紙の本
「日中蜜月」はいかに築かれ、そして溶解したか
2006/09/08 12:20
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて、日中関係がとても良好な時代があった。
こんなことを言っても、今の大学生ぐらいの若者にはちょっと想像がつかないかもしれない(なんて書くといかにも自分がおじさんになったようで気分が落ち込むが)。
サンフランシスコ講話条約締結時、アメリカの圧力により台湾の中華民国政権と国交を結んで以来、日本は長らく中華人民共和国とは正式な国交を持たない時代が続いた。しかし、その間も、中国に対する大きな関心と侵略への贖罪意識を持つ日本の財界人や元軍人、あるいは中国側の「対日工作者」たち(その証言については水谷尚子『「反日」以前』に詳しい)の努力によって、民間の交流のパイプは脈々と築かれてきたのだった。その努力が、米中国交正常化を受けた電撃的な72年の日中共同宣言の締結へと結びついていく。
もちろん、国交が正常化したからといって両国の間にすぐに「和解」が訪れたわけではない。当時の日本政府の姿勢は中国との関係改善がアジアの国際秩序の安定に役立つ、というプラグマティックなものであり、戦争責任について明確な考えがあったわけではなかった。また、日本から好意的に受け止められた中国政府による賠償放棄も、広く中国国民の支持を得たものであるどころか、実際には毛沢東と周恩来というたった二人の指導者の独断により決定されたのに近かった。それは米中交渉と同じく、悪化する中ソ関係をはじめとした厳しい国際状況の中での政治的判断だった。その賠償放棄が、日本を台湾との断交に踏み切らせるためのカードとして用いられたことも、今では明らかになっている。
「72年体制」とも呼ばれるこの時期に形作られた日中関係の枠組みは、大平内閣の時代における円借款の開始、および親日的な指導者、胡耀邦の努力などにより80年代にピークを迎える。青少年の相互訪問プログラムなど、両国間の人的交流も進んだ。まさにこの時期には「日中の蜜月時代」が存在したのだ。
が、周知のようにその後日中関係は悪化の一途をたどっていく。中曽根首相の靖国公式参拝とそれに対する中国側の反発、胡耀邦の失脚、天安門事件による強権の発動、中国の核実験と日本の抗議、中台間の緊張、そして反日デモ・・表面的な事実をならべればこのようになる。
しかし、両国の関係悪化の根はより深いところにある。中国について言えば、まず挙げられるのが国民の権利意識が高まり、かつてのように一部の指導者が勝手に政治を動かせるような状況ではなくなったこと。このためかつての賠償放棄への国民の不満が、一連の「反日」の動きとして顕在化してきた。次に、冷戦の終結とソ連の崩壊。ソ連という最大の脅威が解体したことで、日本との友好関係を維持することの意義が相対的に弱まったことは否めない。そして、台湾情勢の変化。中台間の対立は、かつての「一つの中国」の正統性争いから、次第に「台湾人」としてのアイデンティティをめぐるものに変化していった。これは当然、台湾とも深い関係を持つ日本と中国との関係にも影響を及ぼす。
これらはいずれも、かつての「蜜月時代」の枠組みを提供してきた「72年体制」の揺らぎを意味するものである。このようにして高まってきた「反日」の声に反応する形で、日本の国内でも中国・韓国に対する対抗ナショナリズムが力を持つようになる。
こうしてみると日中関係の将来は決して楽観できるようなものではない。しかし、その問題がどこにあるのか正しく認識されれば、なんとか解決策も探せるに違いない。新たな関係を模索するための出発点として、本書は最適の一冊である。
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「あるべき日中関係」よりも前に、「現実にあった日中関係」、「現実にある日中関係」を描くことに努めた・・・著者のそんな想いがひしひしと伝わります! 今年一番の良書!と評しても良いでしょう!マジメに日中関係を考えたい人は是非一読を!
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語学のレポートの課題図書。正直、語学でレポートって詐欺だと思う。近年悪化の一途をたどる日中関係の綻びの指摘・解決策を筆者の視点でわかりやすく書いてあります。おすすめ。
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本書を通して中国にとって台湾問題が重要であるかを理解した。日本と中国の歴史認識の違いについても改めて勉強になった。それにしても中国は早く民主化すべきであると思った。
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日中関係は戦後どのように構築され、どう変遷し、現在はどういう状況で、これからどうなっていくと思われるのか
という話。
戦後の日中関係を規定したのが冷戦と台湾問題、それに関ってくる米国。
当時の日本の首脳陣は地政学的観点から中国に敵対はしたくない⇒米国の圧力で台湾を国家として認める
中国も台湾問題の観点から日本を味方にひきいれたい⇒賠償放棄
アメリカは中国の共産党政権を封じ込めたい⇒日本と台湾が友好条約を結ぶべき
(⇒台湾も自身のおかれる立場から日本への戦争賠償放棄)
長崎国旗事件で国家間でのやり取りは減少するものの、民間でのやり取り継続
1972年に日本と中国で国交回復
対中ODAスタート、中国へのODAの5割ほどを日本のODAが占める。
蜜月関係へ
中国の台頭と、インターネット普及や経済発展による日中関係の構造的変化
(今までは日本政府と経済界、民間と、中国政府のみが関っていたところ中国の経済界や民間も関るようになってきた)
それに伴い、感情論の蔓延(歴史問題、批判されるから怒る日本)
⇒歴史問題に対して中国政府は、日本の戦犯と日本国民そのものは責任をわけて考えるべきだという立場を取ってきたが、
中国の民間にはそれは受け入れられないという姿勢が鮮明になってきた(靖国参拝問題)
日中は今後ライバル関係へ?(著者が一番求めない結論)
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かなり中立的で良書。その分単調で真新しいことはないが、日中関係について間違った本がずらりと店頭に並んでいるのを思うと、これは人々に読まれるべき本と確信する。
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またまた忙し期間に入ってなかなか読めなかった本。
これからしばらくはゆっくりと読む時間もとりたい。
内容は戦後50年代〜06くらいの日中関係。
戦後直後の国交のない時期、
72年国交正常化後の蜜月期
80年代後半からの構造変化の時期
そして近年へ
流れがわかりやすい。
それぞれのステージにおいて、外交政策が挙げられている(初学者なので十分かつ偏りがないかはわからないが。)
中国国内での政治的変化も手に取るように理解できる。
日本国内の世論の動きにあまり触れないのは残念。せっかく国内の世論の重要さについて強調しているのに。
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本書では、戦後の中国外交について、2005年の反日デモまでが扱われていた。2005年時点では、反日デモなどで日中関係は冷えきっていたが、2006年の安倍内閣成立以降、毒餃子問題などはあったものの、日中関係はおおむね改善の傾向をみせている。首脳同士の交流が活発に行われるようになり、戦略的互恵関係が推進されている。筆者が言うように、日中関係は「再構築」への道を歩んでいるといえる。
本書を読んで感じるのは、日本の対中外交が、いかに対米関係や国内政治に規定された受動的なもので、主体性や大局観に乏しいものであったかということである。小泉首相の靖国参拝による対中関係の悪化はまさにその顕著な例である。一言付言しておくと、私は、筆者とは靖国参拝に対する意見を異にしている。私的に首相が靖国神社を参拝すること自体は信教の自由の範囲で認められるものであると考えるし、靖国参拝=A級戦犯への参拝=戦争の肯定という意見には与しない。しかし、政治家は責任倫理を求められる存在であり、自らの言動がどのような影響を及ぼすかを自覚して行動しなければならないと考える。その点で、小泉元首相の靖国参拝を首肯することはできない。筆者がいうように、「国のリーダーが「文化」で相手国国民の情緒的な民族主義を煽ってしまうほど下策はない」と考えるのである。
現在の日本における中国論は、イメージや感情論にもとづく根拠に乏しい脅威論や敵視論が目立つ。確かに、中国側に日本に対する無理解や対抗心がないわけではない。しかし、外交は相手あってのものであり、多少気に入らないところがあっても、地道に相手と向きあっていくこと以外に道はない。子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。中国の日本に対する無理解を批判するのはたやすいが、まずは日本が中国をちゃんと理解できているのかを問い直すべきではないか。日本が、等身大の中国を理解し、そのうえで主体的に中国と向き合うことが、今後、日中関係を再構築していくうえで、もっとも肝要であろう。
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早稲田大学政治経済学術院教授(現代中国論)の毛里和子の著書。
【構成】
第1章 冷戦のただなかで
1 サンフランシスコ条約と日華条約
2 戦後日本の「脱アジア」と対中政策
3 中国の対日基本政策
4 民間貿易とその役割
第2章 日中正常化への道
1 米中の和解
2 日中正常化のプロセス
3 正常化をどう評価するか
第3章 中国の近代化と日本
1 中国の改革開放政策
2 中国の近代化政策と日本の援助
3 歴史をめぐる摩擦
第4章 構造変化する日中関係
1 ポスト冷戦と新たな争点
2 「戦後は終わった」のか?
3 中国の新民族主義と「対日新思考」
4 日本の新ナショナリズムと中国
第5章 新たな関係へ-パートナーになりうるか
1 2005年反日デモ
2 悪くなる相互イメージ
3 日中間の新たな争点
4 日中関係の新構造
5 日中関係の再構築のために
第1章から第2章は1945年から1972年までの歴史過程、第3章以降は1980年代から現在に至るまでの近況を総括的に述べている。
個人的には前半2章は面白かったが、後半になると淡々とした事実経過を語るというよりは、ジャーナリズムで取り上げられる諸問題をやや学術的に考察するぐらいの幾分紋切り型ともとられられるような内容。
本書で大きな問題となるのは、やはり日中の戦後補償、賠償問題となってくる。筆者によれば、日中国交正常化の過程で毛沢東・周恩来の個人的な発想として持ち出された「賠償放棄」と「軍国主義者と一般国民を分かつ二分論」は中国国民のコンセンサスを得たものではなく、72年以降、日本の態度に中国国民が不満を持つ一つの要因となっている。
筆者は戦前の歴史には一切触れることなく満州事変以来の15年間の戦争に対する賠償について議論するが、こういう重要な議題は、まず国際法上の大日本帝国の責任と政府が負うべき賠償の範囲というものを明確にしておくことが必要ではなかろうか?
中国政府や明らかに思想的にバイアスのかかった研究機関の試算数値ばかりを引用して賠償額を論じる姿勢は、少し軽率だと感じた。
また、後半全体に関わる問題だが、資料公開上の制約が大きいためもあろうが、1980年代以降の中国指導層の対日政策がよくつかめない、趙紫陽や胡耀邦が穏健な政策をとったという程度のことはわかるのだが、それがどのような政治的背景を持っていたいのか、あるいは鄧小平以後の世代の指導者の対日姿勢の分析など議論をつめる部分は多々あったはずだが、それもない。
日本の政界・財界・民間は、国交回復以来ODA以外にも様々な政治、経済、文化の交流を推進してきたはずだが、靖国や水掛け論的な歴史認識問題など日中間の友好関係構築からすれば取るに足らない問題ばかりが政治の議題にのぼり、このような文献ですらそれに紙面を多く割く。日中関係論の概説としては片手落ちという印象がぬぐえない。
もう少し大局的に日中関係を論じる姿勢がジャ���ナリズム、アカデミズムにもあってよいのではないだろうか?
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日中関係を近代史から紐解いた新書。2006年に書かれた本なので、その当時の感覚が伝わってくる。ちょうど反日デモが中国で繰り広げられ、日本人の中に中国に対する嫌悪感が広がった時期。また、同時に不況にあえぐ日本にとって、中国との経済関係が重要になってきている時期。
本書では、GDPが2020年になると中国に抜かれるのではとのんきな論調で、まさか現在のような急激な発展を達成するとは想像できなかったに違いない。中国側が、靖国問題を提起し、賠償問題を再燃させる一方で、外資資本の受け入れに躍起になっていたことや、ラディカルな統制で中国国民を統制する技術は本当に素晴らしいものがある。北京オリンピックと上海万博で、中国が世界の中心であることを国民に植え付けることにも成功した。
一方で日本は、反日デモのショックで中国に対するイメージはどん底となったが、それがリーマンショック後の経済で最も重要な役割を演じた中国に対する対応の脆さにつながっている。歴史をみても、カネ、モノ、ヒトの順に水準が上がってくるはずだから、もう少しすれば文化的な人間も出てくるはず。それを楽しみにしよう。
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戦後日本と中国との関係は、日中の二国間だけで考えるよりも、日米あるいは日ソ、米中、米ソといった関係を知ることで理解が深まるのではないかと思う。しかしどちらにせよ、国交に関して学ぶことと、その国の歴史について深く理解することとは、別物であり、後者の努力なしには「親」も「反」も安易な観方を身に付けたくないものだ。
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21世紀に入って時あで地域主義が強まるのは、1997年の通貨危機で東アジア諸国の一体感が強まったこと、アジア通貨基金など日本がアジアで初めてイニシアティブをとったこと、アジアの大国に躍り出た中国が新地域主義外交に転じたため。だが、地域の核心となる韓国中国との和解が終わっていない日本が対米機軸をいっそう強めれば、日本はアジアの一員なのか、という問いを再び浴びかねない
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日中関係に知りたくて読書。
非常に中立的で読みやすい印象。好む好まざるに関係なく今後も付き合っていく必要がある日本と中国。経済については一蓮托生の存在となりつつある。
日本は戦後はすでに終わっている認識。中国は戦後はまだ終わっていない認識は、なるほどと感じる。
日本のためにもどうやってバランスをとっていくのかが大切となると思う。
日中戦争終結後からの日中の通史を知ることができる。特に2005年の反日デモの背景、内容、その後の動きは改めて勉強させてもらうことができる。
靖国神社の問題は著者の意見に賛同する部分がある。中国側へ配慮することは決して日本として先人をないがしろにするような問題ある行動とは言えず、むしろ現実的な対応とも思える。
本書は日本領事館大連出張所でお借りしています。有り難うございます。
読書時間:約50分
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日本が戦後に平和条約を結んだ相手は、中国ではなく台湾であり、蒋介石は日本人戦犯に対して寛大だった。この事実は当然中国国民の強い反発を招いた。しかし、当時の日中関係は①冷戦(対ソ戦略上の理由)②対米関係(対ソ戦略上の理由で対米和解に近づきたく、連合国が日本に寛容で米国の対日政策は重視しなければならなかった)③対台湾関係(日本と台湾を引きはがして日中関係を構築したかった)に強く制約されていたことや、毛沢東が日本軍国主義者と日本人民を区別していたことなどから、日本が体中国侵略戦争を深く反省することを前提として、中国は対日賠償請求を放棄し、中国が日本に譲歩する形で日中国交正常化に至った。これらはほとんど毛沢東や周恩来の2人だけで決断され、中国国民との禍根を残すことにもなった。
しかし、、特に90年代半ば以降、首相らの靖国神社参拝や日本政治家の侵略戦争を否認するような発言、歴史教科書問題などにおいて、日本人の戦争観の変容を意味するイデオロギーの内実が公に露呈するようになり、中国人民側の反発を招いているというのが実情だ。