフリーアナではなく、個性を活かして独自の波長で発信する今のポジションをつかむにあたり、きっとひと皮もふた皮もむけたのだろうと想像してはいたが、その中身はこの作品に描かれているような葛藤と内省だったのだろう。
強く同意した場所があった。
「母は、他者を持たない人だった。彼女にとって娘は分身であり、作品。彼女が支配したかったのは、娘ではなく、自分の人生だったのかもしれない」。
苦しみ続けた彼女の内面は、一度家族というものを「諦めた」ことと、彼女の夫によって解放されたようだ。
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小島慶子さんがこれまで辛い思いで頑張って生きてきた背景には育った環境や家族関係も影響しているとは思うが、それだけではなく、小島さんご自身が生まれながらにして難しい性格なのではと思ってしまう。
強がりであり自分への肯定感も強く、その反面、常に他人の自分への視線や態度が気になり、過剰に反応してしまう。
生きてゆくことが普通の人より大変な方なのではないだろうかと感じてしまった。
全ての思いをぶちまけても黙って聞いてくださる優しいご主人に巡り逢えて本当に良かった。
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一文一文に込められた意味が濃密なのに、そのまま頭に入ってくるところは、さすが正確に言葉を伝えることを長年の使命として、それを果たしてきた人だからだなぁと大変感心した。
また、言葉の端々に他人からのさまざま呪縛が滲み出ており、読んでる方は苦しくなる。
私も自己愛だけの強い母親に育てられてきたため共感する点も多いが、作者のように、多くの出来事を毎回ここまで徹底的に掘り下げて消化していたら苦しかっただろうし、家族に分かり合える人がいなかった様子も彼女の悲劇を深めたと思う。
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小島慶子の自伝。
彼女の本はこれで2冊目。
彼女が記した『わたしの神様』という女子アナが主役の小説を読んだとき、鋭い描写と感じると同時に、何でこんなに屈折した人物ばかり出てくるのだろうと思ってたけど、これを読んでわかった。
つまり、彼女の実体験がベースだったのだなと。
今までこの手の本は何冊も読みましたが、世間的には成功者として見られる彼女が、ここまで過酷な経験をしてたとは露知らず。
転勤族の娘として生まれ、癖のある両親と姉に育てられ、転勤のたびにスクールカースト→いじめに遭遇し、15歳で摂食障害となり、女子アナになったはいいけど男性社会で虐げられ、結婚して子供を持つと今度は不安障害で葛藤する。
そういう中で、女子アナを「男性優位社会に依存して特権を得る女の象徴」、家族を「愛の債権者」と言い切る彼女独特の鋭い感性と、家族に認められなかったことに由来するガラスのハートが作られたのだなと。
そして、毒親の元で生まれ育った以上、そういう運命から逃れられないと感じた。
最終的には自分で乗り越えるしかないのだと。
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言葉を大切にする文章は品が良くて迫力がある。執念深い内省の手記。
子供時代の記憶を読むのが一番しんどかったな。
子供時代の傷は、どれだけ時間が経っても生々しくいたむものなのか。もしかしたら、子供時代の回想の空気が、この人の実家の雰囲気だったのかもしれない。
年を取るって良いことだよね。ライジングしまくってた自意識も落ち着いて、自分を色んな角度から眺められるようになるし。
摂食障害って、とりあえずは母親を持つことのできた人が、母との関係をやり直したくてなる障害だ。と、私は思うのだけど。この人は、執拗に内省を重ねることで、彼女の中の母との関係をやり直したんだ。
この人の両親って、私の父に似てる。父は母親を持つことができた。その一点だけで、私は父を羨んでいたけれど、あまり幸せな子供時代ではなかったのかも。
日常的な心理的虐待と、時々タガが外れたように起こる肉体的虐待。小学生の子供を一人留守番させるのもネグレクトかな。アメリカだったら逮捕されてた。精神的ネグレクトとは、ほんのちょっと違う気がする。
「承認されたい気持ち」だけで行動を起こすと、うまくいかないもんなんだね。そんな時は、自分の痛みにしか目を向けていないからだろうな。
バブルを永遠だと信じてた人って、救いようもなく愚かに見えてしまう。人は時代に作られる要素が大きいから、仕方のないことなんだろう。
高度成長期の、未来はバラ色で、努力次第で何でも選べる幻想が自分の一部になっている人は、思うようにならないと敗北だと感じてしまう。人生は思うようにはならないもので、思うようにならないからって自分が無価値だなんて考える必要はない。そのことを知るためだけに、何年も時間を掛けて苦しまないといけないのかも知れない。一生を掛けてもそれだけのことが学べずに、もしかしたら、思うようにならないことは全て他者のせいだと、恨みを抱いて周囲の人に見当違いな復讐をしながら生きている人もいるのかも。そう思うと、なんだか哀れだ。
私たちは生まれてくる時、何一つ選べない。容姿も、声も、親も、国も、時代も。何一つ。子供が親を選んで産まれてくるなんて、嘘だ。そう信じたい人は信じればいいと思うけど、私は無理。
http://www.dailyshincho.jp/article/2014/02181616/?all=1
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海外駐在の商社マンの父、美人で自信過剰の母、9歳上の優等生、母の女友達の姉、母の身代わりの娘。ひねくれた子、小学校やシンガポール日本人学校で序列をわきまえずいじめられる。上流階級の女子校、格差と母の確執、女子アナ。摂食障害、不安障害。
子どもの頃のことをそんなにも覚えているのか、そこまで深く考えているのか、すごいなーって感じ。障害にならないのは、鈍くて考えない人だからかもと思えてきます。
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メンヘラ達ー!!
心が締め付けられて物理的に痛い気がするからくれぐれも無理せず、でも確実に読んでー!
文章も品が良く丁寧で素敵な読み物でした。
読むたびに見方が変わるかもしれない。