紙の本
身近な生活体験の中から生まれてくる哲学が語られている
2005/07/03 19:37
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ギリシャ哲学の代表者は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスである。この三人の名前は、中学から大学までの歴史や倫理社会、哲学の授業で必ず習い、誰でも知っている。しかし、その著作を実際に読んだ人は少ないだろう。私も今回初めて読んだ。この文庫には、「ソクラーテースの弁明」、「クリトーン」、「パイドーン」の3つの作品が載っている。「無知の知」、「悪法と言えども法」、などという、ソクラテスの言葉に関係する内容である。既に二千年を経て、哲学も進歩発展してきているなかで育ち教育を受けた現代人の目から見れば、哲学の素人から見ても、論理の適用分野を区別していないように見受けられる部分もある。しかし、明確に把握できることを前提にして、論理的に緻密に推論を進めて行く方法は、見事である。哲学が机上の空論でなく、身近な生活体験の中から生まれてくるものであることが、理解できる。この文庫は多くの本で参考文献として取り上げられている。日本語訳が優れているようだ。
紙の本
ソクラテスを批判したいと思って、書き始めた書評だったが……。
2004/02/22 14:22
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中堅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ニーチェはその著作「偶像の黄昏」で、ソクラテスを激しく非難している。彼は、だいたい以下のようなことをいった。
「ソクラテスは、ギリシャ退廃の元凶である。胸のむかつくような容姿の醜さに悩んでいた彼は、何か突飛なことをいうことによってしか美しい青年たちを自分にひきつけることができなかった。それがつまり、彼の弁証法である。それは誘惑の方法でしかなかった。」
また、プラトン自身も、その著作「ゴルギアス」の中でカリクレスにソクラテスへこういわせている。
「<詭弁で人をやりこめるようなことは、もうやめたまえ>。そなたの習うべきムゥサ(ミューズ)の技芸は実務のそれ。そなたの習いはげむべきは、そなたの誉れを高からしめるようなことがら。<いまのような、そんな気のきいたふうなことは、他の人々にまかせるがよい>
それを馬鹿話と呼ぶべきにせよ、たわごとと呼ぶべきにせよ、<そんなことをしていれば、いずれ、そなたの住む家は空っぽになってしまうだろうに>」
彼の対話にはいわゆる「ソクラテス的な」アイロニーが満ちている。それは彼の現実の社会に対する軽蔑から発しているものだ。「ソクラテスの弁明」においても、裁判官(民衆)に対しての彼の軽蔑が不遜な態度として出たために、彼は死刑を受けなければならなかった。
彼には毒があるのだ。現世の全てを否定し去るような毒が。ニーチェもカリクレスも、その毒に怯えた。(しかし、その一方で、ニーチェは「ソクラテスは私に似ている」ともいったのだが。)
普通の人は、空想に走り勝ちな理性を自分の生活経験で押さえつけて、実践と理性の二つを調和させる。
だが、ソクラテスは、理性の導くところにどこまでもついていった。つまり、理性が行くところにどこまでも実践が付いて行った。倫理の相対主義による価値観の混乱、淫蕩の蔓延するギリシア社会において彼は、理性の光だけをたより力強く生きた。全てを否定し去るエネルギーを抱えて。
ソクラテスは、私にいう。
「君は、なぜ突き詰めないのかね? 君は君が正しいとおもうところを実行せずに、日々の怠惰な生活に沈み込む一方ではないか。論理とは突き詰めるものだよ。
君はきっと死ぬとき後悔するだろうよ。正しいことをしなかった魂には、死後の苦しみが待っているのだから。
おお、そんなに怒らないでおくれ。
私が間違っていたら謝るよ。『間違って』いたらね。」
全く、この変人は、私を怠惰な生活の中に眠らしておいてくれない。本当に、いい迷惑だ。
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テキストは、なんといっても世界の名著6の「プラトン1」が一番なのだが、あまり在庫がなさそうだし、プラトンの毒に耐えきれるひとと耐えきれないひとがいるかも知れないので、「とりあえず」、新潮文庫「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン」をお勧めする。
新潮文庫に入っている三作はつながりがあるので、一気に読んで欲しい。
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【ソークラテースの弁明】
面白かった。
ニーチェの「この人を見よ」的な面白さ。
ソクラテスの人柄に笑いがこみ上げる本。
本人は大真面目なところが共通して面白い。
【クリトーン】
人情VS正義
【パイドーン】
クリトーンに感情移入して泣いてしまった。
クリトーンの気持ちを考えると辛くて涙が止まらない。
ソークラテースは妻には恵まれなかったかもしれないが、
こんなに愛してくれる友人に恵まれて果報者だ。
本題である魂の話については、死の恐怖が少し楽になる。
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【感想】読了—3月21日
魂は不滅であり、それ自体清浄な状態であるが、肉体=感覚や欲に引きずられると真実が見えなくなる(ことを論証しようとする)。肉体から離れるように努める練習こそが哲学であり、「真の意味で平然として死ぬこと」である(と結論付ける)。だから死は魂の解放であり、悲しむには値しないとして服毒。熱いね、ソクラテスは。こういう熱い男、最近嫌いではない。
このソクラテスの結論は死への推奨ではなく、知に対し、国家に対し、友に対する愛と人間への自省から導かれた深い洞察であることだけは理解出来た。政治(家)と哲学(者)、民主主義と正義、国家と愛国心、エリートとそれ以外とを考えるにあたり有用な視点を得ることが出来る。誰であれ人の上に立ち、他を導こうとするものであるなら読まなければならない。
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今回、哲学のレポートを書くために参考本として読んだ本です。
感想を一言で言うと・・『うんざり』(笑) 『ソクラテスの弁明』は、裁判でのソクラテスの言い分をプラトンが記録したもの?といわれていますが、とにかくクドイ。何がいいたかったのかさっぱりわからない。長々と例を挙げて、長々と論理展開をする。弁術がくどすぎてうんざりというのが第一の印象。半分ぐらいでいい加減もういいよ。。といいたい気分で読みました。一方的なソクラテスの弁明のみの記録だから、仕方がないといえばそうだ。だが、ソクラテスは、ソクラテス以前のソフィスト同様に書物というものを残していない。結局、この『ソクラテスの弁明』もその他のパイドンやクリトンなんかも、プラトンが書いたものである以上、プラトンの恣意も十分に含まれているわけで、これを批判するには他書をひっぱりださねばならない。
プラトンをあまりはまらないように・・と老年配の方から忠告をうけていたが、ようやくその意味が分かった。ソクラテス以前のソフィストらは、文字としてしたためることはせず、明らかに哲学としてのきちんとして書物にしたのは、このプラトン以降のことである。これにはやはり、恣意的な要素を含まざるを得ないとおもうため、何が正しい理解の仕方なのかが分からないということだ。ようするに、ソクラテスに対する敬愛のため、プラトンの思いが入り込みすぎているのではないかという疑念も呼んでいて感じるものがあった。
しかしながら、ソクラテスが後世に伝えたかったものは、イエス・キリストと同じくきちんとプラトンから引き継がれていくものであり、現代の私たちが学ぶ西洋哲学に十分な影響を与えてることは否めないとおもう。
ちなみに、田中美知太郎氏の翻訳を選んだ理由はちゃんとあります(笑)。どの方の翻訳本を読むかというのも大切な選択肢の一つですね。
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先に「国家」を読んでしまったため、内容的に目新しいものはあまりなかったが、プラトンの思想に大きな影響を与えたソクラテスの、より生に近いことばを聞ける点に意義があった。
また、併録の「パイドーン」の魂の不滅性についての議論は、論理的な意味では今日では荒唐無稽とも言われそうなものではあるが、より良い生を生きるためのヒントを得るという点で得るものはあったと思う。
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ソクラテスの弁明(アポロギア)は、
今から約2400年前の法廷の様子を記録した作品。
師であるソクラテスの最後の言葉を綴ったプラトンの文章は巧みで、
当時の法廷の光景が鮮やかに浮かび上がってくる。
確かにソクラテスは一般人の目から見れば明らかに変わり者だ。
しかし、この50ページの短い記録からも徳(アレテー)を実践し、
自らの内なる声に従って、より善く生きようとした者の信念は強く感じられる。
[1968年、ギリシャ、316P]
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自らの存在に漠然と不安を抱いていた悩める高校時代。ある日、それを察したかのように隣家の従姉が4冊の本を持ってきてくれた。そのうちの1冊が本書である。アテナイ衆愚政治の犠牲となったソクラテスが、裁判において自らの正当性を主張した「ソクラテスの弁明」、脱獄を勧めるクリトーンに法と正義について説く「クリトーン」、毒杯を仰ぐ前に魂の不死について語る「パイドーン」。いわゆるプラトンのソクラテス三部作である。特に「パイドーン」では、ソクラテスは「死とは不死の魂と肉体との分離である。それ故に、魂の浄化を熱望する哲学者は死を恐れない」と説いて従容として死に就く。その論証に異論の余地はあろうが、ソクラテスのパトスだけは少年の心に刻まれたのだった。
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紀元前か…
古過ぎることにより、新しくなっている。
いや、この領域に古いも新しいも無いのかもしれないな。
魂なるものは、あの頃も、今もよく分からないままじゃないか。
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よく耳にする本で、一度は読んでみたいなぁと思っていた本です。ようやく読めました。
ソクラテスの弁明とクリトーンとパイドーンの3作品がおさめられています。
クリトーンもパイドーンも人名。
内容的には、ソクラテスが裁判での弁明、入獄中の会話、ソクラテス最後の時の会話がそれぞれにあたります。
けっこう印象としてはまわりくどく理論が展開され、数学の証明的な思考で主に生命と正義に関して話がされています。
小林秀雄の「考えるヒント」を読んでいるような感覚に陥りました;
ギリシャ時代の本が今に伝えられていることもすごいですが、善に関する思考が現代と変わらず論じられていることに少し驚いた感じです。
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(2003.06.06読了)(2003.03.28購入)
内容紹介 amazon
その否定的対話によって、既存の社会体制、道徳、宗教を盲信する保守的な人々から糾弾され、不当な死刑に処せられたソークラテースが、法廷で自己の所信を力強く表明する『ソークラテースの弁明』、脱獄のすすめを退け、国法を守って平常心のまま死を迎える彼が、法と正義について弟子と対話する『クリトーン』、毒薬をあおって刑死する彼の最期を語る『パイドーン』を収録する。
☆関連図書(既読)
「ソクラテスの弁明・クリトン」プラトン著・久保勉訳、岩波文庫、1927.07.03
「饗宴」プラトン著・久保勉訳、岩波文庫、1952.10.05
「ソクラテス」田中美知太郎著、岩波新書、1957.01.17
「プラトンの哲学」藤沢令夫著、岩波新書、1998.01.20
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ソクラテスの生と死をめぐる三作を収録したもの。古典ギリシャ哲学の泰斗による充実した翻訳を味わうことができます。
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今となってはソクラテスの論理は詭弁に思われるところも多いし、弟子たちはソクラテスの論理に全く反論しない割にはその言っているところをあまり理解してはおらず、もやもやする部分もあるけれど、純粋に論理だけで世界を理解するという点において、興味深かった。
そして、ソクラテスはなぜ死ななければならなかったのか、ということについて考えた。
何がソクラテスを殺したのか。
それはソクラテス自身が言っているように、中傷や嫉妬である。人は誰しも、安易な方向に流れたいとか、これくらいの悪いことなら許されるだろうとか、やましい部分をつつかれたくないとか、そういうことを思って生きているものだ。そういう気持ちが、正義や真理を説く者を敬遠し、あわよくば、と死に追いやる。自ら手を下すという方法ではなく、大衆の意志として。自分が殺したのではなく、誰かが殺したのだ、と。
その傲慢さ、不誠実さが人間であり、それはソクラテスの生きた時代から遠く隔たった現代においても変わらない。たくさんの知識を身に付けても、人間の本質は変わることがない。
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初期プラトンまとめ読みの3番目。で、一応、文庫本で読めるのはこの程度だと思うので、最後のはず。
「弁明」と「クリトーン」は相当昔に読んだものの再読。「パイドーン」は初めて。
この3作で、ソクラテスの裁判から獄中、死刑執行までを一気に読める。
おそらくは「弁明」は、多くの人が最初に読むプラトンであろう。ここに描かれるのは、自分の魂の声に忠実に生きた勇気の人ソクラテスである。多くの人は、その姿に感動するとともに、なぜ、こんな人を死刑にしてしまうのか、と政治の不条理に憤りを覚えるに違いない。
が、「プロタゴラス」「ゴルギアス」を先に読んで、この「弁明」に到達した私には、なんとなくソクラテスが死刑になってしまった理由が分かるような気する。
つまり、これらの対ソフィスト論争の本を読むと、世間の人々がソクラテスを憎んでただろうことが実感できるのだ。
そういうわけで、ソクラテスにやり込められた側から、この「弁明」を読むとどう聞こえるだろうか、という読み方を図らずもしてしまった。
そうすると、ソクラテスが何言っても聞く耳を持たないという心理状態が手に取るように分かる。
ソクラテスは、魂の高貴な人間なのだが、同時代にあっては、その対話によって、理解よりも、多くの憎しみを生んでしまったのだ。
となると、ソクラテス的対話の有効性が問題になってくる。
コミュニケーション技術として、対話篇を読むときに、ソクラテスのやり方は、共感している人に対しては、良いのだが、反感を持っている人に対しては、屁理屈というか、詭弁以外の何ものでないことがわかる。これでは、相手をやり込める事はできても、共感は得られない。
と、「弁明」「クリトーン」をコミュニケーションの悲劇として読んでみた。
「パイドーン」は、物語としては、「弁明」「クリトーン」と連続しているのだが、作品としては、中期プラトンに属するもので、プラトン独自の思想がかなり入ってきている。
私は、プラトンのイデア論、魂論は、あまり好きでないので、その辺に議論が行くと、「またかー」みたいな感じがしてしまう。が、ソクラテスの魂の不滅論に対して、弟子が、疑問を投げかけるあたりから、一瞬、「おっと」面白くなる。でも、最後は、やっぱり、いつものあの世での最後の審判の話になってしまう。
感動的なのは、ソクラテスが、魂の不滅論を「証明」したあとで、「死ぬ前に自分と皆を元気づけるためにこうしたことを言ってみたのだ」といったことをを述べるところ。
そして、最後に言い残す事としては、「特段ない。いつも言っている事だ。皆、自分を大切にしてくれ」
毒薬を飲んだ後の本当の最後の言葉は、「クリトーン、アスクレーピオスに鶏を長添えしなければならない。忘れないで供えてくれ」
この辺の言葉には、すごくリアリティを感じる。きっと、ほんとうにそんな調子だったんだろう。
誰かの最期を描いた物語としては、ブッダの「最後の旅」に匹敵する。
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再読した。ほんとうに興味深い本である。
ソークラテースはパブリック・イメージで「いじられキャラ」であり、すでに告発されていたようなものであり、「不敬神」と「若者を堕落させる」罪というのは、まあ、付け足しにすぎない。かれは「神がかり」で、デルポイの神託によって「不知を自覚」して、アテナイ市民の「知ったかぶり」をあばいていくのであるが、こういう「生活の吟味」をうけるのを市民はいやがって、けっきょく死刑に決するのである。(三十人政権で、若者の「文革」があって、権威にたてつく危険思想に警戒感がつよい時代だったのである)
「クリトーン」は常識人のクリトーンがソクラテースに脱走をすすめる話なのだが、ソークラテースは「国法」の声を代弁して、脱走をことわる。
いちばん難解なのが「パイドーン」である。「想起説」、「反対の性質をもつ事物はたがいから生じる」が「反対の性質そのものは反対のものにならない」とか、「1が2になるのは2そのもの(真実在)により、接近や分割によって2になるのではない」とか、そういうアイデアで「魂の不死」が証明されていく。シミアースの「魂は調和である」とする反論については、魂は琴の調和のようなものではなく、魂は身体を制御するものであるという。ケベースの「魂が転生するからといって不死不滅の証明にはならない」という反論については、ソークラテースはアナクサゴラースなどの自然哲学を学んだことを話し、その「原因」の説明になやみ、真実在(イデア )の考えに至ったという。そして、地球説や地球中心説などにもとづいて、タルタロス(奈落)と死者の国のミュートスを述べ、魂は不滅であるから、この生だけでなく全時間にわたって「魂の世話」が大事であるという。最後にクリトーンが葬式のことを聞くのであるが、のこった者には「自分を大事にするように」といい、ソクラテスではなく、ソクラテスの身体を葬ると「正確にいわねばならない」と言い残す。ソクラテスの死に方は、決然というより、簡潔である。