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ガンダムに関することを現実世界に結びつけようとしすぎて、現実の話が多く、ガンダムの話が意外に少なかった感がある。
個人的に一番面白かったのは第二章だったが、モビルスーツの生産性に関して、(主に悪い)比較対象として戦前の日本の軍事産業を用いてるけど、なぜか現在の日本のゲーム業界に当てはまる部分が多い気がして笑えない...。
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冷めた感じで読み始めたのですが^^;予想以上に面白かった。
まあ、強引さやこじつけはあるにせよそれはそれで著者の見方だ。
ホント、ガンダム一つでこういう本が山ほど出せるんだからやはり「ガンダムはスゴイ」(^^;)
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ザクが零戦、というあたりは、なるほどね、と納得できたんだが、かなりこじつけっぽい内容も多かった。
特に最後の章。
小沢一郎はシャアである、なんて、やはりこじつけだろう。こじつけじゃなかったとしても、感覚的に受け入れられないよ!
それに、小沢一郎がシャアだとするなら、「僕がいちばん小選挙区制をうまく使えるんだ」というのははまらないんじゃないかな。アムロのセリフだから。
「私を導いてくれ、ララァ。今の私では総理になれん」とかの方がよかったのでは?
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ガンダム史ではなく、歴史の見直しでもなく。ほら、似てるじゃんと、なんか駄洒落というか、万葉集が韓国語で読めるというか。面白くなくはないが、期待していたようなものでもなかった。
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昭和史をガンダムで説明。
強引なところや「ここはちょっと違うんじゃないか」という所があるけど、ガンダムが物事をわかりやすく説明するツールになったんだなあ。
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書籍タイトルが想像していたのとはかなり異なった内容と感じました。
ガンダムというアニメが、今の日本(日本人)にどの様な影響を与え、どの様な役割を担ってきたのか?社会現象としてまで取り上げられるようになったのは何故なのか?見たいな事を期待して読み進めたのですが。
実際の内容としては、多くの方のレビューで書かれているように、ガンダム・ストーリーにおける人物、言葉、トピックを実際の大戦史や戦後史と比較して、著者の観点で解説(?)、解釈しようとしているものです。所々では合点がいく話もあるのですが…かなり無理をしているというか、無謀というか… それ以上に、ガンダムと実史を比較して述べる必要があるのか?ガンダムが生まれた背景として実史を比較対象にするのは有りだと思いますが、読み進めながら「こういう歴史解釈、人物解釈って必要?なんの意味があるのだろう」という疑問を、常に抱かざるを得ませんでした。
かろうじて話に入り込めたのは、第3章かな。スペースコロニーを軸とした人口問題をどの世代がもっともセンシティブに反応するか、といったトピックからの内容展開だっと思いますが、これは、ロジックが私が本書を購入した動機に一番近かったからだと思います。
第4章になると…これは、もう個人の自由ですから(笑)。ひとつのご意見として、それ以上でも以下でもないと感じてしまいました。
最後に感じたのは、これだけの知識のある方だし、ご自身の歴史観をお持ちなのだから、あえて「ガンダム」を取り上げる必要は無かったのでは無いでしょうか。多分、その方が書籍としてのリアリティはあったのではないかと思います。
文藝春秋HPより。
われわれは何故このロボットの虜になったのか?
今も大人たちを燃え上がらせるガンダム。京大高坂正堯門下の筆者がこの名作アニメを通して日本人の戦争観、ものづくりを読み解く
昨年の放映30周年にはお台場に原寸大のレプリカが立ち、ガンプラ30周年の今年は特別仕様のジェット機や携帯が登場。燃え上がる一方の「機動戦士ガンダム」ブームですが、なぜこのロボットアニメが、かくも日本人の琴線に触れたのか。著者は京大法学部卒高坂正堯門下の異色ライター。「小沢一郎=シャア」論、「ザク=零戦」論をはじめ、極めて斬新な切り口でガンダムの魅力を読み解きます。(SM)
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166607846
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この本はガンダムシリーズを論じている物でも、キャラクターとしてのガンダムを論じている物でもない。機動戦士ガンダムというひとつの作品と、それに関わった富野由悠季という人物を掘り下げているものである。
第二次世界大戦から高度経済成長期にいたるまでの社会情勢がどのような変遷へて、この作品に対して影響を与えたのかを全体の6割にもわたって書かれてある。
この「世界観はどのようにして生まれるのか、そして生まれたのか」をアニメ関連の書籍で書かれることはかなり少ない。大概はそういった歴史的背景や文化的背景など除外され、出てくるロボットのディティールや美少女、美少年に対する言及であったりする。
私は常々キャラクターグッズを中心とした偶像崇拝的な今の商業主義に関しては大いに論じるべきではないかと考えている。某社がだしたガンダム携帯などはまさにそういった本当のファンがどのような意匠を求めているかを完全に無視している。たしかに、そういったガンダムをシンボルとして捉えた意匠に対して愛を感じる層が沢山いるということはよく理解しているが、あの意匠に対して24時間365日肌身離さず、毎月7000円近くも24ヶ月間払い続けるのだろうかと考えると甚だ疑問である。
それならば、富野由悠季その人にもしファーストの世界観にケータイがあったらどのような意匠にしたのか、どのような機能を持たせ、どのように使わせたのかというガンダム的文化背景をフィードバックすべきなのではなかったのだろうか?
このように、通常とは違った論点と語り口で述べられているため、非常に楽しく読むことができた。また、他の書評でもあるようにシャア・アズナブル=小沢一郎、富野由悠季という所は非常に面白い。もちろん、シャア=富野については常々、某国内大手掲示板でも論じられていることなのでこれに関してはごもっともなのだが、小沢を比較対象に出しつつ、彼の育った家庭的、政治的背景まで提示しているあたりにガンダムとは何だったのかを今一度整理させてくれる要素がある。
題名であるガンダムと日本人の発端となっているのは間違いなく18mを再現してみせたお台場ガンダム(現在は東静岡ガンダム)であるが、これは商業主義であるバンダイが富野という人へ歩み寄ったから成し得た奇跡でもあった。目論見は150万人で合ったのに対して450万人が来場し、日本人だけでなく海外からもたくさんの人が訪れたというこの事象に関していえば、偏に妥協を許さなかった富野由悠季氏とそれに耐えたスタッフの忍耐ではなかったのだろうか。21世紀の大仏となったガンダムだが、1000年間生き延びることができるか、それはまだわからない。
第二次世界大戦から米ソ冷戦を経由し、様々な困難を乗り越えた日本だからこそ生まれたガンダムはこれからも続いてくのだろう。ガンダムという作品は細分化された富野由悠季であるが、それにいたるまでには全共闘時代も影響はあるし、宇宙開発も大いに関係し、SF作品の影響もある。もちろん、鉄腕アトムも貧乏サンライズも商業主義のクローバーもザンボット3もダイターンも、彼を取り巻いてい影響を与えたすべての事柄がこのガンダムへと続いているのだ。
そういう背景が常にあり続けたということをリスペクトしてこそ、ファンと言えるのではないだろうか。
この本はそういったファンのあり方を改めて提言しているような気がする。
少なくとも私にはそう思えた。
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ガンダムの根底には現代史がある。
よって、成長し、教養が増すにつれ、共感も増す。
序盤は世界史をきれいに当てはめていくが、日本戦後史あたりからちょっと怪しくなり、小沢=シャアに至ってはスッと冷めてしまう。
ガンダムを語って、そこに実歴史を当てはめればよいのに、途中から、戦後日本政治史を語り始めてしまい、そこに思い出したようにガンダムを当てはめる構造になった。
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「小沢一郎はシャア・アズナブル?」
このあおり文句をみて、購入を即決しました。
『機動戦士ガンダム』というアニメが世代を超えて支持される背景を詳解しています。
もしかしたら、ガンダム好きの方々の間ではすでに語りつくされている内容なのかもしれませんが、エセガンダムファンの私にとっては驚きの連続でした。
学校では学ばなかった「日本の現代史」を学ぶこともできます。。
ところで、都合が悪くなると「これが民意です」とのたまう政治家さんとシャア・アズナブルに共通点があるなんて、いったいどういうことでしょう。
どこかケチがつけられるところは無いのか、と読んでみました。
結果、小沢さんのこともシャアのこともよく知っているわけではない私としては「・・・そうかもしれない」と納得せざるをえない内容でした。
(ただ、帯のあおりにも、最後に「?」をつけていて、けっしてオザワさんとシャアが『同じだ』といっているわけではありませんものね)
しかし!
100歩ゆずって、小沢さんとシャアがその点で共通しているというのならば。
今より3倍がんばってくれよ、オザワさん。
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「ガンダム」の持つ様々な要素を日本人の精神や現代史に結び付けて論じた本。こういう本が出ること自体が、いかに「ガンダム」が存在感があるかを示している。特に第2次大戦の戦艦大和やゼロ戦、そこから生まれる生産の概念と、ザクとガンダムを結びつけた2章はなかなか面白い。全体的にテーマのためにこじつけた感が漂うことは否定できないが、一つの見方として興味深い。ただし、ガンダム(特にファースト)について全くの予備知識のない人間が「ガンダムとはどういうものか」知れると思って読むと大やけどするので注意
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ファーストガンダム評論は数あれど、近頃の最大公約数的な評価でよく見るのは「ジオン=大日本帝国」「連邦=日本国」という流れ。
本著は明示的にそれを言わないまでも、十分にそれを意識した内容になっている。
戦艦大和の建造をビグザムに重ねてみたり、
零戦の改良をザクのバリエーションに重ねてみたり、
ワシントン海軍軍縮条約を南極条約に重ねてみたり、
小沢一郎をシャアに重ねてみたり。(え?)
日本の役人に連邦高官を重ねてみたり。
しかしタイトルほど「日本人」をテーマにしているとは言いがたく、
どちらかといえば「ガンダム」をテーマにして手当たり次第に学問的アプローチを掛けているイメージがぬぐえなかった。マルサスの人口論やスペースコロニーの現実、超合金とガンダリウム合金の考察はそれら単体にはそれなりの興味がそそられるものの、必ずしもガンダムの考察になっているとは言いがたい。
(そして近年そういった新書が玉石混交なれども流行ってきている。例 もしドラ)
ともあれ、質の悪くない大学の教養課程の学問の啓蒙書的にはそれなりに面白い本であるし、その導入としてガンダムを持ってきたのは面白い試みであると思う。近年そういった本が増えているので、ちょろちょろとレビューを書いてみようと思います。
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小沢一郎とシャアの章からつまらなくなった。その前までは、結構面白く読めた。万人受けはしない本だが、ファーストガンダムと世界史の知識がないと面白くないと思う。
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戦前戦後の日本と「機動戦士ガンダム」の世界の関連性や類似性について論じた本。
全体としては戦時中の日本が一年戦争時のジオン公国に、アメリカ(戦後日本の目指す道)が地球連邦に例えられていることがわかる。真珠湾攻撃以降の日米の対立構図は、まさにジオンvs連邦だった、というもの。日本及びジオンが負けた理由として、そもそもの国力の差と人材(人的資源)の軽視が挙げられている。
面白いのは、帯にもある小沢一郎=シャア・アズナブルという指摘。小沢は55年体制を打破し、強大な権力を自分のもとに収斂するため、衆院選での小選挙区制を導入させた。また、戦力保持や愛国心教育を通じての「普通の国」へのシフトを主張した。
著者はこれを、シャアが「人類は地球を離れ、宇宙で独立すべき」という主張や、地球に小惑星アクシズを落すことを企んだことを通じて、オールドタイプからニュータイプへの「人の革新」を謳ったことに準えている。正直違和感が拭えないが、話としては面白い。
第二次世界大戦前後の軍事的な事柄や、日本の産業の歴史については、ある程度勉強になったと思う。しかし、全体としては薄味な印象と、著者が何を伝えたいのか今一つわかりにくいということも感じた。オタクを自負する人(ガンダムと名の付くものなら全て制覇した、という人)には、表面的な議論に終始しているように見えるかもしれない。
興味関心の優先順位が、政治=経済>戦略>戦術>個人戦と、おおよそガンダムファンらしくない自分にとっては、それなりに楽しめる内容だったかなあ。こうして、1つの作品(シリーズ)を通じて、社会や自分の行く末を考えるというのも、刺激的な営みだと思った。
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タイトルとは裏腹に,議論の中身はかなり深いです.キーワードは,第二次世界大戦,冷戦,55年体制,小沢一郎,あたりでしょうか?旧体制の破壊を目論む小沢は,赤い彗星のシャアなのだそうです.さすがに,アニメと実物とではイケメン度にかなりの開きが・・・.(笑)
しかし,改めて作品の世界観を味わってみると,ガンダムは確かにストーリー設定,キャラ設定が深い.作り手が相当な時間をかけて熟成させたことが垣間見えます.
昭和史としての日本人論を,機動戦士ガンダムになぞらえて解説する手法は,「もしドラ」にも共通する部分があるかも知れません.こちらの方は,どちらも難しそうに感じましたが・・・.
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タイトルに釣られて買ってしまったが、金と時間の無駄だった。この本を読んで得たことは何もない。単なるこじつけの連続。第二次大戦の比喩から、あるときは、ドイツ=ジオン、またあるときは日本=ジオン、そしてまたあるときは日本=連邦と、コペルニクス的に比喩が変遷します。シャア・富野由悠季=小沢一郎、ともうわけがわかりません。根拠も常にあいまいです。ガンダムというネタをいかに現実に対応させるかということで苦労したことが伺えますが、どれも根拠がなく、こじつけで、全く面白くありませんでした。このテーマで書いてくれって出版社に言われて、無理に書いたような本です。ちなみに、コロニーの発想が日本オリジンではなく、アメリカの大学の一博士が提唱したものだったのを、こっちが真似たということは知りませんでしたが。