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戦後の社会の状態をなましく語っている。食料を買出しに出かける都会の人たちの乗りつける列車の殺人的な込み合いかた、手入れする警察の杓子定規であることによる応用の利かない無様な姿。美空ひばりの歌が、アメリカ的なリズムで出来ていたとの指摘など、社会の関心事がどの辺にあったかが、具体的に解かる。戦後の混沌は、混濁と多面体の時代だったのだ。
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恐らく陰惨なものであろう戦後体験を、陰惨過ぎない程度に、それでいてきっちりとネガティブな経験として書いてある点に好感が持てる。
当時の食糧難は私には想像できるはずもないのだけれど、食料を巡っての諍いや憎しみといった、決して美談で語るべきでない過去が描かれていることはよく伝わった。盗難が日常化していた件などは、日本人の美徳が如何に幻想に満ちているかを再確認するに充分なエピソード。
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戦後間もない時期の日本史について書かれた本。教科書や専門書に出てくるようなものではなく、もっと生活に直結した、そして同世代的な視点でかかれたさまざまなテーマについて書かれている。
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価値観が大きく変わった直近の時期を教えてくれる。想像がつく、証言のウラが取れるだけに、歴史観とかの視点の持ち方に大いに参考になる。著者はクリエイターの大先輩でいらっしゃるし・・・。
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戦後まもない頃のことが詳しく書かれていて興味深い。誰にとっても当たり前だったことって、きちんと記録しておかないと忘れ去られてしまう運命にあるのだろう。ありそうで無かった本なのかもしれない。前半の方がおもしろい。20年代後半篇も読みたくなる。(07.11読了)
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その時の庶民の生活の記録は、歴史書には書かれないが重要なことだと思う。戦時下には天気予報が国家秘密だったとか、戦後の国語教育が混乱したとか。著者の実体験だけに実に鮮やか。
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[ 内容 ]
食糧難、銭湯、列車の殺人的混雑、間借り、闇市、預金封鎖、ラジオ文化など、日本の最も長かった「誰もが忘れかけている」あの五年間を、常識破りの視点からふり返る。
[ 目次 ]
風呂と風呂敷―それを盗みとは言わない
敗戦のレシピ―代用食を美味しく食べる方法
殺人電車・列車―混雑と衝動
間借り―監視し監視される生活
闇市―ヤクザは隣人
預金封鎖―ペイ・オフは昔からあった
何であんなに寒かったんだろう―気象と犯罪・災害
シベリヤ抑留―64万人の拉致
玉音放送
美空ひばりへの愛憎―日本の心とアメリカへの憧れ
復員野球―幻影も一緒にプレーしていた
肉体の門―性と解放
何を信じたらいいの?―漢字制限・新仮名づかい
ラジオ・デイズ―それは「ごった煮」の文化だった
Survivor’s Guilt―あとがきに代えて
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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本書は、昭和20年の敗戦直後から、朝鮮戦争特需で日本が息を吹き
返す昭和25年までの5年間の生活感覚を描いたものです。昭和10年
生まれで、当時ちょうど10歳~15歳の最も多感な時期を過ごした著
者自身の体験と、放送業界ならではの収集力を生かした資料をもと
に、「あの頃のこと」が思い起こされてゆきます。
最初に描かれるのは、盗みの話です。「日本人一億が総犯人だった
といってもいい」と著者は書きますが、とにかく盗みは普通のこと
だったそうです。ただし、〈盗む〉とは言わず〈取り換える〉とか
〈借りる〉という言葉を使う。「そうやって盗みの意識をごまかす
ことに皆が慣れていた」。そうしないと生きていけないのだから、
仕方がなかったのです。
このような〈誰も覚えていない〉もしくは〈意識して語られてこな
かった〉敗戦直後の生活感覚が次々に掘り起こされてゆきます。
食糧事情。買い出し列車を始めとした殺人的な電車・列車の状況。
〈間借り〉が普通だった住宅事情。闇市。インフレや預金封鎖。頻
発した災害。シベリヤ抑留。玉音放送。美空ひばり。野球。性。漢
字の変化。芸能。
知らないことばかりでした。実は、井上の父と母は著者と同世代の
昭和11年生まれなのですが、本書を読んで、両親のメンタリティの
底にあるものが初めて少しだけわかった気がしました。
もとより、それぞれの戦後があり、それぞれの復興があります。で
すから当然にひとくくりにはできません。でも、著者が書くように、
敗戦直後に通奏低音のように漂っていた〈不公平〉という感覚、盗
みや買い出しや間借りを通じて知った人間の醜い側面への不信感、
「ギブミー・チョコレート!」という自分に恥ずかしさを感じなが
らも憧れざるを得なかったアメリカへの屈折した感情。父親達もき
っと多かれ少なかれ同じ感覚を共有してきたのだと思います。
そして、それらは親から子へと、ある種の〈屈折〉として受け継が
れてきたのでしょう。少なくとも昭和10年前後の親を持つ世代まで
は…。結局、70年たっても戦後は終わっていない、ということなの
だと思います。
気になったのは敗戦後数年間は災害や事故が頻発したという事実で
した。「なにか天の処罰を受けているような気分が日本全土を覆っ
ていた」と著者は書きますが、敗戦前後だけでなく、これまでの歴
史を見ると社会の転換期にはどうも大きな災害が連続するようです。
となると、今回の震災にとどまらず、まだまだ日本には混乱が続く
と思っておいたほうがよさそうです。そして、今後の混乱期をいか
に生き抜くかを考える上でも、敗戦直後の時代感覚や人々の暮しの
あり方を検証しておくことは、意味のあることだと思うのです。
当時を体験した方々には思い出したくもない話が多いかもしれませ
ん。しかし、戦後の日本人や日本社会を決定づけたものがここには
あります。震災からの復興を考える上でも示唆に富みますので、是
非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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ぼくの周囲で、いろんな人が物を盗んでいた。子供のぼくは黙って
見ているだけだったけれども、その時その人々が言い訳のように言
っていた言葉、盗まれてがっかりしている人たちが発した言葉は、
よく覚えている。
もっとも間借りしている親戚の米びつから、母親が米をかすめ取っ
ている光景を見たときは、本当にこたえた。それでもぼくは「そん
なことするなよ」と止めなかった。生きてゆかねばならなかった。
来る日も来る日も同じ食事なのだ。腹がいっぱいになる、ならない
もあったが、こう単調では〈食べられない〉のだ。餓えていれば何
だって食べられる、毎日いもでもいい――そんなことはない。近代
の餓えは、贅沢でも何でもない、〈とても食べられない〉餓えとい
うのがあるのだ。このことがいまの人にはなかなかわかってもらえ
ない。
当時都市に住んでいた人間たちは、ほぼ定期的に〈買い出し〉に行
かねばならなかった。東京から一日18万人が買い出しに出たそうだ。
買い出しといっても買うのじゃなくて、〈物々交換〉、見慣れたわ
が家の衣類が消えてゆく〈タケノコ生活(タケノコのように一枚一
枚着ているものがなくなってゆく)〉。それも悲しかったが、買い
出しに連れて行かれるのは本当にイヤだった。農家の人たちは、ぼ
くはあえて書くのだが、これまで散々都会の人間に馬鹿にされてき
たのだから、うんとこらしめてやろうという悪意に満ちていた。
(…)あんなに侮辱しなくてもいいだろう、侮辱を我慢しなければ
何も分けてもらえなかった。
〈焦土〉、文字どおりこれだった。残された写真を見てもわかる。
見渡すかぎり何もない、黒々と焼け焦げだ土だけが目の前に広がっ
ていた。
ぼくは戦後日本の、特に終戦直後の日本の基調音となったものの重
要な一つは〈不公平〉という感覚だったと思う。この感覚が、戦後
の不安感、危機感、あるいはイライラ感や暴力衝動の根本にあった。
すべてそこから生じたのだ。
深刻なトラブルが生じるのは、家族ぐるみの間借りだった。(…)
追い出されるのだ。ほとんどの場合、同居させる家族とする家族と
の間に懐疑と憎悪が生じた。
間借り、が何をもたらしたか。人間不信と狂気だ。いくら話しても
そのことはわからないだろう。皆が語らなくなるのも無理はない。
これもやはり忘れられてゆく戦後なのだろうか。
このアメリカの放出物資が助かった。〈ララ物資〉である。
Licensed Agency for Relief in Asiaの頭文字をとったもの。アメ
リカの宗教・労働・教育団体が連合して食糧・衣料・薬品等を提供
してくれたのだ。(…)とにかく日本人がこんなに恩義を感じたも
のはない。そしておそらくアメリカ人への好感情を抱かせた最大の
成功例だったに違いない。
この大地震・大津波の連鎖の近世での記録は安政元年にある。(…)
地震はこの年から頻発し、ちょうど開国を要求して来航したペリー
の黒船に呼応するように、日本全土が震えつづけた。不思議にも横
浜・長崎を開港した安政6年になると地震はやむ。
こんなに歴史をさかのぼらなくてもいい。終戦をはさんで東南海地
震と南海地震が連続した。
敗戦後の数年間は「殺人電車・列車」の項で挙げた鉄道災害も含め
て、本当に災害の多い年だった。なにか天の処罰を受けているよう
な気分が日本全土を覆っていた記憶がある。
シベリヤ抑留の問題は、日本人同士がこうした醜い人間的側面をさ
らけ出したことにあるのだろう。そしてそれこそが、シベリヤ抑留
を我々に忘れさせている、拉致や抑留がこれほど問題になっている
昨今なのに、すこしもこの問題が〈国民の記憶〉に蘇ってこない要
因になっているのだろう。
ぼくはジープに乗った進駐軍の兵隊に「ギブミー・チョコレート!
ギブミー・チューインガム!」と叫んだ世代で、親に叱られるまで
もなく、その恥ずかしさはわかっていた。わかってはいたけれども、
アメリカのもたらした自由と豊かさはやはりあこがれだった。いわ
ば恥といっしょに民主主義を学んだようなものだ。
芸能の復興の速さは、敗戦日本の潜在的「力」の表れだった。
考えてみると〈幸せな疎開〉のことをすこしでも書いたのは初めて
だ。とても恥ずかしい感じがする。申し訳ない感じがする。
死んだ、死なないだけでも、まず不公平だ。戦争とそれに続く戦後
のことを思い出すたびに、最初に頭に浮かぶのは〈不公平〉という
言葉だ。戦死した者、生き延びた者。家を焼かれた人、家が焼け残
った人。闇で儲けた人、餓えに苦しんだ人。(…)
それは決して運の良かった人、悪かった人ではない。たまさかその
とき運の良さそうに見えた人も、その後長いこと〈生き延びた者の
罪悪感〉を味わうことになる。
おそらく日本人はこのSurvivor's Guiltの人一倍強い民族にちがいな
い。生き残った人間のこの罪悪感が靖国問題でもあり、戦後の歴史
認識の問題でもあるような気がしてならない。
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●[2]編集後記
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ブータンの国王夫妻が来日して話題になっていましたね。被災地を
訪れている状況や国会での演説を拝見しましたが、美しい佇まいは
もとより、静かに祈りを捧げるお二人の姿には心を打たれました。
仏教式の手を合わせるお祈りをするお二人を見ながら思ったのは、
こういう時、日本人は何に対して、どのように祈るのだろう、とい
うことでした。神式でも仏式でも、ましてやキリスト教式でないで
しょう。震災以後、〈祈り〉という言葉は多用されてきたように思
いますが、日本人にはそもそも皆で共有できる祈りの形がないんだ
な、ということに、今更ながらに気づいたのでした。
祈りの形を象徴してきたのは天皇なのかもしれません。しかし、天
皇の祈りは、今となってはほとんど見ることができません。天皇が
何に祈っているのかさえ、私達はよく知らないのです。
祈りの形がないということは、畏れや敬いや感謝や神秘の対象が定
かではないということです。自由と言えば自由ですが…。
「ブータンは龍の国。一人一人の心の中に龍がいる。龍を育てなさ
い」と福島の子供達に向かって話すブータン国王の姿を見ていて、
失ってしまったものの大きさを思ったのは私だけでしょうか。
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日本の最も長かった「あの5年間」。
もちろん私は直接は知らないけど、私が子供だった昭和の頃は、地続きの昔であったような気がする。だけど気がついてみれば、「昭和末期における『戦前』」ぐらいに遠い時代になった気がする。
それを、かなり生々しい肌感覚で書く良著。分かりやすい。
テレビ出身の人であるからか、文字情報だけでないものに対する目配りが鋭い。音楽とか。
でも、本当のところ分からないのは、昭和30年代のように思う。とくに前半。
だから、この本は続編が昭和20年代後期で、そのあと30年代前半まで続くそうで、実に楽しみ。
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チェック項目14箇所。戦後の日本・・・盗み(取替え)、すべては盗まず、いいもの一点だけ・・・対策として風呂敷。母親が親戚の米びつから米をかすめ取っている光景を見たときはこたえた。美味しい=腹いっぱい食べる。飢えていても同じものばかり食べていれば食べられない。列車の満員地獄・・・身動きできずに8時間、窓から小便をする男性もいた。昭和20年12月19日、母親に背負われた乳児が満員電車で圧死。間借りの時代の悲劇は台所から起きる、隣人が何を食べているのか?おかずはない、主食は何か?第一回宝くじが昭和20年10月に発売、一枚10円、一等10万円。身分証明にはハンコ、闇市にも販売される。ペイオフ、昭和21年にある。一般庶民には何一つ情報なし、予防できず。暁に祈る・・・歌詞の悲惨さ。終戦間際には敗戦のリークが一般庶民にも流れていた。歴史的仮名づかひの存在。戦後の不公平・・・死んだ、死なないなど、生き残った人間の罪悪感。
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美空ひばりの下顎をよく動かす歌い方が英語国民の発声法に近いこと。
パンパンの服装が米軍将校夫人たちのそれ、さかのぼれば映画「ならず者」のジェーン・ラッセルの男勝りの女の格好だったこと。
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例えば、太宰や織田作之助らが生きた敗戦直後の副読本として興味深い。時代下って、思えば闇市のことも、シベリヤ抑留のことも、いつしか年表的知識になってしまっている。
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玉音放送の時立っていたか否か、買い出し列車がどれほど殺人的な混雑だったか、ラジオでどんな音楽が流れていたのか、等等…
記録には残らない、筆者の記憶を記しているからこそ、当時の空気が伝わってくる気がする一冊でした。
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1935年生まれ、鴨下信一さんの「誰も戦後を覚えていない」、2005.10発行です。ここでいう戦後は昭和20年から25年の5年間を指してるそうです。最大の関心事は、飢えないで過ごせるか、そして腹いっぱい食べてみたいの2つだった時代。銭湯に入るときは脱いだ服を風呂敷に入れて結び、浴室から時々覗いて確かめる・・・。一億の日本人が盗み盗まれ、ある意味みんなが総犯人であったような時代。最悪の住宅事情、間借り生活で、監視し監視される生活、息をひそめて暮らす日々。そんな時代、私もなぜか少し覚えています。
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経験の重みは論理に勝る、というのは、歴史を考えるときにこの肌感は非常に大切で、そうでないと語ることができない、しかし時間が経つごとに語れる人は絶対的に減少する。テレビマンとしてあらゆる資料に目を通し積み重ねた知識を重ね合わせ、我々が映像で見るだけでは知り得ない時代の空気が迫力をもって伝わるのは、職業的なものかしら。東京生まれの著者の体験であり、ほかの地域ではまた違う語られ方をするのかもしれませんが、これもまたたくさんのピースのうちの一面として。