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おもしろくなってきました
2018/11/23 18:45
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
シリーズ3作目で、話が進んできたのでわくわくが増しています。ウオーカロンと人間の間に子供ができる。一方で、人間たちには子供ができなくなっている。この世界の展開がものすごく楽しみになってきました。
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Wシリーズ3作目。読み進める中で謎がわいたり消えたりを繰り返している印象。登場人物も増えてきたが、人間とウォーカロンもそうだがハギリの心情や行動を特に意識していこうと思う。次回作も楽しみ。
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S&M、G、四季、M&RシリーズがリンクするWシリーズ。真賀田四季の真意に次第に近づいていく。著者のシリーズを読破してから読み始めるのが良い。
「目にすれば失い、口にすれば果てる」
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寝る前にちびちび読んでいたが、最後は面白くて一気に読んだ。
人類とウォーカロンとか、ここまでの未来が来るとは思えないけど、ちょうどこれ読んでる時に、ヨーロッパでハイパーループ作るとかいう話もあって、人類も進歩してるんだなあと思った。
まだまだ今後の展開がどうなるか気になる感じです。刊行予定も出てるので、Gシリーズみたいにやきもきして待たなくてよいのは良いかも。
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Wシリーズ三作目。
シリーズとしては大きな展開はなく、他シリーズとの繋がりが判明していく。主に百年シリーズ。
「目にすれば失い、口にすれば果てる」
舞台は明らかにルナティック・シティであり、そしておそらくイル・サン・ジャックも。
デボウ、クロウには生存の可能性があり、ジュラと思われる肉体も。
個人的なハイライトは、最後の一行…ではなく、カンマパからハギリへのメール。
『女王の百年密室』とのリンクが明示されていて懐かしい。
都市の代表者としての想いも立派で、カンマパさんのファンになりました。
そして、次作『デボラ、眠っているのか?』への期待が高まる。
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Wシリーズ3作目。
森ファンにはたまらない一冊であること,間違いなしの今作。
最初のページからグッときた。この一文……「ランダムに小石があって,フラクタルに雑草が生えている」。こんな文章を書けるのは森さんしかいない!なんとなくお気に入りの文章です。
物語はいよいよ核心へと迫って行ってる……という印象を受ける今作。ヴォッシュ博士とハギリ博士の議論が熱い。読んでいると,自分までその問題を論じている学者の一員になってしまう錯覚を覚えるくらい,二人の議論に没頭して考えた。
最後のハギリ博士の発想。これも読み手も一緒に興奮してしまう。
あとは,カンマパの本名,そして最後の一文。これはファンにとっては「えーーーっ!?」と叫びたくなる言葉でした。百年シリーズ3作目とほぼ同時期に出された理由がよく分かる。
さて,この作品を楽しんだところで次は百年シリーズ3作目「赤目姫の潮解」を読みます。あぁ、楽しみだなぁ♪
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Wシリーズ、第三作。また全貌が少し明かされました。ナクチュは百年シリーズのあの宮殿があった場所のようだ。区長のメールを読んだ衝撃は凄かった!!彼女、真賀田四季博士は一体どこにいるのか?気になって夜も眠れません…嗚呼。
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物語が壮大すぎて、すべて再読して、データを収集し整理するのに、約1800時間を要すると推測されます。記憶回路は損傷部分を除いて、780%に増強する必要があります。
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森さんて、なんて読者心をくすぐるのが上手いんだろう。
すべては真賀田四季の手のひらの上のことなのだろうか。少しずつ解明されながらも謎が増え、飽きさせない展開。
ハギリ博士の発見は実を結ぶのか、その前に、ラスト一行が衝撃すぎて。。。
次作どうなるのか。。
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「聖地」に保存された過去。
天才が遺した試料(スペサミン)の価値は。人間だけの特性とは何か。
ナクチュを再訪したハギリが出会う研究者たち。彼らが導かれる先は?
聖地。チベット・ナクチュ特区にある神殿の地下、長い眠りについていた試料の収められた遺跡は、まさに人類の聖地だった。 ハギリはヴォッシュらと、調査のためその峻厳な地を再訪する。ウォーカロン・メーカHIXの研究員に招かれた帰り、トラブルに足止めされたハギリは、聖地以外の遺跡の存在を知らされる。小さな気づきがもたらす未来。知性が掬い上げる奇跡の物語。
▼立ち読みはこちら
http://akm.md-dc.jp/book/carrier/00000006/binb1.4/000000c4/binbReader.jsp?url=&shareUrl=http%3A%2F%2Fmd-fp.jp%2Fservice%2Fnc%2F0000000n%2F000000%3Fisbn%3D9784062940368%26lastUrl%3Dhttp%3A%2F%2Fboo+kclub.kodansha.co.jp%2Ftrial_lastpage%3Fisbn%3D9784062940368&cid=000377zb00000000&dlEngine=0000000x&title=%E3%80%8E%E9%A2%A8%E3%81%AF%E9%9D%92%E6%B5%B7%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%3F+The+Wind+Across+Qinghai+Lake%3F%E3%80%8F%E8%A9%A6%E3%81%97%E8%AA%AD%E3%81%BF%7C%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BEBOOK%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8&dataName=%E9%A2%A8%E3%81%AF%E9%9D%92%E6%B5%B7%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%3F+The+Wind+Across+Qinghai+Lake%3F&productName=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AB¶m=1
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『緩やかな死と光年先の命』
新しい古さ、ノスタルジックな未来予想図。曖昧でつなぎ止めておくことが不自由な夢を記録するように、物語は後ろに進んでゆく。
正しさを問う事はできない。闇雲に続く素数でできたセイカイの水面を1は進んでゆく。雨は全てを洗い流さずに、湖の水嵩はまま増して。少女はコタエを告げた後、後年の世界へ。たった一つの数と共に。
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最後の一文で,背筋がぞくっとした.「うわぁー」と思わず声を出してしまった.
すべてがFになるから読んでいる人なら,この感覚おわかりになって頂けるかも.
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面白い。この世界観がありえそうで怖い。
しいて言えばもっと刊行ペース早いと嬉しいのですが、4,5ヶ月に1回の刊行は待ちきれないです!
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※ネタバレなんだか森博嗣讃歌なんだかよく分からないレビューとなっております。本作を読むご予定のない方・ネタバレを読んでから原作を楽しむタイプの方以外には、読むことをオススメしません。
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この本を読み終わった時、正確に言えば「最後の一行」を目が追い終わった時。
12年前に出会った一冊の本のタイトルを思い出しました。
【すべてはFになる】
字面だけ見たらなんのこっちゃ意味わかりませんね。
でも、当時のガチガチ文系大学生だった私は、トリックのネタを堂々と読者に開示して見せたこのタイトルに、読了後、ソファベッドの上でゴロンゴロンとのたうち回ったものでした。
この時ほど、己のガチガチ文系脳を恨んだことはありません。
数Ⅱの追々試で6点を取った時でも、こんなに悔しくなかったよ!って歯ぎしりしたのも懐かしい思い出です←
脱線しまくる嫌な予感。
軌道修正します(賢明
さて、【すべてはFになる】です。
妃真賀島の事件では、【フィフティーン】を意味するものとしてFが使われていましたが、実はそれだけに意味を留めていなかったんじゃないか、と、本作を読了後、ふと思ったんです(震)。
Four seasons.
森博嗣の世界観に惹かれた読者の目を眩しく焼き続ける至高の存在、真賀田四季のイニシャル、Fですよ。
本作【風は青海を渡る】で、【全体頭脳】、【ウォーカロンの個体は全体の一部に過ぎない】という主人公の論説が地の文で述べられた時に感じたモヤモヤした違和感が、ラストの一行、たった一行でクリアになった瞬間の衝撃!これだけで星5つです。
ああ、なんやかんやケチ付けながら()森作品に触れ続けてきてよかった!
報われた以上の読書体験を私は今味わっているに違いない!
という喜びに打ち震えながらスマホのメモ帳に感想を打ち込む丑三つ時。
でも、一番の衝撃は、
【私のこの考えが大外れじゃなかったとしたら、森先生はいつからこの仕掛けを考えていたんだろう】
ってことです。
もしかしたら、森先生の頭の中ですべFの構想が練られた瞬間から、本作【風は青海を渡るのか?】の最後の光景が、先生には見えていたのかもしれません。
すべてはFになるでデビューを果たした1996年から今年で20年。
20 年 越 し の 構 想 だ っ た ら 超 す ご い を 通 り こ し て 超 怖 い 。
本編の感想に一言も触れてない本レビュー、やっぱりただの森博嗣讃歌でした。お粗末様でした。
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Wシリーズ3作目。途中にGシリーズに新たな展開があり(χの悲劇)、時間を超えて全てが真賀田四季に繋がっていくよう。このシリーズも第4作、第5作と刊行が予告されている。終着点に近づいているのだろうか。
前作から引き続き、舞台はチベット・ナクチュ。
「マナミは測定機器の操作になれているし、あとの二人は、僕の護衛に慣れている」と云う文は単なる事実を述べただろうけれど、チョッとハードボイルドぽいし、何となく可笑しい。そのうちの一人ウグイと主人公ハギリのやり取りが作品全体に色を添えている。普段そういうこと考えないんだけど、ドラマ化したらウグイは誰だろうとつい考えた。
色々な謎は増えていく。
あの彼女が口にした「揺り籠」。最初メモリのことかなと思ったが、いや、アレのことだろうと気付く。でも、何故アレを揺り籠と呼ぶのか。
カンマパの名前や本書の最後の一言にちょっと息をのむ。来年2月の第5作までに何処に連れて行かれるんだろう。
廣松渉の哲学入門の本を読んでから、結局僕らの認識は脳細胞の電気信号現象と考えている。本作でも、もっと彫り込んだ内容がウォーカロンに纏わるハギリとボッシュの科学者同士の会話でされている。自己認識にとって生きる実感とは?。う~ん。
しかし電脳空間に意識も五感の全ても移し替えたら、我々は永遠に生きることが出来るのではないだろうか。培養液に浮かぶ脳細胞(サイボーグ009のブラックゴーストみたいな)よりスマートじゃないかな。
でもスイッチ切ったらそれっきりだし、スタンド・アローンじゃなかったら何処までが自分なのか、判らなくなりそうだけど。
ウォーカロンのポスト・インストールや直接頭脳に電気信号を送り込むというのも自我を曖昧にしそうに思う。ウォーカロンには生きている実感と自己認識がどこまであるんだろうか。