紙の本
見習いたい精神
2007/08/29 04:28
15人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
安倍晋三改造内閣がスタートした。マスコミ流に命名させてもらうと「悪あがき内閣」と言わせてもらいたい。
今、「悪あがき」という言葉が最もあてはまる人物は、安倍晋三首相であろう。
先の参議院議員選挙で、明らかに民意にノーを突きつけられてからも、まるで”だだっこ”のように政権に居座り、文字通り「悪あがき」を続けている。
私の政策が国民に理解されているだの、抽象的な発言ばかりで何ら具体的な総括もせず反省も述べないままでの居座りは、悪あがきを通り越して犯罪的ですらある。
いくら内閣を改造しても内閣の総括たる総理大臣が理不尽な悪あがきを続けていたのでは、なんら新鮮味は無い。
個人や一企業の問題ではない。国の首相である。一国の首相の悪あがきは、全国民に不利益をもたらす。この悪あがきだけは一刻も早く止めて欲しいものである。
さて、それとは対象的に、本書のタイトルどおり「すすめられる悪あがき」がある。それは、先の安倍首相とは全く逆の立場の人たち、すなわち、社会的弱者、虐げられる人たち、差別される側の人たちの悪あがきである。
一般論的な言われ方で日本人は、従順で、大勢順応的とされている。「長いものには巻かれろ」「出る杭は打たれる」のが日本流である。
そんな日本流でこれまで得をしてきたのは誰か。たいていの場合、支配する側・差別する側・社会的強者たちであろう。持つ者が持たざる者の従順につけこみ、一層、持つ者と持たざる者の格差が拡大する。この人権無視の悪循環をどこかで断ち切るためにも必要とされる悪あがきがある。
著者は、著者の言葉を借りれば、「女で、学歴も無く、在日で」差別される側の要素をことごとくあわせ持つ人格である。本書の端々からもうかがえる著者の生き方は読むものに勇気と自信を与えてくれる。著者の強靭な精神を見習いたい。
紙の本
好き嫌いは別として負けん気だけはすごいと思う
2010/02/19 00:25
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
朝鮮人で、女で、学歴がないという、日本社会では不利な条件を持ちあわせた著者が、身をもって体験してきた生き抜く知恵がつまっている。それは書名にある「悪あがき」だ。
味わいのある数々の悪あがきが披露される。時には胸のすくような、時には唖然としてしまうような悪あがき。
そうした生き様を見せられると、日々の生活で「自分は今、がけっぷちだ」などという弱音が、相当に甘いと思い知らされる。著者は、冒頭の3条件のおかげで、まともなスタートラインにも立てないのだから。そこを突破する力が悪あがきだ。
ただし、著者は相当に負けん気が強い。鼻っ柱が強い。喧嘩っ早い。へたに真似して、もかえって悲惨な状況に陥りかねないので気をつけたい。
著者自身の経験談だけでなく、同じように悪あがきをする数々の人が紹介される。難民認定をもとめて座り込みをするクルド人の家族のこと。富士のすそ野という自分たちの奪われた土地を取り返そうと、自衛隊だろうと米軍だろうと、執拗に食い下がるおばさんたちのこと。
うーん、世の中にはすごい人たちがいるものだ。こうした執念は追い込まれた人間から出てくるものだろう。
当初は、著者のことを朝鮮人だから、女だからとはじき飛ばしていた人たちを見返すような活躍を十年がかり、二十年がかりで成し遂げていく。「不屈の闘志」とはこの人のためにある言葉だろう。
きれい事ではすまない、社会的弱者の死にものぐるいの闘いがそこにはある。決して美しくはない泥まみれの闘いだ。
著者のようには容易にやれないだろうが、こうやって不利な条件をはねとばしてきた人間の強さには敬服する。
著者のような人物には好き嫌いが別れるかも知れないが、そこは置いておいて、突き抜けたものがあるのは認めなくてはならない。
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一人ひとりは非力ではあるが決して無力ではない。「悪あがき」も積み重ねれば、社会を変えられる。少々意見の違いはあるが、自公政治の中で「悪」とレッテルを貼られている身には元気の出る内容でした。
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世の中には大変な思いをしている人がたくさんいる。そしてそこに当事者意識を持つことが出来る人が、少なからずいる。私も、色々なことに当事者意識を持てるようになりたい。心がけ次第。多分。だけど、それって楽なことじゃない。責任を持つことって。だけど、悪あがきを出来るような、そんなかっこいい人間になりたいなぁ。やれることして、やれることからして、思考停止の世の中から抜け出して、生きていかなくては。
ところで冒頭から。。。共感。(笑)姜 尚中と仕事で一緒になったという冒頭エピソード「姜さんが「六カ国協議が」と言おうが、「お腹がすいた」と言おうが、話の中身には関係なく、なんだか懺悔室で神父様のお言葉を聞いているような、ありがたい気持ちになってくる。」ねぇ。姜 尚中。低音かっこ良いし!(笑)
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。「あきらめない」「へこたれない」で自分を貫き通す秘訣を公開した本。
初めの辺りは思わず笑みがこぼれるほどからっとした内容、それ以降はじっくり考えさせられる内容だった。
「悪あがき」というのは従来はみっともないイメージだ。辛さん自身の行動や、さまざまな地域の、元気な、息の長い市民運動を具体的な紹介から「じたばたしているとそのうち何かがつかめてくる」ことを教わった。
運動をする人は総じて明るい。初めは戦いの素人だからじたばたはするけれど、動き出すと人とのつながりから思わぬ智恵が生まれ、元気が出る。かならずしもうまくいく訳でもないが、少なくともじたばたしないよりはましだ。肩肘を張らない運動の勧めだ。
しばらくアメリカでも活動していたそうだが、「自分の生まれた場所で戦わなくては」と思ったそうだ。アメリカにも拠点を置き被差別日系のネットワークを秋から始めるとのこと。
www.shinsugok.com
作成日時 2007年08月26日 03:51
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「悪の根元としてもっとも悪しざまにののしられ、価値を剥奪されている存在とはなにか。結局のところ、それは「弱いということ」ではないだろうか。」
なぜ、弱さが疎まれるか。それは、弱さは人の進歩を妨げると考えられているからだ。その考えの元は弱肉強食の野生であり、自然淘汰の自然になる。人間を生物ととらえた場合、弱きものは消え行く宿命にある。
それでは、正しさはなぜ、弱さを守ろうとするのか。それは僕たちが人間でいるためだ。ほとんどの人は善良な市民だから、弱さという価値を剥奪しようなんて考えてもいない。けれども、強く生きるための代償が弱さの剥奪なのならば、誰しもが迷うことなく弱さから目をそらすだろう。
「世間が許そうと、私の中の「人間」が決して許さないのだ」
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朝鮮の人の著者が、自身の経験や、歴史上の事実をふまえて、長い期間物事に取り込むことの大切さを説いている。その行為を、この著者は悪あがきという言葉を借りて表している。
一番印象的だったのは、いじめに関して述べられていたところ。いじめられている友達を助けないと答えた子どもたちに対して、大人が言うべき言葉は、「ごめんね」だと述べているところである。大人が弱者を排除する姿を子ども達に見せていることが問題であるというのである。
自分はこの意見に賛成である。
物事には必ず、因果関係がある。
原因を正さない限り、結果は変わらないのである。
著書から話が反れるので、これ以上はやめる。
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きっちり読もうとするとけっこうきつい話もある本だと思います。
さらっととりあえず読んだという感じ。
タメになるし、視野を広げるためにも読んでおくといいと思うのだけれど、心が弱いときに読むと折れそうになるなぁと。
悪あがきをしないと変わらないというのは本当にそうだと思う。
物わかりがいい振りをしてしまう私には痛い話ですわ。
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[ 内容 ]
何とも息苦しく、生きにくい時代がやってきた。
そんな世の中に抗おうとすれば、どうしても「悪あがき」になってしまう。
身をすり減らさずに、効果的に相手と「闘う」にはどうしたらよいのか。
何があっても「へこたれない子」だった辛さんが、楽しく悪あがきを続けるコツを伝授する、元気の湧き出るエッセイ。
[ 目次 ]
1 悪人礼賛!
2 私の悪あがき人生
3 悪あがきは孤立しない
4 泣き寝入りをのりこえて
5 悪あがきにもコツがある
6 真剣に、そして一緒に楽しんで
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「悪あがき」という言葉を私もポジティブな意味でよく使いますが、その根拠となっている本です。朝鮮人で勉強は嫌い、負けん気だけは人一倍だったという著者が「悪あがき」の仕方を指南してくれます。(現在は会社経営、人材コンサルタント、大学で講義等、様々な顔を持つ女性だそうです)
・悪あがきは決して孤立しない
・大勢を前にして怒ると、相手は暴走しない
・悪あがきは周りの人たちを教育する
・悪あがきは人を輝かせる
・悪あがきは希望をもたらしてくれる
との事。そしてその悪あがきのコツとは
1, あせらず、力を抜いて
2, 肝を据えたらハチャメチャも出来る
3, 自分だけのこだわりを大切に
などだそうです。本書を読んで「悪あがき」という言葉が私は好きになり、今や自分の言葉であるかのように使っております。著者の勇気やパワーが、私にも伝わりますようにとの願いを込めながら。
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こちらの本、ブクログ登録日は2013年12月4日ですが、レビューを書いていなかったので、本日(2021年7月11日)書きます。
著者、辛淑玉さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。
辛 淑玉(シン スゴ、日本名:新山 節子(にいやま せつこ)、韓国語:신숙옥、ラテン文字表記:Shin Su-gok、女性、1959年1月16日 - )は、在日韓国人3世(大韓民国国籍)の人材育成コンサルタント、フリーライター、政治活動家。のりこえねっと共同代表、TRAI(Trans-pacific Research and Action Institute for the hisabetu-nikkei)東京代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人。東京都渋谷区笹塚出身。
こちらの本の内容は、適当なところからコピペすると、次のようになっています。
何とも息苦しく、生きにくい時代がやってきた。そんな世の中に抗おうとすれば、どうしても「悪あがき」になってしまう。身をすり減らさずに、効果的に相手と「闘う」にはどうしたらよいのか。何があっても「へこたれない子」だった辛さんが、楽しく悪あがきを続けるコツを伝授する、元気の湧き出るエッセイ。
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腹が立つこと、許せないこと、そういったことに対抗する手段はデモや集会ばかりではない。できることを「悪あがき」として続けることによって、自らの思想を形にする。周囲の同意が常に必要というわけではない。自己満足でもいいのだ。続けることによって自分が変わり、場合によっては周囲も影響を受ける。行動範囲が広がることによって、邪魔されることもある。しかし、それは自分の思想が実体化した証拠でもあるだろう。辛さんの主張には「何もできない」とは言わせない迫力がある。これからはますます自己表現がしにくい状況になってくる。それでも「悪あがき」の手段はいくらでもあるということは覚えておきたい。
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▼私の辞書には、「あきらめ」「見放し」「奴隷根性」はない。
私にとって、どんなにブザマであろうが、どんなに微力であろうが、あがき続けることが生きることなんだと思った。(p.iv、はじめに)
巻頭にそう書く辛淑玉さんが、自身をふくめ、ジタバタを続けている人たちのことを伝えるとともに、泣き寝入りせず、あせらず、楽しんで「悪あがき」を続けるコツを指南する。
こんな人がこんな風に生きてはるんや…と思った。黙っていては自分が許せないと、クルド人難民の一家とともに入管とたたかった公立高校の先生、東文男さん。熊本で在住外国人の人権相談や人権擁護活動をやっている筋金入りの現実派、中島真一郎さん。
東文男さんが、教え子のカザンキラン一家、そしてドーガン一家の2家族のために始めた署名集めに、6万人でストップをかけたという、現実認識。
▼6万という数字は膨大である。そこまで集めたのは、最初の難民のときは1万5000で法務省が動き、次が倍の3万だった。となれば今回は6万なければ、動かないと判断したからだった。彼はそれをやり遂げたと同時に、それ以上集めることはしなかった。次の難民のハードルが高くなるから、という判断である。(p.62)
中島さんは、負ける経験も大事だと語る。
▼「負けた経験? そりゃあ、いっぱいあります。負け続けてきたことの方が多いぐらいです。もちろん、その経験は大事。だって、負けると、考えるから。負けながら、そのつど、どうしたら次はうまくいくかを考える。一度目の申請ではダメでも、二度目、三度目と挑んでいくと、認められていくこともあるしね。経験を積んだせいか、このごろは負けにくくなってきました」(p.75)
そんな人たちの活動のやりかたを紹介して、辛さんは「悪あがきのコツ」を7点あげている。
・あせらずに、力を抜いて
・自分だけのこだわりを大事にする
・肝が据わっていれば、ハチャメチャもできる
・ああ言えば、こう言う
・ときには運も味方につける
・「私はここにいます」と発信する
・日和見だって、悪あがきになる
この最後の日和見については、左翼教条主義のせいで「日和見はよくない」という考えが広がったが、そうじゃない、日和見はエコロジーとエコノミーだ、「今の自分の力やその時々の空気を読んで自分の姿勢を変えたり、出したり引っ込めたりすることは、人間の知恵なのだ。それこそが生きる力になるのだ」(p.153)と辛さんはいう。
▼なにが正義で、どう行動すべきか、その理由と理屈を考えることはたやすい。
難しいのは、人びとが行動しない理由を考えることであり、なぜ人びとが正義に従わないかを考えること。そして、不正義を前に、じっとこらえつつ、逆転の時機をつかみとること。それこそ、ほんとうの悪あがきの力なのだと思う。(p.154)
「「やれること」は自分が決める」という小見出しのところには、母がほんのすこし関わった住友裁判のことも書かれていた。「世にいう住友裁判の前史は、まず1992年、住友生命の女性たちが既婚女性の雇用を差別する企業体質に異議を申��立てたのがはじまりである」(p.157)という、ここのところだ。
かつてこの会社で、結婚しても子どもを産んでもやめないうえに組合活動に熱心だったという母は、通えないような遠方へ配属変更をされて、これでは身体を壊してしまう、とても勤め続けられないと辞めたのだった。昔の同僚たちが裁判に訴えたときに、母は自分の経験を陳述書に書いたと聞いた。
こないだ読んだ『ニッポン日記』(占領下の日本の実態をアメリカの新聞記者が描いたもの)にも、いまの憲法ができてきた状況が書かれていたが、この辛さんの本にも、こんなことが書いてある。
▼憲法学者の古関彰一さんによると、アメリカは、天皇を占領統治に利用するために天皇制を存続させなければならず、それを周囲に納得させるために戦争放棄の九条を加えた日本国憲法を作り、そしてその直後から、日本を再軍備させアメリカの下請けとして働かせるために動きはじめていたという。(p.93)
古関さんには『日本国憲法の誕生』とか、『憲法九条はなぜ制定されたか』といった本があるらしいので、これはこんど読んでみたい。
(7/6了)
*東文男さんのこと
クルド難民強制送還事件:国、国連、市民はどう動いたのか(難民支援協会)
http://www.refugee.or.jp/jar/10yrs/4-1.shtml (前編)
http://www.refugee.or.jp/jar/10yrs/4-2.shtml (後編)
「難民だからというよりも、むしろ一人の人間として彼らを放っておけなかった」
*中島真一郎さんのこと
コムスタカ-外国人と共に生きる会
http://www.geocities.jp/kumustaka85/intro.html
*住友生命の裁判のこと
住友生命既婚女性差別事件高裁で勝利の和解
http://www.kangou.gr.jp/sumitomoseimeisyouriwakai.pdf
住友生命ミセス差別訴訟、勝利
http://www.jlaf.jp/tsushin/2001/1032.html#02
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悪あがきは人間を図太くする。周りの人たちを教育する。人を輝かせる。クルド人難民の子が通う夜間高校の東先生や熊本で在住外国人の人権について活動している中島さん。すごい。
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辛淑玉さんを始めとして
辛淑玉さんの周りにいらっしゃる
クルド人難民の支援活動をしておられる東先生
シボクサのお母ちゃんたち
市民ネットワークえひめのしたたかな人たち
…
素敵な「悪あがき」の人たちに
大きなエールをもらいました。