紙の本
部活は教師も生徒も親も大変
2016/02/14 10:13
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投稿者:ひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
組立体操の問題は文部大臣も動き出したようですね。部活問題ももっと取り上げてほしいですね。うちにも中学生がいますが平日の部活に加え、朝練、土日当たり前、夏休み・冬休みは数日しか休みなく旅行も行けずという状況。いまの子供は学校、部活、塾と自由時間がほとんどなく思考の自由度が狭まり大人になっても自分で考える癖がつかぬまま社会に出てきている気がします。先生もその辺のブラック企業よりもよほどハード。親の意識もバラバラで「やるからには結果を求める意識高い系ペアレント」が教師に圧をかけている事実もあります。優秀な人材が教師を志望せず教育の質の劣化につながる悪循環が続いていると思います。コミュニケーション能力の低い幼い若い先生が教育現場にはたくさんいます。
電子書籍
教育リスク
2016/05/05 11:45
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
教育を受ける学校が、いつの間に危険で息苦しい場所になった。「教育は良いこと」という眩しい言葉で、それについて回る「リスク」を見えなくしてしまう。生徒を指導する教師も、ブラック企業並みの労働を強いられる。「教育だから」という同調圧力で、そのリスクも見えなくしている。そんな状況を変えようと、教師や部外者が「教育リスク」を可視化して、少しずつ改善の方向へ向かっている。この頑張りが、児童生徒や学校だけではなく、近隣えおも良い方向へ変化できれば良いと思う。
電子書籍
主張は確かにそう。
2022/04/28 18:45
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投稿者:けんけん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ただ、意識を変える、行政の仕組みを変えるだけでは、解決までたどり着かないのが難しいところ。組体操問題はだいぶ浸透してきたが、部活問題も少しずつ進んでいってほしい。
紙の本
教育に関わっている人は、みんなが読むべき本
2018/05/29 22:45
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投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
『教育という病』(内田良)には、「子どもと先生を苦しめる「教育リスク」」という副題がついています。
帯に書かれたキャッチコピー「「感動」と「美談」の裏側に潜む闇とは?」を、見ると、学校教育を批判するばかりの本みたいに見えますが、ちゃんと解決策も一緒に考えてくれています。
組体操、二分の一成人式、部活動、柔道事故などについて考察されていて、いま教育に関わっている人は、みんなが読むべき本だと思います。
紙の本
予備校の先生に勧められて読んだ一冊。
2016/11/02 01:12
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投稿者:まいきー - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在実際に行われている行事の一つでもある2分の1成人式は、たとえ9割の人が満足しているとしても、虐待や家族の問題で苦しんでいる児童もいること、その1割の児童のことをしっかりと配慮しなければならないこと…この本を読んで一見成功しているように見えることでも、さらに視野を広げ本当にそうなのだろうか、と問い続けることが大切だと感じた。
紙の本
視点を変える
2016/10/26 22:41
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投稿者:ともみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
部活動ありきの教員だけではないし、生徒が事故や怪我なく興味を持ったスポーツを行うために現状では制度として行き詰っていることを指摘されている。日本の文化に即した部活動指導のあり方を模索するために、これまでの視点だけではいけないよ仰りたいのだと私は捉えている。
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<目次>
序章 リスクと向き合うために~エピデンス・ベースド・ アプローチ
第1章 巨大化する組体操~感動や一体感が見えなくさせる もの
第2章 「2分の1成人式」と」家族幻想~家庭に踏み込む 学校教育
第3章 運動部活動における「体罰」と「事故」~ス ポーツ指導のあり方を問う
第4章 部活動顧問の過重負担~教員のQOLを考える
第5章 柔道界が動いた~死亡事故ゼロへの道のり
終章 市民社会における教育リスク
<内容>
教育リスクについて、きちんと科学的根拠(エピデンス)に基づいて考えていこう、という趣旨の本。著者はYahoo!のブログで、運動部顧問のことを書いているのを読んで、気になっていた名古屋大准教授(写真はかなりチャラいが…)。彼は教育リスクを考えない「感動」や「鍛錬」「善きもの」が、教育界の問題点であり、「体罰」の問題は表面化したが、他のもの(組体操・2分の1成人式・部活顧問問題)はかなりヤバい!という。内部にいる私にはよくわかる。教育界は感覚で動いているし、各自の成功体験のみで進んでいる。そろそろしっかりと「理論」的に動かないといけないだろう(部活顧問は世間の常識的に…)。
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「教育」という言葉に守られて見過ごされてきたリスクに対して、具体的なデータや事例をもとに問題を浮き彫りにした1冊。
感情論で片付けられがちな組体操や部活動といっまトピックを冷静な目で分析してあり、今後の展望までしっかり書かれています。
生徒のリスクだけではなく教員のリスクへも目が向けられています。
結局、問題に向き合わないと、子どもだけではなく教員へのリスクも高まるわけで…。今でも十分すり減っていますが、「これは教育なんだ」という言葉で、さらに自分たちを追い詰めている様子が受け取られます。
そのように追い詰めてしまっているのも、学校をとりまく保護者にとどまらず私たち「市民」にも責任があるというところまで言及。
「教育」という言葉の眩さに目がくらんで、リスクが見えなくなってしまっている状態が一番危険。
感情に流されず、冷静な目で問題を認識するきっかけになりました。
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感情で左右されがちな問題に、統計学/科学的な根拠を伴って切り込んだ良書。2016年現在、この本で述べられた問題がようやく改善に向けて動き出した感じがする。
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柔道での死亡事故が多いという話が何年か前に話題になったことがあった。しかし、ここ数年、死亡事故は起こっていない。海外では前からない。リスクをしっかり意識するかどうかではっきりと結果は違ってきている。「スポーツにけがはつきもの」などと言って、少々ふらふらしていても練習を続けてしまう。試合のときなどは、それが美談になりもする。しかし、脳震盪を起こしたあと、ゆっくり休めば問題なかったものを続けたために死亡へ至るということが今までに何度も繰り返されてきた。そういった事実(エビデンス=科学的根拠)を著者は提示し、問題提起をしてくれている。運動会・体育大会の組体操もしかり。感動、クラスの一体感などを持ち出して、どんどん高いタワーへとエスカレートしていく。重傷を負う子どもがいても、次の年も同じように行われている。これには、学校側だけではなく、保護者や地域からの要望もあるようだ。体罰で生徒を死に至らしめた教員の罪を軽減してほしいとの署名をするという生徒・保護者がいる。人の命があまりにも軽んじられていないか。たまたまですまされていないか。周りの意識が少し変わっただけで、助けることのできる命ではなかったのか。これは、教員だけではなく保護者・学校に関わるすべての人に読んでほしい本だ。ところで、ツイッターで著者の写真を拝見しました。茶髪か…見た目で判断してはいけない。若い!(奥付に生年月日がない)
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ネタバレ要素を含むが、多くの人に読んでほしいので「ネタバレの内容を含む」にチェックをしていない。第1章についてはネタバレが多くないので、それだけでも目を通してほしい。また、このレビューをみて「じゃぁ読むのやめるか」と、鵜呑みをするのではなく、ぜひ購入して「いや正しい」「やっぱおかしい」と自分の意見を持ってほしい。
まだ1章と2章しか読んでないけど
「これは駄目だ」と確信した。
自分でも自覚して書いてあるようだけど、基本的に批判中心で、合理的な解決先が打ち出されてない。モンスターペアレントの学者版みたいな感じ。
「感動!」「一体感!」ってそれだけ聴きゃ確かに胡散臭いのはわかるけど、そこに「生徒主体性」が抜けている。経験したからわかるけど、タワー当日までに完成できなかったら「やんなくてもいいよ」っていう選択肢が与えられる。実際できなくて、本番に座っている子どもたちもいた。でもほとんどの子どもたちはそれじゃあ納得しない。「悔しい」「放課後練習する」って思う。
そりゃぁ、子どもたちがやる気なかったらやんないよ。嫌々危ないことやってもケガにつながるから。
でも、どうして多く動画に上がっているピラミッドやタワーが完成しているか、それは子どもたちに「やる気」があるから。もし、これがただの「見世物」だったら私は反対するけど。そうじゃないってことに気づいていない。
第2章は、2分の1成人式についてだけど、なんか趣旨を間違っているのかなって感じた。それは内田さんだけじゃなくて学校側も。だから問題把握の時点でミスってる気がする。「虐待っていう背景は存在しています。だから、そこにふれんといてください」っていう理論なんだろうけどそれじゃちっとも解決しない。逆に虐待など親の問題に気づく、チャンスだと捉えないといけないんじゃないかな?「どうして書くことがないんだろう」「どうして写真がないんだろう?」そういった状況から教師が家庭の状況を把握して「こういう生徒がいるから、写真を集めるのはやめましょう」「家庭訪問をして、生活事情を把握してみよう」などその他の取り組みへとつなげることができるだろう。どうして、その芽をつぶしてしまうのか。
学校が家庭や地域と隔離された場所っていう時代はもう終わった。逆にいまは学校内が習俗化していじめなどの問題が生まれてきてるではないか。いかに地域や家庭に開くか、連携するか。これが今後問われる議題であろう。
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著書はエビデンス(科学的根拠)を軸に、教育リスクの検証や解明に取り組んでいる教育社会学者。本書では「教育」という言葉が持つ魔力を、巨大化する組体操、多様な家庭環境を無視した2分の1成人式、体罰など具体的な事例から暴いています。
「教育という善き営みは、リスクを美談化、正当化し、子どもとさらには教員を巻き込みながら、学校にリスクを埋め込んでいく。そして、市民社会も一緒になってその作業に手を貸している。これからは学校関係者と市民が協力して、その埋め込まれたリスクを、教育活動のなかから掘り起こしていく作業が必要である。掘り起こしたものに、けっして再び土をかぶせることなく、リスクを直視するところから、教育のあり方を考えていかなければならない。」(p254)
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内田先生は本当に教育のことを、何より子供達のことを思って下さっているのだなと。
学校現場はお綺麗事や精神論が大好きだ。
データを出し、分析する、理屈事にめっぽう弱い。
再発防止に努めたり、より良い環境のために改善していくという事もほとんどない。あるとすればそれは地域住民や保護者の方から声が上がった時であり、その場合、得てして教員側の多忙さや思いは「教育のため」「子供のため」という言葉で埋められてしまう。
仮に「教育のため」「子供のため」だとしてもそれはリスクを犯してまで実行すべき事なのだろうか。本当に「子供のため」を思うのなら、過去のデータも元に、線引きをする必要性があるのではないか。同じ過ちを何度も繰り返しているだけで、教育現場は何の進歩も見えない。私はそう考える。
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教育という病
題材として組体操、二分の一成人式、柔道事故、部活動、体罰を取り上げているが、それの改善を阻む「教育は『善きもの』」という信仰が主題である。教育リスクは教員だけに原因を求められるものではなく、生徒、保護者、卒業生を含む外の社会が力を持っていて、教育側が改革しようとした時に頑迷な抵抗を受けるために止められない、という構図がしばしばある。教育に関する事故には、数値のエビデンスが欠けている事例が多く、筆者はエビデンスを集めるところから入っている。
学校の安全を言う時に、21 世紀に入っても不審者対策と震災対策に主眼があり、特に不審者対策が学校安全そのもののように扱われていた。その契機が大阪教育大附属池田小殺傷事件だが、その池田小に組体操を推進する関西体育授業研究会の事務局が置かれているのが、皮肉な象徴である。
組体操に関しては、2015/6 初版の本書執筆時点で人間ピラミッド動画が「嬉々として」公開されているという指摘には唖然とする。保護者が載せるだけでなく、学校のトップページに十段ピラミッドを掲載していた例もあったと言う。
そして、重傷事故を起こした学校で、翌年以降も平然とピラミッドが続けられ、関西体育授業研究会に至っては、大きな事故の恐れを指摘し過去に四人が一度に骨折した事例を紹介しながら「大ピラミッドの指導」を推進しているという実態。
二分の一成人式は、多様な家族態様を黙殺して昭和の多数派の感動のための行事を何の疑いもなくやるという体質の指摘。
部活動は、教員の過重労働が中心でこれも根の深い問題。外部指導者を連れて来れば解決するという風潮もあるが、先生も生徒も土日は休みたいと思っているところへ、外部指導者は教員よりも圧倒的に長い練習時間を要求するというデータが示される。さらに、柔道では、ど素人でなく経験者が重大死亡事故を起こしており、外部委託によりリスクが高まる不安が語られる。
体罰は、学校での暴力事件が表に出るようになったことは報道されるが、その処分が他の犯罪と比べて圧倒的に甘い点が指摘されている。飲酒運転や猥褻ではおよそ半数が懲戒免職となっているのに対し、体罰は 2013 年度の四千件の処分の中に一件も懲戒免職がない。それどころか、体罰犯に対し、学校外から寛大な処分を求める署名が集まるという文化があり、検察と裁判所がそれを支えているというのが現実である。
そして、それを経てきた教職課程の大学生を含めて、多くの人々が暴力を肯定的に捉えている。その現実を直視するところから始まるというのが、筆者の立場である。
柔道事故は、筆者が運動部活動の死亡率を調べてラグビーと柔道が圧倒的に高いことを見出したところから出発しているが、2011, 2012 年に報道された後が報じられていない点も指摘されている。約三十年間に 118 人が死亡した後、2012 年から 2015/4 までは死亡数が 0 になっているという事実。このような改善がなされても、マスコミには黙殺される。
その一方、2010 年に英米仏を調べ、過去十数年の間に死亡例が確認できないという指摘もある。フランスの柔道人口は日本の三倍も���るのにである。その実態調査で筆者が訪れたロンドンの町道場の話が印象的であった。厳格な雰囲気だが、新しい投げ技を教えた時に、指導を受けた高校生が切れよく相手を投げたが、その最後に相手を優しく畳に「置いた」という表現。日本では危険な指導が横行していた柔道を受容した側は、安全であってこそ柔道の意義が高まると考えて事故を起こしていない。
遅れ馳せながら、日本の柔道界も生徒を殺さない指導に切り替えたことは、喜ばしい。
教育リスク本体の問題は、研究が始まったばかりだが、柔道の成果を見ると、改善の可能性はあると期待したくなる。
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リスクはゼロにはならないが、だからといってスルーしてはならない。しかし、いつからこんなに感動が重視されるようになったのか。