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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.9
- 出版社: 中央公論新社
- サイズ:20cm/215p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-12-003180-2
紙の本
同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった
「21世紀への対話」と題して2000年9月9日付『読売新聞』に掲載された、大江健三郎、小沢征爾の対談と、新たに同年12月21日に行われた対談をもとに再編成し、大幅に加筆し...
同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった
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商品説明
「21世紀への対話」と題して2000年9月9日付『読売新聞』に掲載された、大江健三郎、小沢征爾の対談と、新たに同年12月21日に行われた対談をもとに再編成し、大幅に加筆したもの。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
小沢 征爾
- 略歴
- 〈小沢〉1935年中国・奉天生まれ。59年、仏・ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。
〈大江〉1935年愛媛県生まれ。94年にノーベル文学賞受賞。著書に「取り替え子」など。
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紙の本
毒のある対談
2001/12/29 18:00
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大江健三郎と小澤征爾が同じ1935年生まれだとは知らなかった。若いうちから活躍しているせいか、老練の指揮者が幅を利かせているせいか、小澤の方が若いように錯覚していたのだ。二人とも世界レベルの活躍をしているが、小澤はすっかり外国在住の日本人になっているようだ。世界の中で日本人がどうあるべきかを考えるとき、日本国内の人たちは観念ばかりで内容がちぐはぐだという。二人とも案外毒舌である。
紙の本
永遠の少年たちの笑顔
2001/10/19 17:03
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは、まさに一目惚れだった。娘(二歳)を託児に預けてかみさんと育児講座に参加するつもりが、託児に必要なCDを忘れて、最近よく見かけるようになった本屋兼CD屋に入ったときのこと。娘を肩車しながら、僕の目はこの本の表紙に吸い寄せられた。わかる人はわかると思うけど、肩車しながら腰をかがめるのって、なかなか重労働だし、そもそも危ない。おまけに僕はもうすぐ不惑だし、娘はすくすく成長してる(から重い)し、僕はぐらぐらしながらこの本を手に取った。でも、それも当然だろう。全身から幸福感を撒き散らしてるかのような、小澤征爾さんと大江健三郎さんの満面の笑顔が表紙だったのだから。そんなわけで、娘の大切なCDを忘れた僕らは、CDを買うのも危うく忘れる羽目に陥るところだった。それから二週間、もったいなくてなかなか頁を開かなかったけど、とうとうこの対談集を読むことになった。そうはいっても、『ヒロシマ・ノート』位しか読んだことのない僕は大江さんの愛読者でもないし、小澤さんの指揮を生で聞いたこともない僕は小沢ファンでもない。でも、表紙の写真と『同じ年に生まれて』ってタイトルは僕の心を確実につかんだし、多くの人々の心にも届くだろうと思う。
まず僕は、二人が一九三五年に生まれ、一〇歳で第二次世界大戦の敗戦を迎え、ひもじい竹の子生活を過ごしたはずなのにもかかわらず、当時を「苦しいが、生き生きして新生の情動にあふれていた時期」(九ページ)と回想してることに圧倒された。僕は二人よりも三〇年近くあとに生まれ、高度成長の恩恵を十分に受け、ひもじさや戦争の恐怖を身近に感じたことはないけど、それじゃあと三〇年経ったときにあんな笑顔を作れるだろうかって考えると、疑問だ。もちろん二人は人生の大成功者だから、自分と比較するのもおこがましいかもしれない。でも、憧れは人間を動かす。僕も、三十年後の自分の顔があんなふうに輝いていることを望みたい。そんなかたちで、二人に対する憧れを持ちつづけたい。
おっと、全然この対談集の内容に入ってないじゃないか。この本の元になった対談自体は「二十一世紀の日本の新しい人たちがどういう理想のもとに、どのような努力を積み重ねていけば、より豊かな日本の文化の風土が形成できるか。あるいはまたそこから第二、第三の大江さん、小澤さんが輩出できるのか、そのための教育、社会通念、社会システムなどについて、お二人の豊富な海外体験をまじえて存分に語っていただきたい。その上で何か御提言願えれば幸いだと思っております」(一三ページ)っていう某新聞社の動機から生まれた、わかったようなわからないような企画の産物だけど、実際は、二人の言葉はそんな企画者の意図を飛び越え、とても直接的なメッセージを読者に伝えてくる。
そして二人のメッセージは、僕にいわせれば、とてもシンプルで、それだけに普遍的なものだ(そりゃそうだろう。シンプルかつ普遍的でなきゃ世界で活躍はできない)。つまり「個として立っていることが……人間が生きていることの原則」(六七ページ)だってことだ。でも、これはエゴイズムを勧めてるわけじゃない。個人として立つことは、自己を表現し、他者に開かれ、対話し、比較し、やがては普遍的な勇気や夢に至るための第一歩なのだ。制度は個人のためにあり、「中心と周辺」ではなく「普遍的なものに向かう周縁」だけがあるって考えるための第一歩なのだ。個人が自立し、同じく自立した個人との間で平等なコミュニケーションを結び合うことは、じつは戦争直後の日本人の多くに共有された夢だった。まさに二人は「あの時代に少年として生き、いまにいたるまで根本においていき方と熱望を変えることなしで来た」(一〇ページ)稀有な例なのだ。表紙の笑顔からは、その喜びが溢れ出してくる。そして、それが僕らを幸せにしてくれる。
紙の本
世界的指揮者とノーベル賞作家の考える教育とは
2001/09/30 01:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小林育子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小澤征爾と大江健三郎の接点は、ともに1935年生まれという点だ。昨年6月にはともにハーバード大学の名誉博士号を授与されている。もちろん、こんなニュースを知らなくとも、世界的指揮者とノーベル賞作家という肩書きを知らない人はいないだろう。
本著では、音楽と文学を軸に、両氏がこれまでの人生でどうその芸術に関わってきたかが対談形式で書かれている。単純にビッグな識者の文化論として読めるのだけれど、今や60代になったお2人だからこそ語られるであろう「教育」に関するやり取りが興味深い。
小澤征爾は現役指揮者としてだけではなく、若い音楽家たちを育てることにも仕事の軸を置いている。とはいえ、オーケストラで演奏する一人の演奏家を育てるだけでも、費やす時間やお金は相当なものになるという。音楽塾の教え子があるとき、「私はものすごく勉強したけれど、将来、音楽で食べていけるのだろうか」と小澤さんに質問したそうだ。彼は、「僕らには、あなたたちがいい音楽家、あるいはオーケストラのメンバーとなったら食えるという夢を実現するような状態をつくる責任がある」と答えたという。
もちろん残された時間は十分ではない。でも、本著を読むときれいごとではなく、若い人たちへの責任をもって小澤さんは生涯、教え続けるだろうなという気迫を感じる。この強い想いの根源には、音楽のスタンダードは西洋だけのものではない、日本人の音楽も世界のスタンダードたりうるべきだという小澤さん自身の強い願いがある。
そしていい教師に教えられる若い人たちに求められるのは、「よい生徒」であることと、大江さんがつなぐ。大江流「よい生徒」とはもちろん、イエスマンではなく「自立している個」を持つ人ということだ。国家や社会が自由を与えず、若い人の「個」をつぶしてしまうような制度を持っていたら、この先、もしかしたら日本はまたも「鎖国」の時代に入るかもしれないとまで大江さんは語る。これはまた、学校や家庭のあり方まで考えさせられる発言だ。
音楽であれ文学であれ、芸術は一部の人のものにすぎないという風潮が、日本人にはあるように思う。しかし、この対談を読むと、芸術は人を育てるし、生きる力にもなるし、よい意味での師弟関係を築くための土台にもなると感じる。底の深い一冊だ。
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