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分かりにくいと映画『ファウスト』は言われているが、原作の第二部ほどではない
2012/07/01 10:39
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投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
アレクサンドル・ソクーロフの新作『ファウスト』を観て、未読といっていい原作戯曲を読みたくなった。多くの日本語訳があり、この訳はそのなかでも新しいものである。
ところで映画において主人公ファウストは若返りをしない。この訳書を読むと、ファウストの《遊び暮らすには老いすぎているし、悟りすます齢でもない》というセリフに《のちに魔法の薬によって三十歳若返る。とすると五十前後か》という注がつけられている。
映画のファウストの年齢は定かではないが、五十歳近くと言えないこともない。ともあれ原作では主人公は若返り、青年になったことで、彼が恋した若い娘マルガレーテ=グレートヒェンから恋される、と考えられる。19世紀初めころと今では、50歳の男のイメージはかなり異なっていることだろう。
さらに原作では主人公がマルガレーテを見初める以前に、一種の取り引き、契約をメフィストフェレスと交わすが、映画では明白な取り引き、契約はファウストが彼女を見初め、得たいと思うことで生じるように描かれている。
原作でもマルガレーテがファウストにとって重要な存在であるのは言うまでもないが、映画においては、その重要度が増している。しかも原作の第二部において彼女は最後にその霊が登場する以外ほとんど忘れ去られてしまうが、映画ではホムンクルスのエピソードをのぞき、この第二部自体まるごと除去されている。
今回の映画は原作と大きく物語を変えている。だが私は原作を読みながら、映画におけるこのストーリー改変は意味があるように思えた。若返りを省いたこと、マルガレーテとの恋にかぎっての契約、第二部の無視、こうしたすべては『ファウスト』現代版には必要なものだった。
『ファウスト』のもう一本の映画史上有名な映像化として、ドイツのサイレント時代からの映画監督F.W.ムルナウの作品があるが、ここには若返りがあり、順番は異なるが、第二部に相当する場面もある。いわばソクーロフ作品にくらべ原作に忠実である。だがそれが製作されたのは今から一世紀近く前のことである。
実は私は牢獄に閉じ込められたマルガレーテを救おうとして救えなかったところで終わる第一部はまあいいとしても、この『ファウスト』第二部というのが、ほとんどわけが分からなかった。訳者は《若返ったファウストと町娘グレートヒェンによる第一部が「人間つまり小宇宙」の悲劇とすると、第二部は「世界つまり大宇宙」をめぐるドラマである》と解説でふれており、言わんとすることはなんとなく推量できはする。けれど私には第二部は完全にお手上げである。
さらに言えば、有名なメフィストとの契約内容の意味がよく分からない。ファウストは《そうだ、こうしよう、もしとっさにいったとする、時よ、とどまれ、おまえはじつに美しい──もし、そんな言葉がこの口から洩れたら、すぐさま鎖につなぐがいい。よろこんで滅びてゆこう》と第一部において契約し、第二部の終わりのほうで、自分の領土を豊かにし、人々が平和に暮らすそのような世界を実現しつつであろうか、ふとこの言葉を洩らし、物語の終幕を迎えるのだが、今度の映画にはこんなセリフはない。
だが映画には、そうしたセリフの代わりに、その「美しさ」自体があったように思う。私に原作を読ませたのは、映画のなかのその「美しさ」だった。
今回も他の『ファウスト』の訳と解説、参考書を読んだが、列記すれば、相良守峯訳、柴田翔訳、山下肇訳である。最後の訳が入っているゲーテ全集の巻には『ウルファウスト』も収録されていて興味深かった。ともかく本書、池内紀訳は他とくらべ読みやすい。
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ブックトークテーマ 「契約」「時間」
享楽的な生活というのはまさに
大学時代のボクの様子のようですが、
その後「時よとまれ、お前は美しい」
なんて言える瞬間が来るのでしょうか?
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こなれた訳で読みやすい。とはいえゲーテなので注意しないと、すぐに頭がうわすべりしてしまう。「考えるヒント」がいっぱい。たとえば、もう、先人がいろいろ書いているのに、なぜ、自分はまた文章を書いているのか。答えは
『いまこの時が生み出したものしか、いまのこの時には使えない』P47
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ファウスト「何ものかね」
メフィスト「悪を欲しながらいつも善をなしてしまう、あのおなじみさんの一人です」
メフィストフェレス案外いいやつ。
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西洋文学は難しい・・・。シェイクスピアを読み始めて、少し分かった気になってたけど、やっぱり難しい。
けれども、詩なのか小説なのか戯曲なのか分からないという自由自在な形式や、精霊や悪魔やらが出てくる題材は天才の発想だと思いました。
知識を極めるうちに、悪魔と契約してもいいほどに、この世のどんな快楽も追求してみたいというファウストの狂気じみた願いは、、、人間行き着くところまで行くとこうなるのかなあ?
ジキル博士とハイドみたいな、こういうモチーフはやっぱり西洋ならでは。
日本だったら、荒ぶる神こそ霊験あらたかな神で、そこに悪魔がどうのこうのとか思わないもの。
二部に手が伸びないのですが、ちゃんと読んで完読しなくてはなあ……。
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訳者によってかなり文章が異なってくる。池内訳は確かに読みやすいが、訳注がやや少なめ。
こちらの集英社のものともう一冊全集か何かに載っているファウスト、2冊を並行させながら読むとより深く理解できた。
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古い訳は漢字が読めなかったり、印字の時点で既に読みにくかったりした。これは新しい訳やから買ってみたけど、この訳どうなの?読みにくい。結局、斜めに読んでほったらかしのままだ。(23/10/10)
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あまりよく理解できませんでした。
私の実力が足らないのでしょう。
ちなみに私は昭和44年に出版されたものを読みました。
色々な人が書評を書いていますが、私と同じように理解できなかったという人もいれば、この訳は分かりやすくて面白かったという人もいます。
色々な書評のなかで、この池内紀訳が読みやすいそうです。
この作品は何度も読みこむことによって掘り下げていかなくてはいけないかなと思っています。
さすが、ゲーテ。
一度で理解できるほど簡単に書かれた本ではないですね。
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今更ながら読んでみた。
「神曲」とともにゲーム・アニメ等でよく出てくる古典である「ファウスト」。
まず、戯曲であるのだが、非常に描写が深すぎる。
これをそもそも、舞台でできるのであろうかということに疑問を感じる。
そう、それぐらい壮大で、難解で興味深い古典なのだと思う。
「ワルプルギスの夜」
「ホムンクルス」(出るのは二部)
「メフィスト」
等々。
「おや?」と思うこともあると思われる。いろいろな物語がこの作品からインスパイヤされ、現在のファンタジー、アニメなどで使われていることを・・・。
たとえば、「魔法少女まどか☆マギカ」、「鋼の錬金術師」などね。
本作品自体がかなり高尚なものであり、神話に近いところをモティーフに
しているということもあるけども。
話の展開もニクい。かなりドラマティックなのだ。
一部だけでも、多くの深みがあるようでならない。ただ、一回読んだだけではわからないことも多く、時間を空けて読む必要があると思う。
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ものすごい上滑り感。
共有してるコンテキスト、背景知識の少なさと、そしてこれはやはり詩であるということが大きいんだろうなあ。
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池内紀さんは好きです。詩形を日本語に無理くり映そうとするのは単なる遊びで、やってる本人は楽しいかもしれないけれど、読んでもわからないのでは意味がない。訳はこれでいいのだと思う。それにしても、ゲーテの悩みはとことん浅い気がしてならない。読めていないと言われればそうなのかもしれないけれど
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ファウストの地上の快楽と引き替えに、若い娘とその家族と赤ん坊が犠牲になった。
ついでにファウストの心もずたずたになる。
けれど全てを許す存在の前で一体何が問題となるだろう。
己の小ささを自覚して、伏して祈るほか何ができるだろう。
過ちと悲劇の果てに救いがないとは、誰にも言えないのだ。
メフィストはファウストの魂を手に入れるために、ファウストに恋人を与えた。
愛の絶頂の時に契約の言葉を口にすることを期待したのだ。
だが愛はとどまらず、マルガレーテは鎖につながれた。
マルガレーテは絶望に身を浸していても悪魔の誘いに応じなかった。
かりそめの希望に惑わされず、懸命に祈り続けた。
だから救われたのか?
生の秘密を知りたい。
知によっては得られない。
ならば快楽によってならどうだ。
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意外と面白く読み進められた。
もっと難解だろうと思っていただけに、
ちょっとホッとした。
翻訳が私に合っていたのかもしれない。
ただ、すべてを理解は出来なくて、
後ろの解説を読んで、「あ、そういうことだったのね」
とわかるところもあった。
200年以上前の本を現代語訳で読むというのは、
なんだか不思議な感じ。
そして、人間がすること、感じることは、
時代が変わってもさほど大差ないんだな。
と思った。
第二部も楽しみ。
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戯曲というものをそのまま本にしたものはとことん自分に合わないと認識させられた作品.
確かにこれを役者が舞台上で喋ればさぞかし絵になるだろうけれども実際,これをそのまま文章として読むとなると「普通に喋れよ鬱陶しい」としか思えない.台詞回しもただの尺稼ぎにしか見えない.
機会があれば今度は戯曲そのものを見ようとは思ったがもうこれ以上戯曲を本に起こしたものは手にとることはないと思う
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[ 内容 ]
〈第1部〉
学問と知識に絶望したファウストは、悪魔メフィストフェレスと契約して魂を売りわたすかわりに、地上の快楽を手に入れ、人間の生のあらゆる可能性を体験しようとする。
メフィストと組んだファウストの遍歴が始まる。
霊薬を手に入れ、若返った青年ファウストがマルガレーテを見そめる。
恋の成就、マルガレーテの母親の死と兄の殺害、そして、マルガレーテによる嬰児殺し。
マルガレーテの処刑とともに愛を巡る劇は終わる。
〈第2部〉
雄大な自然のなかで自責の念から蘇ったファウストは、皇帝の城、古代ワルプルギスの夜、ヘレナとの家庭生活、皇帝軍と反乱軍の合戦、海辺の領地での干拓等、大宇宙の生命の諸相を体験する。
やがて人生の“夜ふけ”を迎えたファウストは見えない目で自分の大事業を見とどけようとしながら、思わず「時よ、とどまれ」と口にする。
死んだファウストの魂が、天使たちと“かつてグレートヒェンと呼ばれた女”の導きで聖母マリアの許に救済される。
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