電子書籍
草笛の音次郎
著者 山本一力
この男、化けるかもしれねえ――。三度笠、縞の合羽に柳の葛籠(つづらこ)、懐には百両の大金。今戸の貸元、恵比須の芳三郎の名代として成田、佐原へ旅する音次郎。待ち受ける試練と...
草笛の音次郎
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草笛の音次郎 (文春文庫)
商品説明
この男、化けるかもしれねえ――。
三度笠、縞の合羽に柳の葛籠(つづらこ)、懐には百両の大金。今戸の貸元、恵比須の芳三郎の名代として成田、佐原へ旅する音次郎。待ち受ける試練と、器量ある大人たちが、世の中に疎い未熟者を磨き上げる。仁義もろくにきれなかった若者が旅を重ねて一人前の男へと成長してゆく姿をさわやかに描いた、股旅ものの新境地!
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紙の本
姓は草笛、名は音次郎と申しやす。いまだ渡世若輩の駆け出し者……
2011/06/21 12:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
子供のとき、テレビの時代劇で何度も見たし、まねして遊んだりもした、あの、やくざのせりふ、「おひけぇなすって、てめえしょうごくとはっしまするは、……」っていうのが、解説されている!
>「左足を半歩さげて半身に構えろ」
(中略)
>「そのまま右手を膝のあたりに真っすぐ伸ばすんでえ……よし、それでいい。左手は後ろに回して、帯の貝の口にくっつけろ」
>「すみません、うしろの手は」
>「軽くこぶしに握ってろ」
(中略)
>「腰が高くなってるぜ」
(中略)
>「(略)分かりましたじゃねえ、渡世人らしく、がってんだてえんだ」
>「あ、そうでした」
言葉遣いを直されるところは、佐伯泰英の『鎌倉河岸捕物控』シリーズで呉服屋の手代だった政次が金座裏の宗五郎の子分になったときを思い出す。しかしあちらに仁義を切る場面はなかった。こちら、「仁義」の所作動作が、ここまで厳しく細かく、定められたものだったとは!これを間違うと、文字通りアウト、ピッチャーがボークをとられるようなもの……どころではすまないらしい。
「仁義」のせりふは、誰でも知っている有名な地名を挙げてそこから自分が生まれた土地がどの方角にあたるかを示し、生地の風物をできるだけ美しく雅に紹介し、親分の名を挙げて素性を明らかにする。決められた形式のなかでも生地と自分の二つ名を表現する言葉で知性と感性のきらめきを示すようである。
私が子供の時に見た時代劇で一番印象に残っている仁義は、森の石松が初めて清水一家に来たとき、しゃべるたびにどもるので皆が軽く見ていたのだが、いざ仁義を切ると立て板に水を流すようにしゃべって、すっかり感心される場面だった。今思えば、石松はどれほど血のにじむような稽古をしたのだろう……。
渡世人の初心者、草笛の音次郎は、あまり大柄ではない優男で、素直で明るく、勇気がある。いかにも少年もののドラマや漫画の主人公みたいだ。そんな彼が、いきなり、大金を宛がわれて、親分の代参で江戸から成田まで行くことになる。出発してすぐに乗った船の相客の、母娘の二人連れが、音次郎の大金を見て目を光らせる場面があり、きっと彼女たちが色仕掛けと泣き落としでだましとるに違いない、と思った。ところが、なかなか、そんな場面にならず、音次郎が泊まった宿に押し込み強盗が入ったり、音次郎が盗賊の首領の似顔絵を描いたり(『鎌倉河岸捕物控』のしほみたい)、神社の竹林の番人をしているわけありの老人と知り合ったり、盗賊とまちがわれて番所に留め置かれたりする。
いかにも少年もののヒーロー草笛の音次郎には、優しいおっかさんがいて、旅の用意を細々とととのえてくれたのだが、そのなかにあった手拭いが、みごとに役立って音次郎の命を救った。この場面は楽しかった。それがきっかけで、音次郎にはふたりの「舎弟」までできてしまった。なんだ、桃太郎か?最後は盗賊一味と対決することになりそうだぞ、鬼退治か!
音次郎が生後三箇月からうなぎ好きという設定も生かして、随所にユーモラスな表現がある。音次郎も舎弟たちも、生まれ落ちたときから渡世人だったわけではなかった。不幸な事情があってそうなってしまったのだが、彼らの性格はあくまでも明るい。一種のビルドゥグスロマンだと思う。
紙の本
シンプルに真っ直ぐに。
2006/05/30 20:18
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろし - この投稿者のレビュー一覧を見る
しかし一体、どれほどまでに江戸時代を研究したら、これほどまでに面白い作品を次々と紡ぎ出せるのだろうか。山本一力の作品にはハズレが無い。どれを読んでも心震え、胸がすく物語ばかりなのだ。
時はいつも江戸時代。そしてその物語の殆どが、江戸の町を舞台として描かれている。だが。物語ごとに、器用なまでに変わる視線。ある時は名物旅館の女将であったり、大店の主であったり便利屋であったり。はたまたある時は駕篭かきの視線であったり渡世人のそれであったり。とにかく色んな角度から、またその角度独特の視線で江戸を見つめ編み出される物語に、読み手が飽きるという事が無い。その研究心と筆力に、ひたすら脱帽するばかりだ。だから読み手は、山本一力の世界を歩けば歩くほど、その脳裏にありありと江戸の町が、立体的に再現されてしまう。しまいには、読み手自身が江戸の町を歩きながらその物語を傍観しているような感じにさえなるのだ。いやこれは言葉っつらを取って欲しくない。本当に、そんな感じがするのである。そしてその感触は、えも言われぬ快感を与えてくれる。そう僕ら日本人の、DNAを琴線を、掻き鳴らしてくれるのだ。
さて本作、渡世人音次郎の、江戸から成田までの旅が骨子となっている。貸元(親分)の名代として、成田の貸元まで挨拶に行くわけだが。訳合って渡世人になりたての音次郎には、次々と艱難が降りかかる。その艱難に、真っ直ぐな気持ちと体でぶつかっていき、音次郎はまた成長していく。「真っ直ぐ」であること。シンプルであるが、これほど難しい事は無い。真っ直ぐであればあるほど、傷つき苦しむ事もある。でもだからこそ得られる、何にも替えがたいものがある。そう、それこそが「義」であり「仁」なのだ。音次郎の真っ直ぐな心。そしてそれを粋と感じ、義で結ばれていく人々。そして生まれる、仁。
どうかそれらを、真っ直ぐな心で、読み受け止めてみて欲しい。