紙の本
仏印という響きがいい
2021/04/13 22:34
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
沢木耕太郎氏がベトナムをバス旅行した時のことを綴った著書「一号線を北上せよ」のなかで、たびたびこの本の主人公ゆき子と富岡のことをとりあげている、好きな作家のお気に入りの小説、ということで何の躊躇いもなく読むことにした。映画化された「浮雲」でゆき子を演じたのが沢木氏が昵懇にしていた高峰秀子氏で、「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第3位 にも選出されている成瀬巳喜男監督の名作ということだが残念ながら見てない(本当に見ていない名作が多すぎる)。ベトナムというとただ単に東南アジアにある国というイメージしかわかないのだが、昔の呼び名、仏印という響きがゆき子と富岡が恋に落ち、日本に帰ってから覚めてしまうというマジックも理解できる気がする
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屋久島で購入。購入前に本屋の主人に本書全体に対する屋久島自体を描いている割合を訊いてみたのだが。。。
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女性作家の書くものって、
大体においてクールで突き放した感が絶妙で、
これもそんなお話。
戦中〜戦後の価値観の転換っていう話ではあるけれど、
そもそも男女の仲って冷めちゃったり、状況が変われば、
こんなにみっともなくって浅はかでどうしようもないんだよなぁ。。
さすがにこんな経験はないんだけれど、
強く共感しました^^;
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登場人物に生に向ける力がある物語だけれど、なにを見ても陰鬱にしか見えない描写がちょっと疲れる。とことんメランコリたいときはいいかもしれないけど。「屋久島は35日雨が降る」と言うセルフだけが切り取られすぎで、小説のイメージとまったくかけ離れて使われていますね。。。
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読み終わった後、虚無感に襲われました。
二人が離れられなかったのは、それぞれの胸の内にその鍵があったのだと思います。富岡にも・・・。
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精神的にまいっているときに読む本じゃなかった。ひきずられる。
でも、浮雲という言葉の響きは美しくて、とても好き。
まるで自分を重ねるかのような。
☆☆ホシ2つ
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そもそものはじまりは、
異国の熱に浮かされた不倫。
周囲の人を欺き、傷つけ、
自らの関係を疑いながらも、
離れられない男女の愛憎。
女はある種の一途さで、
なかなかに奮闘したけれど、
節操のなさ、強情な思い込み、
稚拙な思考には、共感できない。
男の刹那的な弱さも然り。
狡猾、焦燥、自棄、破滅。
ページをめくるごとに、
陰鬱な気持ちになった。
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○2010/04/20
学校の授業で扱うということで。この時代は得意じゃないながらもそこそこ進みはスムーズだった気がする。女性作家だと読みやすいというのはあるかもしれない。
でもやっぱりというか、ずっとふらふらと定まらない主人公2人がどうもだめだった。戦後ってこんな楽だったの?みたいな。自分中心はしょうがないとしてもなんか違うなあという。
やっぱり暗くて鬱々としてるなこの時代の小説!という印象を持ってしまいそうなのが危ない。
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下手をすると昼のメロドラマみたいになりそうな内容を、ここまで濃く読ませてくれるなんて。2人がたどる道筋は、誰もが通る可能性のある道なのかもしれない。圧倒的なリアリティと悲劇と喜劇の狭間にある物語。
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自然の描写はとても色彩豊かで映像的で素晴らしいけれど、じりじりした不快感は三島由紀夫の愛の渇きのよう。こちらはじめじめした亜熱帯の不快感。究極の駄目男を愛する駄目女のお話。女性のいやな性分がばっちり描かれていて、目を背けたくなる反面教師的な本ね。
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GWにダラットへ行った後に読んだ。ダラットのきっと変わらぬ美しい風景の記憶と重ね合わせながら読み進めていくと、林芙美子の美しく深淵な景色と人の描写力にため息がでるぐらい。
「思うことが生きること」、戦後の状況は当然想像するだけのものではあるが、時代に流されながら必然的に生きることと向き合わざるを得ない状況は悲しくもあり、うらやましくもある。
今度は鹿児島から船にのって屋久島に行ってみようかと思う。
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林芙美子著「浮雲」新潮文庫(昭和25年)
第二次世界大戦下、義弟との不倫な関係を逃れベトナムにわたったゆき子は農林研究所員の富岡と出会う。本国の戦場をよそに豊かな南国で共有した時間は2人にとって将来忘れ得ぬ思い出となった。そして終戦。ボロボロになった東京の非情な現実の中、2人は別々の人生を歩が、最後に行き着いたところは屋久島。そして2人の人生は終わる。
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昔の仏印(ベトナムとかカンボジアに当たるみたい)の
情景がまた美しいのです。
ですが…実に暗い作品です。
最後に救いも全然ありません。
だけれども、ゆき子が堕落しきった…
とは絶対にいえない気がします。
彼女は純粋だった分、不器用だったのです。
それゆえに泥沼へと…
最後の悲しき死…
支えとしていたものにすら
看取られない悲しさ。
人生は不条理、本当に不条理だあっ!!
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屋久島が出てくるとのことで読んでみようと思って手を出したが、
いろいろと途中であきらめました。
また10年後くらいに読み始めてみる。
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終戦までフランス領インドシナで過ごした恋人との1年の思い出にすがって生きるゆき子と、恋人だった女に絡めとられてさまよう富丘。女は生きるためなら愛人でも宗教でもなんでもやる。男もその場だけの感情と成り行きで女と関係して不安な気持ちをまぎらわせる。愛だの恋だの言ってる場合じゃないけれど、それでも愛が欲しい女。男はそれが鬱陶しいけれど、かといって一人で進めるほど強くないから、結局は女に絡め取られる。
二人に共通するのは、インドシナの高原の美しい思い出と、圧倒的な飢えである。だからといって、お互いを欲しているのかといえばそういうわけでもなく・・・二人にもそれがわかっているのに、関係は続くばかり。読んでて空しくなる。
日本人にとって戦後は、新しい希望に燃えた出発ではなくて、終戦における物質的にも精神的にも大きな損失から始まる道程だったのかなと思う。自分以外に頼れるものがない、孤独な二人には、この時代の多くの人が共感したのかもしれない。
ゆき子は最後に死んでしまうけど、人生にしぶとく勝ったのは、生き残った富岡じゃなくてゆき子かな、と思う。富岡は、結局は中身のない、雲のような男なのだ。成り行き任せで女に手を出し、財産も失い、それでも死ねずに放浪を続ける。そんな男を追いかけてたゆき子は、富岡じゃなくて美しい思い出を追いかけてただけだのかもしれない。それでも、何か求める気持ちがある女、「私、飢えてるのよ!!」と叫ぶ女は、ただ漂ってる男よりは強いように見える。