紙の本
「自分が何者であるのか」を証明してくれるのは、家族という命の共同体に生きたことばや言い回しであるという思い。その下に描かれた、激動のイタリアを乗り越えた家族の年代記。
2003/06/23 00:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界のあちこちで、家族の歩みを追うことにより自国の激動の時代を表現しようという意欲的な小説が現われる。最近では、そういう作品が紹介されるたび、○○版『百年の孤独』のような紹介がされる。また百年の孤独か…と半ばあきれつつ、
それが冠されていると、巻頭にファミリー・ツリーの載っている何十年かの出来事を書いた大作ね、とイメージをつかみやすいことも確かだ。
この小説は、作家ギンズブルグの自伝小説で、空想をまったく介入させなかった旨、まえがきに断りがある。登場する人物はすべて本名であり、彼女が自身のことは書きたくないから書かなかったという以外、家族の歴史として現実に存在したものが「部分的に」書かれているとのことである。
この「部分的に」という引き方が、いかにもギンズブルグらしく禁欲的である。
——というのも記憶は時の経過についにあらがい得ず、しかも現実を土台にした本は、しばしば作者が見聞きしたすべてのことの、ほのかな光、小さな断片でしかないからである。
登場する家族のメンバー全員の性格づけを生き生きさせ、その生い立ちと人物相互のドラマを破綻なきよう組み立てるタイプの家族の年代記、どこか幻想味のある虚構のそれとの差違はまず、「部分的」というその言葉に表されている。
そして、百年の孤独タイプのサーガとの違いはもうひとつ、家族の共通語(ラテン)を辿ることで構成されているという特徴だ。会話を中心にした小説の魅力が、これほど味わい深く引き出された作品というのも他になかなか見つからない。
書き出しからして素晴らしい。
——子供のころ、わが家で私とか兄弟のだれかが、食卓でコップをひっくり返したり、ナイフを床に落としたりすることがあると、たちまち父のかみなりが落ちた。「ぶざまなことをするなっ!」
「ぶざま」「愚かもの」「ならずもの」などと、この父親の怒鳴ることばが印象的である。ほかに動物の名を使った傑作があり、この本を通じてそれが出てくるたび
吹き出したくなるのであるが、ここでは伏せておく。
ギンズブルグの実家レーヴィ家は、ユダヤ系である。父親は大学医学部の解剖学教授であり、ギンズブルグ幼少のみぎり、一家は経済的にはあまり裕福ではなかったものの、上流家庭の常で初等教育は家庭で行われ、使用人も置いていた。
各人のよく口にすることばや言い回しとともに、父親の尊敬するものと軽蔑するもの、母親の習慣とヒマつぶし、子供たちの得手不得手や興味、さらには家の内部の様子、親戚づきあい、愛唱歌、食卓にのぼるものが紹介されていく。そういったごく私的なものには、変質的とも言える偏りもあってユーモラスである。
面白おかしい幼年期ではあるが、子供たちの成長にともないファシズムの影が忍び寄る。社会主義を信奉する父も兄たちも、反ファシズム運動の絡みで逮捕や亡命を余儀なくされる。また、運動のリーダーたるギンズブルグと結婚することで、作者自身も流刑に遭い、夫が獄中で死ぬという不幸に見舞われる。
一家の共通語は、そのような受難を乗り越える支えとなり、無事を確認し合えるときの象徴としてきらめくのである。
紙の本
たくさんイタリア人の名前がでてきますが、がんばって読むだけの値打ちがあります
2019/08/03 22:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ムッソリーニとヒトラーに翻弄されるイタリア中流家庭、五人兄弟の末っ子である作者の目をとおしていきいきと綴られていく物語。社会主義と山を愛しているレーヴィ教授、社会主義とヴェルネーヌの詩が大好きなその妻のリディア、母親と仲良しな長女・パオラ、父親のお気に入り長男のジーノ、プルーストを語るのが大好きな次男のマリオ、サッカー少年で後に医者になった三男のアルベルト、その5人と取り巻く人々を鮮やかに筆で蘇らせた末っ子のナタリア、イタリア人の名前なので全部の登場人物を覚えることは困難だが、メモをしながら食らいついた。教授一家の物語と聞くとなんだか敷居が高そうだが、すぐに「まぬけ」「ロバ」と罵る父親と女中たちとのおしゃべりに夢中な母親、お高く留まっていない二人が魅力的だ
投稿元:
レビューを見る
翻訳者としての須賀敦子の代表作の一つ。その言葉を言えば、すぐにどこの何の話かが、何十年たっても分かる。家族の会話には、いくつもの魔法の呪文のような、家族にだけ分かる大切な言葉がある。近代イタリアを代表する、ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。
投稿元:
レビューを見る
父や、母や、おじさんや、おばあちゃんはいつも同じ話ばかりする!といらだっている若い人に読んでもらいたい本。記憶に残る口癖は、あとになって離れた人をこころの中に呼び戻す呪文だということが、この本を読むとわかります。
投稿元:
レビューを見る
イタリアが徐々にファシズムに染まっていき、ムッソリーニが宣戦する…。
こうした「世界史」が1人の女の子が幼い日々を過ごし、
成長する中でどのように反映されていくのかを
読み取れる自伝的小説。
反ファシズムの家庭で著者は育つ。
癇癪もちで強烈に口の悪いお父さん、
明るいけれどちょっといい加減なところのあるお母さん、
それぞれ活動家となった2人の兄、裕福な家庭に嫁いだ姉、
またその友人達。
彼らと食べた食事・夏の休暇の山での滞在・兄弟の進学・
誰がどういう口癖や性質を持っていたか。
当時の人々との交わりに関する著者ナタリア個人の記憶が
淡々と描写されていくだけなのについつい惹かれて読んでしまった。
ナタリアと家族の時間の経過に伴って
政治的な自由の規制や圧迫感がだんだん滲み出てくる。
歴史の中の個人の位置づけを確認できる本。
例えば、ユダヤ人を迫害する政策が出た時は
著者にとって、生まれた子供がまだ小さくて乳母を雇わねば
ならないこと、あるいは生活にお金が足りないことに頭を悩ましている時期でもある。
ユダヤ人の血を父から引き、ユダヤ人の友人を持つ著者にもちろん
人種差別政策は影響するけど、それが日常のメインではなかった。
そういう、大きい歴史の変化の中にある
個人の生活の取るに足らない小ささに妙に納得する感慨があった。
当時の反体制派の文学者達がどのように行動していたのかが
知れるのも興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
ギンズブルグの人生を事実だけ追いながらみてゆくと、どんなにか波瀾万丈な人生だっただろうか、と思いますが
「男のように書く」という言葉通り
苦しみを人に見せつけるようなことなく、さらり、とつづる。
だからといって客観的すぎて、冷めた/冷たいということはなく
そこには家族に対するあたたかなまなざしがあり
苦しみをつつみこむユーモアがあり
言いようのない気持ちに、読みながら胸がいっぱいになります。
彼女が親しかったパヴェーゼとさくらんぼのエピソード
エウナウディの人々とのやりとり
そして何より、この作品は須賀敦子さんの訳がぴたりときます。
すばらしい作品です。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
イタリアを代表する女流作家ナタリア・ギンズブルグの自伝的小説。
舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐に翻弄される心やさしくも知的で自由な家族の姿が、末娘ナタリアの素直な目を通してみずみずしく描かれる。
イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗り越えてきた一家の物語。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
半世紀以上も前の、遠い国の人達がこんなに近しく感じられるのは何故だろう。知識階級の共産主義の家族が隣に住んでいて、まるで庭の垣根の間から盗み見をしているような気がする。須賀敦子さんの訳文が美しい。
投稿元:
レビューを見る
大傑作。この小説のテーマは、ある時間を共有し合った者同士だけが分かり合うことの出来る物事や言葉たちだ。小説の舞台は、ムッソリーニが台頭するファシズム期のトリノ。主人公の一家はユダヤ人であるから、中には国外に逃れたり、逮捕されて流刑に遭ったりした者もいるが、それらはこの家族にとって、あるいは主人公ナタリアにとっては、記憶の一場面にすぎない。現実で何があっても、記憶の蓄積は揺るがないで見守っている。レーヴィ家の五人兄弟は成長してバラバラになるが、それでも父母の記憶は揺るがないで見守っている。老いゆく者、死にゆく者、生まれてくる者。それらがゆっくりと、現実にさらされながら存在している。勿論、意図的に描かれなかった場面もあるだろうが。
投稿元:
レビューを見る
遠い海の向こう
でもファシズム政権という私の住む国と共通の苦難をたどってきたイタリアで
第二次世界大戦前後というひと時代昔に
ユダヤ人女性によって描かれたもの。
それがこんなにも自分にとって身近に感じ、
共感を覚えるものだとは思わなかった。
おそらく作者とはいはずとも 同じようなバックグラウンドを持つ人に
直接会って意思疎通を図ろうとしてもうまくいかないにちがいない。
言葉 国 人種 宗教 生活習慣 そういった様々な違いからくる気おくれで
きっと会話のうまい糸口さえ見つけられないまま平行線をたどるような気がする。
この本で得たのと同等のものを純粋に交流を通して獲得しようとしたら
コミュニケーション能力について恐ろしいほどの技量が必要とされるだろう。
ところが文章というのはいとも簡単にそんな壁を乗り越えてしまう。
家族で交わされたなにげない会話を中心軸にしながら
時代を切り取っていく手法のこの自伝的小説は
文体も須賀敦子さんの訳ということで馴染みやすく
自然と心に溶け込んでいくかのよう。
厳しい時代を淡々と綴ってはいるけれど
作者がユダヤ人という事実は
そのとおってきた道がただならないものであったことを想像するに難くないし
実際彼女は第2次世界大戦中 寒村に流刑になったり、
夫を拷問で殺されたりしているのだけれど
それすらもさらりと書かれていて
逆にそのことが 年配の知り合いから聞かされた一家族の歴史のようでもあり
読後に心に残ったのは時代の厳しさではなく
小説全体を通して流れる温かさだった。
ただ、家族の会話でつづられる最後の数ページが
戦争という大事件を通して起承転結で語られてきたこの家族のストーリーのいかにもつけたし という感じの自分の感覚からするとちょっと腑に落ちない終わり方だったように感じた。
小説の終わり方というのは想像以上に難しいのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
20171108読了
1997年発行。須賀敦子訳。イタリア文学。ムッソリーニ、ヒトラー、そして戦後。ユダヤ系イタリア人の大学教授を父に持つ筆者の家族と、交流のある身近な人々が生きてきた時代を描き出す自伝的小説。弾丸飛び交う戦場ではないにしろ、逮捕、流刑、爆撃等々、その時代特有のできごとに襲われながら生き抜いていくさまの記録なのだけど、けっして悲惨さ、辛さが前面に押し出されるわけでもない。そして、親しい者どうしで交わされた会話が物語の大部分を占めているにも関わらず、けっして感情的でない、というのが不思議。家族のなかで自然発生したその関係性だけで通じることば(家族語)なども含まれていて、ちょっと読みにくさも感じつつ、その集団の雰囲気が立ち上がってくるような気がする。●外国文学を読んでいて困るのは、登場人物が増えてくると横文字の名前がどんどん出てきて誰が誰だか分からなくなること。
投稿元:
レビューを見る
この「ある家族」の主人公は、まちがいなく語り手の父親と母親である。それは、物語が父親の罵詈雑言とそれを馬耳東風と聞き流す母親の応対から始まり、最後はその父親と母親の会話で閉じられるところからも明らかであろう。
題名にあるように、その家族と家族に関わりのある人物たちとの間で交わされる「会話」を中心に話が進んでいく。基本的にはふだんの日常が綴られている(父親や兄弟が投獄されたり戦争によって家族がばらばらになったりするドラマもある)のだが、不思議なことになぜかそれが読ませるのである。そして、得も言われぬ爽やかな読後感を残す。
作者の力量はもちろんであるが、訳者の須賀敦子の手腕に負うところも大なるものがあることはまちがいない。
投稿元:
レビューを見る
自分たちの家族だけに通じる、「それを聞けば、たとえ真っ暗な洞窟の中であろうと、何百万の人込みの中であろうと、ただちに相手がだれであるかわかる」ことば
ファシズムの時代を生き抜いたある家族の物語。
投稿元:
レビューを見る
「老いるとは人々から孤立して、過去が崩壊したことを嘆き、自らのうちに閉じこもってしまうことである」
ファシスト政権、ムッソリーニ、ユダヤ人への圧力、第二次世界大戦 歴史の中をくぐり抜けていく家族の日常が綴られているだけなのに、すぐそばで会話や笑いが起きているようなみずみずしさを感じる。
投稿元:
レビューを見る
ほとんどが作者の体験。
ムッソリーニが台頭してきた時代のイタリアの家族の物語。父親が偏屈。戦時なのにそれを感じさせない日常生活。きっとギンズブルぐも辛いこともたくさんあっただろうにと思った。記憶にないことは書かれていない小説。「美しい夏」のパヴェーゼが友人として登場したことに「おお」となりました。