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乱紋(上)
著者 永井路子
織田信長の妹・お市の方と、近江の雄・浅井長政のあいだには3姉妹がいた。長女・お茶々は豊臣秀吉の側室として権力をふるった後の淀君。次女・お初は京極高次の妻となり、大坂の陣で...
乱紋(上)
乱紋 新装版 上 (文春文庫)
商品説明
織田信長の妹・お市の方と、近江の雄・浅井長政のあいだには3姉妹がいた。長女・お茶々は豊臣秀吉の側室として権力をふるった後の淀君。次女・お初は京極高次の妻となり、大坂の陣で微妙な役割を演じる。そして、最も地味でぼんやりしていた三女・おごう。彼女には、実に波乱に満ちた運命が待ち構えていた――。おごうの生涯を描いた長篇歴史小説。
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紙の本
織田信長の姪
2019/10/26 20:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
お市の方の三女、お江が主人公。侍女のおちかの目線で語られます。華やかな美人で頭も良い長女、次女に比べ、地味で口が重いというお江の性格設定が面白いです。
紙の本
おごうの処世術を学ぶ
2011/02/13 21:50
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本編は永井路子の歴史小説である。とくに鎌倉時代の歴史に基づく小説が多い作家であるが、これはわが国では最も人気のある戦国時代から江戸時代にかけての著作である。今NHKで放映中の大河ドラマの主役である「おごう」に焦点をあてたものである。大河ドラマで取り上げられると、書店に一斉に主人公に関係する本が並べられる。これもそのひとつである。
本書は随分以前に書かれたものである。本書は主人公おごうの侍女に語らせるスタイルを取っているが、今までに私が読んできた永井作品とはかなり趣が異なるものであった。これまで鎌倉時代、平安時代の作品を中心に読んできたのだが、それは物語を淡々と語り、ストーリー自体の進行と変遷の面白さを味わうものであった。
本書は、それとは全く異なり、侍女の語りは主人公に対する感情や苛立ち、激励など、人間の情に関する記述である。ストーリーは後から付いてくるような印象である。永井作品にはこういうものもあるのだと、この作家の懐の深さに感心してしまった。
大河ドラマ自体も女性が主人公でしかも三姉妹の登場となると、どうしても女性向けの路線を狙っているであろう。本書もまさに女性向けである。合戦が描かれているわけでもなく、侍女の眼から見た三姉妹、間諜との恋愛などまさに女性向けである。
様々なおごうの物語があるが、本書では三姉妹が清洲の織田家に預けられてから、徳川家に嫁ぎ、大坂夏の陣が終わるまでが描かれている。当初優位に立っていた茶々とおごうの立場が逆転して悔しがる茶々の対照が面白く描かれている。それらの変化にも一切動じないおごうが大物に見えてくる。終盤にお福、即ち春日局が悪役で登場するのは読者に対するサービスかもしれない。
朝廷との意外なつながりや、権威(官位)の利用の仕方など、江戸時代ならではの世相が垣間見られて面白い。文庫本2冊、それも1冊が相当分厚いので大したボリュームなのであるが、その割には充実感が残らないのはどうしてなのだろか。
おごうに関する伝説の真偽については、巻末に著者自身が解説を書いている。これも結構歴史の勉強になった。
紙の本
戦国にひとり生きる
2020/08/10 21:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
『流星~お市の方』で信長の妹を描いた作者の、彼女亡き後に残された娘を描いた本作。
母親であるお市が、戦国が要求する政略結婚という運命に正面から立ち向かったのとは異なり、娘であるヒロインおごうはほとんど能動的な動きをしない女性として描かれているのが対照的だ。永井路子のヒロインは明るくものに動じないタイプが結構多かったが、戦国という女性が生きるには制約も多く、個人の意思や努力だけでは事態をどうしようもなかったという時代の状況を踏まえると当然存在しえたであろう別のタイプを提示してくれたという点で新鮮でもある。
だか一見受動的とも見えるおごうの人生には、目先のことに動ぜず大きな波に身を任せるといった趣があり、その中から何をつかみ取り、何を心の支えにするかはどんな時代にあっても各人次第だということに改めて気づかされる。才気煥発な二人の姉たちや周りのものにも「鈍い」と言われる彼女だが、おそらく目先の打算や欲、実家への支援だけでは到底乗り切れない過酷な時代だったはずだ。感情的に一喜一憂するのはここでは侍女の「おちか」の役割であり、目先の欲望に身を投じるのは「おたあ」の役割としておごうからは完全に切り離されている。そうしてこそ初めて戦国だけでなく現代を生きる我々にも、困難な時代を生きる人間のひとつのタイプとして鮮やかに浮かび上がってくるのだ。感情を殺すのではなく、皮膚の下に隠しつつ生きるのも凛として爽やかなのである。