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戦後70年の時が顕在化させた「日本会議」という現象
2017/04/20 20:58
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:親譲りの無鉄砲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨年より、菅野完氏の「日本会議の研究」を嚆矢とし、類書の刊行が続いている。菅野本が特に「生長の家原理主義者」らに注目したのに対し、本書はもう一つの系統、軍国日本の基礎となった国家神道を源流とする「神道政治連盟」の主張について詳しく解説している。この特徴は菅野本と対立するものではなく、補完関係にあるといってよい。「日本会議」とは、今なお日本があの戦争を総括しきれていないという事実を象徴する、戦後70年の時が顕在化させた多面的な現象なのである。
戦後GHQ発令の「神道指令」により、国家機関としての神祇院から一宗教法人に格下げされた神社本庁のresentmentが、「神道的国民意識」を取りもどすという運動に駆り立てている原動力であり、そしてGHQに一方的に押し付けられたと彼らが主張する「日本国憲法」への憎悪が、戦前回帰への「情念」となってとぐろを巻いている、というのが著者の見立てである。その点を明らかにすべく、戦前戦中に発行された国体明徴運動推進のための国民的教科書「国体の本義」「臣民への道」「国家と神道」という書物を繙く。これらがそのまま日本会議の主張に引き写されている、というのだ。
しかし本書を読んでもなお不思議なことがある。GHQに押し付けられた偽物として日本国憲法への憎悪をあらわにしつつも、一方で彼らの主張に基づくところの憲法の製造責任者たる米国への憎しみを表明しないはなぜ?自国の戦争指導者の、戦争を起こした責任や敗戦の責任を糾弾しないはなぜ?将来の戦争で勝てる根拠は何もないのにも関わらず、戦前と「同じ」国柄にしないといけないのはなぜ?彼らのこだわりの理由ついては本書は答えていない。
しかしヒントはありそうだ。彼らの思考パターンにはある種の法則性があると思われる。例えば、日中戦争は「侵略戦争」ではなかった、「南京大虐殺」はなかったと言い切る、「歴史修正主義」という明らかな学問軽視的態度。侵略先の中国等アジア諸国に対する自国の加害性には一切目を向けず、逆に敗戦国としての被害者意識のみを増長させ、戦没軍人のことを国策の誤りによる「被害者」とみずに、正義の国のために散った「英霊」と顕彰する事しか考えない。知的リベラルな論調への忌避感。そこには集団的な「知的劣性コンプレックス」が明らかに見て取れる。さらに感情放縦型の発言のオンパレード。集団的なresentmentが暴力的非理性に変質する事。第1次世界大戦に敗れワイマール共和政下で天文学的なインフレーションを経験する中で、ナチスの台頭を許し、「授権法」成立を見過ごしたドイツ国民を引き合いに出すまでもない。昭和初期、飢饉による地方の農村の疲弊がありながら政党政治が機能しない現状に、天皇の側近を諸悪の根源と決めつける論理飛躍をして、226のクーデターにしか結論を見いだせなかった皇道派陸軍青年将校のメンタリティにもどこか似ている。集団化すると同時に知性が幼稚化する。これは社会心理学でよく指摘されるところの「認知不協和」であるようだ。戦後日本政治が抱える慢性的な疾患の大きな要因であるところの無批判の対米従属主義に対しては、彼らは何の違和感をも唱えていないことも、彼らが「認知不協和」を起こしていると考えれば、むべなるかなと思われるのだ。この認知不協和性に対して集団を形成するひとりひとりが自覚的であれば、もう少し理性的に抑制された集団的情緒をつくり出せるのではないのか?と評者などは思う。いずれにしても、一国の首相をはじめとして、日本会議の連中は、精神に屈折的な疾患を抱えている患者の群れとしか思えないのである。
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マスコミとは
2016/07/21 08:14
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あいん - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜ、今までにマスコミが殆ど日本会議に関する報道をしてこなかったのがが不思議でした。昨年から各局のキャスターが芋づる式に交替するなど、不可解な現象も起こっています。それらの原因が、この著者を読めば、何となく判るような印象です。思想や教義、大義を押し付けるような息苦しい社会にならないように注視したいと思います。
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いろいろな意見や立場、考え方、信条、信じるもの
大事に思うことやものがあると思います。だから
否定はしませんし、声高に叫んだり攻撃をするほど
強くもないですが。
私はこういう団体の活動、それに賛同する人達の考え方
には賛同できません。
それから、政治家というのはある意味自分の信条や思考を
政治に反映するのはいかがなものかと思ったりします。
またマスコミも同様で、バランス感覚が崩れているような
気がします。
そこだけは将来この国は本当に大丈夫かと思います。
一つだけ。。。国の首相も含めて、そういう人たちの
顔が私には醜く映って見えてしまいます。
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今を生きる我々は、この国であとに続く世代に対する責任を背負いながら、重大な歴史の分岐点にさしかかっています。
逃げ隠れできる場所は、ありません。
最後の言葉を胸に刻む。
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昨今の改憲議論はなぜ起きているのか、を中心に日本会議という団体の活動を通して解き明かしている本。
かなり個人的な見解かもしれないですが、改憲派の目的は大きく2つあるように読み取れました。
1.戦中まで政治的な力を持っていた神社の団体が、GHQによって解体され、政治権力と公金を失った神社関係者は、それを取り戻したい。
2.GHQによって基本的人権を導入したせいで日本は堕落していると考えている政治関係者は、国家神道を国民に強制したい。
前者はパワーを失った神社の怨念のようなもので、過去の亡霊のように思えました。
後者は櫻井よしこなどの日本が堕落していると感じている現代の人々もいて、戦前・戦中に回帰すると世の中が良くなると思っているようです。
また、この本は様々な問題点を指摘しています。
いかに現在の安倍政権が異常なのかを感じれると思います。
過去は良かったと回帰したがる気持ちは分かりますが、これだけ科学技術が発展している世の中で過去にしがみつくのは時代錯誤も甚だしいと感じました。
日本国民全員にオススメです。
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前著「戦前回帰」を補足する内容とも言える本。現政権が推し進めている改憲運動は、敗戦とともに崩壊した「国家神道」の時代に逆戻りさせようとするものであることが、とてもよくわかる。
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1967年生まれ、山崎雅弘 著「日本会議 戦前回帰への情念」、2016.7発行です。著者は、日本会議、神道政治連盟を日本最大の右翼組織であり、国家主義団体であって、安倍政権を支える二本の柱だと。だから「何なんですか」とも言えますが・・・。「忖度」という難しい?言葉がはびこった加計・森友問題で批判を受ける安倍内閣ですが、安全保障・防衛、教育、歴史認識、靖国神社など政治の基本的な方向は、私は支持しています。過去の過ちは正し、そして日本の伝統と文化は継承していきたいと思っています。(政治関係は難しいですね)
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反憲法派の中心組織「日本会議」に関する著作が2016年に相次いで刊行されたが、本書は日本会議の刊行物や関係者(所属の政治家や言論人)の公表された言説の分析を通して、その思想と運動の特徴を抽出することに重きを置いており、ジャーナリストによる「内幕暴露」的な類書と一線を画している。
彼らの本質を「戦後」の全否定と戦時体制・国家神道体制への回帰とみなす視角は全面的に首肯しうるが、それに反駁するために、戦後の日本国憲法体制こそが「平和と繁栄」をもたらしたという認識を対置するのは、その「平和と繁栄」を享受できた世代・階層には通じても、そうではないバブル崩壊後に人格を形成した世代や繁栄から疎外された階層には通用しないのではないか。日本会議的な言説が若年ほど支持されているように見受けられるのは、平和主義やリベラリズム自体が「もてる者」=他者の専有物で、「もたざる者」=自己はそこから疎外されているという被害意識が、現実に戦前の受益を剥奪された国家神道勢力の被害意識とリンクしやすい(どちらも「戦後」に「奪われた」という認識が共通する)状況にあると思われる(トランプ現象に象徴されるようにそれは世界的傾向である)。憲法改定がいよいよ具体的な政治日程に組み込まれている状況ですでに遅すぎるが、日本会議に対抗するロジックの構築には政略的にもっと注意が必要であることを実感した。
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平易な言葉でとても理解しやすく、また章立ても、大変良く組み立てられており、一気に読み通すことができました。それ故に、何故、あの人々が戦前戦中を良しとするのかがわからないのです。1945年に破綻したあの頃の、一体何に戻ろうとしているのか?それを実現したとして、何が達成できるのか?どんな未来が日本に、世界にあるのか、見えません。
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戦前の国家神道を拠り所として組織された「日本会議」の歴史を、わかりやすく解説してくれています。現閣僚の大半が日本会議のメンバーであり、憲法改正を強く望んでいる背景も理解できます。日本会議を理解する上で、最初に読む教科書として最適のように思いました。
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日本会議の実態がよくわかる本である。この組織が、戦前戦中を反省せず、復活させようとしている実態がよくわかる。日本を不幸に陥れる大変危険な組織であることがわかる。
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安倍政権と日本会議の緊密な関係。
日本会議の歴史認識において、重要な柱となっているのが、戦前・戦中の国家体制(国家神道の精神に基づく社会)の肯定と、当時の日本が行った諸々の対外戦争の正当化です。
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政治的思想や価値観を根本的に考え直させられる団体も、その歴史を学べば目的が理解できる。
日本会議は、日本を守る会と日本を守る国民会議が統合する形で1997年に誕生した。最も重点を置く運動目標は憲法改正。
敗戦後、国家神道を日本の民主化の障害と考えたGHQは、神道指令を日本政府に送り、神道系施設や団体への資金的・人材的サポートを停止することを命じた。神社を統括していた神祇院が廃止されると、神祇院から国費補助を受けていた法人など三団体が合同して神社本庁を設立した。神道指令の内容は、信教の自由、集会・結社・言論・出版の自由、国民主権、基本的人権の尊重といった形で間接的に日本国憲法に盛り込まれて恒久化された。神社本庁は、占領軍によって一方的に押しつけられたと理解する日本国憲法の破棄と、国家神道的価値観への回帰を盛り込んだ自主憲法の制定を重視した運動を展開した。
1930年に創設された生長の家は、天皇中心の世界観と宇宙や霊魂についての独自の考えを融合した思想を流布した。戦後のサンフランシスコ講和条約が調印されると、日本国憲法の破棄と明治憲法への回帰を主張し、政治団体を設立した。生長の家の教えに心酔した椛島有三らは、大学で左派学生と戦う学生運動を進めた後、その運動を一般社会人に広げて、1970年に日本青年協議会を設立した。日本青年協議会は、1979年に法案が成立した元号法制化運動で存在感を示し、この過程で結成された元号法制化実現国民会議は1981年に日本を守る国民会議に発展し、日本青年協議会は事務局を取り仕切ることになった。
東西冷戦期の日本でも、あらゆる宗教の価値を否定し、国ごとの固有文化を尊重する考えのない共産主義に共鳴する市民が少なからず存在していた。共産主義が広がることを懸念した宗教家や保守的な政治運動家は、1974年に日本を守る会を創設した。
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現在の日本の状況に将来的な不安、そしてその要因となる現象を見るとき、何かのせいにしたくなることがある。「何故こんなことになってしまったのか?」といった具合に、…。
そんなとき、変化している世の中に、歴史のなかに、似たような流れを見つけようとしたり、他者からその要因を吹き込まれたりすると、その符合の正当性を自ら進めていってしまう。そんなことはよくある。
でも、そんな簡単に答えを出してしまって悔いたこともあった。
将来を不安にさせる要因はいくらでもある、もしかしたら、そうさせられているのかもしれない。
自ら参照の対象として選んだ選択が誤っていたのかもしれない。
それを救う存在として神を崇め、宗教が生まれ、教義か作られてもきた。
日本は戦後の成長と豊かさを手にする過程で十分に学んできたはずだ、もう過去の轍は踏まないためにも、自分たちが責任をとるという覚悟をもって、自分が主体となって判断するという姿勢を示してもいい頃ではないだろうか。
“憲法改正”に賛成するのも、反対するのもその決定にもたらす結果に対して責任を持つ覚悟だ。
とんでもないことになるかもしれないけど、歴史に取り返しがつかないことはない。
それだけ真剣になれるもので、「俺は反対したのになぁ」とか「賛成したけどひとりの力では無力だ」なんて言葉は後になって語ってはいけない。
我が子の将来を嘆いて、拳を振るったり、パターナリスティックな指導に陥ったりせずに、自らの不可知に謙虚に、しかも他者の差延べる手に慎重に向き合わなければならない、危うさが待ち構えている時代を今私たちは通過している。
この“日本会議”の存在やその狙いについては、あまり大手メディアでは語られないので、書かれている主張を追っていくと、ゾクッとした緊張感がいつも背後には漂っていた。
日本という国はもう現状の不安と引き替えに、“戦中・戦後を美しいと偽装する”システムの駆動スイッチを押しているのかもしれない
トランプの大統領当選やイギリスのブレグジット決定、そして日本のN国党の議席獲得、憲法改正のニュース映像は、もう私の未来テレビでは並べられて流れている。
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とてもわかりやすかった。
今の政治の方向性がどこからきているのか、歴史も含めてきちんと整理して書かれていた。
今まで感じていた違和感の元が、はっきりした。