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「昭和天皇実録」を読む
著者 原武史著
昭和天皇の生誕から死去までを年代順に記述した「昭和天皇実録」.その細部を丁寧に読みこむと,これまで見えてこなかった「お濠の内側」における天皇の生活様態が明らかになってくる...
「昭和天皇実録」を読む
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「昭和天皇実録」を読む (岩波新書 新赤版)
商品説明
昭和天皇の生誕から死去までを年代順に記述した「昭和天皇実録」.その細部を丁寧に読みこむと,これまで見えてこなかった「お濠の内側」における天皇の生活様態が明らかになってくる.祭祀への姿勢,母との確執,戦争責任と退位問題,キリスト教への接近……天皇と「神」との関係に注目し昭和史・昭和天皇像を刷新する.
目次
- 目 次
- 序 論 「神」と「人間」の間─何がよみとれるのか─
- 第1講 幼少期の家庭環境─明治時代─
- 第2講 「和風」と「洋風」のはざまで─大正時代─
- 第3講 実母との確執─昭和戦前・戦中期─
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紙の本
「昭和天皇実録」を昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係を基本に時代の流れと共に丁寧に追っています
2020/09/12 22:11
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投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
コロナ禍のホームステイ中に出会った著者の「松本清張の「遺言」 『昭和史発掘』『神々の乱心』を読み解く」を切っ掛けに、
松本清張の「神々の乱心」、「昭和史発掘」を読み進むにつれ、昭和史、特に昭和天皇と軍部との関わりと揺れ動く社会
情勢にすっかり嵌ってしまいました。
同時期に読んだ半藤氏らの共著「昭和天皇実録」の謎を解く」が、題名の如く「昭和天皇実録」への「動的」な迫り方に対し
本書は対照的な「静的」で幼少期から晩年までの各時代に沿ったオーソドックスな迫り方ですが、上記の著書で示していた
昭和天皇と母の貞明皇后との確執・緊張関係という対比する構成が、序論「神」と「人間」の間、明治時代の第1講 幼少
期の家庭環境、大正時代の第2講 「和風」と「洋風」のはざまで、昭和戦前・戦中期の第3講 実母との確執、占領期の第
4講 退位か改宗か、そして最終講 象徴天皇制の定着に続いています。
なお、本書は2014年の4回に亘る「『昭和天皇実録』を読む」と題した講演内容がもとになっており、各テーマの直後には関
連の人名、語句等の解説がつき工夫がされています。
冒頭の序論では上記の半藤氏らの共著でもそこまでの明言が無かった「昭和天皇実録」が後世の回想に依拠した戦争責
任がないというスタンスから退位も考えたこともないという最大の課題が、初めて公開された御告文でその矛盾が露わになった
指摘から始まり、母の貞明皇后、明治天皇の皇后や大正天皇や明治天皇の生母、そして父の大正天皇の四人の妹と実
に多くの女性近親者に囲まれて育った幼少期の沼津御用邸での経験や、天皇の宗教観に影響した幼少期からキリスト教
に深く影響を受けた女性との接触、1921年の訪欧を機に西洋風ライフスタイルの変更を契機とした母の貞明皇后との確執
の指摘と必読の序文となっています。
同じ「昭和天皇実録」が読み手の関心事の違い、アプローチの違いで、こうも違うという面白さもあります。
これらに加え、新たな数々の発見があります。
・1921年9月の訪欧での僅か20分の会談でローマ法王から「日本の国体を変更することなく、将来日本帝国とカトリック教
会の提携して進むことも」の暗示(p.62-64)
・戦争終結にローマ法王庁仲介を開戦時の1941年10月、翌年シンガポール陥落と日本軍が快進の2月にも考えていた
(p.126,131-132)
・1921年11月の大正天皇の引退で摂政となった翌年11月23日の新嘗祭を行わず20日から香川、愛媛、高知等を視
察し23日は松山にてビリヤードに興じ、12月4日に帰京後、麻疹となり1923年1月19日に全快も皇族の死が相次ぐ
不吉なことが連続し、同年4月の台湾行啓の報告後に皇后から11月の新嘗祭を行うことを皇太子の結婚の条件と
皇后の不興を買う(p.62-72)
・1922年3月皇太后の神功皇后を祀る香椎宮への参拝と瀬戸内の軍艦での航海、1924年1月からの法学者・筧克彦
からの「神ながらの道」の受講と「神ながら皇国運動」という奇妙な体操(p.72-73)
・1926年12月の皇位継承後の政治への関心(小選挙区制と無産政党、満州某重大事件で田中義一への叱責)(p.96-98)
・254日ぶりの1945年6月14日の皇太后との再会前は嘔吐するほど緊張し、さらに軽井沢疎開を拒絶され翌日まで
寝込み、その後の6月22日の御前会議では戦争の終結を見失ってはいけないと戦争継続からの転回(p.143-145)
・同年7月25日の木戸内大臣からの皇太后の本土決戦に惑わされぬよう進言で三種の神器の護持の記述が実録にない
(p.148-149)
・皇后とゆかりの宇佐神宮、香椎宮、大宮氷川神社への立続けの敵国撃破の祈りの勅使参向 (p.150-153)