紙の本
疑問に感じるね。本当の民主主義を取り戻せ?
2015/07/12 21:08
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投稿者:やまさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
では、安倍政権以前は本当の民主主義だったのか? 例えば日本が長年やってきた偏差値教育だ、和を乱さない所謂良い子を育成してきた教育事態おかしくないか? 疑問に思わず 命令に従順な人間を育てる事をよしとしてきたんだよね。日本は戦後理想的な社会主義国家を作り上げて来たんだよ。民主主義国家にだった事はいちどもない!!! 場の雰囲気、秩序を乱さない、迷惑かけない様に育てられて来た。自己主張出来ない雰囲気。俺に言わせると、そういう社会を作り上げて来たのは、昔、学生運動盛んな時代に街で暴れ回って来た世代でしょ。私の中学、高校時代は先生が生徒を殴ル、生徒の個性独創性を平均化する教育がされてきた。私はそう言う社会を真の民主主義とは呼べないと思う。安倍政権以前も日本に民主主義は存在してない。日本は無言の抑圧社会だ、昔も今も。
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雑誌『世界』での寄稿文や筆者のブログ、ツイッター等の文章をまとめたものです。
ぎょっとするタイトルですが、
読み進めていくうちに、確かにそうかも、と思わざるを得なくなりました。
特に「消費者」の件は自分も気付かぬうちにそのような振るまいをしているかもしれない、と考えさせられました。
本は薄いですが、内容は濃く、誰もが「思考」しなければならない事だらけだと思います。
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今の日本人は、政治を消費者の視点で見ている。主権者として自ら政治に参加するという感覚がない。自分達の権利を守るための不断の努力を怠り、民主主義を後退させてきた。そんな熱狂なきファシズムへの警鐘。〉『日本人は民主主義を捨ててがっているのか?』想田和弘(岩波ブックレット)"
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筆者が述べているように「民主主義とは、民衆こそが責任主体であり、決定権がある」ということを意味するので、そのためには民衆の一人ひとりが、国の政策が正しく遂行されているのか否かチェックするために情報を集め、分析し、理解しなければならない。だが、12月6日深夜に参院本会議で自民、公明両与党の賛成多数により可決、成立した『特定秘密保護法』は、私たちの知る権利を著しく阻害する恐れがあり、つべこべ言わずに黙って従えと言っているに等しい。我々はコケにされているのだ。もっと怒ろう!
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すごく、よかった。薄いのに、めちゃくちゃ考えさせられる。
著者が丁寧に思うところを書いてくれてるからなのかな、と思う。これを読むと、今の日本の向かう方向に危機感が掻き立てられる。
政治に対して消費者になっている、という主張は内田樹さんと似てるなあと思ったら、引用されていた。もしかして、仲良いのかな。
とにかく、政治に対する自分の意識が低すぎていやになる。ゴミ拾い、協力しないと。。
岩波ブックレットって、ちょっととっつきづらくてあまり好きではなかったのですが、これはいい本でした。
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想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』岩波ブックレット、読了。橋下現象から安倍政権の誕生まで--。進行する「熱狂なきファシズム」を鋭く抽出する恐ろしい本だ。消費者と化した有権者の意識、みんながハードルを下げ、賢くなることを拒否する態度はオルテガの描く未来予想図の如し。
「主権者が自らを政治サービスの消費者としてイメージすると、政治の主体であることをやめ、受け身になります」。消費モデルで政治を捉えることこそまさに『大衆の反逆』の「慢心しきったお坊ちゃん」(オルテガ)の錯誤。
民主主義の原点は「みんなのことは、みんなで議論し主張や利害をすりあわせ、みんなで決めて責任を持とう」だが、消費者民主主義は「お客様を煩わさないで。面倒だから誰かが決めてよ、気に入ったら買ってやるから」になる。
人々との語らないの中から著者が見出した日本の現状とは、海の外(著者はNYが拠点)では考えられないことだ。熱狂なきファシズムに抵抗していく究極の手段は、主権者一人ひとりが「不断の努力」をしていくことにほかならない。
「首相は庶民と同じでよい」というイデオロギー(芦部知らない事件)の蔓延にも驚くが、映画監督の著者はたびたび「門外漢は口を出すな」「お前は映画だけを作ってろ」というおびただしいリプライ(風潮)により驚く。
“「門外漢は政治を論じるな」という風潮に風穴をあける最良の方法は、「門外漢が実際に政治について語ること」” 民主主義が終了することで深刻な影響を受けるのは無数の「門外漢」。だからこそ不断の努力としての責任が重要か。
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自分の受信機がビンビンな状態だからか、一気読みして心が揺さぶられた。久しぶりのこの感覚。目が覚めるというか、これ、その通り!と思ってしまっていた。
しかし、この感覚こそが、私が言葉によって支配された状態であり、もっと自分自身が、本当にそれは正しいのか、勉強しながら考えていかなければならないのだとは思うのだが。
恥ずかしながら想田和弘さんという方は存じあげなかったので崇拝してしまいそうだ。Twitterもフォローさせてもらった。
映画も見てみたいなあと思う。
この本の中に書かれていた 内田樹さんの「下流志向」も読んでみたいと思う。
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当たり前過ぎて見過ごしてしまいがちだけれど、本当に大切で守らなければならないことを、分かりやすい普段の使う言葉で、じっくりと丁寧に考えている本。皆にもぜひ読んでもらいたい。
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政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。そういう『消費者民主主義』と呼ぶべき病が、日本の民主主義を蝕みつつあるのではないか。
だとすると、「投票に行かない」「政治に関心を持たない」という消費的な「協力」によって、熱狂なきファシズムが静かに進行していく道理もつかめます。(引用)…
最近、個人的に考えている政治的ニヒリズム、先日読んだ國分功一郎『来るべき民主主義』、湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』とも良い感じで結びついてきました。
そして、そこから導き出される結論は、私たちはヒーローを待たず、自らが『不断の努力』によって、『来るべき民主主義』を築いて行かなければならない…という非常に、しんどいものになりそうです。
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この衝撃的なタイトルは著者からの強烈な皮肉でもある。民主主義や政治に対して現代人は、主権者ではなく消費者だ。このことは自由とそれに伴う責任の放棄でもある。この本は、安倍晋三、自民党、そして世論について自分が前からもやもやしてた部分を突いてくれた。やっぱり安倍さんが自民党総裁になったあたりからおかしいよ。タイトルに対してふーんて思う人にこそ読んで欲しい。
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傲慢の一言に尽きる。近年は『世界』や『現代思想』などで、政治学の知見に基づいた分析なども読めるようになっているが、そのような蓄積があるにも関わらず、自分は日本の危険な動きから距離を置いているということを強調するような記述や、「大衆の危険な言説」としてインターネットの書き込みを採り上げるという態度などは、カタルシスとして有用かもしれないが、それでアクチュアルな問題に切り込めるとは思えない。「自分は大衆とは違う」と思い込み、他者を見下すような態度は、それこそ本書で批判されている橋下徹などと同じものでしかない。
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安倍や橋下をまつりあげる「熱狂なきファシズム」が進行してしまう背景には、主権者であるはずの市民が自らを政治サービスの消費者と認識し、「賢い消費者は不完全なサービスは買わない」という「消費者民主主義」の態度があるのでは、という分析に、おおいに納得。じゃあどうしたらいいか、という処方箋が書いてないことに不満の人も多いだろうが、それこそ消費者の態度というものだろう。ついでにいうと、最近の小説や映画の、読者や観客が考える手間をかけなくてもいいように、噛んで砕いた離乳食みたいになってる傾向も、この悪しき消費者主義と同じなんだと思うね。
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つん友(積読の友)・文ちゃんの「備忘録」に釣られてぽちって手に入れてからしばらく「積読」モードにあったのですが、一気に読了しました…といってもごく短いブックレットです。だからひとりでも多くの人に読んでいただきたいな、と思います。
第1章の大阪市長橋本市に関する論考、第2章の安倍晋三自由民主党総裁に関する論考を読んでいて、ここまでは僕も(精細さはともかく)概ね同じようなことを考えていて、今の政治情勢、社会的風潮について、どうしてこんな状況になってしまったのだろう、と悩ましく思っていました。
だけど、第3章の「消費者民主主義」という言葉にあたって、ああ、そうだったのか、そうか、こんな大きな間違いをしてきたのか…と合点がいきました。
僕らは政治の、自治の、国の統治の恩恵をこうむる「消費者=被支配者」ではないのだ。主権者とは消費者ではなく当事者なのですね。サービスを受けてあたりまえだとか、良いサービスを施してもらえなければ(まさに恵んでもらえなければ!)関心はない=投票に行かない、というのがそもそも間違っていたのだと、改めて気付かされました。
そして最後に取り上げられた日比谷図書館事件の総括として取り上げられた憲法第十二条の「不断の努力によって」という文言に込められた深い意味を改めて実感させられました。
この憲法が施行されたのが昭和22年(1947年)年5月3日、今から67年前のことです。でもこの憲法は、去年の参議院議員選挙前に起こった「日比谷図書館事件」を予見したかのように、それまでにもたくさんあったであろう主権の行使に対する不当な侵害を予見したかのように「不断の努力によって」という文言をきちんと入れていたことを思うと、この憲法が時代に合っていない、などというのは全くの言いがかりであると思うのです。なぜなら、今まさに起こっている「消費者民主主義(おまかせ民主主義)」に対して、「不断の努力」を積み上げて民主主義を主権者たる国民の手に取り戻さなければならないと気持ちをあらたにさせてくれる、生きた言葉に支えられているからです。
最後まで読んでも79ページしかありません。遅読の僕ですらごく短い時間で読み切ることの出来る、わかりやすい表現で書かれた民主主義再興のための啓発書として、是非多くの方に読んでいただきたいと心から思います。
最後に、憲法第十二条の全文を記しておきます。
日本国憲法第十二条【人権の本質】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
また、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
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「国民の義務」ってのは、兵役とか納税とかじゃなくて、為政者の耳に触る言葉でも言い続けるってことなんだ。
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政治は政治家がやるもので、一般市民は政治サービスの受益者という感覚が日本を支配しているのではないかという指摘はなかなか今の状況を言い当てているようです。いろいろ政治に不満がある人がたくさん身の周りにいますが、政治活動をやろうという人はほとんど見かけません。その他人任せとなってしまった隙間に安倍や橋下といったポピュリズム政治家が台頭してきています。今の日本の民主主義は危機に面しているのではないでしょうか。ぜひ一度この本を読んでみてみてださい。