紙の本
死直前迄の軌跡
2019/11/16 20:46
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
正岡子規の随筆集です。127篇の中の教育論が一番印象に残りました。家族で食事をとりながら家族で交わす会話、またその会話の内容の大切さなどは説得力がありました。
本書は多岐に亘った話題が詰め込まれています。病人の辛さや介護の依頼に対する苛立ちなども病人だからこそといったものから切実な様相が伝わってきます。
一方で画帖や写生など、美術面に関する内容も豊富にあり、子規の俳句以外の感性を垣間見る事が出来ます。勿論、句評も沢山あります。
死期迫る迄著した本書からは、病状の悪化の様子は多少の記述しかなく、筆をとる者の凄さを感じた次第です。
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「病牀六尺、これが我世界である」子規大将の病床から見る世界。それが彼の全てであって、踏み台でもあったのかな、と。
話題が非常に多岐に渡り、そして素直な意気込みで描かれている。己の病状についても素直だ。病床にあると言う事が信じられないような気力で、病床にある事が惜しまれる人だが、病床にあったから掛けたのかもしれんが、まあそんな事を言ってもしょうがない。おもしろいよ、と。
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まだ読み始めで、碌なコメントはできませんが、現代版ブログですな。これは。正岡子規の造詣の深さ、友達思い、死に対する洞察にちょっと感動する(ていうのは大げさか…)。なんか、彼の優しさにあふれているんだよね。悲しいかな、教養のない僕は、彼の語る事がよく分からないところが多くて、恥ずかしい限り。でも、ちゃんと気合いを込めて読みたい。
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A six-foot sickbed; this is my entire world. And yet this six-foot sickbed is too big for me.
ロバート・キャンベル教授がNHKの「Jブンガク」で翻訳された冒頭。司馬遼太郎の『坂の上の雲』で描かれている子規のイメージがほとんどなのですが、胸が締め付けられます。時間ができたら読みたい。【2010.11.15】
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続ブログっぽい新聞の連載。相変わらず死ぬ死ぬ言いつつ文章だけなら結構元気そうな子規さんである。でも墨汁一滴よりは確実に弱ってしまったようで。あの病人とは思えない脅威の大食いがなくなった。
有名な冒頭通りに布団から動けなくても、句を作ったり人の句を批評したり弟子に手作り扇風機貰って喜んだり。狭い世界でも多感に生きれるものである。そして多忙な病人、子規。
病が進み、あまりの痛みに拷問にかけられているようだと書いたのに対し友人から送られた短歌、
俳病の 夢みるならん ほととぎす 拷問などに 誰がかけたか
を載せたのが最期の記事に。更に送っていない記事も残っていたので本当に最期まで書き続けていたようで。
血を吐きながら歌い続けるほととぎすの号、体現です。
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近代俳句と短歌の革新を先導した正岡子規(1867ー1902)は、評論、随筆にも大きな足跡を残した。本書は、死の2日前まで新聞に連載した文章を集めた随筆集。肺結核から脊椎カリエスを患った子規は、34歳にして「病牀六尺、これが我世界である」という境遇にあった。蒲団の外に出ることも出来ないばかりか、たびたび襲う激痛に絶叫、号泣する日々が続いた。それでも好奇心は衰えず、自らを見つめる目に曇りはない。「足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し」。死を間近に控えてなお溢れるユーモアには、「写生」を唱えた子規の真骨頂がある。まさに「生を写した」近代随筆の代表作。
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【出会い】
本屋で、たまたま @上野駅明正堂
坂の上の雲ドラマを見ていて興味をひかれたこともあり
【概要】
死の直前まで新聞に掲載された随筆。
話題は俳論、病状以外にも様々。
【感想】
最初の一節が強烈。
その日が近付くにつれて凄みが増すというか、迫ってくるものがある気がする。
表現について、写生を重んじる考えは参考になった。
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脊椎カリエスに苦しむ晩年の正岡子規が新聞「日本」に連載した随筆。死の2日前まで続いたという連載には、さまざまなものに関する評論や日々のあれこれの記録が毎日少しずつ綴られている。
死に瀕していたからといって、「闘病記」というわけではない。俳句や絵に関する評論や、折に触れて訪ねてきたり便りを寄越したりする誰彼とのやり取り、世事について考えたことなど、病床にいるとは思えないほど、話題は多岐にわたる。この随筆とは別に草花や果物を写生してもいたということにも驚かされる。
こうした外界への興味は、だが、病苦をひととき紛らわすための「モルヒネ」であり、おそらくは正気を保つためのよすがのようなものであったのだろう。
強靱であったが故に世間への興味を持ち続けたのではない。世間への興味を捨てなかったがために強靱であり続けられたというべきだろう。
時折、耐えきれないように漏らされる苦痛の描写は、病苦の凄まじさを物語る。
原稿を新聞社に送るため、社名を印刷した封筒を作ってもらったという話が出てくる。自身の命がどのくらい続くのかを危ぶむ子規は100枚と申し出る。ところが社からは300枚送ってくる。連載が100に達した日、子規はこの話を感慨深く、しかし、残りのすべてを使い切ることはできないという確信に似た諦めとともに記している。その通り、連載は127回を持って絶筆となった。
*ぽつぽつと読み進めてようやく読了。なかなかストレートに頭に入ってこなかったのは、時代背景が今ひとつ実感できていないせいか、教養が足りないせいか。
*かなりの部分を占める俳句論が、自分にはよくわからない。俳句に造詣が深い人ならもっとおもしろく読めるのだろうなぁ。
*病人の介抱について、精神的なものと形式的なものがあると記す69回の稿を読むと、もっともなことを書いている気もするのだが、一方で「この人の介護にあたった人は大変だったろうなぁ・・・」とも思う。矛先は妹の律だったのかなぁ・・・。
*家事の外注について述べている項もあるが、これを読むと合理的な人だったのかも、と思う。
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「病牀六尺、これが我世界である」
人間、狭い世界で幸せに生きていられるのに、
どうしてみんな大都市に行くのだろうか。
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この人凄すぎる。
不治の病に侵されていながら、何なのこのバイタリティ。
俳句、短歌、絵画の趣味をいきいきと語るかと思えば、次の瞬間世相を鋭く斬ってみせる。
死の二日前まで書き続ける執念、凄まじいというほかない。
子規の号は、血を吐きながら鳴き続けるホトトギスとの意味を込めて付けられたそうだ。その真骨頂ここに体現せりといったところ。恐れ入る。
折節自分も手術後で床に臥せっているときに読んだので、病人の心境を吐露した箇所は感情移入して読めた。
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読んでいて辛かった。「絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。その苦その痛何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となってしまへば楽であらうと思ふけれどそれも出来ぬ。」子規自身の病が子規を拷問に掛けているのである。俳句の改革のために自死を踏みとどまった。その強靭な精神力に敬服する。
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正岡子規が死の2日前まで新聞に連載していた記録。病状の進行を思わせる記述はもちろんあるし実際その痛みは想像を絶するものであったのだろうけれど、それを思わせない彼の探究心というか好奇心というものは素直にすごいなぁと思う。終末期にあっても「最後まで自分らしく生きる」ということを具現化しているような人だという印象を持った。
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非常に良かった。
死の2日前まで新聞に連載し続けたエッセイ。
日々の苦痛に耐え、少しづつ自分の死を受け入れ行く様には心打たれる。
難解な俳句を解説していくところが特に面白い。
ちょうど風邪引いてた時に読んだからやけに感情移入できたなw
また、六尺ばかりの病床の世界でも空想と思考、今までの体験を思い出すことでどこにでも行けるのが面白い。こういった時のために(?)人生の引き出しを作っておくのって大切だね~。
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本当に病の床で書いたものであることを
Jブンガクで知りました。
自分では,そんな状況でよう文章が書けないような気がしました。
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ここで子規は、自分の好きな絵は「略画中」の「略画」と言ってるハズなのに、子規の画は漱石曰く「文章は巧みな彼なのに、画と言うと何時間もかけて書いた塗沫主義な拙い画である」というのが、なんかすごく好きです。