紙の本
私が初めて読んだ角田光代の作品
2019/09/02 21:32
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投稿者:るい - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初の数ページは馴染めなかったこの作品!
仙太郎と付き合うきっかけ、何に魅かれたのか私は掴めなかった!
最終的には、見捨てられるのでは?
そう思いながら読んだ!
終盤、子供が授かった時の仙太郎の対応でハッピーエンド?
と一瞬思ったけれど、やはり、最後はそれぞれの旅立ち。
祖母タエのことを知らなければ、和歌は作家になっていたのか?
矢崎教授に大学院に進むことを勧められなかったら?
仙太郎と付き合っている時も、何処か、本音で付き合えていたとは言い難かった和歌!
2人の出会った意味は、それぞれが自分の道を見付ける過程に必要な出会いだったのだと思う。
本当に自分が行きたいと意識するしないに関わらず、無自覚であったとしても、人は自分の思う方向に生きていけるものだと、生きていくものだと思った。
初出は「空に梯子」というタイトルだったとのこと!
未来に賭ける梯子、未来に描ける梯子、空にいるタエに駆ける梯子、
「私のなかの彼女」は、和歌の中の彼女自身、和歌の中のタエ!
その他、様々に想いを巡らせるタイトルだと思う!
紙の本
私を生きる
2017/10/08 14:45
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投稿者:akiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在の主人公の中に祖母の姿が見え隠れする。あるときは過去の祖母の中に主人公がいることもある。私は誰で、誰と共に生きていて、誰に生かされ、また殺されるのか。目まぐるしい人生を送る主人公だが、その弱さに自分の姿が見える気がするときがあった。
紙の本
タエに光を与える本、和歌の役割
2016/05/02 15:30
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
ずっと感情移入できないまま読み進んだ。和歌という女性に共感できない。仙太郎という男性に共感できない。わたしとは全然違うタイプの人間。だから苦しかった。でも、ページを繰る手は止まらなかった。それは、初めに和歌が祖母、タエの書いた忘れられた小説を読む感覚に似ていると思った。苦しいでも読まなきゃ。そんな、反駁する気持ちをえぐるような強烈な磁力をこの本はまとっている。和歌は正直どうでもいい。和歌はタエを土の中から、歴史の奥底から蘇らせるためだけの人。わたしはタエには共感できる。タエの文学への心が純粋で美しいゆえ。
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何だか読んでて辛かった。上手く行っているようで行っていない和歌の20年。仙太郎との別れ。
学生時代からのカップルって、仕事を始めて環境が変わって友達も変わって、そしたら自分も変わってて、結果すれ違うってパターン多いのかな。変わっていくのは自分だけじゃないけど。その辺の描写はさすがでした。
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GW、帰りの新幹線の中で読むべく駅の書店で購入。
何だか不思議なお話で、解説にもあるように粗筋を語れば何とも陳腐な感じとなり、主人公の和香のように良く言えば奔放、悪く言えば小汚いのも平気、仕事に没頭したら何も見えないという女性に、私としてはそれ程魅力も感じないし、その気持ちも、またそれに寄り添う仙太郎の心持ちも、一定でなく掴み難い。
にも拘らず、作中で和香が惹かれる香港やエジプトの市井の生活の猥雑さや作家を目指した和香の祖母の不思議な行動力に似て、結構ずいずいと物語を読まされてしまうところは有り。
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実に女性らしい、複雑な焦りと依存と人とは違う感の主人公。共感は出来ないものの、こんな女性多いねと思える。
それをよく捉えていると感心しつつ、つい角田さん作品に期待してしまう爽快感は得られなかった。
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なりたいものもなくて、好奇心旺盛な方じゃなくて、いたって平凡な女だった和歌が、書くことで変わっていく話。ハッピーエンドともバッドエンドともつかないところが良いな。
近しい人の社会的地位の変化に対する反応の男女の違いとか、女性の生き方に対する社会的な空気など、繊細な感情の動きと、微妙な空気感の描写がうまい。
自分にとって幸せな生き方とは何なのか、何を共有できる人と過ごすことが自分にとって心地良いのか、目を背けがちな問題について考えこんでしまった。
具体的な指示はなかったにも関わらず編集者と分かり合えた時の和歌の興奮が印象に残った。私は言葉を大切にし過ぎる。気持ちに即した言葉を紡げなくて、溜め込んで溜め込んでどんどん話せなくなっていくけれど、言葉以外の何かを共有することで分かり合える可能性もあるんだと、ただ驚いた。
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対等な関係ってものはこの世に存在しないのかもしれない。
自分の優位性を保つために相手を言葉で貶める。
恋人 仙太郎との結婚を夢見る平凡な大学生だった和歌が、自分の足で小説家の道を歩き始めた時、仙太郎や母親から投げつけられる言葉の数々がまさにそれだ。
和歌は小説家を目指していたであろう祖母の多栄の生き方を紐解き、時に自分と重ね合わせながら、どんなに傷つきながらも書くことを選び取っていく。
主人公はバブル期に大学時代を過ごし、バブル崩壊とともに就職して以降の20年が描かれていて、それと全く同時代を生きてきた自分としては、時代とともに変化していく働く女性に対する社会の風潮や雰囲気みたいなものにとても共感した。
どんな時代であっても、何を選びとり、何を手放していくのか。
これは主人公だけのストーリーではないのだと作者が私に問いかけてくる。
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私ってどんな人? 何が出来る? 好きなものは? 苦手なことは? やりたい事は? そして、明日の私は?
自分の事なのによくわからない。
外からの刺激で内側が変わり、内面の変化で刺激の受け取り方が変わる。流動的というか、変化し続けているというか、定型でない私がいる。良くわからないままに楽しめるのが不思議。
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読んでいて涙が出てくる。女であることの呪い。男から自分より格下であるよう言外に求められマウンティングされる窮屈さ。
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小説を読んでいるという感覚を忘れた。
活字を目で追って、頭で文章を理解して、感じる…という過程をすっ飛ばして、直接本から何か吸い上げて、それが体中に行きわたっているような。
ヒロイン・和歌に自分が取り憑いていて、仙太郎のひと言ひと言や行動に、振り回される。
「こうした方がいいのに」と思っても、自分は取り憑いているだけで実体がないから思うように行動できない。
「もう一緒に住むのが気が進まないならやめておけばいいのに。きっと売れなくなってきて家賃が払えないからたかる気なんだよ!」
「昼間仕事してるとか嘘なんじゃない?後ろめたいから家事やってるんじゃないの?」
「ほら、出版社の人たち、みんな名前知らないじゃない。仙太郎はもう終わってるんだよ」
「ゴム着けないのは、子供作って、あんたが仕事できないようにするつもりなんだよ!」
勘ぐり放題な私であった。
作家同士の夫婦とか何組かいるけれど、どうやって折り合いをつけているのだろうか?
家事の分担も、書けない時の感情のやり場も、相手の仕事ぶりに対する関心も、気にならないわけはないだろう。
和歌は、本当にやりたいことを続けていけるのだろうか。
この先も、生きている限り迷いは尽きないと思うけれど、自由に羽ばたいてほしい。
バブル期の様子が、懐かしく、ばかばかしい時代だったよね…と思い出に浸ったりもした。
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18歳の和歌は将来のビジョンも夢ももたない世間知らずの大学生だ。一つ年上の仙太郎は和歌のそんなところを気に入ってか、何かと導いてくれる。
独特なイラストであっという間に有名なアーティストとなった仙太郎と結婚し、彼をサポートするのが唯一の夢といえば夢であった和歌だが、あるとき実家の蔵で祖母の書いた小説を見つけ、生まれて初めて「書きたい」という能動的な衝動を感じる…。
祖母の足跡を辿るうちに自分のルーツを知り人生を見つめなおす、という単純な物語かと思ったがいい意味で裏切られた。
和歌の変化に合わせて仙太郎の心が揺らぐさまが腹立たしくもあり、哀れでもあり。しかしこれは仙太郎が変わったのではなく、おそらく和歌の仙太郎を見る目が変わったのだろうと思う。
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人のせいにしない。自分と、起こった出来事を、ただニュートラルな視点で見られるようになりたい。いい・悪いではなくて、ただ冷静に、受け止められる器の大きい人になりたい。
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読んでいるとどうしても主人公に角田光代先生のイメージが入り込んできて、何とか重ならないように努力するのに必死でした。
読み進めていくうちにそれは克服でき、久々に面白い小説でした。何より文章力が凄い。解説が津村記久子先生なのもまた魅力の一冊。
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まず、題名に興味をそそられてこの本を手に取った。誰しも二人の自分に葛藤するときがあり、そういった描写がつづられているのかと思ったが、読んでみると以外にも主人公の彼氏の考え方に関心がいった。仙太郎批判が多いのはなぜだろう。女性の読者が多いからであろうか。
和歌に共感もするのだが、仙太郎の考え方にも共感するところが多かった。だんだん仙太郎が気の毒になった。はじめは和歌が感じていたように仙太郎が大人な人かと思ったが、少し身を引いて客観的にみると、チクっと与えるかと思えば、遠慮したり、自分で勝手に判断し、はっきり言わないところもあり、不器用な部分もあるのだと思う。が、和歌に対して優しさもあるのだと何度か感じた。そういったのも含めて読みながら私は、’彼の中の彼’も自然に探していた気がする。和歌を目にしていた仙太郎になって考えると、和歌を離れざるをも得なかったと思う。二人を客観的にみて仙太郎の気持ちを考えたからか、二回目に読んだときは不思議に仙太郎の言葉に嫌味を感じなかった。
要は考え方なのだろうか。恋愛も考え方次第でうまくいくのだろうか。相手の言葉が嫌味に聞こえたとき、それで相手を嫌になりそうなとき、もう一度考えなおそうと思った。