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関西弁が読みづらいかな、と思ったのは初めだけで、いつの間にか夢中に読み進め、没頭し、暑くなって、しまいには泣いていた。
中学三年生になったはじまりの14歳から高校入学するまでの一年間。14歳からの15歳ってものすごく深い一年間だったのを、わたし自身身を以て知っている。子どもはうまく逃げれない。逃げ場がない。助けてくれない、大人は、タイミング悪い。
小説の設定として、中学三年生は無理がありすぎるような気もするけど、高三くらいがちょうどよさげでもあったけど、でもこの微妙すぎる年代をとてもうまく描けている。逃げ場がない、嫉妬のハケ口、将来の不明確さ。
背の低く絵が描くことを好きなのに変な自意識から逃げているヒロシと、背の高くのんびり屋さんのヤザワ。ヤザワ絶対モテるなーと思う。あの空気の読めない真面目さがいい。出てくる子みんな良かった、それはヒロシの周りだけだけど。素直で。
いい小説読んだなーとあったかい気持ちに。YA小説好きにはたまらないです。
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傑作でした。声を大にして、お勧めしたい本です。
中学生の男女たちが主人公です。些細な学級内の人間関係、どーでもいいようなくだらない悩み。
と、思えば深刻な苛めや暴力。
そして親との面倒な関係。
家庭内というコップの中だけど、深刻な嵐。
だけど、後味が悪くなるような悲惨さは無く、淡々と、うっすら晴れだが曇り空、みたいな思春期の明るい憂鬱で、テンポよく読ませて進んでいきます。
その上で、中盤以降はある種のミステリー構造になっていて、どんどん読ませる展開。
そして、あざとくないけど、地獄落ちではない、うっすら晴れた感じの終わり方。
いつもの津村節でぐりぐりと、ディティールと些末さでキャラクターが沁みたころに、ドンドンと事件が重なって。
終盤では、チョッピリ、感傷的な風情が描かれるのですが、それがマッタクもってクサく無く、ちょっとウルっと来てしまいました。脱帽。
全ては漂っている。エヴリシング・フロウズ。素敵なタイトルですね。
津村さんの小説は、根を張った現実生活感、身の丈感が満載な分だけ、タイトルが洋語カタカナでも、却って良いなぁ、と。
「すべては漂っている」だとねえ。ちょっとブンガク感がありすぎるんですね。
なんだか上手く言えませんが。
津村記久子さん、1978年大阪生まれ、大阪育ち、大阪在住の小説家さんです。
芥川賞を受賞されていますね。
一貫して、地味と言えば地味な、でも抽象的だったり観念的だったり哲学的だったりしない、
生活感やディティールの豊富な現代の小説を書かれています。
過度にドラマチックでもなく、現実味のある小さな生活、仕事、暮らし、と言った背景の物語が多いです。
はるか昔に、お友達に「ミュージック・ブレス・ユー」を勧められて以来、読み続けています。
「ミュージック・ブレス・ユー」は、洋楽マニアの女子高生を描いた小説で、これ、とても面白かったです。
順不同ですが、
「君は永遠にそいつらより若い」では、強者からの理不尽な暴力に傷つき悩む女子大生。
「カソウスキの行方」では、単調な仕事に就きながら職場の人間関係に悩んだり悩まなかったりする若い女性。
「婚礼、葬礼、その他」では、婚礼と葬礼が同日に重なった会社員女性のてんやわんやの向こうに、家族や人間関係が見えます。
「アレグリアとは仕事できない」では、やはり会社員女性、きまぐれな複写機にストレスを爆発させる事件や、職場の人間関係。
「八番筋カウンシル」では、商店街育ちの若い男性が鬱で会社員を退職。地元のどろどろを発見しながら、再生していく様子。
「ポトスライムの舟」では、不安定な非正規雇用の若い女性が、自分や友人の生活上の苦労や未来の不安定さのなかで漂います。
「ワーカーズ・ダイジェスト」では、アラサーの会社員の男女が働きながら日々のストレスや小さな喜びのある暮らしを描いて。
「まともな家の子供はいない」では、理不尽勝手な親たちに翻弄されながら小学生たちがひと夏をさまよいます。
「とにかく家に帰ります」では、大雨豪雨という中で、とにかく帰宅を��指す若い会社員たちの小事件を味わい深く語り。
「ウエストウィング」では、同じビルにある中小企業、小学生の塾、などの群像劇。
「これからお祈りにいきます」では、複雑な家庭環境のストレスにあえぎながら地域のお祭りに参加する中学生(高校生だったか)。
「ポースケ」では、近鉄線沿線奈良のカフェを舞台に、従業員などの生活群像劇。
上記の中に、表題作以外の短編があったり、単行本化されていない短編に「給水塔と亀」という、地元にUターンした初老の男性の感慨を描いた好篇があります。
(どれも好きなんです。
あえて言えば、
「ポースケ」
「とにかく家に帰ります」
「ワーカーズ・ダイジェスト」
あたりが、僕としては好きです。
でも、他も好きだなあ)
ことほど左様に、「派手ではない、ムツカしくもない、どちらかというと負け組的な精神風景の、ローカル味あふれる行動半径の若い男女の感情を、淡々と、時にコミカルに、時に深刻に、でもほとんど乾いた俯瞰目な肌触りで描く」という持ち味の作家さんだと思います。独断と偏見ですが。
サブカルチャーな固有名詞、地名や店名などに、敢えて現実のコトバをぶち込んで。
やや時として饒舌な長文を使いながら、読み易く平易で、きれいな日本語を使われる、と思います。
そして、ほぼ一貫しているのは、本書「エヴリシング・フロウズ」でも出てくる文章ですが、
「どうしてあいつらは、誰かをねじ伏せないと、気が済まないんだろう」
という、精神的なコトも含めて、僕たちの生活世界の中に常にある、理不尽な暴力。
まあ、判りやすく言うと、「いじめ」「仲間外れ」「揶揄」「あざけり」や「DV」や「パワハラ」「セクハラ」「レイプ」「虐待」と言ったことですね。
そういう社会的な、あるいは肉体的な強者からの見下し。強者からのストレス。
逃れようもない、それらの「痛み」を峻厳に描きます。と言っても、そこは乾いたユーモアとか、客観性は担保されています。
そして同時に、非常に的確で鋭敏で、静かに燃える怒りや反発。
そんなことが、ダンコたる確信と決意で底流を流れている、ということぢゃないでしょうか。
そして常に、どこかしら哀しいくらいに理性的で、孤立的で、ひょろっとしたストロー級のボクサーが、満身創痍になりながら、それでもファイティングポーズを淡々と崩さないような、痛いと同時に凛とした生活上の戦闘の姿勢が印象的です。
僕はそんな持ち味が好きです。
そんな確実な延長線上にある、「エヴリシング・フロウズ」ですが、語り口、展開、ドラマチックさと感動、人間模様、ユーモア、痛さ。
どれをとっても、最高傑作だと思いました。
ほんとに、お勧めです。是非買って読んでいただきたい。
小説を読むのが好きな人、
人間関係で悩んだ少年少女時代があった人、
暴力を恐れたことがある人、
ヤンキー的な主流派に対して面倒やなあと思ったことがある人、
いじめられたり少数派になったりすることが怖かったことがある人、
大阪弁を読みたい人、
大阪市に住んでる人、
大阪市大���区に詳しい人、
映画「大人は判ってくれない」が好きな人、
かつて中学生だったことがある人、
ツール・ド・フランスなどの自転車スポーツが好きな人、
どれかに該当する方々は、きっと読んで損はありません。
(敢えて難点を言えば、僕は滑り出し序盤、ちょっと中味にのめり込むのに手間取った感が。
主人公が、IKEAで「母の彼氏かもしれない男」を目撃するあたり。そのあたりから俄然、乗ってきました。
そこまで、我慢してください!)
####以下、あくまで自分用の。大まかな内容・備忘録########
大阪市内の、公立中学。エリート中学でもありませんが、特段に荒れているわけでもない。
主人公は山田ヒロシ君。山田ヒロシ君の中学校三年生の、1年間四季春秋の物語、と言えます。
三人称の文章ですけど、事実上、山田ヒロシ君が語り部で、ヒロシ君の心理から離れずに進みます。
新しい学年。
仲間や誰とつるむか、という憂鬱さ。
画を描くのが好きだけど、自分より上手い女子もいる。
画を描くのが特技で、夢で、希望進路です…。と、言い切れない葛藤。
上がらない成績。潮が満ちるように迫ってくる受験。
クラス内の政治力学。
目立つのも落ちこぼれるのも面倒な人間関係。
恋心。ほのかに気になる女子。話しかけもできない、何もできないミットモなさ。
両親は離婚、母と、祖父母との暮らし。
微妙に再婚を考えている母。
なんだかどうでもいいけど、ウザい、というヒロシ君。
それなりに乾いて楽しそうに振る舞いながら過ぎる、単調な日常。
学校と塾に閉鎖されて自分の時間が少ない閉塞感。
だけど、「自分は不幸だ」とも思えない平凡さ。
大きな出来事軸としては、
●母が再婚を夢見ている男性がいる。しかし、その男性が別に女性がいるらしい疑惑。主人公の目撃。
●離婚して、何年も会っていない父の死去(心不全)。葬式で会った、再婚相手と子供。つまり自分の腹違いの弟。
●なんとなく仲良くなった同級生の男子、ヤザワ君。ぶっきらぼうで群れないキャラ。そのヤザワ君が、噂で苛められる事件。
これは多少の暴力がある、結構な事件。
●同級生の女子・野末さんのことが好き。なんだけど、同級生の女子・増田が、自分より絵が上手くて、コンプレックス。徐々にふたりと話しするようになる。
●同級生の女子、野末、増田、とつるんでいる、女子・大土居。この大土居さんに、何故だか襲われる(文字通り暴力的な意味で)。その真相が判らないぞ、というミステリー。
●その、大土居さんが、「義父が、妹に性的なことをしているぞ、どうしよう事件」。これに、有機的に絡んで、文化祭への準備が絡みます。
野末、増田、大土居、という女子三人に、主人公ヒロシ君、それにヤザワ君、という、女3人、男2人、という5人。
この5人が、徐々に仲間になっていく。
ものすごく、さりげなく、淡々と、だけど、連帯していくんですね。「強者の理不尽な自己満足的暴力」に敵対することで。
���このあたり、素敵です。
●そして、全てが洗い流されるように、やってくる高校受験。
というのが、大まかな内容。
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中高一貫私立女子校に通って男兄弟もいない私にとって、男子中学生の生態は最もわからないもののひとつなので、リアルなのかどうかは判断できない。共学の公立中学校の雰囲気もいまいちわからないから、比較的地味というポジションの人物が同じクラスの異性に話しかけることが、どれくらい勇気のいることなのかも、ぼんやりとしか想像できない。
その延長で、友達が標的にされている嫌がらせや友達がさらされている家庭の問題に対して、こんなに正義感を持って行動を起こせるかな、という点も、なんかファンタジーに思える(それは単に私の性格の問題な気もするけど)。
でも別になんでもかんでもリアルであればいいと思っているわけではないし、いくつかの、主人公が勇気を持って立ち向かっていくシーンは、とても気持ちよく好ましかったです。
本作に限らず津村さんの小説は、こういう主人公(やサブキャラ)みたいな人がいると思うと、世の中捨てたもんじゃないなと思えるところが好きです。華はないけど押さえるべきところは押さえているけど抜けてるところもあるけどかわいい人?
海と川に囲まれた大阪市大正区が舞台ですが、主人公の住んでいるところから川を越える手段として、「渡し船」か「メガネ橋(下を通る船のために高さを出す必要上、橋の端をループ状に昇る/降りる必要がある)」か「ちょっと遠い普通の橋」という3つの選択肢しかないらしい。この説明のせいで大正区がすごくメルヘンチックな世界であるかのようにちょっと思えた。
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津村記久子さんの文体やっぱり大好きだと再確認。
中学三年生、受験とか進路とか、考えなきゃいけないけど考えたくないし、目の前のことも大事だし、うわぁってなる時期。そのもやもやが、いいバランスで描かれていてリアルタイムからはもちろんすごく時間が経ってるんだけど、自分にもいまのことのように感じられる。
個性的なキャラクターも、津村さんならではの味。
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すごくよかった。もうずっと津村さんははずれがない!
はみだし者的なさえない中三男子の話なのだけど、いい中年のわたしが、あああのころはそういうこともあった、とか思い出すのではなく、今まさに共感する、わかるわかるーと思ってしまい、われながら精神年齢がおかしいのではないかと思うくらい。
他人に自分がどう思われているか、こう言ったらこう思われるんじゃないか、こうしたほうがいいんじゃないか、などなどの自意識と、あと、他人のことをものすごく観察してしまって、こう思ってるんじゃないか、こういう人なんじゃないかとか思って、でも実際にはなにも言わないところとか。それで緊張して疲れるとことか。今現在、ものすごくわかる、と。
津村さんはそういう自意識とか観察をつぶさに書くのがいつもすごくうまい。ほんのひとことにも、こういう意味かもしれない、こういう気持ちかもしれない、っていうのを書く。わかる、と思うのと同時に、他人もみな同じようにそんなに他人を観察しているのかもと思うと少しこわくなったりもするくらい。
関西が舞台ってこともあるのかな、不器用なようでもみんな会話が達者と思った。わたしが中学生のころは先生とあんなふうににしゃべれなかった気が。会話や、口に出さないツッコミとかがさすがにものすごくおもしろい。
つながりが強くて信頼し合って、とかいかにも「仲間」って感じではなくて、「一応」つるむ、みたいなレベルでも、友達とのやりとりとか、だれかと友達になっていく過程とかが楽しくて。「ミュージック・ブレス・ユー」に似てるかも。
受験の話もけっこう書かれていたし。津村さん、受験に思い入れがあるのかしら。
中学生ならではの不器用さはあっても、みんなそれぞれのやり方で誠実に人と対していくところが、こっちはいい中年なのに、見習わなくては、と思ったり。なんだかすごく励まされる気がした。
津村さんの作品だと、描かれる人たちが子どもだろうと大人だろうと同じなのかも、と。どっちの立場でもそれぞれに不自由さや理不尽さはあり、なんというか手持ちのカードでやっていくしかない、ってのは同じで。
ただまあちょっと、やっぱり中学生だったら「未来」があっていいなあーとかも思った。
漂っていけば、また自分がだれかを見つける、だれかが自分を見つける、というふうに思えるのは若いからかなあとかも思ったり。
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淡々とした筆勢なのに,なぜか読みだすと止まらず,一気読みでした。
大阪弁でのツッコミが,時折くすっと笑わせてくれます。
主人公が感じる季節ごとの空気感,確かに似たような感覚あったなあと自分が中学生のころを懐かしく思い出しました。
ただ,その面はゆい時期をずっと前に過ぎてしまった身としては,懐かしさは覚えても,今後何度も折に触れて読み返したいとまでは思いませんでした。
まさに今,青春真っ只中の学生さんが読むと,より一層忘れられない本になりうるのかもしれません。
それでも,主人公たちの高校生編,大学生編が出たら,もう一度,あの懐かしく,くすぐったいような感覚を味わうために,手に取るだろうと思います。
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http://tacbook.hatenablog.com/entry/2014/09/23/214829
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帰宅部で地味な中学3年生の主人公のヒロシが同級生にさりげなく手を貸して助けるストーリー。脱力系主人公が多い津村記久子さんのお仕事小説が好きですが、この作品は最高!大好きです。
ネットによるイジメの拡散、親の離婚や再婚、虐待など現代の問題が書かれているのに全体のトーンは明るく、子供たちだけで解決していく姿に涙が出ました。ヒロシもシングルマザーに育てられているのですが、最初がさつなキャラかと思ったらヒロシのビニール傘の持ち手にマスキングテープを貼ったという描写で、一瞬でいいお母さんなんだと感じました。そしてそんな親に大切に育てられたヒロシの行動はなるほどと頷けます。
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主人公で中学生のヒロシの日常を描いた作品。友人と呼ぶには少し希薄なのでは?と読み始めは思いつつも、いざというときには頼りになる友人関係。中学生ならではの些細な悩み(クラス替えや宿題など)から、嫉妬がらみのいじめ、幼児虐待まで様々な問題に遭遇します。
自分が中学生のころも、色々なことを次から次へと心配していたなぁ。その心配事も周りからすると大したことないし、いつのまにか解決していたり。一人前に人間関係に悩んだり、分かったような口で友達と何かを語りあったり。
津村さんの作品を読んだのは3作目ですが、今作もクールな登場人物とすこし間の抜けたような文体がとても魅力的でした。
エヴリシング・フロウズ=万物は流転する
ある程度マジメに生きていれば、なんとかなるものです。
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中学3年になった山田ヒロシ。 前の席のヤザワは背の高い口数の少ない男で、学校に友達はいないと言い、部活もせず、だが何故か女子にモテているらしいとの噂もある。
無口なヤザワとつるむようになったヒロシだが、家に帰ればおしゃべりな母が、どうでもいいことを脈絡なく際限なく話しかけてくる。そんな母と一緒にいるのが苦痛で仕方ない。
ヒロシが気になるクラスの女子は、ソフトボール部の開けっぴろげで元気な女の子。
絵を描くことは好きだったけど、ここ最近はそれほどの打ち込みも出来ず、将来とか受験のことも悩むヒロシの中学生活。
全ては、ただ漂う・・・
好き嫌いが分かれる作品だろけど、私は好きだった。
たゆとうとも流れず・・・
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デビュー作は大学生が主人公だったものの、お仕事小説のイメージが強い筆者。
新作は中学3年生の男の子を主人公とした思春期小説。
大阪の公立中学校に通う主人公は母と祖父母と暮らしている。
特に目立って良いところも悪いところもなく、そこそこ友だちがいて毎日ぼちぼち暮らしている。
3年生に進級した日から物語は始まり、片耳が聞こえないマイペースな友人やソフトボール部の体育会系女子など個性的な友人たちとの日常を描いている。
卒業までの1年間の物語で、大きくふたつの事件が起こるのだが、ドラマチックに描いていないため全体として淡々としている印象。
津村さんは私の中で合う作品と合わない作品がまっぷたつなのだが、これはあまりピンと来なかった。
学園モノが最近あまり好きじゃないせいもあるだろうけど。
等身大の日常で、あーこういうことあるよね、の連続なのだが、いまひとつ刺激が足りなかった。
あさのあつことか好きなひとは好むのではないか。
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リアルにどこかにいる中学生の男の子の
長い日記でも読んでいるような錯覚を
起こしそうな感じの文体が面白く
楽しめるところと、またそれが
だらだらと長く感じてしまう部分も
あったけど、なんだかゆるくて
こういう空気は好きやなぁ。
やっぱ、中学くらいが人生で
一番しんどいのかもと再確認。
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冒頭───
クラス替えの表は、下駄箱と玄関ホールの間に設置されている掲示板に貼り出されてあった。こっちの脳みそがスライスされてしまいそうなほどのキーキー声を上げて手を取り合ったりしている女たちと、新しいクラスなどどうでもよいという態で余裕ぶって、まったく関係のない話をしながら、しかし掲示板の前から離れようとしない体育会系の男たちの後ろで、背の低いヒロシは根気強く表の確認を待っていた。
自分の名前を見つけたい、というよりはむしろ、名前がないほうが良いかもしれない、とヒロシは思う。名前がないんで帰りました! と誰だか知らないけど担任から電話がかかってきたら言えるし。
もう面倒なのだった。誰と中学三年の一年をつるめるかについて、意外と出たとこ勝負のくせして、この場ではどちらが派手に喜べるかを競っているような女たちや、興味のなさそうな顔つきで名前の表をずるずると眺めながら、こいつにならおれは勝ってるとか、腕力では敵わないけど顔では上とか、想像力をたくましくしている男たちが周りにうろうろしていると、ヒロシはときどき窒息しそうになる。
───
中学の時、ぼくはごく普通の中学生だった。
ごく普通のというのは、周りにいじめたり、いじめられたりする生徒もいなかったし、児童虐待で悩んでいる知り合いもいなかったし、自転車で全国レベルのスピードを持つ友人もいなかったということだ。
サラリーマンの家庭で、両親とも仲が良く、姉も優しく、友達も特に問題を抱えているという人間などいなくて、平凡で毎日のんびりとした中学生活を送っていた。
さすがに、三年生になった時には(それでも夏休み以降だが)受験勉強に追い込まれ、多少は悪戦苦闘したけれど。
薔薇色の未来が待ち構えていると信じていた。
それは、まさかの受験失敗で一気に崩壊することになるのだが。
それでも、この作品の主人公ヒロシのように、小説のネタになるような色々な事件や出来事は殆ど何もなかった。
そのことが今の凡庸な自分を形成するにあたって、良かったのか悪かったのかは、今でも分からないけれど。
ヒロシの周りには多くの個性的な人間が集まる。
私立の女子中学に進学しながら、女友達と馴染めず、学校がつまらなくて辞めたいと思っているフルノ。
背が高く、大人びた感じなのに、反応が鈍く、周りから疎んじられているヤザワ。
女子にしては、細かいことを気にせず、真っ直ぐな性格で、ヒロシが密かに憧れているソフトボール部のキャプテン野末。
その野末と同じソフトボール部で、試合になるといつもホームランを打つ大土居。
ヒロシ以上に絵がうまく、目立たない存在ながらも一目置いている増田。
小学校の時は一緒の塾に通っていたが、今は別の中学に通うフジワラ。
ヒロシは、これら多くの知人友人との距離感を漠然と意識しながら、付き合いを続けていく。
常に何が正しいのか分からず悩んでいる、自意識過剰で優柔不断なヒロシ。
それでも、いざという時は他人のために何とかしようと行動を起こす。
淡々としたさりげない描き方ながら、ヒロシの周りには次から次へと問題が発生��てくる。
どんなに考えても、どれが正解なのか分からない。
葛藤するヒロシだが、悩みながらも事件に向き合うことで、少しずつ成長していく。
この細部に至るまでの描写や心象風景の描き方が見事だ。
全てのキャラもしっかりと明確化され、魅力的だ。
現代の中学生は、いつもこんなに問題を抱えて悩んでいるのかと思うと、可哀想に思えてくる。
みんなが新しい高校生活に向かって、それぞれの想いを抱きながら見ためがね橋の上からの景色は、どのように映ったことだろう。
離れ離れになる切なさか、新しい生活への希望か?
P346
“ヤザワの自転車が海に落とされたように、出会った連中は好き勝手に、ヒロシの中にいろんなものを投げ込んで離れていった。ヒロシ自身も、彼らにそうした。”
“たぶんまた誰かが自分を見つけて、自分も誰かを見つける。すべては漂っている。”
他人との関係に、自分がどう関わっていけば良いのか悩み続けてきたヒロシの答えがこの文章にある。
それは、高校時代のみならず、これからの人生の中で永遠に続いていくものであり、ヒロシはこの中学生活の中で初めてそれに出会って学んだのだ。
この作品は、文章に一点の曇りもなく、大阪弁ならではの味わいもあり、余分な表現も一切ない。
久々に非の打ちどころのない完璧な小説を読んだ気がする。
津村記久子さん、初めて読んだが只者ではない。
すでに芥川賞を受賞しているようだが、自らも“自信作”と呼ぶこの作品は何かの賞を取るのではないか?
他の作品も是非読まねばと思った。
また、好きな作家が増えた。
是非是非皆さんもお読みください。
心の奥に響く、優しくて素晴らしい作品です。
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ああもううざいめんどくさい!時もあれば、誰のせいでもないのに勝手に傷ついたりもする。大阪を舞台に、中学生たちのリアルな日常と揺れる心を描く物語。
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【芥川賞作家の新境地を開く会心作!】母親がうっとうしい、新しい同級生と絡むのは面倒、受験勉強も身が入らず。そんな中三生・ヒロシのリアルな一年を描く青春群像小説。