紙の本
主人公と著者の対話
2016/08/27 16:37
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投稿者:neko - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公は、生まれた時のトラブルのせいで自分のことを「足りない」と思ってるという設定だけど、入り口に病院の事が書いてあるもんだから、なんか障害があったのかと思ってしまいました。でも、読み進むと、ちょっと変わっただけ子なのかなって感じで、ちょっと肩透かしみたいです。あと、一人称なので、ちょっと「足りない」主人公の思考を取り込んだとこと、ストーリーテラーとしての著者そのままのみたいなところが混じってる様に感じられて、読みながら、「あれっ、そうくるか。」みたいな、違和感が所々.....何れにしても、障害があるかないかで、まったく違うストーリーかと。
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この作家さんは、何一つ特別なことが起こらない、ふつうの日常の中で、地に足をつけて一歩ずつ確実に生きていく姿を描くのが上手いなあと思う。今回は、そこに、少し変わった要素が加わって、ぼんやりで、曖昧で、未熟で、ぼやけている日常が、額装という仕事に出会ったことで、一歩ずつクリアになっていく。地に足をつけていく生き方、だけど厳しいわけじゃなくて、とても優しく暖かくて、読んでいて心地が良かったです。ぼんやりとしたぼやけた部分はちょこっとわかりにくくもあったけれど...。
他の作品も読んでみたい。
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ゆったりと時間をかけて読んだ。それは、この物語がゆるりとしていて、心地好かったからだ。登場する皆が何か足りなくて、その足りなさが、人間関係をまろやかにしていて味わい深いものにしている気がした。
段々と老いて死に向かっている先生を見守る人々の存在は、とても大きく、また、その人々にとっても先生の存在は大きい。てを差し伸べることは簡単だが、手を貸さず、見守ることは、愛情がなくてはできないと思った。
先生は死を感じながらも幸せに生きていると感じた。
ひとつひとつの会話に大切なことが吹き込まれていて、だけど、押し付けがましくなくて、素直になれる物語でした。
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未熟児として産まれた女の子。親の無知さ故保育器にも入れてもらえなかったことから自分には何かが足りないと言う思いにとらわれて育つ。
足りなくないのに。
ゆっくりと。時間はかかるかもしれない。でも確実に成長している。
ごめん
ありがとう
ただいま
願いを込めて。
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発育が悪く、人の話を一緒懸命聞いても理解できず馬鹿にされ続けて生きてきた小さな女の子は19歳になった。ヘルパーの仕事に就くが、要領が悪くてすぐにクビになってしまう。そんな中で一軒だけは彼女の個性を受け入れてくれた家があった。痴呆が始まっているが聡明で優しい元教師。額装の仕事をしている息子。女の子は額装の仕事を手伝うようになり初めて必要とされる喜びを知る。
人の言葉がよく理解できない彼女が大事に言葉を捕まえようとする姿が愛おしく思われてしんみりします。額は額の中の為でもあり、額の外の為でもある。中に飾るものは過去だけれど、外側にいる我々は今を生きているのでありました。
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普通より「少し足りない」と感じている主人公が、ゆっくりとした時間と柔らかな空気の中で大切なものを見つめてちゃんと自分と向き合って生きていけることに気づく物語、という印象を受けた。読んでいて、自分の居場所を見つけるのはゆっくりでいいんだよ、でも自分を他人事のように扱ってはいけないよ、と優しく諭されている気がした。普通とズレていることに悩むことは誰しもあると思う。
でもそもそも「普通」を定義づけること自体がナンセンスであるように感じる。人には色々な考え方があってその分軋轢が生じるのも当たり前だし、ちゃんと気持ちを伝えれば関係が上手くいくこともある。
優しい雰囲気ではあるものの、現実的な辛さや苦味も盛り込まれていて夢の中を漂うような表現と相まって好きな作風だった。布団にくるまって、休日の朝の光を浴びながら読みたい一冊。
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ヒロインは未熟児で生まれ、両親が保育器に入れることを拒否したために、自分には何かが少し足りないと思って生きている。読み始めて、作品中に流れる穏やかで優しい空気が『博士の愛した数式』と少し似ているなと感じた。主人公はヘルパーとして「先生」の家に通うようになり、それが生活を緩やかに変えていくきっかけになる。「先生」と「あの人」「隼」との交流を通じて、足りないものに気付き、成長していく姿が自然で、ふわふわと漂っているかのような文章の中に時折はっとさせられるような言葉もあって、私にも気付かされることが多かった。
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最後のベージをめくって、解説という字を見た時、解説されたくないなぁと珍しく感じた。
読み進めて、
もっと文章の中に答えを期待をしているような、
もっと自分の気持ち、感想が確固たるものになることを期待しているような。
ふわっと最後のページになった。
面白くて読み進めるのが止まらなくて読んじゃうのが寂しいって気持ちにはならなかったが、読み終えられて良かった。
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未熟児で生まれた女の子は、自分には何かが欠けてると思いを抱え、周囲に馴染めずに生きてきた。
ヘルパーとなった彼女が派遣された横江家との出会い。そして「額装」との出会い。
ピュアで、世間を知らない女の子が、人の心や感情に触れ、自分の心が揺れ、とけていく成長ものがたり。
感情移入がしずらく、女の子と一緒に成長できず、宮下作品ではちょっと低めの☆3つ。
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未熟児で生まれた佐古さん。
若くて(多分)無知だった両親は、生まれた赤ん坊を保育器に入れることを拒否した。
子供っぽい父親と、少しだらしのない母親。
保育器に入れてもらっていたら、もう少し人並になったのかなあ…
佐古さんは、少し、そう思わないでもない。
少し、世間に引け目を感じるというか、自分の世界、サークルは、他の人よりずっと狭くてちっぽけだ、と感じている。
保育器に入らなかった佐古さんが、ゆっくりと自分の力で成長して、人とは違った『きれいなもの』を見分ける蝶になる。
いや、自分の力だけではないかな。
偶然が導いて出会った、額装師の家の人たちとの関わりの中で。
人とは違った感覚の、佐古さんの考え方が面白い。
夏は絹か!
う~ん、やられた。
もう、この先、ドラムの、あの、シンバルを横にしたやつの音が「チャンスー、チャンスー」としか聞こえないかもしれない。
困った困った。
佐古さんは、さらしてない木綿のようなイメージがあるのだけれど、このまま目の前に開けた世界の中で成長を続けたら、何かに染まってその素直さをなくしてしまわないだろうか…?
ちょっと、読み終えた先を、行く末を心配したりもするのである。
挿絵を担当された植田真さんの解説も良い。
一枚一枚の挿絵を、どのような思いで制作されたか、宮下さんのお話をどういうふうに読まれたか、文章にも絵にも愛情を持って向き合っておられる。
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・「三角定規はあんまり好きじゃないな」
あのときの黒い爪を思い出して正直な感想をいうと、
「いいよ、どんな物差しでも」
隼は笑った。
「持ってる物差しはひとつひとつ違うはずなのに、そうじゃないことになってるよな。矯正されるよな。俺、保育園の頃から、みんながお遊戯しているときにひとりで砂場で穴掘ってるガキだった。穴掘ってたかったんだよ。でも、先生に叱られると、しかなたなくお遊戯に加わるわけだ。根性なかったからな」
「根性なら私もないよ」
いや、と隼が首を振る。
「あんたは根性いらなかったんじゃないか。物差しを当てようともしなかったんだと思うよ。何かを基準で測ったりしない。そのまま受けとめるだけだ。だからたぶん、ずっと穴を掘っていられたんだ」
・先生の寝顔を見ていたら、きゅるきゅるっと時間が巻き戻されたような錯覚が起こった。おじいさんになる前の先生。あの人と同じ年恰好の先生。黒い髪がふさふさした青年だった頃の先生。賢そうな学生時代。野球帽をかぶった小学生。おかっぱ頭の保育園児。立ち上がって歩きだした頃。おくるみに包まれて泣いている赤ん坊。その赤ん坊がどんな人生を送ってきたのかよくは知らない。いいときも、そうでないときもあって、笑ったり怒ったりしながらそれを乗り越えてきたのだろう。赤ん坊は79年をかけて先生になった。
・「あの、どこを訪ねればいいのでしょう」
ほんとうは、聞かなくてもわかっている。この家だ。先生と、あの人と、ときどき隼がいる、この家を訪ねればいい。
「どこへでも、あなたの行きたいところを訪ねるんですよ」
なんだか謎かけみたいだ。先生は私の目をしっかりと見つめた。
「あなたは若い。絵や写真を見て、感じることはさまざまでしょう。あるいはなにも想像できないときもあるかもしれない。それは、よくもわるくも、あなたが感じ、あなたが想像するからです。訊ねていけば、相手も応えてくれるはずです。そこに誰が待っているのか、何が変わるのか、確かめてみるのはおもしろいことだと思いますよ」
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久々に小説。どんどん読み進めた。
こういう特に大きな事件の無いある日常の一部を丁寧に描いた作品、10年前だったら退屈で読めなかった。 今はある部分が自分に引っかかったり重なったりしてズキッとチクッとジーンと来る。
歳とったのかな。
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未熟児として生まれ、子供の頃から周囲に馴染めずに「何かが欠落」していると自覚する19歳の左古さん。ヘルパー先で額装の仕事に出会い手伝うようになる。
完璧な人間などいない。額装の仕事が「しあわせな景色を切り取る」のであれば、人の個性も出会いや環境で作られていき、自身の考え方や行動で磨かれていくのでは。
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「スコーレNo4」もそうでしたが、こちらも自分に自信がない女性が成長していくお話し。
ありがとう。ごめんなさい。きちんと言えるのは大切ですね。
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家族小説であり職業小説であり、青春小説でもある。
そして何より不器用な一人の女の子の、成長小説。
未熟児として産まれ、周囲にうまく馴染めず欠落感を抱えたまま生きてきた19歳の“私”は、ホームヘルパーの仕事で訪れた“先生”の家で、思い出の絵や写真に額をつける額装という仕事に出逢う。
他人と多くは関わらず生きてきた“私”だったが、額装家の“あの人”に言われた「しあわせな風景を切り取る」という言葉に惹かれ、額装の仕事を手伝うようになる。
“私”こと佐古さんは、たぶん少し風変わりで、本人が意識しないままに周りとはずれているところがあり、なかなか馴染むことが出来ない学生時代を過ごしたことが彼女に深い影を落としている。
イコール普通ならばあまり持ち得ない感覚の持ち主ということだからそれは才能でもあるのだけど、残念ながらそれを才能として受け止めてもらえないのは世の常だったりする。
そういう子は苦しいことの方が多く、才能を才能と認められなければ、往々にして自分を閉ざしてしまう。
佐古さんはそれでも基本的には前向きで素直で、生きていくため・食べていくために始めたヘルパーの仕事がきっかけで、運命の仕事と一組の家族に出逢うことになる。
佐古さんの家庭の少し複雑な事情も彼女に影響を与えているものの、自分に自信がついていくごとに家族との関係や家族に対して思うことも少しずつ変化していく。
一歩一歩のあゆみ、少しずつの成長、ひとつずつ積み重ねていく気づき。人生が劇的に変化することはなかなかないけれど、そういう小さな糧の重なりが人間にとっていかに大事かということが、静かに描かれていると思う。
宮下奈都さんの小説は初めて読んだけれど、こういう作風の作家さんの小説には、どの作品にも似たような空気があるような気がする。優しさというか、人を包み込む感じというか。
“先生”一家の面々のキャラクターもそれぞれ違った優しさがあって、他人を小さなものさしで計ったり、穿った見方をしないところは共通点なのかも。
派手ではないけれど、読む人にとってはとても大切な一冊になりそうな物語。未来に対する余韻が残るような。