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商品説明
ローマ帝国では「悪帝」とみなされた皇帝にまつわる記録や彫像の削除・改変が、その死後に広く行われていた。記憶の破壊行為はなぜ、どのようにして行われたのか、文献史料の記述と碑文や彫像の攻撃の痕跡を元に綿密に論じる。【「TRC MARC」の商品解説】
ローマ帝国では「悪帝」とみなされた皇帝にまつわる記録や彫刻の削除・改変が、広く行われていた。ダムナティオ・メモリアエと呼ばれるそうした記憶抹消行為は、なぜ、どのようにして行われたのか。文献史料の記述と碑文や彫像等に残された攻撃の痕跡を元に綿密に論じる。現代にも示唆を与える、記憶をめぐる古代史。【商品解説】
目次
- 序論
- 1 ローマ皇帝とダムナティオ・メモリアエ
- 2 研究史
- 3 文献史料に残された「悪帝」の記憶
- 4 ダムナティオ・メモリアエの形成
- 5 議論の射程
- 第一章 カリグラの記憶と記録
- はじめに
- 1 カリグラ暗殺とメモリアをめぐる議論
- 2 帝政初期のメモリアへの攻撃
著者紹介
福山 佑子
- 略歴
- 〈福山佑子〉1983年岡山生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程にて博士(文学)を取得。同大学国際教養学部講師。
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紙の本
断罪される皇帝
2024/01/14 10:59
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投稿者:DB - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は古代ローマでの碑文や記念碑が削られたり作り変えられているという事実から、その処分を受けたローマ皇帝についての歴史的な考察をした本です。
博士論文に手を入れて本にしたそうで、たしかに論文的な書き方がしてあるが、歴史科の論文がどのようなものか知りたい人にはちょうどいいかも。
タイトルとなっている「ダムナティオ・メモリアエ」ですが、「メモリアの破壊」や「メモリアの断罪」といった行為が行われていたが、この総称としてダムナティオ・メモリアエという言葉を使うようになったのは十七世紀以降だそうです。
元老院には死去した皇帝に対して神格化するか国家の敵と認定してメモリアの破壊を行うかという死後裁判の権利を有していたが、このメモリアの破壊がどのような時に行われたのかを詳しく見ていきます。
もともとは元老院がグラッスス兄弟のように自分たちに対立して敗れた政敵に対して行っていたもので、彫像の破壊やイマギネスの掲示の禁止、碑文からの名前の抹消、財産没収、そして個人名の使用の禁止といった処分により名誉を剥奪するものだった。
オクタヴィアヌスは破れたアントニウスの死亡後に彼を国家の敵として、彫像が破壊され名誉が取り消されたほかに、親族にマルクス名を持つことを禁止した。
アウグストゥスからテオドシウス一世までの68人のローマ皇帝の中で、このダムナティオ・メモリアエを被った皇帝は35人もいる。
この最初の例であるカリグラからセウェルス朝時代のあたりまでを見ていくことで、その処分がどのように決定され実行されるものだったのかが解明される。
カリグラは素行が悪くて暗殺されたが、彫像は次のクラウディウス帝により撤去されたが遺体は葬儀の後に埋葬されている。
その後の悪帝とされる皇帝の遺体が引き回されてテヴェレ川に投げ込まれたことを考えると丁寧に扱われた方で、クラウディウスの彫像に作り変えられたものもあるがそのまま残されていた彫像もあり暦表の名前も残っていることからクラウディウスは積極的に前皇帝を悪帝とはしなかったことが伺える。
ネロの自殺後に皇帝となったガルバはネロのダムナティオ・メモリアエを行ったが、ガルバを倒したオトはガルバを悪帝として自身をネロの後継としていた。
ネロの遺体も実父のアエノバルブス家の墓に埋葬されていることから、他の悪帝とされた皇帝たちの中ではネロが死後に受けた扱いは悪くなかったようです。
ネロがパルティア人の間で非常に好まれていたのは芸術家肌のところが気に入られていたのだろうか。
ネロのダムナティオ・メモリアエを積極的に行ったのはウェスパシアヌスで、ウェスパシアヌスが勢力を握っていた東方でネロの碑文が削除されていることからもそれが裏付けられるそうだ。
そこからドミティアヌス、コンモドゥス、セウェルス朝のメモリアを見ていくと、皇帝がいかに悪帝だったかというよりは誰が次の帝位についたかによって扱いが変わっていくのがよくわかる。
特に政権交代が武力によって行われたときには自らの正当性を主張するためにも先帝を攻撃し、ダムナティオ・メモリアエが行われていたのがよくわかった。
歴史をこんな面から見るのも面白い。