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普段何気なくネットで検索する行為は、自分の志向を反映し、情報はある意味好きなものしか見ていない。本書では今後ますます進化していくインターネットとの正しい付き合い方が述べられる。
より深くネットを活用するためにリアルからきっかけを作ることが大切でリアルの刺激こそネットを最大限に活用を変化させ、結果的にリアルを充実させる。
ネットとリアルの繋がりが、今後の生活スタイル鍵となるのでは。
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あるお方から紹介されて購入。
平易な言葉で書かれていたので、こういった分野の書籍はほとんど読まない私でも概ね理解できました。
何度か読み直したい書籍です。
まとめ方が難しいですが、検索ワードによって見えてくる世界が変わること、その検索ワードを見つけるには旅が有効であること、その旅での偶然の出会いは弱いつながりであるかもしれないけど、それは後々強いつながりになる可能性があるということ、かな。
検索ワードを広げる必要性は日々感じておりますので、旅に出てみようかな。
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ネットワークの話
表層をなでるだけの観光でも学びは多い
ヨーロッパ哲学の大きなテーマ
表象不可逆性ーホロコーストは表現できるか?
情報の提示のみではなく環状の操作が必要
「情報にアクセスしたい」と言う欲求
身体的拘束+時間が仮想現実との相違
フーコー
人間の現実ー言葉とモノから出来ている
リアル<言葉?
←言葉の世界を回すために現実が必要。めたゲームの阻止
20cフランス・デリダー脱構築
あらゆるテキストは解釈の仕方によってどんな意味でも引き出せる
言葉による議論のメタ化は際限ない
→ことばで真実を探さないことが合理的
ものは言葉を上回る
弁証法
相反する要素(正と反)が衝突し、更なる高い次元へ(合)
歴史の保存ー後世に残る記憶の書き換えを意識すべき
20c哲学…記号や言語の力
21cでは物理的なぞんざいを重視すべき
not存在論、but実践的(プラグマティック)
実践的観点の持ち主としてのルソー
ホッブズ・ロックといった社会契約説の論者とは異なる
社会契約説…人間は理性的・論理的で頭がいい⇔自分の本性を抑圧し社会をつくる
ルソー
人間は本来孤立して生きるべき、他人の苦しみを見ると理念とか正義関係なく「哀れみ」を抱いてしまうために社会を作ってしまう
社会的契約の根拠は動物的感情
お8
コミュニケーションは合意で終わるのではなく、参加者の疲弊によって終わる
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検索キーワードは自分の中にある探したい欲望からでしか出てこないため、無限に知・視野を広げられるというのは誤解である、という訴えを主にしている。
そこで著者が進めるのは旅。
旅に出てこそ、普段の自分が巡り会わないキーワードを探し当てることになり、Googleの予測キーワードの予測を越えたキーワードにたどり着ける。これがAIを越えるということにもなる。
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高城剛さんがよく言っている「アイデアと移動距離は比例する」という言葉、それに少し通じるようなお話。
テーマは身体性。最近感じていた問題意識に近い。
自分の身体が感覚装置として、受信機として、正しく機能するためにメンテナンスしておく必要があるし、どんどんと物理的に移動したり、人に会い、新たな環境や刺激に身を曝すことが必要なんだな。
そして言葉の限界。言葉よりも物の方が強いことは確かだ。
ただモノをやリアルを大事にすることは、今いる環境を大事にすることじゃない。そうすると逆に狭く規定されていってしまう。
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初めての東浩紀。負担にならないやつから始めたかったので、一番ライトそうで事実かなりライトだったこれから。社会学あたりでは「弱いつながり」というキーワードはよく聞く。ネットの網の目があらゆる生活圏に張り巡らされてしまった現代は「強いつながり」の安定した社会になってしまった。グーグルでもアマゾンでも、自分の趣向が読み解かれ、いつもの検索ワードでより近しい情報が与えられていく。生き方としては楽になったんだけども、こういう自足的な生き方に息苦しさを感じることは少なくない。じゃあ、そういう生活の中でいかにノイズを生じさせるか。これがこの本のとっかかりである。
その前提で著者は「旅」を薦める。今の世の中、私たちの豊かさが差別化される部分は、文字化できない、情報化されない「モノ」だという。しかしそういうモノに触れることは日常ではできない。ポイントはいつもと違う「検索ワード」をいかに見つけるか。日常では出てこない検索ワードを見つけるには、環境を変えるしかない。そのために旅をする。旅をすることで環境が変わり、見るもの触れるものが変わることで、思考が変わる。そうすると検索ワードが変わり、グーグルの予測から外れる。これがノイズである。ただ重要なのはそういう新しい情報ではなく、やはり「モノ」自体なのだという。新しい環境で新しいモノに触れて、イレギュラーな自分が生まれる。これがこれから生きてくるだろうと、そんなメッセージだったと思う。
分かりやすい。小難しい理論も出てこない。しかし理性に響く。さすが。
17.6.14
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入門書。安いし読みやすい。観光客という主体に関しては、こちらの方を参照必須。既存の価値観に捉われない疎外から回復された人間像、ここまでは交通に着目した柄谷行人と同様。しかし、それを旅人と呼び、場にも根ざして生きるというのが柄谷行人から先へと進もうとする東浩紀の決定的な思想。
ともに外国を旅する家族が、その示唆を与えたのは明白だろう。
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「統計的な最適を考えるのではなく、偶然に身を曝せ」
ネットの評価経済社会が強いるどぶ板選挙のような体力勝負の消耗戦に身を賭すのではなく、環境を変えインプットを変えることによってアウトプットが変わる可能性に賭けよ。
消耗戦の中からは本当に新しいコンテンツ、本当に素晴らしいコンテンツは出てこない。そこから離れ、ゆるやかに流れる時間のなかに身を置くために、旅が必要なのだ。
入門書として書いてある通り、非常に読みやすく示唆に富む内容であったし、これからの生き方を変えるほどの影響を受けた。まだまだ噛み砕くのに時間はかかりそうだが、また読み返したい。最後に仮に賭けに失敗してしまってもあずまんはこう曰く、
しかし、人生において「失敗」とはなんでしょう。事業の失敗、投資の失敗、結婚の失敗とういう個別例はあると思います。けれどもその失敗はつぎの局面の出発点になるかもしれない。人生そのものには失敗なんてないのです。だってその成否を測る基準はどこにもないのですから。観光ガイドを見て計画を立てるのはよし。けれど実際には計画は無視し、どんどんコースは変更しましょう!そのほうが旅=人生は楽しくなります。
勇気をもらえた。
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「観光客」でいいんだと書かれていて、私のモヤモヤが晴れ、腑に落ちた。あとキーワードとしては「憐み」。
議論がいろいろな方面に向いているので、ブクログの感想欄も、人によってさまざまな切り取り方がされていて印象的。
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思想家・東浩紀氏が旅についてとインターネットの検索ワードについての思索を交差させて書いたエッセイです。ネット社会と呼ばれる現代において検索ワードを考えて情報を得ることが自らの世界観を構築するうえで重要な要因といえます。しかし、普段と変わらぬ日常に身を置いていると検索ワードは凡庸になりがちです。そこで旅をして自身を普段と異なる環境を置くことで新たな着想を得、今までになかった世界観を見出すことができるとしています。また、言葉によって世界観は支配されていますが、現物を見聞きして得られるものは言葉以上のちからがあり、言葉重視からモノ重視へとシフトすべきという持論を展開しています。平易な文章で読みやすかったです。
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よみやすすぎてすごい。その昔、読了≠読解するのに何か月も要した『存在論的、郵便的』の読書体験とは明らかに違う。そう言えば当時の己は、本自体から何か“答え”を得ようと頭をフル回転させながら、頁を行きつ戻りつしていたのだった。そういういみでは、ここに“こたえ”はなく、己がかわるきっかけをもらえた(かもしれない)きぶんである。
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読みやすくてさらさらーっと読んじゃったからあまり残らなかったな。
でも解説は何言ってんだかわかんなくて読めなかったのですごいわかりやすく書いてくれたんだなーって。
福島原発の観光地化の話はいいなって思ったんだけど、今もすすんでるのかな?それを検索しろよってことなんだろうけどなんか嫌なものも見ちゃう気がして気が引けるな。
うまくいくといいね。
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「私は批判が起きる事を良しとして書いていますよ」と批判が起きることを狙っていると先に示してから持論を展開することで、まずは全ての読者に持論に耳を傾けてもらう、という表現スタイルが巧妙だと感じた。そのうえで、
・チェルノブイリ観光地化計画
・裕福なYOU TUBER達が中流の暮らしを演じていること
・観光客として観光地化された場所を巡ること
などについて述べられている。
心に残ったのは106ページ113ページ。社会である前に個人対個人の間にある弱い絆が必然であることをルソーを引き合いに出しながら説いている箇所が印象に残った。
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「観光客」であることを、惨めに思う必要はない。
むしろ、「観光客でいること」に自覚的であるからこそ生み出せるモノがあるのではないか。
そんなことを考えさせられた。東浩紀さんの本を読んだのは初めてだけど、言葉を扱う仕事をしている人が書くものは、私達が読んでもスッーと身体に入っていくものなんだなと感じた。
今この時代にこの本と出会えて、本当に良かった。
自分がなんでこの本を選んだのかはよく思い出せない。この本との出会いも偶然性によるものだったのかなと感じている。
先行き不安とはよく言われるけど、そもそも未来が予測できる人なんていない。あした自分が、生きていることすらわからない。自分自身のことですら予測できないのだから、まわりのことなんて予測できっこない。だからこそ、今自分がここにいるということに、少しでも意識をむけられたら、けっこう幸せなんじゃないかと思う。だって、いまを意識できるってことはそれだけ余裕があるってことだから。
東浩紀さん、ありがとう!
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読む前と読んだ後でものの見方ガラッと変わるような内容だった。
膨大な情報にいつでもアクセスできるって思い込んでいたけど、検索ワードは自分が選んだものだし、だからバイアスがかかった都合の良い情報にしかアクセスできていないってこの本読まなきゃ気づかなかった。
SNSが促進する村のような強いつながりが、強固になる程見える世界は狭く届く情報は限定されていくし、だからこそ多様な検索ワードを得るために偶然性による弱いつながりを疎かにしないことが大切。
当事者として盲目に被害者の声を上げることも、専門家として見下ろすような議論を交わすことも避けたいからと言ってそこに距離を取るのではなく、ただ観光客の目でそこにあることを知る、考える、第3の態度を得ることができた気がする。
旅行に行きたくなった!堂々と観光するって言える。