紙の本
ノスタルジーの頂点
2001/02/17 08:21
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投稿者:ミオメロディ - この投稿者のレビュー一覧を見る
フィニイには過去へのタイムトラベルの話が多く、どれもノスタルジーに満ち満ちているが、これはその最たる作品。1882年のニューヨークへ繰り返しタイムトラベルする主人公はその時代にすっかりとりつかれてしまう。解説にもあるけれど、これは映画「ある日どこかで」をもっと詳しくした感じ(別に盗作じゃないと思うけど)で、好きな人にはたまらない作品。
紙の本
不思議なSF
2001/03/14 22:40
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投稿者:二十三 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはSFではない。主人公の心の旅であり、ちょっと日本の私小説的な雰囲気がある。添えられた写真がまた、いい。昔のニューヨークはよかった。行ったことはないけれど、ついそう思ってしまう。ちょっと甘酸っぱい香りを漂わせて、楽しく、それでいて、最後はどうなるのかと、はらはらしながら先をいそいで読んでしまった、そんな作品である。
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この本は、字が小さいし、文章も長かったり若干難しい気がして読みにくい。
でも、読み始めて慣れてくると、苦にならなくなった。
読んだだけのことはあった。。。
読まなければ、わからない本。
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出版社/著者からの内容紹介
ニューヨーク暮らしにうんざりしていたサイモン・モーリーは、九〇年前に投函された青い手紙に秘められた謎を解くため「過去」‐一八八二年のニューヨークへ旅立つ。鬼才の幻のファンタジー・ロマン。
Book Description
"Sleep. And when you awake everything you know of the twentieth century will be gone from your mind. Tonight is January 21, 1882. There are no such things as automobiles, no planes, computers, television. 'Nuclear' appears in no dictionary. You have never heard the name Richard Nixon."
Did illustrator Si Morley really step out of his twentieth-century apartment one night -- right into the winter of 1882? The U.S. Government believed it, especially when Si returned with a portfolio of brand-new sketches and tintype photos of a world that no longer existed -- or did it?
--このテキストは、 ペーパーバック 版に関連付けられています。
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タイムスリップするまでの周到な準備が面白くて、同ネタの「ある日どこかで」よりも確実にタイムスリップできそうな気がする。
最初はただ旅行者のようにわくわく→御者や浮浪児の現実を知る→それでも純粋に人々が笑い合えて喜んで暮らせる過去を選ぶ
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ジャック・フィニィは大好きな作家の一人で、『ゲイルズバーグ…』は、何度読んだか数え切れないほど(これに限らず、ハヤカワFN の若い番号はどれもこれも素晴し過ぎる)。
『ふりだしに戻る』は、ニューヨークを舞台にしたノスタルジック SF。幸いにしてニューヨークで一年を過ごした経験があるため、当時どこに行くにも持ち歩いていたマンハッタンの市街地図を片手に、ジャック・フィニィの魔法のような19世紀末ニューヨークの描写を楽しむことができた。
SF として読むと、(広瀬正を読んだ直後ということもあって)少なからずものたりないとか、こんな時代を懐古するよりは未来を信じていたいとか、ジャック・フィニィの描く恋愛はいつも男性の幻想(そう、これこそがファンタジー!!)だとか、いろいろ言いたいこともあるのだが、そんなことはどうでもいいのだ。ただ、古き良き時代のニューヨークにどっぷりと使って、その雰囲気を楽しむのだ。
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タイムマシンや冷凍睡眠という方法ではなく、かといって偶然のタイムスリップでもなく、その時代そのままのセッティングを用意して完全に同化するうちに……という発想が斬新。解説にもあるように、これって作者の願いでもあるんだろうな。現代でアンニュイな生活をしていた主人公がどんどん蘇って生き生きしていくのがおもしろい。
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う~ん…私には合わなかったかな。前半はそこそこ面白かったのですが、後半にかけて盛り上がっていくのかと思いきや逆にスケールダウンしていった印象。SFというよりノスタルジー小説として読むべき作品でした。昔のアメリカに特に思い入れのない人間に取っては、ちょっとしんどい。
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http://shinshu.fm/MHz/67.61/archives/0000312849.html
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20年以上前に読んだ本を偶然なことから再読。
本との再会もこのストーリーもちょっと運命的。
ドライブのシーンが印象的で20数年の時を隔てて映像が頭の中に焼き付いていた
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ゲイルズバーグの春を愛す、を想起させる
好きだねー、古き良きアメリカ
描写のギアが変わるのが分かる
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とある極秘プロジェクトの一員として《過去》へ行ってみないか? ある日、イラストレーターとしてNYの広告代理店で平凡な日常をおくっていた主人公サイは、見知らぬ突然の訪問者からそう誘われる。
《過去》へ行くといっても、なにも「タイムマシン」のような機械が登場するわけではない。それは、アインシュタインの相対性理論に基づいた仮説に則っており、自己暗示による催眠術を援用することで狙いを定めた時空へと移動できるとするものである。職業柄すぐれた観察眼と描写力を備え、もともとノスタルジックな事物に人並みならぬ関心をもっていたサイはずば抜けた適応性を示し、プロジェクトの期待をあつめいよいよ《過去》へと向かうのだった。
向かった先は「1882年のニューヨーク、マンハッタン」。ガールフレンドの出自にまつわる謎めいた「遺書」の秘密を探るため、サイみずから志願したのだ。歴史を書き換えてしまう恐れから、「けっして干渉してはならない、観察に徹せよ」というのがこのプロジェクトの「鉄則」である。それゆえサイの「志願」に難色を示す上層部であったが、最後、このプロジェクトの発案者であるダンジガー博士の鶴の一声によってめでたく承諾される。そのとき、ダンジガー博士からひとつ「依頼」をされる。NYのとある場所へ行き、そこで自身の両親の「出会いの現場」を目撃、その様子を一枚の絵にしてプレゼントして欲しいというものである。この「依頼」が、最後、この小説全体のオチにつながる。
順調にタイムスリップしたサイは、まだ摩天楼も存在せず、街をひとや馬車が行き交う19世紀末の牧歌的なニューヨークの光景にすっかり心奪われてしまう。延々と続く細かい情景描写は、たしかにときに読み進めるのを辛くもするけれど、「タイムマシン」という便利な道具が登場しないぶん、読み手を物語の世界へ導く上では必要不可欠だとも感じる。とりわけ、そり遊びの情景は楽しく美しいし、乗り合い馬車の中で女性のスカートの裾がふわりと触れた瞬間の描写など、その「生々しさ」に思わず息をのんだ。
ガールフレンドから託された古ぼけた遺書の謎を解き明かすなかで、サイはひとりの女性ジュリアと出会う。やがて、遺書の謎がジュリアとも無関係ではないということがわかり、ともに行動するなかでふたりは思わぬ「犯罪」に巻き込まれてしまう。このあたりは、ちょっとしたミステリー風味である。いっぽう、おなじころ《現代》では、サイらによるタイムスリップの成功を受け、これを政治的に「利用」しようとする思惑をもつ一派と断固としてそれは認められないとするダンジガー博士とのあいだで激しい対立が起きていた。《現代》に戻り、この騒動を知ったサイはプロジェクトから離れる決意を固めるも、最後にひとつ「やり残した仕事」があると言い残し、ふたたびある決意を胸に「1882年」へと向かうのであった。
この『ふりだしに戻る』は、ジャック・フィニイによるファンタジーであり、ラブロマンスであると同時にときにミステリ、ときにサスペンスであるが、それ以上に「科学発明とその利用」をめぐるヒューマニズの物語でもあるのだと思う。
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読んだのは古い本
従って、上・下にはわかれていない。だから、前半はけっこうペースが遅くなる。ニューヨークっていったこともないし、イメージがわからない。しかしながら、それはそれでとても楽しいものだ。風景がイメージできる筆力によるものだろうし、故福島正実さんの渾身の訳にもよるだろう。
遺言のミステリーとタイムトラベルと少しのラブストーリー。すべてのタイムトラベルものの骨格がここにある。そこにミステリーの味付けがあり、人を動かす愛がある。いい作品だなぁ。しかもこの時代に。感動ものだな。
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タイム・トラベルの古典的名作。
しかし、やはり古典感は否めない。
1970年に書かれた作品だが、主人公は広告会社のイラストレータ。
CGなんて当然なくて、CM用のアニメーションの原画を手書きするのが仕事。
タイム・トラベルの方法が、秀逸。
なんと催眠術。というより、自己暗示(?)
それで過去に行けるんですか?行けるんです。
1970年のさらに90年前のアメリカは、びっくりするほど大昔。
汽車も自動車もあるけれど、基本は馬車。
当時の風俗や町並みなど、事前に充分勉強していったはずなのに、所々でちぐはぐな受け答えになってしまう。
主人公がイラストレータというだけあって、彼が書いた風景や人物たちのイラストが、臨場感を煽る。
で、何が古典感が否めないのかというと、タイム・トラベルという大事業に対する楽天的すぎる対応。
一応、タイム・トラベル後には、歴史が変わっていないか一々スタッフがチェックするのであるが、歴史が変わったかどうかって、検証できるものではないでしょう?
だって、変わってしまったらそれが正統となって、歴史として残っているだろうから。
変化の中にいる人たちにはそれが認識されないと思うの。
作中では「小枝理論」が、歴史は変わらない根拠となっているのだけど。
まっすぐ流れている水の中に小枝を1本入れたところで、小枝のほんの周辺は水の流れも変わるけれど、大勢に影響を与えるほどの変化はなし、というもの。
でも、小さな変化がさざ波のように全体に動きを与えてしまう可能性は考えないのかね、と思う。
またはパラレルワールド。
変化が起きた時点で、変化が正常となっている世界へスライドしていく。
無限スライドのパラレルワールド。
数々の楽天的ではいられない場合が、過去のSF小説の中で提示されている。
その辺がすこんと抜けている辺りが、古典なのかな、と。
それでもこれはまだ上巻。
下巻でどんなどんでん返しがあるのかないのか。
それはこれからのお楽しみ。