紙の本
このエッセイ集は、森達也の主に戦争を主題にしたものを集めたものだ
2019/01/06 20:03
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
このエッセイ集は、森達也の主に戦争を主題にしたものを集めたものだ。2008年から2014年位に書かれたものだ。その当時の日本や世界の状況がよく分かる。そして、その状況が今も少しも変わっていないことがよく分かる。
紙の本
今読まなければならない本
2015/09/29 13:03
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投稿者:なおひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に本当に正念場の今こそ読まなければならない本。
引き返せなくなる前に、一人でも多くの人がこの本を手に取り、ほんの少し立ち止まることを願います。
立ち止まってみたら、周囲の景色の流れがおそろしく速いことに気づくでしょう。
そしてみんなどこに向かってるのかもわかるでしょう。
流れに乗るのはそれからでも遅くありません。
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現在戦乱にあえいでいる地域や過去の日本の戦争体験を補助線にしながら、日本の現状をさまざまな角度から俯瞰・考察している。
啓蒙書ではなく、あくまで議論の起点になるような意見提示のスタイルだと思う。個人的には共感できることが多かった。
一番胸に刺さったのは、スーフ難民キャンプで会ったパレスチナ避難民・ムーサさんの言葉。
「国はバカだ。でもおれたちは国じゃない。おれたちは一人ひとりだ。だからいつかは殺し合いをやめる。平和な世界は夢じゃない」
この言葉を、対岸の火事ですますことはできない。
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少しふざけた感じのところもありますが。
おおむね内容には同意したいと思います。
個人的には、本当は相当やばいくらいに
右傾化して、独裁的(本人達がそう思っていなくても)
になっていて、相当幼稚で稚拙な世間・マスメディア
・政治家・国家になってきているのでは?
とうすら寒くなる感じがするときもあります。
いろんな見方。意見。感じ方。背景。制約。前提が
あるのでしょうが、平易な文章に直した時に
子どもでもわかる矛盾や違和感は、核心である場合が
多いのではないかと思います。(なにごとにおいても)
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収められているすべての論考がISによる後藤さんらの殺害が起こる前に書かれている。したがって、ISに対する論考はない。しかし、この本からわかることは、あるいはこの本が思い出させてくれるのはISの行為が、僕らが知ることのできないような特別なものでは決してないということである。
この本は思い出させてくれる。原爆による大虐殺があったこと。ホロコーストのこと。カンボジアでポル・ポト政権がやったこと。ルワンダで隣り合った住民が斧や鉈で殺しあったこと。今もまだスーダンで悲惨が続いていること。そして、かつて日本が東アジア、東南アジアで行ったことを。
人間というのはこういうことをするものなんだ、というところから思考しよう、と言っているのだと思う。僕らもそうなりうるということ。そして、その流れはいつしか止められなくなってしまうこと。そういうことを繰り返してきた人類は、多分これからも繰り返すかもしれないということ。だから、今その流れがまだ小さいうちに止めてしまわなければ・・・・ということ。
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この方の本を初めて読んだけど、なかなか面白い。
右寄りの世間中で、左の主張はなかなか珍しい。
内容はイマイチ納得できないところも多々あるけど。
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被害者意識が強く、統制されるのが好きで、集団化しやすい日本人。集団的自衛権や憲法改正が現実味を増す今、日本の行く末が不安になる。侵略しようと思って始める戦争はほとんどない。すべての戦争は、自衛の意識から始まる。
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アメリカのwar guilt programと日本軍の罪は分けて考えるべき。
戦争のメカニズムを知る。全ての戦争は自衛から始まる。他国を侵略してやろうと始まる戦争はない。だから被害だけでなく、加害の意識も重要。要はどちらに傾かないことが大切。
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平易な言葉で語られる平和への思いに共感。「平和で頭がボケているからこそ、気軽に『血を流す覚悟』などと口にできる」、「見たくないものから目をそむける」国民性。始まった戦争を終わらせるのはとてつもなく難しい。だからこそ始めない工夫をするのが政治家の仕事であって、戦争できるように準備するのは違うと思う。
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全てに同意できるわけではないけれど、納得できる箇所もある。
本来は「自衛=戦争」ではないのだろうけれど、現代においてはそれが同義語に扱われる。 「自営」意識を高めれば、いずれは「先に攻撃した」「いや、あれば陰謀だ」などと、柳条湖事件をきっかけに満州事変がなし崩し的に始まってしまったように、(日本だけに限らず)過去の歴史からも明らかなのに。 それとも、「今回だけ」は違うのだと、何を根拠として言い切れるのだろうか。
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森達也の本も新鮮さがなくなった。
それは、森達也の主張に共感することがなくなったということではなく、その逆に彼の主張がほとんど摩擦なく腑に落ちるようになったからなのかもしれない。
タイトルからして、2015年9月に採決された安保法制についての話かと思うかもしれないが、本書はそれ以前に書かれた森氏のエッセイをまとめたものである。単純に時系列に並べたものではなく、2008年から2014年に書かれたもの(ほとんどは13年から14年)を次の4つの章のテーマにそれぞれを振り分けて編集されたものだ。見ればわかる通り、戦争についてのことだ。
第一章 すべての戦争は自衛意識から始まる
第二章 「自分の国は血を流してでも守れ」と叫ぶ人に聞きたい
第三章 戦争の責任はA級戦犯だけにあるのではない
第四章 それでもこの国は再び「戦争」を選ぶのか
森氏は、このエッセイ集の中でもたびたび言及している通り、こういった戦争に対して反対の声を上げるたびにネットでブサヨと言われてディスられてきたという。自分は、小林やすのりの著作なども共感して読んできたので、いわゆる左翼ではないと思う。もちろんのこと右翼でもないのだが。その自分として、森さんの主張はバランスがとられていると思う。これに対して、自虐であるとのレッテルを貼って見えないところから(匿名の立場で)こぶしを放つようなことをする輩については全くいただけない。
森さんはもともとがマスコミの人であり、その立場でのマスコミ批判を繰り返す。その中で、特定秘密保護法が成立した翌日に『ETV特集 戦場で書く~作家・火野葦平の戦争~』とその翌日の真珠湾攻撃の日に『NHKスペシャル日米開戦への道 - 知られざる国際情報戦』を放送したことに対して、ある種の意図と姿勢をもって政府と違う視点を出したものとして高く評価している。もちろん、政府の意向に沿った番組を作るNHKの報道局に対しては絶望的に批判的だが。
2014年12月時点で書いているというエピローグで、次の映画作品の撮影をしているという。そいつを楽しみにしたい。どんな映画かは書かれていないが、できれば映画館で観たいな。
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・戦争をおこしたい指導者はいない。行き過ぎた自衛の意識から戦争は始まる。自衛意識は都合のよい大義をつくり、大義のためには人を殺してもよいとなってしまう。
・戦争の悲惨さだけを記憶するのは、「戦争をおこさないように自衛力をつける」という、新たな戦争へ向かわせることになる。
・戦争において自分が加害者であったという意識を残すべき。
・調査捕鯨の反対理由で「鯨が食べられなくなる」は間違い。調査捕鯨の鯨の多くは海にうち捨てられ、鯨肉は大量に在庫がある状態。
捕鯨は単純なナショナリズムの象徴として使われているに過ぎない。
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なるほど。こういう見方もできるのかと。
全ての国がせーので一斉に武力を放棄すれば、武器を持たずに均衡状態を作れるのかもしれないけど…均衡状態を維持するのは難しいことだろうな。
人間は群れると暴走する性質があるという前提で、システムを考えないといけない。
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相変わらずどきりとする森達也の著作である。本書もそうだ。「これ、
私のことじゃん」と思う指摘もちらほら。でも、森さん、少々拗ねてる?
ネットで叩かれ過ぎたから?それとも日本の現状に匙投げちゃった?
それでも、きっとこれからも書き続けるんだろうな。「非国民」「売国奴」
「ブサヨ」なんて言葉を投げかけながらも。
某所で私も時にそんな書き込みをされることがあるんだけどさ。なんだ
ろうね、「日本人サイコー」「日本サイコー」って言わない人間はぜ~んぶ
非国民で売国奴でブサヨなのかな。
「飽きた」と言われようと、ウォルター・クロンカイトの言葉をまたまた引く。
「だいたい、愛国主義というのはどうやって定義するのか。政府の行動を
すべて盲目的に支持することが愛国的なのか。それとも、一人一人の
国民が、政府の望むところに賛成しようが反対しようが、祖国のために
正しいと思う原理原則にしたがって発言し行動することが愛国的なのか。
(中略)あの反戦運動をしている人たちも、愛国主義者かも知れない。
少なくとも彼らには、自分たちの祖国愛があなたの愛国心と同じように
真摯なものだと信じる権利はある筈だ。そして、その信ずるところを表明
する憲法上の権利もある。この歴史的な国民的議論にあって、彼らの
言い分をわれわれが報道したからといって、それが愛国主義に反すること
になるとはどういうことだ」
さて、先日、日本とドイツが送って来た戦後の違いを解説した作品を読んだ
のだが、本書でも偶然、森氏がドイツの大学生と交わした会話の一部が
紹介されていた。
東京大空襲の日、沖縄戦の日、広島と長崎への原爆投下の日、そして
終戦の日。日本のメモリアル・デーは被害の記憶だが、ドイツでは加害
の記憶なのだそうだ。
これはまったく知らなかった。そう言えば東京大空襲をテーマにした施設
建設の話があった。そこでは日本国内のみならず、日本軍が中国で行った
空襲に関する展示もされる予定だった。
それに横やりがはって、未だに施設の建設の目途が立っていないそうだ。
「自虐史観だ」ってことなのかな。アメリカでの原爆展が、アメリカの在郷
軍人会の反対で中止になったことがあった。日本はアメリカの原爆展中止
の決定を責められないよね、これじゃ。
なんだか怖いと思うんだ。政府に異を唱えるだけで非国民って言われて
しまう現状が。それが年々、エスカレートしているように思うんだ。薄気味
悪くて、息苦しいと思うんだ。
自分の国がやって来たことを見る目ることが、なんで自虐史観になって
しまうのかな。やったことはやったこととして、直視するべきなんじゃない
かな。例え、それがとても都合の悪いことでもさ。
森達也氏の書く内容は、相変わらず都合が悪い。しかし、これからもきっと
私は読むんだろうな。自分の偏狭さに気づくためにも。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります」
西ドイツの大統領だった故ヴァイツゼッカー氏の「荒れ野の40年」と題され
た演説の、有名な一節だ。
現在にも、未来にも、盲目になりたくはない。だから、過去をしっかりと
見つめたい。そして、同じ過ちを繰り返そうとしているこの国の将来を
憂いながらも「それは違うんじゃないか」と声を挙げ続けたい。
あ…全然、本の感想になってない。(^^ゞ