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こういう本こそ多くの人に読まれるべきと思いますが、「繊細さんの本」ほどは売れないんでしょうね・・・。
自分もHSPかなと思って「繊細さんの本」を含め何冊か買って読みましたが、ブームになったので買うのをやめました。自分もHSPっぽいところはありますが、障害ではないようですし、自分の中でなんとか折り合い付けて生きられそうなので、これ以上「HSPだから」と深掘りする必要はないと思うようになりました。
なかなか難しいのですが、「HSPだから生きづらかったのか」と納得するのはいいのですが、そこで終わってしまっては、生きづらさの根本的解決にはならないと思うのです。決定的に人間関係が苦手、という方もいらっしゃるかとは思うのでそこは無理しないでいただきたいと思いつつ、結局、相手の話も聴きつつ、自分の思いも伝える、ということをするしか、生きづらさの解消はできないような気がします。もっとも、「生きづらさ」もゼロにはならないと思いますが、少しでも減らす努力をすることはできるのではないかと。
生きづらさを抱える人たちが、なんとか一歩を踏み出せますように。
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最近この本の中にも出てきた「繊細ヤクザ」の存在が目に付き気になるようになりました。
HSPを特別なものだと礼賛するかのような取り上げ方のものを目にすることが多かった中で、この挑戦的なタイトルが衝撃的で引かれて手に取りました。
岩波ブックレットを手に取るのは初めてなのですが、こんな本があるんですね。
期待していたけれど期待以上に良かったです。
冷静沈着に現状のHSPブームを捉えて学術的な視点から指摘しているのがとてもよかったです。
先述した「繊細ヤクザ」のワードや、自分としても懐疑的であった木下優樹菜さんの脳波の検査でADHDと診断を受けたといったような世の中の出来事を取り上げているところが好感持てました。HSPに関する広い情報に耳を澄ませているからこそだろうな、と。
現代の人の中には、怠ける理由が欲しい人が一定数いるように思えます。
大義名分にしてしまう。
ある考えや、立ち位置が認められるにいたるまで苦労した人たちの真意とは違う、自分を甘やかすための。
結婚しなくても良い、というのも選択としてあるべきだし社会全体で強制する空気を出したり、結婚していないと欠陥人間とみなすなどは看過できないので結婚しない選択も歓迎される世の中というのは好ましく思います。
でも、自立せず、自分の成長とつながる他者とのつながりから逃げ、ルッキズム批判を盾にして不潔な見た目のまま…でも偉そうに結婚しないのも自由だから、というのはどこか違う気がしています。
HSPも、嫌なことから逃げる正当な理由が欲しくて、それによりかかるために利用しているように思える人がいます。
「良くも悪くも影響を受ける」ということは知りませんでした。
ポジティブな面も広く認知されるといいな。
怠ける理由とかうまくいかないことの盾にするためそういった性質を利用している人は、お金稼ぎのエセ医学やアクセス数稼ぎの情報の信頼性の低いメディアに利用されているだけかもしれないなと思いました。利用のループ。
バーナム効果も興味深いです。
遊びとわかっていて楽しむ程度は良いと思いますが簡単にアクセスできる占いの内容を信じすぎるのは不思議です(本当に力のある人というのは世界に存在するとは思うので完全に否定はできないです)。
個人的には厄年というのも疑問です。人間長く生きていれば、体にガタが来たり何かしらの大きな出来事があるのにおおざっぱに厄年だから、とするのは問題から逃げていないか、と思えてしまいます。
自分でできる限りの努力、体調不良があるなら食事改善、運動するなど行動できるのに厄払いしてないからだ!と言っていた人を見たときはえぇ…となってしまいました。
人事を尽くして天命を待つ、
人の力でできる努力はしようよ、と何事にも思います。
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学術的なHSPと一般的なHSPは違うと書いてあるけど、学術的なHSPさえ定義が結構ふわっとしてそうだしなんかもうよく分からないな
自分の苦しみに括りや名前がつけられることで気持ちが軽くなる感覚は分かる
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HSP(敏感すぎる人)の概念を知ったとき、まさに自分もあてはまると思った。「繊細さん」という言葉で認知が広まったのはブーム的でもある、との筆者の考え読んでみたい
#HSPブームの功罪を問う
#飯村周平
23/1/13出版
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/3L6WXnU
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HSPブーム自体よりも、ループ効果によってある特性を表すラベルが社会的に受容・変容していく様の一例として興味深く読んだ
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概ね想定通りの内容。
正直なところブームと呼べるほどのものとなっているのかと思ったが、ブームだったらしい。アドラー心理学、愛着障害と並んで、正当な学術的研究ではないらしい。どちらかというとそれらも正当でないブームとされたことの方に驚かされた。
新たな概念が生まれ、アンチテーゼが発生し、初めて新奇な概念は磨かれる。やがてHSPも真摯に捉えられ、深化していくのだろう。
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私はHSPについて懐疑的な見方をしていたんだけど、良い側面と悪い側面、またHSPブームによって巻き起こっている様々な「罪」について知れて良かった。
SNS上ではどうしてもHSPを特殊な能力と解釈している人や、繊細な自分に過剰に配慮を求めるような人ばかりが目立ち、その結果HSPを自認している人とそうでない人とで対立してしまっている印象だった。もちろんそれも実際に起きている問題ではあるが、一方で間違った情報を発信し目立っている当事者のせいで余計な生きづらさを感じたり、肩身の狭い思いをしている当事者も居ると思う。また、このブームに乗っかった資格ビジネスや根拠のない診断・治療を謳うクリニックの存在。はたまたカルト団体やマルチ宗教にまで目をつけられているとは驚きだった。
何にせよ、当事者もそうでない人もHSPについて正しく理解し知識を付けることで差別や対立、怪しいビジネスなどの被害に遭うことも防げると思うから、正しい情報が広まってほしい。
「繊細さん」の本より売れて欲しいよ!!
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【感想】
「繊細さん」の本は私も読んだが、当たっているような違うような印象だった。ただ、自分が感じていたモヤモヤ――特に対人関係で起こる敏感な心の動き――といった名状しがたい部分を、上手いこと言語化しほぐしてくれたフシはある。
しかし、HSPはいわゆる「血液型性格診断」みたいなもので、科学的根拠には乏しい――そう論ずるのが本書だ。本書ではHSPが何故ここまでブームになったのかを分析し、巷にあふれる通俗心理学としてのHSPを学術的HSPと比較しその違いを考察し、最後にHSPがビジネスのために悪用されている現状を述べる。
HSPの提唱者はアメリカの臨床心理学者であるエレイン・アーロンだ。彼女は、シャイな人や内向的な人の背後には、新しく未知な状況において「いったん立ち止まり、指さし確認」をするような心理的特性があるのだと考えた。この心理的特性こそ感覚処理感受性であり、これがいわゆる「HSP」とされる(ちなみに、この研究そのものもエビデンスが弱いという見方がある)。
そこからHSPは、ブームになるにしたがって、「生きづらさ」「感覚の鋭さ」といったプラスマイナス併せ持った性格として紹介されるようになった。しかし、学術的には、感受性が高かろうと低かろうとそれ自体に価値や望ましさはない。HSPはポジティブ・ネガティブ両方の環境から「良くも悪くも」影響を受けやすいだけである。人によって敏感な人と鈍感な人がいてそれぞれにメリット・デメリットがあるように、HSP自体は何らかの価値尺度ではないのだ。
また、繊細さんの本には「高い共感力」「鋭い直観力」といった繊細さんの才能が記されているが、エビデンスはほとんどない。学術的なHSPが単に「感覚の違い」を示しているにすぎないとおり、今ブームになっている「HSP診断」は血液型性格診断の域を超えないのだ。
そして一番の問題は、このHSPブームに便乗して、ネットで誤情報が出回ったり、怪しげなビジネスに利用されていたりすることにある。中には20万円近くの大金を払って「HSP専門カウンセラー」という資格を取れる講座もあるが、そもそものHSPのエビデンスが怪しい以上、詐欺であることは否めないだろう。
HSPがここまでブームになったのは、人々の名状しがたい「生きづらさ」をうまく言語化したからだ。コロナや不景気によって日本社会全体がどこか生きづらくなっている今、その「生きづらさ」に「気質」というラベルを貼ることで、なんだか救われたような気持ちになる。自分は何故こんなに苦しんでいるのか、そして自分自身はいったい何者なのか。そうしたアイデンティティを可視化したいという欲求が、おかしな方向にズレて進んでしまった。それがHSPブームの正体だ。
――HSPというラベルは、それを自認する人にとって、目に見えない「生きづらさ」の原因を言語化してくれます。しかし、HSPがあいまいなラベルとして広まったゆえに、「ストレス」のように良くも悪くも「何か説明した気になれる」言葉としても機能しているのです。自己や他者を説明するには、HSPという言葉は「解像度が低い」と言わざるを得ません。
「繊細さんの本」のレビュー
https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4864106266
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【まとめ】
0 まえがき
2022年現在、HSPという言葉が日本で市民権を得つつある。これはハイリー・センシティブ・パーソン(Highly Sensitive Person) の略語で、心理学をルーツとする言葉だ。文字通り「とても感受性の高い人」を意味する。日本では「繊細さん」という愛称でも親しまれており、密かなブームになっている。
しかし、HSPブームには良い側面だけでなく悪い側面もある。
1 HSPの物語性
世界一受けたい授業やワイドナショー、王様のブランチなど各種テレビ番組が「繊細さん」の本を取り上げたことで、日本でHSPブームが起きた。
HSPの提唱者はアメリカの臨床心理学者であるエレイン・アーロン。アーロン氏は、シャイな人や内向的な人の背後には、新しく未知な状況において「いったん立ち止まり、指さし確認」をするような心理的特性があるのだと考えた。この心理的特性こそ感覚処理感受性(いわゆるHSP気質)とされる。彼女はHSPのポジティブな側面に光を当てたのだ。
2022年現在、GoogleでHSPを検索したときにヒットするのは主に「生きづらさ」を中心に論じるサイトであり、多くが「怪しい」。繊細さの捉えなおし、つまり繊細さの良い側面にも目を向け、繊細さをよりニュートラルに提えたのがHSPの特徴だが、ネットのサイトを見る限り、繊細さの良い側面についての説明はほとんどない。つまり、「繊細であることは生きづらい」 といった、繊細さが捉えなおされる以前の感受性の考え方である。
HSPがここまでブームになったのは物語性があるからだ。HSPが単に生きづらさや弱さを表すだけのラベルならば、ここまで人々に広く受け入れられなかっただろう。しかし、「繊細で人よりも傷つきやすい。でも、繊細であるがゆえに、人よりも物事の良いところに気づき、感動したり共感したりすることができる」というプラスマイナスを併せ持った物語性が、人々を引き付けたのだ。
神経症の観点から見ても、HSPはあくまで様々な性格特性のうちの一つの次元として化されたものであり、発達障害や精神疾患として概念化されてはいない。性格であるため、医師が診断するものではない。にもかかわらず、しばしばHSPは、発達障害や精神疾患の一領域かのように扱われたり、あるいは精神科クリニックのサイトでも病名と並列されたりすることがある。
様々な情報源をもとに自身がHSPであると自認した人々は、 納得したり困惑したりしながら、HSPラベルに沿って意識や行動を変化させている。もしHSPラベルにループ効果(研究や臨床において用いられる概念そのものが人間の行動に影響を与え、それがさらに新たな知識や概念を生んでいく)が働いているのであれば、そうした当事者の変化によって、もともと「HSPである」と考えられてきた特徴自体も変化していくのかもしれない。つまり、HSPラベルは、もとの学術的意味合いからますます離れ、定義がさらにあいまいなラベルとして人々に使用される可能性がある。
2 学術的なズレ
世の中で発信されるHSP情報は、科学的な根拠に基づかないものが多く、いわゆる通俗心理学 (ポピュラー心理学)としてHSPが広まったと言える。通俗心理学には、「血液型A型でふたご座のあなたは、まじめで、社交的な性格です」といった、明らかにエビデンスのない娯楽情報や、アドラー心理学や自己肯定感など、自己啓発本でよく見られるような「それらしさ」や「有用性」の装いをもつものも含まれる。
学術的な心理学におけるHSPは、「感覚処理感受性」という心理的特性が相対的に高い人に、HSPというラベルを貼ることがある。しかし、日本のHSPブーム化ではその専門用語がほとんど登場せず、「生まれ持った繊細さ」という曖昧な説明のみである。
また、書籍やネット記事などでは、「HSPは5人に1人います」「世の中の大多数は非HSPです」と説明されることがあるが、感覚処理感受性は連続的なグラデーション(人によって濃度が違う)であり、あるかなしかの二択ではない。
加えて、学術的には感受性が高かろうと低かろうとそれ自体に価値や望ましさはない。ポジティブ・ネガティブ両方の環境から「良くも悪くも」影響を受けやすいだけである。繊細さんの本には「高い共感力」「鋭い直観力」といった繊細さんの才能が記されているが、エビデンスはほとんどない。ネットには〇〇型HPS診断テストといったタイプ分けのテストが載っているが、研究で使用されているものではなく、妥当性はない。何点以上であればHPSといった基準もない。
HSPは何らかの障害を表すラベルではない。しかし、それが「障害だ」と誤解している人や、逆にHSPを「特別な才能」と信じる人もいる。しかし、HPSはあくまで性格の個人差を記述するために概念化された心理的特性である。こうした勘違いにより、HSPや非HSPの間で差別や偏見を助長する可能性がある。
「人の握ったおにぎりが食べられないからHSP」「電話が苦手だからHSP」「本音を言おうとすると涙が出てくるからHSP」など、あらゆる「生きづらさ」エピソードに「HSP」というラベルが貼られてしまっている。何か調子が悪いときに、すべて「ストレスのせいだ」と原因を求めることと、どこか似ている。
HSPというラベルは、それを自認する人にとって、目に見えない「生きづらさ」の原因を言語化してくれる。しかし、HSPがあいまいなラベルとして広まったゆえに、「ストレス」のように良くも悪くも何にでもとれる言葉としても機能している。自己や他者を適切に理解するには、HSPという言葉は「解像度が低い」と言わざるを得ない。
3 悪しき流行
HSPは医学的ラベルではないため、本来、医師による検査や診断の対象にはならない。それにもかかわらず、一部の精神科クリニックは、健康保険がきかない自由診療のもとでHSPの検査や診断、さらには治療行為を行っている。ある精神科クリニックでは、HSPを脳波で検査・診断することを謳っていた。また、HSPの治療を誘導するようなクリニックもある。
HSPブームでは、ネットや書籍などで「HSPカウンセラー」なる肩書を見かけることが増えたが、専門性の疑わしい講座を5時間受講すれば必ず取得できるなど怪しいものばかり。受講料も高額だ。また、カルト団体やらマルチ商法の参入も確認されている。
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「繊細さん」「HSP」という言葉が社会に浸透したことにより、HSPという言葉は当初の意味を超えて独り歩きし、良い面だけでなく様々な問題を抱えながら今も尚広がっている。そんな「HSPブーム」の功罪、特に罪の部分に着目し読者に考えさせるような内容。
HSPは障害ではなく、気質を説明するツールのひとつであるがその曖昧さ故に「何かを説明した気になれる」という側面。HSPブームその物が世間に蔓延る生きづらさを体現したものであるという視点がすごく興味深かった。
私も性格診断で自身を分類することで心理的安心感を得た経験がある。これは私だけでなく、HSPを名乗る人達も自分の生きづらさに名前をつけることで心理的安心感を得ているのかもしれないと思った。MBTI診断が流行ったり、今もなお個人の気質を分類する風潮がなくならないのもこれに通ずるものがあるのかもしれない。
根拠のない心理カウンセラーやカルトじみた専門家がマスメディアSNSで気軽に情報を発信できるという問題点。それによりHSPの人が搾取される現状。曖昧な情報に流されないように情報を取捨選択していくとこが大切だと思った。
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初めてHSPという言葉を知ったときの安堵感ははっきりと覚えている。これはまさに私の話だ! と思った。こんなふうに生きづらさを感じているのは私だけじゃないし、大多数の人たちにこの生きづらさが理解されないのは仕方がないことなんだ。そして繊細であること、敏感であることはある部分においてはメリットにもなりうる。そう知ってうれしくなった。HSPを自認していると楽だった。些細なことに傷ついても、私はHSPだから仕方ないと思えた。HSPを悪く言う人たちは「繊細」じゃないから、この生きづらさがわからないんだ、わかりあえないのは仕方がないことなんだ。そう思っていた。
それはもしかすると認知の歪みなのかもしれない、と気づいたときに出会ったのがこの本だ。
HSPそのものが嘘だとは思わないし、この本の著者も嘘だとは言っていない。でも、いま世間でいわれているHSPの話は学術的に間違っている部分があったり、誇張されていたり、個人の経験にしか基づかない情報だったり、ときには搾取しようとする思惑まで混ざっていたりする。そういう側面をしっかり理解したうえで、あくまでも「正規分布のうち、相対的に見て片方の傾向が強い」というだけの位置に自分はいるんだということを認識していたいと思った。
なるほどなあと思ったのは、特別視の部分。HSPは5人に1人といわれているけど、5分の1って確かに絶妙な数字だ。私だけじゃない、でも多数派とは違う、という感覚って確かに「私は特別な存在なのかも」と思い込ませたり、ひとつの考え方に傾倒したり、無意識のうちに偏見を生んだりする要因になりかねないと思う。
自分を誰かにラベリングしてもらうのは楽だ。でも、HSPは特別な能力じゃないし、非HSPとまったく異なる性質を持った人間でもない。メリットもあればデメリットもある! というところをフラットに捉えて、HSPを言いわけにしすぎず、情報を歪みなく受け取れるようになりたいなあ。「自分はHSPの当事者だ!」と強く思っている人にほどおすすめしたい一冊。
【読んだ目的・理由】HSPについて正しく理解したいと思ったから
【入手経路】買った
【詳細評価】☆4.0
【一番好きな表現】必ずではないでしょうが、「HSPは特別、才能」といった考え方には、「HSPではない人は特別ではない」という無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)が隠されている場合もあるかもしれません。(本文から引用)
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HSP(Highly Sensitive Person)気質のことを心理学概念としては感覚処理感受性と称するのだが、所謂「繊細さん」というような安易な言い換えで、妙に興味を持つ人が増えたことに対応して、本書で専門家が正しい知識を教えてくれる.心理学では人の性格を理解するのに「ビッグファイブ」という枠組みを使用する由.これらは、外向性、神経症傾向(情緒不安定)、勤勉性、開放性、協調性の5つで、HSP気質はこれらには含まれない.HSP気質を診断する手立てはまだないにもかかわらず、それらしく診断して「何か説明した気になれる」ことで、暴利を貪っている輩もいる.心理カウンセラー資格は、臨床心理士と公認心理士の2つだけで簡単に取得できるものではないことも紹介されている.騙される人が多いのだと感じた.
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HSPが急速にブームになり、その後、炎上とまではいかないまでも「敬遠」の動きが見られ始めたことに疑問を感じ、この本を手に取りました。
・HSP(繊細さん)の医学的定義と実際の広められ方の差による問題
・HSPを呼び水にした詐欺や新しいビジネス
・教育現場にHSC(HSPの子ども版)が広まることで起こる弊害
・HSPを定義したことによる分断
・治療を謳うクリニックの危険性
など、「そういうことか」と腑に落ちる形で、客観的に記載されています。
HSPという場所に“所属”する一員になることで安心したり、メリットがデメリットを上回る人はいるのだろうと思いますが、ふわっとした定義で「血液型占いのよう」と言われるとなるほどそうだな、と思います。
本書では、いろいろな問題が挙げられているのですが、私が特に問題だなと思ったのが、HSPがいわゆる繊細な人を助けるだけで終われるならよいのに、それだけにとどまらず、「HSPが非HSPを見下したり、分断を生む」というところです。
以前読んだHSP関連本で私が感じていた違和感の正体はここにありました。
理解してもらおうとするその形が、「あなたたちとは違うから」という成分をふんだんに纏っていると、それは分断を生むしかなくなってくるし、それは間違った方法でしかありません。
これはHSPの診断基準とか悪質なクリニックが、という問題とは一味違ったものではありますが、どんな分断にも共通点がありそうで、個人的には一番気になりました。
岩波ブックレットというシリーズでページ数は少ないながら、コンパクトに分かりやすくまとめられているので、気になる方は読んでみてください。
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この本は、HSPを疑う方にぜひとも知ってほしい一冊。購入には踏み切らない方も、下記に筆者のサイトがあるので覗いてみてほしい。
https://www.japansensitivityresearch.com/about-us
抑うつ初期に私も「HSPやん」となった1人。そのときは他人と違うことが分かっただけでも気持ちが助かった。後日めでたく双極と発達障害と診断。風邪かな?の疑いが肺炎だと分かったようなもの。
本書を読んで振り返ると、当時HSPに抱いたどことなくの違和感、でどうしたらいいの?というような心許なさが明快に説明されていて、すっきりした。
私の妻もHSP自認で、娘は自閉症スペクトラム(ASD)。妻はガチャン!というような衝撃音に過度にイライラしてしまう。娘は環境音を拒絶したくて癇癪を起こすのでイヤーマフがある。
生き物の面倒見がよい妻。絵が上手い娘。
筆者によると似たようでいて比較できないもので、感覚過敏でくくってしまうと解像度が荒くなる。前者は性格、一方は障害。障害には科学的エビデンスが豊富にある。注意すべきはHSPのどこまでがエビデンスがあり、どこからないのか境界があいまい。
たとえ性格とは言っても、そのせいで心を病んでしまったら治療は必要だし、治ってもまた落ちないようにHSPをコントロールする術はいる。
筆者が言うには、もし生きづらさを抱えていて、HSPの病院を探すのであれば「Google検索でHSPと検索してヒットしない心療内科へ行くこと」とのこと。これは分かりやすい。と同時に残念な現実だ。
ブームに乗っかる怪しい商法。その実例を提示して警鐘を鳴らす。
ここまで広がったHSPブームは、裏を返せば社会が必要としていたともいえる。「病院に行くほどではないが、人と違っていて疲れる」という多くの人にとっては、私HSPかも?と自己受容できる可能性のある、包容力をもった言葉でもある。だからこそ冷静に情報選択をしていきたい。
全体を通して私のような素人でも読みやすく、オープンソースを示して説明してくれる良著。もっとしっかり人にも説明できるよう二度読み中!(まず妻に)
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中立の立場で、優しい口調で、わかりやすい。
1つの心理学概念が、どのように社会に受け入れられ浸透していくのか、その時に注意することは何か。
といったことが書かれている本。
HSP自認の方も、そうであって欲しい方も、あまり良いイメージがない方も、どなたでも読めると思う。
それぞれの立場に示唆のある良書。
受け取り方は人それぞれだけれど、個人的には大いに賛同する。
知識と知恵って本当に大事だなと思わされる。
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『ブーム』、第2章で取り上げられる『ラベリング』、第3章の主題『消費』という言葉にあるように、HSPもまた高度消費社会の産物なのかもしれない。この本はHSPの功罪に焦点を当てており、是非を問うものではないという点で中立的な解説がなされていると感じた。
おわりにの部分で『なぜHSPはブームにならざるをえなかったのか』という問題提起があるが、まさに問題の本質はここにあるのでは。日本社会が抱えてきた「生きづらさ」、2020年のコロナ、マスメディアの影響力。HSPを巡る問題は、単にひとつの流行として捉えるよりも多くのことを示唆していると思う。