0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「女は子どもを産み育てて一人前」「女の本当の幸せは子どもを持つこと」この呪縛にとらわれてるひとがものすごく多い。
投稿元:
レビューを見る
「生涯子供ゼロの女性は25%以上」そんなにいるのかと驚いた。そういう私もノンママである。私の場合、欲しかったけれど恵まれなかったタイプだ。しかし、いろんな事情でノンママになった女性がいることを知る。どの選択も自由であるし、それによって引け目を感じる必要はないこともうなづける。いろんな立場での悩みが紹介されているが、勇気づけられた。
投稿元:
レビューを見る
子どもを産まず育てずにある程度の年齢になった女性、ノンママ。
その生きづらさやノンママハラスメントに対抗することを肯定してくれる本。
P180そしてこの感覚は、「晩婚化問題」「少子化問題」が、外交問題や年金問題とまったく同じ次元で政治家や識者たちによって論じられるのを見て、いま私たちが覚える違和感とも通じているのではないか。
投稿元:
レビューを見る
やはり、プロでもその体験をしないと理解できないのでしょうか?
これをいったら相互理解なんて夢。
なんだか、嫉妬本に思えました。
投稿元:
レビューを見る
読むのがなんかつらかった。鈴木保奈美が主演のドラマがあったようだが、見ていない。録画したか、始めの数分で見るのをやめてしまった。その後、なんとなく見る気が起こらずに、録画は消去した。子供のいる鈴木保奈美が、ノンママを演じているのになんとなく違和感を感じたかもしれない。自分には関係のない他人事では、なんとなくすまなかったので、本を買った。
投稿元:
レビューを見る
副題にある「子のない女はダメですか?」という問いかけへの私の結論は「もちろん、ダメでは無い」だ。今や3割近い女性が子供を出産しないという時代に突入している。慌てるのはもちろん国だ。少子化対策に必死になり過ぎ、「ノンママ」という、子供のいない女性の生きづらさ、肩身の狭さに全く気付いていない。繊細な問題なのに、「産め、産め」の連呼。子育ても大変なのだが、子供がいないのも大変。「子なしハラスメント」の実情はかなり深刻な問題だ。子供のいる女性、いない女性の女性同士の垣根を取り払うことから何か始めれないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
やっぱりね、ノンママは生きづらいよ。なんでだろう。なぜ、そんなに動物的でなくてはいけない。本能に従って産めるの?私にはわからない。だから、生きづらい。ノンママより独身の方がずっといいと思えてしまう。
この問題に、男性はどう関わるのか。ママの穴はノンママが埋めろっていうのは、納得できないよ。誰が負担するのよ。
投稿元:
レビューを見る
170214読了。
私は母になって3ヶ月になる。去年の今頃までは、ママになるかノンママになるかの、境目にいた。
子どもの頃から、プリンさんに「若いお母さんがいいわよ」と言い聞かされていた私。当時は、大卒の女性は少なくて、一人っ子の私を産んだにしては年長者だったプリンさん。きっと保護者会で若くてきれいなお母さんたちに何かコンプレックスを持っていたのだろう。
彼女は結婚・出産をして、働きながら育児をする女性の旗印に!と頑張ってきたが、社会の要請に答えて働くがままに子を持つタイミングを失った人は少なくないだろう。
子どもがいない人に対して、私は「かわいそう」「じゃあ、普段なにしてるの?」なんて思わないが、自分に子どものいない生活を想定していなかったので、もし娘が生まれてこなかったら、自分が不妊だったら、強烈な劣等感を抱いていたことは間違いない。
どうして女性にとってそんなに子どもが必要とされるのか、子を持たないという選択がなぜ理解されにくいのか。
どうして母というものがかくも神話的に語られるのか。
本当に不思議だけれど、本書を読んでわりとフラットな分析が分かりやすく、納得した。
これから子どもを持ちたいと思う人も、なんなら子育てが終わったという人にも、この本を読んで「なるほどな」と小さな納得を心にとめてほしい。
投稿元:
レビューを見る
子無しというライフスタイル
確かに、自分で選択している人もいれば、ならざるを得ない状況の人もいるから、一概にバッサリ切ることは出来ないんですね。そもそも出会い、の有無も原点にあるわけで。
物事のいろんな見方を教えてくれた一冊でした。
後半はちょっと面白くなかったかなあ、、
投稿元:
レビューを見る
様々な事情で子を持たなかった女性達の、葛藤や主張が著者の経験や考えを交えながら書かれています。
私はこの中でいう子供を持ちたくない、と選択した「ノンママ」に属する。
今まで一度も子供を持ちたいと思ったことも、子持ちの人生を羨んだこともない。
そのため第4章の自己肯定できないノンママの部分意外は、実体験を思い浮かべ頷きながら読み進めていた。
そして一番衝撃的だったのがノンママはいつまでも「子供」のままである、ということ。
これは今まで考えたことが無かったし、書かれているエピソードも自分に当てはまるものだったので正直とても落ち込んだ。だが、だからといって子供を持とう、とは思わなかった。
全体を通して、なるほどなと考えること、著者の意見に同意するところなど多く非常に充実した一冊でした。
投稿元:
レビューを見る
なるほど、そういう分析・見解もあるのね。といった感じ。子を持つ可能性も持たない・持てない可能性もある立場の自分としては、ニュートラルにいたいと思いつつも、色んな迷いや感情が湧いたのもまた事実。
投稿元:
レビューを見る
私もママになったばかりだから、ノンママ・ワーママどちらの気持ちもわかる。
ハラスメントについては結局「触れない」のが一番なのかな。。
自由でいいね、もダメだと思う。
「産んでみなけりゃわからない」という経験主義も非難しているけど、確かに経験してみないとわからないというのは一理ある。私も子供がこんなに可愛いとは、まさしく産まなきゃわからなかった。子供を産むまで、いつまでも「子供」の立場であるということも産んだからこそ実感している。自分が親になってから、親との関係も変わってきた。ようやく一人前と認められたような感じ。当たり前だけど、親は全員ノンママではないので、ノンママの気持ちは理解しづらいのだろうなぁ。
とにかく立場・所属で線引きせず、おかしいことはおかしいという人間でいるという言葉には共感。線引きをしても何もいいことはない。
投稿元:
レビューを見る
子どもの頃に、「自分もいつか子どもを持って母になりたい」と思ったことがない。分かる。
今は仕事が忙しいからとか何とか言って何となく歳を重ねている。分かる。
話題も生活も子ども中心のお母さんたちに違和感。分かる。
子ができた瞬間に仕事量が激減するという会社の制度に違和感。すごく分かる。
ノンママたちも生きづらいんだという今の空気は私自身もものすごく共感するし、少子化だ大変だ女性はみんな子どもを産んでくれ、労働力も足りないからしっかり働いてもくれという流れには吐き気がする。
子どもを持つ持たないというこんな内容の本が書かれないくらい、「どっちだろうがどうでもいい」世の中になってもらいたいと思う。
投稿元:
レビューを見る
本書でちょっぴりノンママの切ない気持ち、とまどい、現実の壁、これからの夢などを確認したら、後はママ、ノンママ、シングル、既婚などに関係なく、垣根を越えて女性どうしフォーメーションを組んで、この現実に立ち向かっていこう。
母親とのくだりを読んでいて、ノンママでも親は必ずいるんだってことを再認識しました。
投稿元:
レビューを見る
わたしが専業主婦になって7年くらい。日常的に会話するのは同じく専業主婦のママ友が主で、周りの友達も結婚したり子どもが生まれたりしてる。意識して類友的な交友関係を築こうとしてるつもりはなくても、いつの間にかそうなってて、独身で子どもがいない友達に会うと、ちょっと世界が違うなって思うことがあるのも事実。
口には出さないけど、彼女たちがやってない「子育て」をやってるぞっていう自負があるし、逆にわたしがやってない「仕事」をしてる彼女たちがかっこいいなぁとも思う。わたしには彼女たちが「悠々自適」に見えるし、彼女たちからはわたしが「順風満帆」に見えると言われる。
金子みすゞの「みんなちがってみんないい」じゃないけど、お互いの全然違う人生をそのままの形で認め合えるのが理想。何が正解とかではなく、それぞれが自分の選択に自信を持てることが大事だと思うから、相手が自信を喪失するような言葉をかけてしまうようなことは、なるべくしたくない。でもどんなふうに気をつけたらいいの?
というわけでこの本を読んでみたところ、要するに、
①ノンママたちには周囲からのプレッシャーやハラスメントが否応なしに降りかかってくる
②それらを跳ね除けて自分の生き方に自信を持ち続けることがとても難しい
③最終的にはノンママもワーキングママも子持ちママもみんなで「フォーメーション」を組んでこの世界をサバイブするのが最も望ましい
ということらしい。ふむふむ。
最も考えさせられたのはこの部分。
「子育てだけが人生でやらなければならないことではない。子どもがいなくても、介護、そのほかの社会活動、趣味や恋愛など、人生にはやらなければならないことがたくさんある。その中で、子育てだけが早退や残業拒否の理由として認められる、というのがそもそもおかしいのだ(p.122)」
最初、納得いかなかった。介護と社会活動はわかる。でも趣味とか恋愛と子育てを一緒にするのはどうよ。子育ては神聖化されるようなことではないけど、自分自身の時間や体力がわりかし容赦なく犠牲になるし、いくらしんどくたってそもそも産むと決めたのは自分だから途中で投げ出せない。自分すげえことやってんだぞ!って声高に主張するつもりはない。でもさすがに趣味とか恋愛と同列に扱われるのは心外、と咄嗟に感じた。
でもよくよく考えたら、著者はここで仕事場での話をしているのだと気付き、そして残業不可の理由として「子どものお迎えがあるので」と「彼氏と野球観戦なので」との間に果たしてそこまでの隔たりはあるのか?という疑問が生まれた。ないない、全然ない。
理由そのものの重さに差はない。大変さは数値化できないし、価値観が同じ人間はいない。
誰かが助けてくれたら、「わたしは子育て中でこんなに大変なんだから!」って自分の権利ばかり主張するんじゃなく、お礼をきちんとするなり、その相手に対してできないならいつか自分が落ち着いたときに他の相手に対してでもいいから協力する側に回るなり、思いやりを循環させていけばいい。
なんて。
脳内で議論を交わしたら読了後どっと疲れた。
なんか人って、傷付くたびに「強くならなきゃ」ってどんどん理論武装をしていくのかな。昔から感じていたことだけど、頭が良ければ良いほど生きていくのは大変そう。
自分の生き方に一切の迷いなき自信を持つことはわたしはきっと一生できないので、自分とは違う生き方をしている人たちの考え方を少なくとも知ろうとする努力は、これからも継続していきたいなぁと思うのでした。