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読めるところだけサラッと読んだだけなのですが
トンデモ世界を一笑に付すだけに終わらせず
専門家によるしっかりとしたチェックはYはっぱり必要なんだなあ~と。
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神智学のブラヴァッキー夫人からUFOのアダムスキー、爬虫類人のアイク、麻原彰晃、大川隆法などなどオカルト界の大物たちが「霊性進化論」という一つの思想でつながっていく。いわれてみればそうだよなあ、ということではあるんだけど、それぞれをちょっとずつ囓ってきただけの人間なので、おおーと感嘆してしまった。
あと読みながら思ったことを適当に並べるが、これは、科学の概念をへたに人文系の学問に持ち込んで失敗する類いのことでもあるのかなあ。進化と進歩って違うよねぇ。それに、何かの途中で死ぬことは無意味だって思ってしまいがちなので霊性進化論に人は惹かれるのかも、という趣旨のことが書かれているが、何かの途中で死ぬことは無意味ではないと僕は思う《その人が死んだ時、いったい、何の途上であったのか、たぶんそのことこそが重要なのだと思います N・E・オデル》 http://linkreading.tumblr.com/post/15023643427
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ブラヴァツキー夫人に端を発する神智学。その中心的な考え方である「霊性進化論」がどのように現代まで受け継がれていったのかを紐解いている。様々なものを吸収しながらも現在まで途絶えることなくその考えが受け継がれていることに驚きを禁じ得ない。
複雑に入り組んだ神智学の系譜を丁寧に説明していて分かりやすく、神智学の入門書といっても良い内容となっていた。
しかし同時に危うさも感じた。それはこれまでオカルト方面に触れて来なかった、つまりオカルトに免疫のない人が本書を読むことによって神智学にのめり込んでしまうのではないか、という危惧である。社会に対する不満や批判に対する答えが神智学の起源でもある。今、社会に対する漠然とした不安を持っている人が神智学という解決策を示されることによって踏み込んでしまうのではないかということである。だからといってすぐに反社会的な行動を起こすわけではないだろうが、ナチスやオウム真理教が神智学から発展した組織であることを鑑みると不安を感じてしまう。
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今日、ユダヤ人の影響力は甚大。イエスはユダヤ人ではなくアーリア人であり、それにふさわしい偉大な人格の持ち主であったが、その教えは彼の死後間もなく、パリサイ的形式主義によってユダヤ化された。イグナチウス・ロヨラによって創始されたイエズス会も、2代目総長にユダヤ人が就任して以降、ユダヤ的組織に変質した。
ユダヤ人によって考案された金融がうという擬制的かつ詐欺的な手法は今や世界を圧巻している。フリーメーソンの掲げた自由、平等、博愛の理念は民族の絆を弛緩させ、ユダヤ人や有色人種に不当な権利を与えることになった。
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現代オカルティズムの根源である霊性進化論は、伝統的宗教世界を根底から否定するダーウィニズムのカウンターとして生まれたものだという自説に基づき、そこから現代に至るまでの霊性進化論の歩みを論じている。霊性進化論は心霊主義や神智学となり、さらにそこからさまざまに枝分かれしつつ多様なオカルティズムを生んだ。ある主義は持論を裏付けるために科学的根拠を提示しようとしたりと、もう矛盾もへったくれもなくなっていくところがまたおもしろい。一方で、それは世紀の大量殺戮を生んだ恐ろしい歴史でもある。
信じることは、いつか自らの血肉となる。一般にはまったく理解の及ばない、あやうい信仰も、その根源にさかのぼると「自分が信じてきたものが失われてしまうことへの恐怖」という、とても素朴な人間の感情に基づくものだったことを思う。
普段、私たちには「葉」や「木」しか見えない。それさえも見ないようにすることも多い。だけど、オカルティズムそのものの歩みという「森」を俯瞰することで、はじめて見えてくるものがある。そういうことを気付かせてくれる、おもしろい本だった。
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なんでこんなん信じるんだ,という話だが,魅力的なんだろうな。人間は霊的に進化し続ける。で,堕落する獣人と高みへ歩む神人に別れてゆく。自分は選ばれし者。あいつらは愚かにも真理に気付かず動物化していくのだ。何とも排他的,自己陶酔的,被害妄想的なことである。
そういう霊性進化論の潮流を,19世紀末からの神智学,反ユダヤ主義・アーリア人種至上主義,戦後にポップ化されたニューエイジ系諸思想(超古代史,UFO・宇宙考古学,マヤ暦,爬虫類人陰謀論)を経て,日本のオウム真理教,幸福の科学までざあーっと見ていく。前半はあまり馴染みがないが,後半はなかなか面白く読めた。
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「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全や信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」
(使途パウロのコリント信徒への手紙1 13章)
「スピリチュアルや宗教お断り」とか、苦手だという人が多いのも、
それが往々にして、「ハラスメント」と結びつくようになるからだろう。
それは、反動として人々をまた、無神論・唯物論という過ちへと駆り立てることにもなる。
ちくま新書の『現代オカルトの根源』(大田俊寛)に、「幸福の科学」が取り上げられていたのに驚く。
GLA,オウムも、またスピリチュアルや神智学の影響を受けている。
宇宙人論というのも、オカルティズムの世界的状況からすれば、実はそこまで奇異なものではないという。
要するに、常識外れのオカルトは何もK会だけの専売特許ではない。
神秘思想や、オカルトの類は、古代から連綿と続いてきている。
すべての、壮大な霊や魂、神や宇宙論が、「単なる誇大妄想」で一笑に付されるべきではない。
問題は、それが、「妄想の体系」になったとき、差別を生み、カルトを生み、被害者意識を生み、事件まで引き起こすということである。
そこで、私は冒頭に挙げたパウロの言葉を忘れてはいけないと思うのである。
どんなに壮大な世界観や真理を知識として知っていて、
議論で論破しようとも、
基本的な愛がなければ一切は無意味なのである。
パウロのこの言葉は、「カルト」を防ぐ防波堤である。
「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛せよ」というイエスのことばも、
つまりは、「倫理なき宗教、道徳なき信仰は無意味である」ということだ。
私は、神学を用いて議論や論争にふける学者よりも、
聖書を読めないものの、愛を知り、人に親切にすることができる子どものほうが立派なキリスト者であると信じる。
私たちは、どんなに壮大な世界観を知っても、(知らなくてもよいが)、
基本には、愛がなければならないし、
知識がその愛を妨げるようなことがあってはゆめゆめならない。
むしろ、愛を増すための知識でなければそれは偽りであろう。
ブッダは、死後の生命の存続や、宇宙の無限か否かという議論について、明言するのを避け、
その代わり、魂が穏やかになる方法を説いた。
一応、私は輪廻を肯定する立場であるし、オカルトも否定はしていないが、
それを追求するあまり、仮論にふけり、己の心と行いを見失うことは本末転倒と言わざるをえない。
あくまでも、魂や霊界という概念は、「追求」や「探究」の範疇ではなく、
私にとっては、魂の修行の上の「前提」や「仮定」として「あったら便利」「つじつまが合う」程度のものである。
神を「対象」にしてしまうことは、
神を自分の延長にして、理解の範疇に押し込めてしまう極めて傲慢なことだろう。
そして、謙虚さをわすれ、それを他人を裁くための道具とすることは、イエスが最も嫌ったことに他ならない。
私たちは、オウムの痛みを覚えていなければならないし、K会の痛みを忘れてはいけないと思う。
しかし、その痛みというのは、理論を超えて、実は人間にとって良心という本質的なものを示してくれる、魂の声なのだということ。
「キリスト教が上、仏教のほうが平和だ、いや、それらは過去の教えだ、これからは新しい救世主が・・・」
という議論は良いのであるが、それはどうでもいい。
「だから、何なのだ」という話である。
あなたの属する教団や宗教や教祖や開祖が偉かろうが、それはあなたの魂が優れていることを示すわけではない。
むしろ、入り込めば入り込むほど、それはあなたを盲目にさせる。
問題は、あなた自身の魂の世話をすることにほかならないし、
ブッダも、ソクラテスも、それを第一になすべき勤めと説く。
「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るようになる。」
(ヨハネによる福音書 13章)
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「しかし、はたしてわれわれは、その思想を一笑に付して済ますことが許されるだろうか。それもまた、余りに一面的な短見と言わなければならないだろう。なぜなら、宗教と科学のあいだに開いた亀裂、すなわち、科学的世界観や物質主義的価値観のみで社会を持続的に運営することが本当に可能なのか、長い歴史において人間の生を支え続けた過去の宗教的遺産を今日どのように継承するべきかといった、霊性進化論を生み出す要因となった問題は、根本的な解を示されないまま、今もなおわれわれの眼前に差し向けられているからである」 ー 245ページ
科学主義に対応するかたちで神秘主義が隆盛を極め、そしてその極端なかたちのものが出てきてしまうというのは時代を象徴していたのだろうなあと思うけども、少なくとも人々が科学的な世界観を盲信しているからこそ本書で挙げられているようなカルトやらなにやらを忌避しているのではなく、それがあまりにも極端な視座をもっているからということに他ならない気はする。言い換えると、そんな極端にみんな科学主義をとっているとは到底周りを見ていても思えないのだけど、それは時代やら環境やらの問題なのだろうか。
まあ両極のもう一方、ごりごりの科学主義については過激な神秘思想のように弾圧されることもないだろうから、著者が展開したい主張というのも理解はできるんだけれども、別に科学主義と対立せずとも、宗教的遺産を継承するという道はどんどん形成されていっているように思えるし、今後はこういう二項対立が現実に即さなくなってくるのではないかなあと予測。
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大田俊寛『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』ちくま新書、読了。
19世紀以降の宗教運動に共通するの要素が、その二元論的思考といってよい。本書はその根幹を「霊性進化論」ととらえ、神知学からラエリアン、幸福の科学にいたるまでの系譜を明らかにする。
霊性進化論とは、進化論と輪廻転生のコングロマリット。ルドルフ・シュタイナーからナチスドイツ、アダムスキーやオウム真理教にいたるまで、その核を霊性進化論においていることを本書は明らかにする。
陰謀論を想起すればよい。カラクリを知った私たちと洗脳されている大多数の人々。前者が光りであれば、後者を闇とみればよい。本書の分析は宗教だけに収まらない射程を秘めている。
善悪二元論、排他主義的選民思想の跋扈と構造は、本書で腑分けされた霊性進化論のデッドコピーといってよいだろう。
新書ながら非常にコンパクトにその本質を衝く一冊。
関連
なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?
『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/18156
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近代スピリチュアルの原点だと思います。
とてもわかりやすくまとめられています。
こちらに書きました。
http://rimaroom.jugem.jp/?cid=105
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輪廻する霊魂を歴史の果てに進化させ、神の高みへと到達する
そのような大目的のために人が生きるのだとすれば
いま現在あなたが直面する苦境は、あなた個人のものではない
それを乗り越えるための努力は、霊魂の集合知として
回収されるだろう
だからあなたの生には意味があるのだ、という世界観を信じることで
救われる人の心は理解できる
しかし一方、それは安易に選民思想・レイシズムへと
堕するものでもあった
つまり獣欲にのみ忠実な者どもは切り捨てられるべきであると
…ナチスドイツ、オウム真理教、その他多くの先鋭集団が
自分たちこそ「神人」であるとして、それを疑わなかったのである
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評価:★★★★☆
もう随分前になるが、グノーシス主義に興味があったことが一時期あって、そのときに大田俊寛の本を買おうとしたことがあった。
その本は彼の処女作にあたるものだったが、既に絶版であり、古本でもちょっと高価だったので結局手に取らずじまいとなった。
それから時間がたって先日、ニコ生に出演している彼を見たらその話がとても面白かったので、著作の中で一番手を出しやすい本書を買ってみた。
本書を読むまでの僕のオウム真理教に関する理解は、「チベット密教をカスタマイズしたもの」という程度だった。
ところが本書によると、どうやら麻原彰晃は、チベット密教から直に影響を受けたというよりも、カリフォルニア経由で変質した東洋思想や神智学に影響を受けた、かなりニューエイジがかった人だったようだ。
そう考えると、中沢新一を始めとした学者や文化人たちが麻原を好意的に評価したのも頷ける。
言ってしまえば、“同じ穴のムジナ”だったということだろう。
とにかく今の世の中がイヤで仕方がないから変革しようという、世が世なら革命家になりたかったようなペテン師たちだ。
結局、共産主義が挫折して、経済の面で社会を変革するのに失敗したから、今度は精神面でリベンジ!というわけで、そういう時代が麻原にある種のオーラをまとわせたことで東大出のエリートがコロッといってしまったのだろう。
幸福の科学の大川隆法も含めて、こういう感じのカルト宗教をやる人たちは、皆おなじような所に出入りしているというのも、笑えるというか笑えないというか。
子供にシュタイナー教育を受けさせたくてオーストラリアに移住した劇画原作者の雁屋哲さんにもぜひ読んでいただきたい一冊。
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たわ言である。
本書がたわ言なのではなく、たわ言について書かれた本である。「思想というのは本来的に、一般の人が理解しているよりも、はるかに危険なものです」という著者のインタヴューをネットで見て手に取ってみたのだが、核にあるのはオウム真理教体験である。オウムの行状がどこに由来するのか、思想の面からたぐってみたのが本書であり、それは著者が「霊性進化論」と名付ける思潮を辿ることになる。
名前はよく聞く神智学、これがどういうものか本書でよくわかった。話は神智学から始まる。ブラヴァツキーというロシア生まれの女性が各地を放浪し、様々な宗教思想を取り込んで創りあげたのが神智学。輪廻をはじめ古来の思想に影響されながらも、進化論の影響が強いところが特徴で、人間は輪廻を繰り返し霊的に進化して神に近づいていくというもの。さらに人間の霊性進化は大師(マスター)との接触により促され、大師たちは「大白色同胞団」なる結社を作って人間の進化を陰で支えているのである。
しかし大師たちは姿を隠しているので簡単には接触できない。そこで大師と交信するための超能力を獲得することが必要である。そのために修行をする。空中浮遊とか。
他方、人間は霊性を失い、動物化する危険をも有しているのであり、人間を堕落させようという「闇の子」の結社もある。
そして人間の霊性進化が進むと古い世界は滅びたり、動物的進化に走ってしまって滅びたり、いろいろ訳ありだが滅びるのである。
つまり、霊性進化、陰謀説、終末論という三幅対。
何ともお馴染みな感じがするのはフィクションであまねく行き渡っている設定、いや思想だからである。アストラル界だのレムリア大陸だの、ネタの宝庫である。また、神智学の流れをくむシュタイナーはシュタイナー教育で大きな影響を残している。
ところが、霊性進化にアーリアン学説(アーリア人優等学説)、陰謀説にユダヤ陰謀説が結合するとこれはナチス思想の源流のひとつになるのである。
以上がヨーロッパでの神智学の展開。第2部は英米のポップ・オカルティズム。ニュー・エイジ思想の一角を占めていくことになるのだが、ここで脱力。空飛ぶ円盤のアダムスキー、例のマヤ歴終末論のアグエイアス、そして爬虫類型異星人陰謀説。トンデモ本の世界である。
こんな話を一生懸命紹介している著者が可哀想になってくるほどだが、しかしこれらが一定の支持を集めているということも事実である。
そして第3部は日本。ひとつは神智学系ヨーガの流れで、阿含宗が生まれ、そこから麻原彰晃が台頭してくるのである。オウム真理教による殺人は、霊性進化を遂げない人間を殲滅し、霊性進化を遂げた人間の国を作るという思想に裏付けられているのである。
他方、スピリチュアリズムと神智学の結合からGLAが生まれてくる。これは先頃亡くなった平井和正が入信して作品が神がかってしまった宗教団体である。『幻魔大戦』シリーズなどではまさに霊性進化論が出てくる。そしてGLAから分派してきたのが幸福の科学なのである。その教義は実に壮大だが、神智学との共通点がしっか��と保たれているし、爬虫類異星人陰謀説まで取り込んでいるという。
「思想は危険」と本書でははっきり言われているわけではない。しかし霊性進化論の系譜は純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまうと述べられる。すなわち、霊的エリート主義の形成、被害妄想の昂進、偽史の膨張。
思想は危険であろうか。イスラム原理主義者の残忍性に対して、ふつうのイスラム教徒とは違うと擁護されるが、あの不寛容さはイスラム教の教えに内在するものであるとはいえないか。それは何もイスラム教だけが悪いわけではなく、ユダヤ教やキリスト教に共通するものではないだろうか。その危険性を抽出して認識することも必要な営みなのではないか。もちろんアジアの宗教にはまた別の危険が潜んでいるかも知れない。
思想の自由は権力や暴力に向き合う個人のためにある。権力や暴力の背景にもそれぞれの思想があり、たわ言呼ばわりできているうちはいいが、力ある思想には必ずしも自由を与えてはならないかも知れないのだ。
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神智学のブラヴァツキー夫人。
ルドルフ・シュタイナー、アーリア人至上主義で、ヒトラーへと繋がってゆく、ランツの人種差別の宗教、UFO宗教のジョージ・アダムスキー。
オレはもともとオカルトには全く興味ないし。
どうでもいいんだけど。
アイクの話にいたっては、ついに、ついていけなかった。
日本の新宗教もね。
ついていけない。興味ない。
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高次の存在からの指導の下、輪廻転生の中で己の魂を高みへと引き上げる。悪しき存在の誘惑にもかかわらず人類皆が高みへ登ればそこにユートピアが誕生する。
このように人間の魂は進化・成長し高次の存在となることができるという「霊性進化論」の考え方は19世紀後半「神智学」を展開したブラヴァッキー夫人にまで遡ることができ、
それは当時の社会状況グローバル化や進化論に影響を受けて誕生したものだった。
そこから時代を経てUFOや爬虫類異星人、フリーメーソンの陰謀などの要素を取り込みながら現在の新興宗教やオカルトの中にその命脈を保っている。
著者曰く、この霊性進化論はこれまでの歴史から生産的ではないということ、誇大妄想に陥ることが常であるとの帰結に至る。
それは「霊性進化論」という思想がゆえに抱える負の側面であると述べる。
本書を読み進めれば霊性進化論の考え方が生まれた当時ならまだしも、何故現代にいたるまでその血脈にある宗教が存在しうるのかという点に疑問に思う。また多くの読者もそう思うであろう。
しかし、著者曰く一笑に処することはできないという。
何故ならこれらの存在は科学的・物質的な価値観や世界観で社会を存続させることができるのか。宗教がこれまで支えてきた人間の“生”をどう科学的世界観との間で橋渡しできるのか、という問いを投げかけているからである。
オカルトや新興宗教、ニューエイジ思想などに興味のある方は一読の価値がある。