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子どもにかかわる仕事
著者 汐見稔幸編
学校,診察室,地域などの現場で,子どものいのち,育ち,こころ,そして生きづらさに真摯に寄りそい,支える13人が自らの仕事を率直に語る.仕事の喜びや意義だけでなく,難しさや...
子どもにかかわる仕事
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子どもにかかわる仕事 (岩波ジュニア新書)
商品説明
学校,診察室,地域などの現場で,子どものいのち,育ち,こころ,そして生きづらさに真摯に寄りそい,支える13人が自らの仕事を率直に語る.仕事の喜びや意義だけでなく,難しさや,苦しみ,迷いも伝えることで,この仕事を目指す若者ばかりでなく,生き方に悩む人たちにとっても大きな励ましとなる一冊.
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紙の本
小児科医、保育士、教員、養護教諭など、子どもたちの苦悩や迷いに寄り添いながら仕事を続けてきた13人の大人たちの証言。生身の子どもたちとの体験からしぼり出された真摯な考えや言葉に学べるものが大きい。
2011/06/05 15:18
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中高生のキャリア教育をサポートする内容で、題名の通り、子ども相手の現場での仕事がどういうものかを紹介している。そういう仕事をしている13人が写真入りで登場、内訳は助産師、小児科医、保育士、元・小学校教員、小学校教員、中学校教員、学童クラブ指導員、養護教諭、スクールソーシャルワーカー、スクールカウンセラー、フリースクール主宰、元・家庭裁判所調査官、弁護士(子どもシェルター理事長)と多彩で、半分ぐらいの職は、子どもたちが成長していく上で、必ず出会う職種の大人である。
13人のうち、医師の細谷亮太氏、保育士の井桁容子氏、養護教諭の金子由美子氏などは、本業に関わる著作や講演などの仕事でも実績のある人たちだ。
それぞれがどのような仕事をし、どういう出会いや別れを経験して、どういう思いで子どもに寄り添う仕事に取り組んでいるのかを生き生きと証言する。貴重な体験から、ねじ上げられるようにしてしぼり出された考えや言葉は、ずんずんと響いてくる。
中高生が読めば、「こういう仕事をしている、こういう大人がいるのだ」と発見や感激があるだろうし、憧れの対象にもなり得る。そしてまた、成長の迷いや苦悩に疲れた心が、真面目に働く大人たちの飾り気ない言葉で安らぐかもしれない。
大人が読めば、自分が育ってきた間に触れ合った大人たちの誰かの顔を思い出すであろうし、大人として自分が若い世代にどういう働きかけや声かけができているのかを振り返るのに良い機会となる。
PTAで誰か人を呼んで講演を組む必要がある、子ども関連事業で執筆者や講師を探しているなどという人にも便利な一冊である。
編者の汐見稔幸氏は育児学や保育学の第一人者として有名であり、子どもに関わる仕事をしている人たちの後方支援を担ってきた人物で、13人の証言がなぜ感動的なのかを分析している。
子どもたちは心の奥で、自分が授かった「いのち」を輝かせたいと願って生きているけれども、それを容易にできない境遇に置かれている場合も少なくない。「いのち」を輝かせる方法を自覚していなかったり、表現の方法を知らなかったり、尻込みしていたりで苦闘する子たちを見守り応援しながら、自身が戸惑い、感動し、生きることについて学んで仕事を続け、それが有難いことだと感じている人たちばかりだというのである。
確かにここには、現場で生身の子どもたちの苦しみや訴えを受け止めながら、真摯に日々の仕事に当たってきた人たちにしか発せない「本当のところ」が吐露されている。どの子の回りにも、こういう人たちがいてくれたら、子どもをめぐる聞くも辛い話、やり切れない事件などは防げるだろうにと感じさせられる。
しかし、よく気をつけて見てみれば、成長してきた私の回りにも、また、成長してきた我が子の回りにも、「自分は、こういう思いで子どもたちのたに働いてきた」と直接に訴えはしなくとも、この人たちのように温かな気持ちで接してくれた大人は何人もいたのだ。昔に比べ、心ある人、子どもに余裕を持って接せられる人は減ってきてはいるだろうが……。
私は小説好きなので、東日本震災後、どういう作家がどういう発言をするかに期待を寄せていた。したところ、新聞のコラムに、今の日本の文学界のリーダーである一人がエッセイを書いていた。どういうものかと思って読み進めていくと、それは何ともがっかりさせられる内容であった。
被災者の様々な報道に触れるたびに涙を流して泣いたこと、震災直後しばらく連絡の取れなかった仙台の親戚と連絡が取れ、介護付きマンションに暮らしている彼らに頼み込み、北海道の自分の家に避難してもらったということ、「ぼくたちは、これから確実に貧しくなるだろう」という推測等が書かれていた。
「何だ、これ?」――被災した人々の心にも、毎日仕事や家事・育児、介護で忙しい思いをしている大多数の生活者の心にも、まったく響かないお粗末な内容だと失望した。頼る人もいなくて避難所で不便な生活を送る人に対してのデリカシーがない。実家が東北にあったり、親戚が東北にいたりしても、新幹線や在来線が寸断され、車で向かうにも道路状況がつかめず、週に1日や2日の休みだけでは動きが取れない忙しい勤め人たちの思いにも、まるで想像力が働いていないと呆れた。
ずっと文学畑で物語を作ったり評論をしてきたりしていて、旅好きで世界のあちらこちらを訪ねたり暮らしたりしている人なので、世間知らずなのは、いたし方ない。そうとは分かっても、人生、人の生と死、人の命を対象に扱う人が、人の心にまるで届かない文章を書き、それを全国紙が原稿料を払って載せてしまっているというのは情けないことであった。
スノッブならスノッブで、それにふさわしい場所にふさわしい発言をしたら良いだろう。
世間の人は、テレビで顔が知られた人、名前がよく知られた人に注目し、その発言に熱心に耳を傾けがちである。有名人の影響力が大きいというのは、悪いことではない。大切な情報が、有名人のおかげで一気に広がることも多い。
しかし、地域の活力や教育力が低下し、子どもや家族を取り巻く日常生活圏が危機的状況にある中、私たちがもっと注目し、耳を傾けるべきは、そういう圏域で前向きに仕事に取り組み、世のため人のためを意識する人の姿や言葉なのだろうと考える。身近な人と人のつながりから学べることを喜びとして、足元をしっかりさせていく。そういう意識を高めていくことが大事なのだ。
現場でもがき苦しみながら働く、このような人たちの思いに、機会あればもっと触れていきたい。