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- カテゴリ:一般
- 発売日:2007/03/27
- 出版社: 岩波書店
- サイズ:19cm/242p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-00-023436-8
紙の本
自立クライシス 保健室からの思春期レポート
著者 金子 由美子 (著)
長期化する思春期、崩れる家族の食卓、空回りする学校指導、教育力を失った社会−。人生のモデルを失って自立を阻まれる子どもたち、そして自立を支えるべき大人の使命について、「保...
自立クライシス 保健室からの思春期レポート
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商品説明
長期化する思春期、崩れる家族の食卓、空回りする学校指導、教育力を失った社会−。人生のモデルを失って自立を阻まれる子どもたち、そして自立を支えるべき大人の使命について、「保健室のセンセー」が警鐘を発信する。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- はじめに
- 第1章 保健室の情景
- (1) 思春期の蹉跌
- 羽化できないさなぎ
- 自立を阻む母親
- 15歳の春,涙の理由
- 高校なんて楽しくない
- 経済格差のひずみ
- 「つくり話」
著者紹介
金子 由美子
- 略歴
- 〈金子由美子〉1956年名古屋市生まれ。埼玉県公立中学校養護教諭。“人間と性”教育研究協議会研究局長等も務める。著書に「保健室はなぜ居心地がいいのか」等。
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紙の本
教育力を失いつつある家庭、地域、学校、そして社会は、子どもたちの自立モデルを阻む。川口、戸田、蕨といった埼玉県南部の中学校の保健室に30余年勤務。大人に近づく心と体の変化に戸惑いつつ「自立」への一歩を踏み出そうとする思春期の子どもたちに寄り添ってきた教諭からの、大人たちへの提言。
2011/06/13 22:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
高校一年生、思春期まっただなかの男児が我が家にはいる。成績が芳しくない、物の整理が悪い、スケジュール管理がなっていない、覇気がない、好奇心が足りないなど、親の目から見れば、いくらでも気になる点があるにはあるが、まあ片目をつぶれば「こういうものか」とも思える。家でのコミュニケーションも割に取れている方で、何か困ったことがあると愚痴も吐いてくれる。人の悪口は言わないさわやかさもあるし、大人っぽい気遣いや物言いも時にできるので、そうそう案じてはいない(かなり見栄を張って書いているような……)。
考えてみれば、腹にいる頃から母親をつわりにも陥らせず、生まれる直前まで働かせてくれたし、生まれてからも総じて始末のいい奴で、子育てに悩んだ経験があまりなかった。お陰で育児書、教育書の類いをあまり見たことがない。
反抗期も多少あった気がするが、通り過ぎつつあるようだ。よって思春期の子を持つ親のための指南書や教育書も無縁だと思っていたが、仕事の資料として「思春期」を調べる必要が生じた。「誰か、いいこと言っている人はいないものか」と探していて、ビンゴと当たった感じがしたのが、本書の著者である金子由美子氏である。
中学校の保健室に勤務して30余年ともなると、一万人にも及ぶ子どもたちの成長を見守り、出会いと別れを繰り返しているという。健康診断や疾病、怪我の手当てが主たる業務だが、最近は「保健室登校」の言葉もある通り、教室には行けず、庇護や安らぎを求めて保健室で過ごす子どもたちの対応も多い。そういった様々な理由で保健室を利用する子どもたちの生身、生の声に接した経験から、彼らの背後に広がる家庭や教室、地域、社会といった環境について洞察し、子どもをどう支えていけば良いか、子どもたちを支える大人や社会がどうあればいいのかを誠実に論じている。
元になったのは、2004年から2005年にかけて「自立の大地が揺らぐ」という題で共同通信社が配信した新聞の連載コラム30回分。それに各種雑誌エッセイに書いた内容を足して練り直された、教育臨床の貴重なレポートである。
読んでみての感想は、我が子と「あまりに同じ」、そして「あまりに違う」という子どもたちの実態で、驚かされること、目覚めさせられること、合点させられること、焦らされること、感心させられること満載であった。
「はじめに」に次のような指摘がある。
「おとながつくり上げた資本主義社会の弊害ともいうべき事態により、子どもたちが消費のターゲットとされ、テレビ、ビデオ、ゲーム、携帯電話、インターネット、ファッションなどの商品漬けにされ依存するように仕向けられている。子どもたちを狙う性犯罪や性産業の巧みな罠も仕掛けられている。一部のおとなたちにとって、子どもは『市場』でしかないのである」
この鋭い指摘に感じ入って読んでみる気になったが、子どもをめぐる問題の多くが、大人社会のゆがみや狂い、危機に端を発することがよく分かった。
おそらく「健全なる社会に健全なる子どもが育つ」ものなのに、私を含めた大人たちは、「健全なる社会でなくとも、健全さを求めて子どもたちはきっと育つ」と勝手な思い込みで罪の意識を軽くしようと図る。そして、そういう子どもたちが、この悪い世の中を何とかしてくれるのではないかという甘い期待を抱いている。
「健康の支援というものは、一人ひとり、体質や体格、生育環境も違い、生徒指導のように一律的にはできない。心の健康を損なっている子への生活指導の場合、『普通はしないでしょ』『常識的に考えてみて』といった子どもへの提起は、通じないことが多い。毎日のように朝から保健室に来てベッドで休みたがる子の家では、家族は夜中まで働いていて深夜に夕食をとり、朝は雨戸を閉め切って寝ていることのほうが、『普通』なのだという。その子一人だけが、寝静まっている家をそっと抜け出して登校してくる」(P217)
このような一人ひとりの心、体、生活の健康の獲得のため、著者は言葉をかけ、肩をそっとたたき、目を見つめ、思いを送ってきたのである。そのような仕事の中から、「自立クライシス」という表現に集約される「思春期の長期化」を社会問題として指摘する。
心と体の発達が早く、小学生で思春期を迎える子もいれば、自立が遅れ、いつまでも思春期を引き延ばし、成人を迎えてしまうような子もいる。「嵐の時期」の長期化で息切れする親たちが増えれば、危機の連鎖が家庭崩壊を招くというのだ。それが、一つの家庭に収まらない問題であることは自明である。
思春期の危機にある子どもたちの支援は、その背後に控える家庭や社会への支援にもつながっていくという道筋が見える。人を育てていく環境の危機は、将来社会の危機に直結する。身近にいる大人の中に、将来像が描けるような自立モデルが見つかるのかどうか――それを意識しながら、大人は自己の理想像を描き、それに近づくイメージを諦めず、今をしっかり生き抜いていくしかないのだと感ずる。